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RENAISSANCE Beyoncé (Sony) by TSUYOSHI KIZU
MINAKO IKESHIRO
September 02, 2022
RENAISSANCE

わたしたちは再びダンスし、
愛を感じる

パンデミックが訪れた2020年、自分はひとがどこで愛を交わすのかを考えていた。いや、というより、フリー・セックスというコンセプトはどうなってしまうのだろうと危惧していた。セックスに対する考え方が成熟している国では、政府筋がいまは特定のセックス・パートナーを設けよと言っている例もあったそうで、なるほどそうだよねと思ういっぽう、ワン・ナイト・スタンドだって複数のセックス相手をキープすることだってそれぞれの性の楽しみ方なのであって、本来であればひとからジャッジされたり禁じられたりするものではない。それに、1970年代ゲイやトランスジェンダーに好まれたディスコ・クラブには大勢がセックス相手を見つけるために通っていたわけだし、それは社会で抑圧されていた欲望を解放すると同時に異性愛規範から逸脱することでもあった。性的マイノリティにとって、ダンスクラブでセックスを謳歌することは結果的に、それだけで政治的なことでもあったのだ。

そんなわけで2020年、危機に瀕していたフリー・セックスとダンスフロアを思いながら、自分はジェシー・ウェアの『ホワッツ・ユア・プレジャー?』やディスクロージャーの『エナジー』や、それにロンドンのゲイ・ディスコ・シーンのヴェテランであるホース・ミート・ディスコの『ラヴ・アンド・ダンシング』といったポップなディスコ/ハウス・アルバムを聴いていた。すべて同年リリースの作品だ。ジェシー・ウェアのシングル“ホワッツ・ユア・プレジャー?”はドナ・サマーの“アイ・フィール・ラヴ”直系のディスコ・トラックで、すぐに好きになった……クィアのクラブで「LOVE」と言うとき、それは性的マイノリティが安全に感じられる場所がここにある、ということでもある。そのとき失われていたのは、そんな場所でもあった。

だから、どうにかダンスクラブの現場が再び動き始めている2022年に、ビヨンセの新作が『ルネッサンス』というタイトルであることを知って、ほとんど裸体に近い姿をさらしたアートワークを見て、そしてシングル“ブレイク・マイ・ソウル”を聴いて、これはエロスの復権だ、と思った。アルバムはゲイで、エイズの合併症で亡くなってしまった親戚の「アンクル・ジョニー」に捧げられているという。80年代から90年代のゲイ・ディスコ/ハウス・シーンを振り返るときエイズ禍のことはどうしたって避けられないが、感染症がダンス・カルチャーを恐怖に陥れたことは2020年代と重なるところがある。もちろんHIVとCOVID-19は別のウイルスであり、いっしょくたにしてはいけないけれども、HIV/エイズが死に至る病ではなくなった現代だらこそ、感染症に対する恐怖を乗り越えてまたダンスフロアで会おう、というメッセージに感じられたのだ。そこでわたしたちにとっての「LOVE」を再び感じよう。もちろん、セックスへの期待も。

実際、『ルネッサンス』は70年代ディスコや80年代ハウスへの敬意が詰まったアルバムで、ダンサブルでセクシー、リリックはエロティックだ。エロティックに生きることを讃えている。スーパーポップスターであり、世界で有数のセレブリティであるビヨンセがアンダーグラウンド寄りの(クィアの)クラブ・カルチャーに「降りてきた」ことをありがたがっていいものだろうか……という意見も耳にしたし、まったくわからなくもないのだが、スーパーにカッコよくてかわいくて男性中心社会にも毅然と立ち向かうビヨンセはクィアの人びとからも絶大な支持を集めるアイコンだ。アンダーグラウンドのクィア・クラブで”クレイジー・イン・ラヴ”がドロップされて沸き立つことだってある。わかりやすくハウスのイディオムを使った“ブレイク・マイ・ソウル”は、それらがどんなところで鳴っていたものかリスナーにも伝えようとしているはずだ。メインストリームとアンダーグラウンドを切り分けるのではなく、グラデーションで示そうとしているのだろう。過去のダンス・ミュージックの引用に終始するのでもなく、聴き心地として2022年のサウンドだと自然に感じられるのもさすが、というところ。とりわけ、ベースと歌がねっとり絡みつつもスムースなディスコ・トラック“ヴァルゴズ・グルーヴ”は、何度聴いてもその快楽度の高さにうっとりしてしまう。

