機が熟したとは、まさにこの作品のことを言うのだろう。昨年の10月、ロサンゼルスのサイケ・ポップ・デュオ、フォクシジェンが“アメリカ”という新曲を発表した時、「アメリカで暮らしているなら/既に死んでいるということ」という歌詞を聴いて、「最低対最悪」と揶揄された、来るべきアメリカ大統領選に向けたメッセージ・ソングと受け取った人も多かったはずだ。しかし実際にはこの曲は、3年以上前に書かれたものだった。
21世紀のフラワー・チルドレンといった風貌の彼らが、2ndアルバムの『ウィー・アー・ザ・トゥエンティー・ファースト・センチュリー・アンバサダーズ・オブ・ピース&マジック』でシーンに華々しく登場したのは、2013年のこと。その翌年にリリースされ、フレーミング・リップスやオブ・モントリオールのメンバーも参加した一大ロック・オペラ『……アンド・スター・パワー』のレコーディングの最中に、メンバーのジョナサン・ラドーは、早くも本作『ハング』に収録されることになる“フォロウ・ザ・リーダー”、“アヴァロン”、“ミセス・アダムズ”、“アメリカ”、そして“ライズ・アップ”の5曲を書き上げている。当時のインタヴューでも次回作が『ハング』というタイトルの「ニルソン風オーケストラ・アルバム」になることを予告していた彼らだったが、そんな矢先、サポート・メンバーでサムの当時の恋人だったエリザベス・フェイが、不当な解雇を理由にバンドを告発。思わぬスキャンダルで窮地に立たされたバンドは『……アンド・スター・パワー』のツアーが終わると、ヤケクソ気味に発表されたヒップホップ・チューン“24アワー・ラヴァー・マン”を最後に、長い沈黙期間に入ることになる。
だがこの作品のリリースが先送りになったことは、フォクシジェンにとっては幸いだったのかもしれない。2016年に自身のレーベルを立ち上げたジョナサン・ラドーは、手始めにコメディアンのティム・ハイデッカーのアルバムをリリースすると、スミス・ウェスタンズのメンバーが結成したホイットニーや、10代の兄弟デュオ、レモン・ツイッグスのデビュー作をプロデュース。プロデューサーとしての知名度と信頼を得たことで、多くのリスナーの目を、自分のバンドにも向けさせることになったのだ。
本作にはそのレモン・ツイッグスのダダリオ兄弟もリズム隊として全曲に参加しているが、アーロン・コープランドやディキシーランド・ジャズといったアメリカン・ヘリテージ・ミュージックを甦らせるという途方もないアイデアを具現化したのは、ヴァージニア州のシンガー・ソングライターであるマシュー・E・ホワイトと、彼が設立したスタジオ兼ミュージシャン集団〈スペースボム〉の一員、トレイ・ポラードが指揮した40人編成のオーケストラだ。どちらかと言えば裏方のイメージが強かったマシュー・E・ホワイトだが、本作に先駆けてUKの女性フォーク・シンガー、フロー・モリッシーとのデュオ名義によるカヴァー・アルバムをリリースしたことも、フォクシジェンにとっては追い風になったに違いない。
そして何より、ここ数年に起きたアメリカの政況の変化が、このアルバムのコンセプトを、より真実味のあるものにしている。曲によってデヴィッド・ボウイのようでもあり、スコット・ウォーカーでもあり、ミック・ジャガーでもあるフロントマンのサム・フランスの歌声はどこまでもフェイクで、人によってはパロディのように受け取るかもしれない。しかし「誰もが世界を変えたいと願っている/誰もが赤いシダの育つ場所を知りたがっている」と歌われるラストの“ライズ・アップ”には、そんな彼らのシリアスな本音が見え隠れしているのだ。歌詞に引用されているのは、アメリカの小学校では国語の授業で使われるという児童小説『赤いシダの育つ場所』。その物語では主人公が死んだ愛犬を埋めた場所に赤いシダが生えるのだが、アメリカ先住民の間には、赤いシダは神聖な場所にだけ育つという言い伝えがあるのだという。一度は潰えかけた、バンドの渾身の一曲。そのタイトルが“アメリカ”だったというのはなんとも皮肉だが、死んだアメリカを埋めた場所に育った赤いシダこそが、この『ハング』というアルバムだったのかもしれない。
