本稿を執筆している数日前、第60回グラミー賞授賞式が開催された。授賞式の内容アレコレについてここで詳しく触れる気はないが、ステージに登壇した様々なプレゼンターのうち個人的にもっとも心を揺さぶられたスピーチを披露したのが、このカミラ・カベロであった。彼女の代表曲“ハヴァナ”からも分かる通り、彼女はキューバン・アメリカンである。「この国は、アメリカン・ドリームを追いかけた人々によって造られ、また、そんな夢を追いかける人々のための国でもある。私の両親は希望だけをポケットに詰め込んでキューバから移住してきた。私は、そんなキューバン・アメリカンの移民であることを誇りに思う」と自身の言葉で述べた彼女の表情は、自信に溢れて美しく輝くとともに、その奥にはアメリカの現状に対しての憤りの感情が燃えているように見えた。
カミラに自信を与えたことの一つに、このデビュー・アルバム『カミラ』の成功があるだろう。2016年、カミラがリーダー格でもあったガールズ・グループ、フィフス・ハーモニーはモンスター級のヒット・シングル“ワーク・フロム・ホーム”をリリースし、世界的にインパクトを与えた……が、同年の暮れ、ソロ・アーティストとしてのキャリアの駒を進めようとしていたカミラは「ソロ活動とグループの活動を両立させるのは無理」として、グループの脱退を決めた。グループとしては人気最高潮を迎えた時点でのカミラの脱退。よく受け止める人もいれば、その事態を悪く受け止める人も少なくなかったに違いない。そこまでの大決断を経てリリースされたのが、この『カミラ』である。
本作から、カミラの名刺代わりになった楽曲“ハヴァナ”が生まれたのは本当にラッキーだったのではと思う。ルイス・フォンシ&ダディー・ヤンキー“デスパシート”の特大ヒットやDJキャレド、リアーナ、ブライソン・ティラーという豪華メンツによる“ワイルド・ソーツ”、そしてジワジワとヴァイラル・ヒットを記録している新世代レゲトン・チューンの数々など、2017年の“ハヴァナ”のヒットはまさに絶妙なタイミングで追い風を受けた。リアーナやビヨンセ、ケンドリック・ラマーなど、現在のUS音楽シーンではより「インディヴィジュアリティ」にフォーカスした作品が売れる、というのが筆者の個人的な一つの見解ではあるが、「ガールズ・グループのカミラ」ではなく、「キューバからアメリカにやってきたカミラ」としての印象付けに成功したことは、ソロ活動をスタートしたばかりの彼女にとっても打ってつけの出来事だったのではないだろうか。
『カミラ』を聴くと、カミラが自分自身と向き合い、じっくり作られたのが伝わってくるようだ。“ネヴァー・ビー・ザ・セイム”では恋い焦がれる相手をドラッグに例えてミステリアスに歌い、“リアル・フレンズ”ではフィフス・ハーモニー脱退からこれまでの彼女の身辺を案じてしまうほど、友情(しかも、年ごろ女性の友情は常にややこしい問題を孕んでいるもので……)について赤裸々な思いを吐き出している。“オール・ジーズ・イヤーズ”や“コンシクエンセズ”と言った複雑な恋愛感情を歌ったナンバーに関しても、実年齢よりだいぶ大人びた表情が伺える。ヒット・チューン“ハヴァナ”にならったラテン・テイストのカミラも、“シー・ラヴス・コントロール”や“インサイド・アウト”でバッチリ堪能することができ、全編を通してリスナーの期待を裏切らない構成に。
これまでを振り返っても、ガールズ・グループからソロへと転向したシンガーで、グループ活動を超える大きなインパクトを残した女性シンガーは少ないように思える。ビヨンセはあくまでデスティニーズ・チャイルドとしての活動と並行してソロ・キャリアをスタートさせたし、アメリカで数百万枚のアルバムを売り上げたプッシーキャットドールズのニコール・シャージンジャーは二枚のソロ・アルバムをリリースするも、UK盤のみの発売で、アメリカでのリリースは未だ実現していないままだ。そうした女性ソロ・シンガーを取り巻く状況においても、カミラの成功は非常にリマーカブルと言えるだろう。
カミラ・カベロ。97年生まれの彼女は、今年21歳を迎える。若くして自身の出自をもポップ・ミュージックに消化し、スターダムを駆け上ってきた女性シンガーといえば、やはりリアーナを想起させる(リアーナも、カミラと同じ中南米エリアのバルバドス出身だ)。これからますますの自信を身につけ、女性としてもアーティストとしてもものすごいスピードで成長していくのではと期待が膨らむ一枚だ。
2017年を代表するヒット曲といえば? エド・シーラン“シェイプ・オブ・ユー”? それも間違いではないが、ルイス・フォンシ&ダディー・ヤンキー“デスパシート”を無視することはできないはずだ。何しろYouTube史上最高の再生回数を記録し、ジャスティン・ビーバーが直訴してリミックス版にヴォーカル参加。そしてSpotifyでもっとも再生された楽曲という記録を打ち立てたことからも、その盛り上がりが圧倒的だったということがわかるだろう。さらに同じく全編スペイン語曲として、コロンビアのJ・バルヴィンによる“ミ・ヘンテ”も後に続くようにヒット。ビヨンセ参加のリミックス版が作られるなどして話題になったのは記憶に新しい。
