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DIRT II KOHH (Gunsmith Production) by RYUTARO AMANO
AKIHIRO AOYAMA
August 04, 2016
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DIRT II

まだあなたが幸せを感じていたいなら
このアルバムを聴くべきではない

ああ、なんてこった。なにもかもが馬鹿馬鹿しい。東京都知事選挙の一連の流れを見ていて、彼――ここでは仮に「A」と呼ぼう――は今回こそ棄権したくなっている。あの参院選のあとで、これだ。勿論、それはAにも責任がないわけではないだろう。こんなことになってしまう前に、倦まぬ弛まぬ議論を、権力の監視を、ベストではなくベターを求めるための慎重かつ大胆な精査を怠ってきたのかもしれない。しかし、「議論」って? 一体誰と? 「監視」? 一体何を? 「ベター」? 一体どの選択肢がベターなんだ? もしAが「民主主義ってなんだ?」と問われたら、「ははは、見てくれよ。こんな感じなんだ」と前置きして、こんな風に答えるかもしれない。ここ極東まで届いた大きな波、右派ポピュリズムという名のぬるい毒にじわじわと護岸を冒されながらも、いつまでたっても政治家は右も左も地べたには目もくれずに明後日の方向を向いたままのこの国の現状、それが民主主義だ、と。

2016年7月、新譜を聞く気にもなれないAはなんとなく『ヘッド博士の世界塔』を聞いている。お気に入りの音楽を縦横に継ぎ接ぎする悦びから来る子供じみた全能感に恍惚とした1991年のフリッパーズ・ギターは、終わりゆくセカンド・サマー・オブ・ラヴの甘美な残滓と来たるべきグランジの汚れたヘヴィネスに引き裂かれながらこんな風に歌っていた。「逆巻く波間の小舟の上で千年/ジョークのつもりがほんとに降りれない/制御不可能で自爆もままならず/徹尾徹頭非合理な現実よ/world is yours yeah, world is just yours yeah/この際だ笑うのさ aha-ha-ha…」(“世界塔よ永遠に”)。

甘く、弱いニヒリズム。なんて誘惑的なんだろう。気づけばAは、滅菌された子供部屋を自ら組み上げて閉じ込もり、甘いニヒリズムの海に溺れていた。自らの心の中に気取った冷笑家を育てていた。「鍵アカウントは誰も口出ししてこないし、ノイズもなくて快適だよね」と冷笑家は言う。君の言う通りだよ。あー、気持ちいい。今日もドナルド・トランプのおもしろGIFをRT。テレビでは桑田佳祐が歌っている。「ニッポンの男達よ/Are you happy?」。うるせえな。何様のつもりだ。

ある時、タイムラインを遡っていると、誰かがRTしたYouTube動画の断片が勝手に再生されはじめた。ディストーションのかかったKOHHのラップが鎖国したAの子供部屋に鳴り響く。自らの作品を『汚物』と名付けた男の声が滅菌された空間をみるみるうちに汚し、四方の壁に風穴を開けていく――。

KOHHの刹那的で実存主義的なラップはある種のニヒリズムの上に成り立っている。しかし、KOHHのニヒリズムとは諦念に酔った、甘くて弱いそれではない。すべてを偽物だと喝破しながら破壊と創造を繰り返す、強さのニヒリズムだ。「全部がくだらない/再生して破壊」(“Mind Trippin' II”)。あらゆるビートをジャックしてファックしながら、海の向こうのラッパーたちを臆面もなく真似たフロウでもって自身の言葉を吐き出すその破壊と創造のサイクルは、当然のように自らのアートとKOHH自身をもターゲットとしてその照準内に捉えていく。つまり、自己破壊とその再創造(そう、それはKOHHが自身の身体に傷をつけて刻んでいるタトゥーと同じである)。

5か国のローカル・アーティストをゲストに迎えた、排外主義者たちを嘲笑うかのように正しくグローバルな新曲群による1枚目と、過去の楽曲をノイジーでダーティにリミックスしたアルバムとの2枚からなる『DIRT II』は、前作でひとつの頂点を見たKOHHのこれまでの音楽的キャリアと自ら築き上げたパブリック・イメージとを破壊し尽くしている。グランジとブラック・メタルが綯い交ぜになった歪んだギター・リフと暴発寸前のドラムスとがトラップのビートをめちゃくちゃに切り刻む“Die Young”。「ラッパーじゃない/ラッパーなんかじゃない/俺は俺でいい/俺のままで生きる」とラッパーとしてのアイデンティティを脱ぎ捨てる“Business & Art”。ジャマイカの危険な夜のストリートを歩く孤独なKOHHの姿を活写する“暗い夜”。闇夜、街灯の下で訥々と語っているかのようなこの漆黒のアルバムは賑やかな客演を得ている一方で、どこかこれまで以上にKOHHの孤独と内省を浮き彫りにしている。

「I am not a rockstar/生きているだけ/I am not a rockstar/ひとりの人間」とラップする“I Am Not a Rockstar”は、デヴィッド・ボウイの遺作となった“ブラックスター”へのアンサーなのだろうか。考えてみれば、シーンにおける最新のフロウとトラックを盗んできてはそれを自らの言語で破壊することに強く自覚的であるKOHHが、ペルソナをつくってはそれを自ら殺す、仮象の破壊と創造のアーティストであったボウイに自身を重ねたとしても不思議ではない(写真で見るたびに髪色や髪型がちがっているKOHHが実は「地球に落ちて来た男」だったと言われたら、きっと信じてしまうだろう)。

