不毛の時代とか氷河期とか言われ続けた2010年代前半のUKインディ界隈の中で、ほぼ唯一の成功を収め国民的なバンドにまでのし上がったヴァクシーンズ。なのに、日本にはいまいち彼らの功績が伝わっていないような気がしてならない。3分未満のシンプルなギター・ロックのフォーマットに則って、これだけアンセミックなメロディを書けるバンドは今世界中を見渡しても数えるほどしかいないよ!来たるべき3rdアルバムのリリースを控えて発表されたリード・シングルも、フックだけを詰め込んだような激キャッチーな仕上がり。しかも、MVのテーマはこれまでの地味で行儀良さげなイメージを覆すような、悪ノリ全開のB級カンフー映画!「タイムレスを目指すんじゃなく、2015年の音がするレコードを作りたかった」と語る新作は、ヴァクシーンズらしさは損なわずに今までの殻を破る一枚になりそうな予感がひしひしと。
これまでにも何度か英米のポップ・ディーヴァ達について書いてきたのだけど、その中でフローレンスに一度も言及しなかったのは、決して忘れていたわけじゃない。彼女が現行のどのカテゴリにも属さない、超然とした態度でシーンに屹立する存在だったからだ。そんなことを、改めて感じさせてくれるニュー・シングル。20年の時を共にしても分かり合えない男と女の間にある溝を題材に、怒りに打ち震え荒ぶるフローレンスの歌声が何と言っても凄まじい。マーカス・ドラヴスをプロデュースに迎えたトラックの出来も、2ndの神々しさに加えて初期の荒々しいロック・サウンドを取り戻した理想的な仕上がり。6月にリリース予定の新作タイトルは『How Big, How Blue, How Beautiful』。大きく、青く、美しく。あぁ、何とフローレンスらしい言葉だろう。
昨年マック・デマルコの「ザ・スラッカー」な佇まいにヤラれてしまった人なら、オーストラリアの女スラッカーとでも言うべきコートニー・バーネットをきっと気に入るはず。二枚のEPを合わせた昨年リリースの『The Double EP: A Sea of Split Peas』で歌われるのは、タマ子も真っ青なモラトリアム女子のこじらせ系思索の数々だった。「女子力」とかいう言葉に冷や水を浴びせるような、だらけきったウィット。ただ、アルバム・デビューを間近に控えたこのリード曲では、世界的に注目を浴びる存在となったことで、彼女の表現に少しばかり変化が生まれつつあることも示唆されている。以前よりも音は尖り、言葉もほんの少しシリアスに(ウィットに富んでいるのは相変わらずだけど)。余談ですが、先日行われた東京公演でベンジャミン・ブッカーが着ていたのは、コートニー・バーネットのTシャツでした。
例えば、ストロークスが登場してからロックンロール・バンドが「ストロークス以降」と括られるようになったのと同じく、あるいはダフト・パンクがソウル/ファンクを復権させたことでその後のソウル/ファンク志向の音が「ダフト・パンク以降」と定義されているのと同じく、今も根強くポップ・シーンの一角で市民権を得ているナード系エレクトロ・ポップは「パッション・ピット以降」と言ってもいいんじゃないかと思う。勿論、彼ら以前にポスタル・サーヴィスとかMGMTもいたことは忘れちゃいけませんが。待望のパッション・ピットの新シングルは、凡百のフォロワーがマネしても敵わないほど、どこまでもパッション・ピットな一曲に。頭の先からしっぽまで多幸感がぎっしりと詰まった、天にも昇るような4分23秒。1987年生まれなのに「1985年は良い年だった」と歌われる辺りの真意が気になります。
先月行われたグラミー賞授賞式で一番盛り上がったのは、豪華絢爛なパフォーマンスではなく、ベックの最優秀アルバム賞発表時にカニエ・ウェストがちょっとだけ乱入した瞬間でした。カニエが乱入したと言えば、MTVアワードのテイラー・スウィフト以来ですが、今回は一瞬だったしベックも友好的で特にお咎めとか炎上はなし。ネタとして盛り上がっている最中に、このマッシュアップも公開されました。公開したDJウィンドウズ98の正体は、何を隠そうアーケイド・ファイアのウィン・バトラー。マッシュアップの出来自体は平凡ですが、今や神と自身を並び立てるほどのエゴの塊になったカニエ・ウェストが初めて神について言及した“ジーザス・ウォークス”と、「オレは負け犬だから、殺してくれないか」と歌う“ルーザー”の対比が心憎い。