そして、カミラ・カベロだ。シングル“ハヴァナ feat. ヤング・サグ”がロングヒットを記録し、ついには全米シングル・チャート1位を獲得。乱暴なくくりではあるが「ラテン音楽」がダンス・ミュージックの枠を飛び越えポップ・シーンにおいてトレンドとなっていることを改めて印象付ける結果となったと言えるだろう。
そうしたリード曲のヒットを受けてか、カミラ・カベロは初のソロ・アルバムのタイトルを変更し、自身の名を冠す『カミラ』としてリリース。その裏では、今をきらめくエド・シーランとの共作曲をボツにするという決断を行っていたというが、それも無理はない。本作は、キューバ生まれメキシコ~マイアミ育ちのアメリカ人シンガー/ソングライターという移民家系である彼女の出自をストレートに打ち出した作品となっているからだ。
11曲全37分というコンパクトな構成にも伺えるように、ほとんどの楽曲はビートルズ的な3分間のポップ・ソング構成。うち3曲はギターもしくはピアノとヴォーカルを中心としたドラムレスの弾き語り形式だ。ヤング・サグのパートがある“ハヴァナ”が特例的ではあるが、それもラップではなく歌唱での参加と、全体的にメロディーにフォーカスした作品という印象が強い。ループ・トラック・ベースによるリズム・オリエンテッドな楽曲がシーンを席巻する状況からすれば、形式上はレイドバックした作品のように感じられるかもしれないが、これがそうでもない。時代の意匠を過度に身にまとった故にどこか「遅れた」印象になってしまったテイラー・スウィフト新作とは真逆の新鮮さがここにある。
これには、前述のラテン音楽がトレンド感を持っているという時流のほか、カニエ・ウェスト、ドレイク、ポスト・マローン、ロードやフランク・オーシャンといった錚々たるアーティストを手掛けてきたフランク・デュークスにより、きっちりと現代アメリカのポップ・ミュージックとして機能するようプロダクションが整えられていることも大きな要因となっているだろう。例えばそう、既に関係が壊れた恋人と別れるべきだと感じながらも踏み出せない現状を歌う“サムシングズ・ガッタ・ギヴ”では、そんな暫定的な時間を表すように、時計の秒針を模したサウンドがスネア・ドラムがわりに使われている。単純な出音とはまた別に、こうしたシーン描写のアプローチにも現代的な工夫が見て取ることができる。
そして全楽曲のソングライティングに関わっているカミラ・カベロが歌うのは、元彼への未練をはじめとした恋愛への依存と、それを断ち切れない自身の弱さに始まり、自身や物事をコントロールして自分らしく生きようとする意気込みなど、年頃の女性らしいモチーフが中心。弱冠20歳という彼女自身の年齢や、彼女の支持層を考えれば極めて自然なテーマではある。しかし、ここで指摘したいのは、そうした各楽曲の主人公が2つに引き裂かれていることだ。
「継続と終了」「恋愛と別離」「イースト・アトランタとハヴァナ」「自分の光と影」など形こそさまざまだが、彼女たちは居場所を常に見つけることができず、もがいている。唯一帰る場所を持つことができているのは、実質的な最終曲“イントゥ・イット”だけだ。これにはフィフス・ハーモニーという人気グループから脱退しソロ活動を選んだ自身の決断に対する揺れる思いや、トランプ政権下のアメリカにおける移民問題への意識がその裏に潜んでいることが伺える。この寄る辺ない想いと向き合い、自身のペンにより認め、かたちにしたことで、カミラは「誰か他の人の物語として始まった自分の人生の章が終わった」と感じ、アルバムに自身の名前を冠する決意がついたのだろう。
本作リリース後、カミラ・カベロは第60回グラミー賞授賞式でにおいて、アメリカの移民についてスピーチを行った。それは移民としてアメリカにやってきた自分の両親への感謝であり「移民」を受け入れてきたアメリカという国への願いが込められている内容だった。そこには「引き裂かれている」ということを、「帰るべき場所が2つある」と捉えるような、祝福があったように思う。
“デスパシート”のブレイクの裏にはサッカー選手のメッシらによるSNSでのシェアも要員としてあったようだが、メジャー・レイザー“リーン・オン”、ドレイク“ワン・ダンス”、リアーナ“ワーク”に代表されるように英米のポップとダンスホールの融合が既にトレンドとなっていたことも無縁ではないはずだ。もちろんレゲトンとダンスホールは別の音楽ではあるが、イギリスはロンドンのラッパーであるJ・ハス(ガンビア系イギリス人)周辺を見ても、いまの音楽シーンにおいて英米のポップと「非英米圏」のポップがインターネットを通してこれまで以上に影響を与え合い、さらに聴き手側にもそうした音楽を受け入れる土壌が作られてきているのは間違いない。時にそれが「文化的搾取ではないか」と叫ばれる時もあり、対立を生むこともあるだろうが、我々はそれをどうにか乗り越えて進むしかないのだ。