個人的に、今最もその動向から目が離せない音楽家の一人がSeihoである。昨年はSugar’s Campaignとしてメジャー・デビューし、矢野顕子の作品に参加。今年に入ると、三浦大知とのコラボレーションを行い、本作をマシューデイヴィッドのレーベルからワールド・ワイド・リリースと、近年オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンド、ジャンル、国内外を問わない越境ぶりに拍車がかかってきている。特に、三浦大知との“Cry & Fight”は、“I Feel Rave”の延長線上で、日本のマスなポップ・シーンへと打って出た印象を受けたが、その一方で、この『COLLAPSE』からは、周囲を意識することなく、未来の景色を探求しようとする姿勢がはっきりと伝わってくる。
本作で展開されているのは、電子音と自然音の混ざり合ったコラージュ色の強いサウンドスケープで、『ABSTRAKTSEX』よりも遥かにアブストラクトな色合いの強い作品となっている。LAのビート・シーンとの共振を感じさせる部分も勿論あるが、フィールド・レコーディングとサンプル音源を併用して、環境音や肉声を散りばめたフェティッシュな世界観は、アルカやOPN、日本で言えば服部峻のような、新たな世代の電子音楽家たちとシンクロするものだと言えよう。エモーショナルだった前作と比較すると、一方向に感情が振られることもなく、その掴みどころのなさが逆に今のリアルを感じさせる。
かつてSF映画の中で起こっていたことが現実となり、人間と機械の境界線が曖昧になっていく世界で、新たな「フェティッシュ」の表現というのは、今のカッティング・エッジな電子音楽家にとって共通のテーマになりつつある。例えば、ハーバートは最新作『ア・ヌード(ザ・パーフェクト・ボディ)』において、実際に人間の身体から出る音をサンプリングすることによって、今の時代における「フェティッシュ」を表現しようとしているが、本作でのSeihoはそれを作為的ではないやり方で、より俯瞰の目線で表現することを目指したように思える。本人は本作のテーマについて「人がいない世界」と語っているようだが、一度この世界をリセットして、その先で新たな人間と機械との関係性を作り直そうとする、「コラプス&ビルド」の精神こそが、本作の鍵だったのだろう。
また、“Plastic”や“The Vase”といったいくつかの曲は、Seihoのルーツのひとつであるジャズがベースになっていて、6月末に行われるレコ発ではドラマーにヤセイ・コレクティヴの松下マサナオを迎えることが発表されている。ここには〈ブレインフィーダー〉のフライング・ロータス~テイラー・マクファーリンとの明確なシンクロが見て取れ、ジャズの新潮流に対する目配せがはっきりと表れているわけだが、人間でも機械でもない、その折衷のような新しいビートを模索している現代のジャズ・ドラマーと、「人がいない世界」を作品化したSeihoがハモるのは、当然のことなのだ。
ちなみに、今年4月にプリンスが急逝した際、Seihoは「僕の永遠のスター」というコメントと共に、“アドア”のカヴァーを公開している。そのセクシャルでフェティッシュな世界観は勿論、周りに左右されることなく、自らの信念を貫き、未来を体現しようとする音楽家としての姿勢こそが、プリンスからSeihoへと確かに受け継がれた部分だと言えよう。
2010年代の邦音楽シーンにおいて、最も重要なクリエイターの1人。Seihoのことをそう称するのに、異論を挟む人はいないだろう。数多の海外アーティストの来日サポート、〈ロウ・エンド・セオリー〉への出演やアメリカ・ツアーの敢行。ここ数年の間、彼は国内外の現場において、海外と日本のエレクトロニック・ミュージック・シーンを奔放に横断する精力的なライヴを行ってきた。一方で、音源制作の面で特に目立っていたのは、盟友Avec Avecと組んだシティポップ・ユニット、Sugar’s Campaignでのメジャー・デビュー、矢野顕子や三浦大知といったアーティストへの楽曲/リミックス提供という「ポップ・シーン」への進出。大阪から海外へ、アンダーグラウンドからメインストリームへ。近年の彼の活動には、例えばハドソン・モホークやカシミア・キャットといった〈ラッキー・ミー〉所属アーティストのメインストリーム進出にも相通じる、とても現代的な広がりが感じられたものだった。
ただ、約3年振りの3作目にして、〈リーヴィング・レコーズ〉を通じた海外デビュー作となる本作を聴くと、彼の奔放なイマジネーションの行先はそんな一元的なベクトルには向かっていないことを思い知らされる。長い髪を振り乱してビートをカットアップしまくるライヴにも顕著に見られる、Seiho自身の溢れ出るような熱量がパッケージされた前作『ABSTRAKTSEX』と比べると、本作の耳触りはとても静謐。彼は自身の音楽製作をよく彫刻に例えているが、その言葉通り、本作には膨大な構成要素を基に必要最小限にまで削り取っていったような、ミニマルな印象がある。“COLLAPSE (Demoware)”で聴けるトランペットのブロウ、“The Dish”のヴォイス・サンプリング、“Peace & Pomegranate”における鳥の鳴き声など、本作には人的な音や自然音が多数使われているが、その全てにおいて人間的な息づかいや生命の感覚は意識的に削ぎ落とされている。本作をずっと聴いていると、人の社会を模したバーチャルリアリティの空間に1人佇んでいるような、そんな感覚が生まれてくる。
本作のタイトル・トラックにあたる冒頭の“COLLAPSE (Demoware)”には、わざわざDemoware=試用版と付けられているが、本作自体もSeihoが次に進もうとしている方向性へのプロトタイプのようなものなのだろう。バーチャルリアリティの技術がいよいよ民間レベルに普及しようとしている2016年、彼がCollapse=崩壊と呼ぶものは、もしかしたら今現在我々が生きている人間社会のリアリティなのかもしれない。ただ、彼はそれを決して悲観的な意味で付けたわけではないはず。ビョークは〈CINRA.NET〉のインタヴューで「アーティストの本当の役割は、新しいテクノロジーに命を吹き込むこと、魂を注ぎ込むことにあると思っている」と語っているが、Seihoにも同様に、来たるべき時代を楽しみ、自身のアートを発展させていくためのタフな視座が感じられる。これから先、彼がどのようなアートを紡いでいくのか。それはまだ想像もつかないが、本作がその未来の始まりを告げるレコードなのは間違いないと思う。