そして、ダンスフロアで快楽を追求することが同時に社会的なアクションであるように、『ルネッサンス』にも政治的なところがある。たとえば、トランスジェンダーの黒人女性プロデューサーのハニー・ディジョンと同じくトランスジェンダーの黒人女性の俳優であるTSマディソンをフィーチャーし、トランスジェンダー女性が当たり前に共存するシスターフッドを歌った“コージー”はBlackTransLivesMatterを踏まえたものだ。それがあくまでバウンシーで気持ちいいハウス・トラックになっていることに意味がある。『ルネッサンス』はダンサブルなグルーヴで踊らせながら、ブラック・クィアが安心できる場所をともに社会に作り上げていこうと訴えている。それを聴くわたしたちも踊って踊って開放的な気持ちになっているからこそ、あらゆるひとが包摂される世界をダンスフロアの外にも思い描けるのだ。

この間、本当に久しぶりに、それこそ3年ぶりくらいにゲイ・クラブに足を運ぶことがあった。ゴーゴーボーイとドラァグクィーンのショウを観たあと、夜中2時頃だっただろうか、「これぞ定番」といった感じでドナ・サマーの“アイ・フィール・ラヴ”が流れた。みんな笑いながら踊っていた。きっと『ルネッサンス』収録曲も、こんな風にクィア・クラブのアンサムにすぐになるだろうな、と僕は思った。『ルネッサンス』の最終曲”サマー・ルネッサンス”では堂々と“アイ・フィール・ラヴ”をそのまま引用しつつ、「I want your love」と歌われる。あなたの愛がほしい。わたしは愛を感じる。そう、わたしが愛だと感じるものは、幻ではなく、たしかにそこに存在している。

文:木津毅

踊らせつつ、クィア・カルチャーと「共闘」するディーヴァ

ビヨンセの愛し方はヘヴィだ。絶世の美女、ディーヴァ、スーパースターのビヨンセは重い女でもあるのだ。筆者は夫のジェイ・Z、ビヨンセともどもダイハードなファンである。ふたりが仲睦まじいのは、とても悦ばしい。だが、7作目にして大傑作の『ルネサンス』を聴いていて、ふっと胸を抑える瞬間がある。これ以上はないだろうと思っていた歌唱力をさらに上げてきたビヨンセの歌声とともに、胸焼け注意報が発令されたのだ。天井知らずのビヨンセの歌の上手さと、愛情の濃密さのおかげで(せいで)『ルネサンス』は少し怖いアルバムである。

パンデミック中に制作された3部作の第1幕にあたる『ルネサンス』は、ハウス・ミュージックのクラシック、ロビン・S“ショウ・ミー・ラヴ”と、2014年のバウンス・ミュージック、ビッグ・フリーダ“エクスプロード”を大胆に敷いた先行シングル“ブレイク・マイ・ソウル”で予告したとおり、全編でレトロなダンス・ミュージックを復活(=ルネサンス)させている。ハウスとバウンスのほかにもディスコ、ブギー、アフロビーツをふんだんに取り入れ、徹底的に躍らせることに注力。シドがプロデュースした“プラスティック・オフ・ザ・ソファ”は現行のR&Bシーンらしい音だが、シーンそのものがレトロに寄っているので全体から浮いていない。この曲と、次の“ヴァーゴ・グルーヴ”がとくにジェイ・Zへの性愛をふくめた愛情に溢れている。

