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MESS Liars (Traffic) by YOSHIHARU KOBAYASHI
JUNNOSUKE AMAI
April 16, 2014
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MESS

時代の裏路地を歩み続けてきた異形の三人組が、
奇しくも時流と合致したようでいて、半歩ズレているような感覚

デビュー当初こそ、ヤー・ヤー・ヤーズやラプチャーなどと共に2000年代初頭のブルックリンで巻き起こったポスト・パンク・リヴァイヴァルの一翼を担っていたライアーズだが、その後はオーヴァーグラウンドの流行からズレて、ズレて、ズレまくることで、むしろ熱心なシンパを集めてきた。なにしろ2nd『ゼイ・ワー・ウォング・ソー・ウィ・ドローンド』は2004年の時点でスロッビング・グリッスルやディス・ヒート顔負けのインダストリアルを展開しており、続く『ドラムズ・ノット・デッド』ではそこにトライバル・ビートとトランシーな高揚感を注入。そして2000年代後半の二作では、ソングライティングの強化を図りながらも、更なる異形としての凄味を増している。最初に流行りモノ認定されたのがそんなに嫌だったのか、そもそもこういう嗜好だったのか、はたまた2ndから〈ミュート〉に移籍したのが大きかったのか。何にせよ、身長190cmを越す巨体のアンガス・アンドリュー率いる三人組は、2000年代を通じて時代の裏路地を歩み続けてきた。

が、最近はどういうわけか、裏路地を歩んでいたはずのライアーズがいるその道は、最新の刺激的なサウンドの発信地として俄かに注目を浴びている。アンダーグラウンドにおけるノイズ/ドローン/インダストリアルの隆盛、あるいはそれに伴うダークでゴシックなムードの伝播によって。もちろん、ライアーズに先見の明があったとか、ようやく時代が追いついたとか言うつもりはない。しかし、今の彼らには少なからず追い風が吹いているのは確かだろう。

通算7作目となる『メス』は、大きな枠組みで捉えれば、エレクトロニクスの大幅な導入を図った前作『WIXIW』の延長線上に位置するもの。とは言え、全体的なムードは大きく異なる。インダストリアル/クラウト・ロック/テクノの反響がビートに息づきながらも、どこまでもディープでアトモスフェリックで恍惚としたサウンドを標榜した前作とは対照的に、『メス』は恐ろしくプリミティヴでアグレッシヴだ。とりわけ、“メス・オン・ア・ミッション”までの前半6曲たるや凄まじい。激しいダンス・ビートをガシガシと叩きつけるここまでは、DAFやフロント242もびっくりのボディ・ミュージックと言ってもいい。ファクトリー・フロアからクールネスを取っ払って、ひたすら衝動的にした感じというか。アルバム後半は一転してディープでヒプノティックなサウンドを展開するが、『WIXIW』のような繊細さで聴かせるのではなく、やはりひたすら荒々しい。

時流のサウンド、と言えばそうなのかもしれない。だが、そう断言するにはどうにも妙な違和感が残る。例えばアンディ・ストットやファクトリー・フロアやレイムなどの、重苦しく、気の滅入るような暗さとは、この衝動的でプリミティヴなサウンドは大きくかけ離れているのだ。時代と歩調があったようで半歩ズレているような、そんな感覚なのだが、それもまたライアーズらしいと言えるのかもしれない。

文:小林祥晴

いつも変化しながら、いつまでも変わらないライアーズの、やはり
どこまでもライアーズらしい異端のサウンド・エクスペリエンス

ライアーズは、何がやりたいのか。

「過去にやったことは繰り返さない」が口癖で、「精神分裂病的(Schizophrenic)」を自認するアンガス・アンドリューのふるまい通り、傍目には無節操にも映る音楽的な変わり身の大胆さ。いや、むしろアルバムごとに彼らのやりたいことは明確なのだが、結成10余年を迎えるキャリアのバンドとして、そのディスコグラフィはあまりに適当な像を結ぼうとしない。一方で、彼らはデビュー以来、ひたすら同じ穴を掘り続けているようにも見える。幾重もの地層のコントラストを掘り進めていく彼らの姿は、しかし、遠巻きの外野にその実態が捉えられることは易々とないだろう。