ロックにいま必要なのは、やっぱり革新? それともリヴァイヴァル? どちらにしても、ロック・ミュージックが常に過去のアーカイヴをヒントにしてきたことは紛れもない事実。録音文化の遺産からアイデアを拝借することによって歴史を上書きしたという点では、ビートルズもストロークスも変わらないし、勿論ここで取り上げているフォクシジェンにも同じことが言えるはずだ。
では、直近でロック・バンドがもっともイノヴェイティヴだった時期といえば? そう問われたら、やはりその答えは「NYブルックリンのインディ・シーンが最盛期を迎えていた、ゼロ年代後半」ということになると思う。その当時を賑わせた一連のインディ・バンドが参照したのは、たとえばビートルズ以前の大衆音楽や、東欧や中東、西アフリカのフォーク・ミュージックなどなど。つまり、彼らはポップスの歴史をより深く掘るのはもちろん、欧米のシーンとは別の世界にも目を向けることで、ロックにはまだ開拓していない領域があることを確かに示したのだ。
そんなアメリカ東海岸のインディ・シーンが隆盛を極めていた頃、西側のアンダーグラウンドも着々と動き出していた。そこでまず思い出されるのが、L.A.出身のアリエル・ピンク。アニマル・コレクティヴが主宰していた〈ポウ・トラック〉からリリースしていたこともあるアリエルは、いわば東西インディの橋渡し役でもあったわけだが、その一方で彼のメロディとコードワークには、ある種のベタさを厭わないところがあり、そのセンスは00年代後半の北米インディでも明らかに浮いていた。
あるいは、同じく西海岸のサンフランシスコから現れたガールズも、ニューヨークのインディ界隈とは異なる価値観を打ち出したバンドのひとつ。50年代のポップスを参照していた彼らの楽曲には、特にこれといった新しさもなく、むしろ自分たちの音楽がレトロであることに自覚的だった。つまり、それは「インディ・ロックはこれからもプログレッシヴでなければいけない」という強迫観念を否定するものでもあったのだ。
そこで、フォクシジェンの最新作『ハング』に耳を傾けてみよう。まず冒頭“フォロウ・ザ・リーダー”の分厚いブラス・セクションは、まるでシカゴに代表される70年代のジャズ・ロックだし、つづく“アヴァロン”のスウィング・ジャズ的な賑やかさは、さながら『マペット・ショー』のテーマ・ソング。全編で流れるピアノ伴奏と、それに伴う派手なメロディからは、思わずエルトン・ジョンやビリー・ジョエルの顔が浮かんでくる。つまり、この作品から聴き取れるリファレンスの大部分は、誰もが知っているような70年代のロックとか、それこそお茶の間レヴェルのヒット曲なのだ。
それでいて、彼らのこうした引用には恣意的なものも特になさそうだ。ジャーナリストのサイモン・レイノルズは、かつてアリエル・ピンクの作品を「ホーントロジー(哲学者のジャック・デリダによる造語で、「過去に取り憑かれた現在」などの意味を含む)」と定義づけていたが、フォクシジェンの引用はもっとあっけらかんとしているし、ニューヨーク・インディ的なスノビズムへのカウンター的な意識も感じ取れない。むしろ、この二人のつくる楽曲には「ここの展開、よくない? フツーに盛り上がるっしょ」的な軽さと無邪気さがあって、何よりもそこが魅力的だと思う。
もちろん、『ハング』はただ大ネタを引用しまくった作品というわけじゃない。たとえば、「アメリカで暮らしているなら、それはもう死んでるってこと」と歌う“アメリカ”を聴けば、おそらく誰もがそこに社会批判的な意味合いを嗅ぎ取るだろう。でも、同時にこの管弦楽団を携えた40人編成の大げさな演奏と、サム・フランスが情感たっぷりに「アーメーリーカー!!」と歌い上げる様には、ついつい笑いもこみ上げてくるはず。そう、本作のキモはこのエンターテインメント性にこそあるのだ。
今年はゼロ年代の北米インディを盛り上げたバンドが次々と新作を発表しており、「インディ」という価値観が少しずつアップデートされているのを感じるが、『ハング』はそんなインディ・ロックの新時代を圧倒的にリードした一枚だと思う。とはいえ、当の本人たちはそんな評価など気にも留めていないだろう。それこそこの作品で参照されているアーティストの多くがそうであったように、彼らも当然のようにメインストリームの頂を目指しているはずなのだから。