もうひとつ大事なファクターは、ハウスやディスコ・ミュージックと密接にリンクするクィア・カルチャーとの「共闘」だ。とくに大きく取り上げているのがボウルルーム・カルチャー。90年にマドンナが“ヴォーグ”で紹介し、数ヶ月後に公開されたドキュメンタリー『パリ、夜は眠らない』で世界中にその存在を知らしめた文化だ。「パリ」とついているが、ニューヨークが舞台で、ゲイの人々が擬似家族(ハウス)を作ってファッショ・ショーとダンス、ウォーキングを組み合わせたコンペティションをくり広げた。最初、90年代ブームの発露かと思ったが、2018年のケーブル局FXがドラマ『POSE(ポーズ)』を制作、再びブームになっていた。2020年にはヴォーギングを競うリアリティ番組『Legendary(レジェンダリー)』も人気を博している。この番組の審査員には、先日の来日でセーラームーン姿を披露して喝采を浴びたミーガン・ザ・スタリオンもいる。パンデミック中、家族で引きこもっていたビヨンセが、私たちと同じようにドラマや映画に救われ、インスピレーションを受けた(と思われる)のは親近感がもてる。ちなみに、私はディズニー・チャンネルでシーズン2まで放映されている『POSE(ポーズ)』にどハマり中だ。

タレントのYSマディソン、DJ/プロデューサーのハニー・ディジョンなどトランス女性の参加、サンプリングが多い。エイズの合併症で90年代の終わりに亡くなった親戚のアンクル・ジョニーの人柄と、クィアな感性に感謝を示してもいる。だが、それはスーパースターであるビヨンセが、性的マイノリティに救いの手を差し伸ばしている図式とはちがう。彼女は自分の中にある奔放な面や、「家長になら私だってなれる」と言い切って男性性をも押し出す。一方、「ザ・社長」キャラの夫には、自分の前では感情的になってもいい、楽にしてほしいと歌いかける。本作中でもっとも胸焼けポイントが高い“ヴァーゴズ・グルーヴ”での妻は、デスティニーズ・チャイルド時代の名曲“ケーター・2・ユー”で歌った、外で働いてきた彼氏をとことん家で甘やかすどこか受身な女性から大きく進化している。包み込むような母性はそのままに、今回はなんでも言うことを聞くのではなく「私を楽しませて」と要求するのだ。18年の月日を経て、対等になることで相手を盾にせず、解放する術を身につけたとも取れる。これは、LGBTQへの理解が深まった結果、多くの人がジェンダー・ロールを見直した変化とも関係ある。差別を減らす運動は、マジョリティ側をも解放する効果があるのだ。だれかが権利を獲得することで自分の既得権が脅かされるのでは、と勘ちがいしがちな人は、ビヨンセを聴きながら脳みそをほぐしてみよう。

当事者ではない文化を取り入れると、すぐに「割り当て外!」と文化の割り当て(盗用)問題を糾弾される昨今、最大限の注意を払っている点も指摘したい。それでも、脳性麻痺の症状である痙攣性両側麻痺が語源であるspaz(スパッズ)がリリックにあったことで、差別的だと注意は受けた。偶然にも、前月にリゾも2ndアルバム『スペシャル』で同じ言葉を使って差し替えている。わりとよく耳にする言葉だが、傷つく人がいるのなら廃れるべきだろう。うまいな、と思った起用もある。変化の兆しがあるとはいえ、ホモフォビックな面が強いダンスホール・レゲエを取り入れる際、フロリダ在住のジャマイカ系アメリカ人であるビームと、アンドロジニアスなファッションで一世を風靡したジャマイカ出身のグレイス・ジョーンズをフィーチャーして不協和音が出るのを避けたのだ。

どんどん新しい価値観が提示されるなかで、つねに最先端でいるのは大変だ。私はこの文章の頭で「絶世の美女」と古い言い回しをあえて使った。ルッキズムに異を唱える姿勢は正しいと思いつつ、それがスターとして美しくあろうと努力するビヨンセの美貌を評価しないこととイコールではない、と考えるからだ。ちなみに、本作で彼女は経産婦である自分の体を受け入れる発言もしている。踊らせつつ、さまざまな価値観や姿勢を巧みに織り込むビヨンセと彼女のチームは、偉業を達成した。私たちは踊りつつ、おそらくあまり間を置かずにリリースされる第2幕と第3幕を待っていよう。

文:池城美菜子

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