94年のソウル、団地で暮らす14歳のウニ(パク・ジフ)。これが初長編となるキム・ボラ監督は自分の体験をもとに、その限られた場所、限られた時間で少女が見たもの、感じたことを138分の映像にしています。だから説明は少なく、断片的に人々が現れては消え、背景もないまま突然事件が起きる。でもそこに男尊女卑が偏在していること、社会の圧力がウニにも及んでいることはわかる。その意味で、ウニの孤独や痛みは小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の少女時代を思わせます。けれどもそれ以上に、誰もが思春期にあった瞬間を思い出すのでは。不安と楽しさが隣り合わせで、退屈しているのに感情だけは忙しかった時期。ストーリーを生きるのではなく、そのかけらをつなぐようにして私たちは大人になってきたのだ、と気づきます。印象的なのは、ふらっと登場する塾講師のヨンジ(キム・セビョク)。おそらく学生運動に参加していた彼女にウニは心を開く。ヨンジの言葉は、大人になった私たちがウニのような少女にかけたい言葉であり、自分のなかの子どもにもう一度聞かせたい言葉でもあります。大人としてこれから生きていくために。みずみずしいデビュー作。
こちらは韓国ドラマのエンタメ・パワーに圧倒される一作。日本でもNetflixに入ってから超話題に。なにしろ設定からしてすごい。韓国財閥の跡取り娘ユン・セリ(ソン・イェジン)がパラグライダー事故で北朝鮮に墜落。彼女を発見した軍人リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)にかくまわれるうち、二人は恋に落ちるのです。どんなに荒唐無稽でも、北朝鮮の日常描写はリアルで細やか。そこに笑いも涙もサスペンスも詰め込み、韓国エンタメらしいマッシュアップ力が発揮されます。当然、胸キュンなシーンも回ごとダース単位でぶち込まれていて、ハマるのも無理はない。ただ楽しめばいいものの、上手いと唸らされるのは「南のメロドラマにハマっている北朝鮮人」というキャラを出すことで、どんなにベタな展開になっても、それがメタになるという憎いアイデア。しかもおとぎ話のような恋愛物語の底に「南北統一」という究極のファンタジーを置くことで、民族の悲哀も感じさせるのです。思うに、映画でもドラマでもK-POPでも、韓国カルチャーが世界的に成功しているのは、国際化ではなくむしろ固有のものを土台にしているからでは? それをもとに、底力をどんどん上げているのを実感します。
始まりは、中国系アメリカ人であるルル・ワン監督が体験した「家族の嘘」。中国に住む祖母が末期ガンになり、家族一同、本人には告知しないことになったのです。その顛末をラジオの脚本にした回が評判に。私もそれを聴きましたが、映画としてふくらませた本作はさらに中国という遠い故郷、そして家族の間に流れる空気をすくい取る良作になりました。結婚式を口実に、祖母のため故郷に世界から集まってくる親戚。家族とはいえ住む場所も文化も違う。もちろん世代差も格差もあり、そのさまざまなギャップがユーモラスに描かれると同時に、怒りや悲しみも引き起こします。円卓での食事シーンが多く、アン・リー監督の初期作『ウェディング・バンケット』(93)や『恋人たちの食卓』(95)を思い出したりも。オークワフィナはやや内気な孫のルル役。いまいちばんイキのいいコメディアンにこういう役を演じさせるのも秀逸。やはりA24は的確にいい映画を送りだしてきます。
『ローグワン』(16)、『ヴェノム』(18)でグローバルなスターとなった俳優/ラッパーのリズ・アーメド。彼が同名アルバムと同時にリリースした短編映画が『The Long Goodbye』です。とはいえアルバムのプロモーションという形ではなく、ひとつのメッセージをクリアに、衝撃的に伝えるパワフルな12分。情報を入れずに観れば、そのパワーもショックも倍増する。ただ、リズ・アーメドの両親がインドからパキスタンへ、UKへと移住し、彼自身はイギリスで育ったこと。アルバムが彼にとって「UKとのブレイクアップ・アルバム」だということは知っていていいでしょう。ブレグジット後のUKを糾弾する12分は、2時間の映画よりも効果的。共同脚本と主演のリズ・アーメドですが、彼のポエトリーの才能も堪能できます。一方アニール・カリア監督は、この後ベン・ウィショー主演の長編第一作『Surge』が控える新鋭。
東欧マケドニアのフェミニスト映画。といっても難解ではなく、主人公ペトルーニャ(ゾリツァ・ヌシェヴァ)がこっちを睨みながら突っ立っている姿にメタル・ミュージックがかぶさる冒頭から、ワクワクさせられます。これはパンク。32歳無職、見た目もパッとしない女性によるひとりライオットなのです。最初は就きたくもない仕事の面接でセクハラされ、それを受け入れそうになるほど自信のない彼女が、反抗することで強くなっていく。きっかけは面接の帰り道、川に投げ込まれた十字架を男たちが取り合うという裸祭りのような伝統行事に居合わせたこと。とっさに川に入ったペトルーニャが十字架を獲得したことで、彼女は教会や警察をはじめ地元の怒りを買うのです。でも、「女性が取っちゃいけない」ことにまっとうな理由はない。家父長制のタブーは大抵そんなもの。それに対するペトルーニャの闘いは、相手の言うことを受け入れない、引き下がらない、それだけ。でもそれが彼女を変え、状況を変えるのです。実際に起きた事件をコミカルに脚色したのは、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督。長年ジャーナリストとして活動した経験が生きています。