先にも言及した、もともとは『MONOCHROME』収録のトラックだったサイケデリックな“Mind Trippin' II”は、『DIRT II』の核を露わにし、それだけでなくKOHHというアーティストの本質(それがあるとすれば、だが)をも端的に語っている。「過去のことより1秒後が好き」――徹底して刹那主義的なKOHHの言葉は、実は、今この瞬間だけでなく「1秒後」の未来へも投射されている。過去の瓦礫で瞬間、瞬間の現在を構成していくかのように、KOHHのラップは直近の未来を少しずつ手繰り寄せる。1秒後の1秒後、そしてまた1秒後を、と着実に。KOHHのニヒリズムは現在と直近の未来を掴み取る、地べたのニヒリズムだ。諦観のポーズを気取った無責任な冷笑家のそれではけしてない。

――KOHHの『DIRT II』によって安全で清潔だった子供部屋は今や汚物にまみれ、大量の玩具は壊されて瓦礫と化し、Aの孤独な王国は否応なく開国を余儀なくされた。砂埃が舞って薄暗くなった部屋の中で、緑色だか水色だかの髪色をした男が歯に着けているグリルがキラキラと輝いているが見える。その男は「殺せるものなら2度殺せ」と言って笑い、部屋の外へと歩き出した。慌てて追いかける。外は夜だった。彼は男の言葉を反芻する。「誰もいない/静かな暗い夜」。1秒後の未来へ向けて、とぼとぼと歩を進めながら。だが、勿論、その先は孤独と静寂が支配する真っ暗闇だ。本当の夜はこれから始まるのだから。

文:天野龍太郎

「日本語ラッパー」なんてクソな肩書きはいらない
生と死とアートの匂いが漂う、異端の証明たる4作目

2本のエレクトロニック・ギターが不穏に絡み合う“Intro”、それに続くトラップ・ビートとメタリックなブレイクダウンが合わさった極めてヘヴィな“Die Young”。EDM/クラブ・ミュージック畑のプロデューサー、TeddyLoidの手によるこの冒頭2曲で、KOHHはロック、というよりもっと具体的にニルヴァーナからのインスピレーションをストレートに表現する。それはバスキア、ジミヘンとの並びで、27歳で亡くなった早逝の才能としてカート・コバーンの名前を挙げるリリックにも明白で、先日行われた〈フジロック〉のステージでも、ニルヴァーナの中でもっともコントロヴァーシャルな“レイプ・ミー”が登場時の楽曲として使われていた。KOHH自身は現在、26歳。「人生は短い/けど芸術なら長い」(“Business & Art”)という彼は、なぜ今、こんなにも死に惹かれてしまうのか。死んでもなお生き続けるアートを残した先達と同じように、彼自身にも生き急いでいるという実感や「少しずつ消えていくなら、いっそ燃え尽きた方がいい」という願望があるのだろうか。

この『DIRT II』は、昨年10月にリリースされた3rdアルバム『DIRT』の続編と位置づけられている。本作は当初2、3曲入りのEPになる予定だったものの、曲数が予想以上に増えたためにアルバムとしてリリースすることになったのだという。つまりは最終形を意識して作り込んだ作品というよりも、日本のヒップホップ・シーンにおいてもっとも異端的な存在感を放つラッパーとなっているKOHHが今この瞬間のノリを記録した作品と言えるだろう。だが、それだけに本作は、KOHHという才能が持つ異端さがもっとも色濃く表れた一枚でもある。

日本のヒップホップ・アーティストとしては異例中の異例として、世界的に耳目を集める存在となった現況を反映し、音楽面ではアメリカ人のJ・スタッシュ、ジャマイカのトミー・リー・スパルタ、フランス人のサム・チバ、韓国のジュニア・シェフ、それに加えてアートワークにも韓国のアート・ディーラーが参加と、多国籍なアーティストが参加。音楽的にはトラップ・ビートを基調としつつもその定型には嵌らない、ワールドワイドなオリジナリティへと拡張している一方で、対比的に際立って聴こえてくるのはKOHHのラップ/歌唱における内面への深い潜航だ。

これまでの作品において重要なチャームの一角となっていた、“Junji Takada”や“気楽にやる”などの楽曲に代表される、良い意味での適当さ。あるいはセックスやファッション、ドラッグ、タトゥーといったKOHHの定番と言えるネタ。それらは本作で大幅にリリック内での割合を減らしていて、代わりに全体には生と死の強烈な匂いが漂う。それは、タイトルが示す通りの“Die Young”や“Born To Die”、「お金のために生きるなら死ぬ」と吐き捨てる“Business & Art”、発展途上国の危険な裏路地を描いたジャマイカ録音の“暗い夜”等に、とても顕著に表れている。元々KOHHは技術的な面が突出して優れたラッパーというわけではないが、本作では押韻やフロウといったラップ・スキルよりも重苦しくシリアスな感情の吐露の方が何よりも優先されている。

ここで表現されている苛立ちや怒りは、急激な周囲の変化に従って、いらないノイズやヘイトが生まれている現在の状況から来るものなのだろう。「やりたいことやるだけ」(“やるだけ”)だったはずなのに、金でアートが死んでいき、熱心な信者はいつの間にかHaterに変わる。その怒りの矛先は今現在活況の中にある日本語ラップ・シーンにも向かい、その狭い枠組みと逃れられないラッパーという肩書きにも苛立ちは募っていく。

「クソな肩書き/ラッパーじゃない/ラッパーなんかじゃない/俺は俺でいい/俺は俺でいい/俺のまま生きる/お金のために生きるなら死ぬ」(“Business & Art”)

KOHHにとって、もはや日本のヒップホップ・シーンは自由に生きるには狭すぎる、息苦しい水槽のようなものになってしまったようだ。彼はこれから、さらに広く制限のないアートの大海へと身を投じていくだろう。

文:青山晃大

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