もっとも、(折からのポスト・パンク・リヴァイヴァルに括られたデビュー時の辛酸へのある種の反動として)ブルックリンからベルリン、ロサンゼルスと活動拠点を流転しながら彼らが経てきた音楽的変遷が、2000年代中頃のクラウト・ロック・リヴァイヴァルやダーク・ウェイヴ~昨今のインダストリアルの再浮上しかり、結果的に同時代のUSアンダーグラウンドの潮流に先鞭をつける指標となり得てきた事実は、いくら強調しても強調しすぎることはない。それこそ2nd『ゼイ・ワー・ウォング・ソー・ウィ・ドローンド』(2004年)におけるウィッチネス/ゴーストリーな感覚は、たとえば〈トライ・アングル〉のカタログに慣れた耳にはあらためて多くの示唆を含んで聴こえるのではないか。彼らが掘り進めた穴は、カンやシルヴァー・アップルズ、スロッビング・グリッスル、ノイバウテンらの墓穴へと通じ、そして、それら屍が堆積した地層から染み出る化石燃料を自らが大いなる恵みとしてきたことを、アンドリューも今さらムキに否定はしまい。

しかし、果たしてその穴は、どこまで深く伸びるものなのか。かつて「“バンド”はドラムとギターとベースとヴォーカルでできているっていう概念を壊したかった」とまでアンドリューに語らせたライアーズの、いわばバンドとしてのアイデンティティ(他に適当な言葉が見つからない)はどこにあるのか。ヤー・ヤー・ヤーズやラプチャーらかつての同輩がそれぞれにポピュラリティと折り合いをつけてブレイクスルーを選んだ中、オーヴァーグラウンドへの引き返し不能地点を躊躇いなく超えてしまった代償として、よりクローズドで、ある種のカルト的な評価を超え出ぬ状況に彼らは久しく甘んじてきた。

そういう意味では、7作目となる本作においても彼らは相変わらずと言える。「前作とまったく逆の方向性の作品になっている」というアンドリューの言葉に乗っかるなら、5th『シスターワールド』(2010年)におけるエレクトロニックなアプローチを押し進めた前作『WIXIW』のコンセプチュアルで密度の高い作りと比べると、初期のポスト・パンクっぽいルーズさ、とくにアルバム前半部のコンシャスなダンス・ビートやヴォーコーダー/ヴォイス・チョップが醸し出すユーモラスな感覚は新鮮かもしれない。シンセのコード展開が印象的な“キャント・ヒア・ウェル”はうっすらニューエイジ趣味の牧歌的なムードも漂わせる。ただし、『WIXIW』制作時の大量のデモを携えてレコーディングが始まったという本作は、サウンドの趣向的には、アンドリューの言葉ほど別のベクトルに振り切れた内容とは言い難い。リード・トラックの“メス・オブ・ア・ミッション”に端的だが、基本キーボードとドラム・マシーンを軸に置いた音作りからは、本作と『WIXIW』の間の連続性を認めることができる。

本作のミキシングを、昨年のファクトリー・フロアのアルバムを手がけたティモシー“Q”ワイルズが担当していることも話題のひとつだが、個人的には、本作のリリースに先立ちリミックスを提供したアンダーグラウンド・テクノの鬼才、サイレント・サーヴァントの名前に注目したい。さらに、後日公開されたその “メス・オブ~”のリミックス盤には、ニューヨークの先鋭的エレクトロニック/ベース・ミュージック・レーベル〈ウノNYC〉が誇るSFVアシッドも名を連ねていたのだが、そうした人選にも窺えるビート・プロダクションへの関心、さらにはOPNら〈ソフトウェア〉周辺まで視界に収めたレフトフィールドな嗜好は、アルバム後半部で顕著に確認できるだろう。コラージュめいたアブストラクトなテクスチャーが迫り出し、ゴーストリーで、不穏な――たとえば“パーペチュアル・ヴィレッジ”などは、その手のUSアンダーグラウンドで進行中のディストピックなエレクトロニック・ミュージックへの応答としても聴けなくない。あるいは、“ダークスライド”の具体音/サンプリングとインダストリアルの異種混淆めいたミニマル・テクノは、たとえるなら〈L.I.E.S.〉がリリースするD/P/I の12インチのようだ。

アルバム・タイトルの「メス(Mess)」は、「混乱、(外見や考えが)乱れている人」という意味らしい。まったく、精神分裂なのか、嘘吐きなのか、それとも詐病なのか……結局のところ、ライアーズはどこまでもライアーズというほかない。あるいは、かのジョン・ピールがザ・フォールを評した言葉を借りるならば、「ライアーズはいつも変化しながら、いつまでも変わらない」といったところか。

けれど、彼らの仄暗い穴が届く先は、もはやオーヴァーグラウンドの裏側=アンダーグラウンドに留まらないだろう。そこは暗渠ではない。さまざまな兆候や症状を敏感に、ある時は先駆的に映し出した“シーン”の伏流が、彼らの洞穴を流れている。だから本作が、たとえいまは芳しい評価を得られずとも、易々と異を唱えるべきではない。その暗闇にも、じきに目が慣れ、耳が慣れるだろう。

文:天井潤之介

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