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FIRST ALBUM tofubeats (warner) by MASAAKI KOBAYASHI
JIN SUGIYAMA
MIZUKI WADA
October 03, 2014
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FIRST ALBUM

ネットを軸としたポップ音楽の拡がりという全世界的な潮流に
取り残された国でプラグマティストが選んだメジャーという選択

例えば、赤西仁のこの夏のシングルでのほんのりとしたオートチューンの使い方にtofubeatsからの見えない影響を感じ取ったり、本作のリリース前全曲フル視聴の実現から、tofubeatsの熱意が伝わってきたり、というような感触はあった。発売前全曲フル視聴は、CDではなく、ダウンロードやストリーミングで日ごろから音楽を楽しんでいるリスナーには、既に常識だ。そのリスナーの一人が、tofubeatsであることは、本作を聴き始めてほどなくしてわかるし(“インターネットつないで繋いでバカンス”)、サウンドクラウドで自作音源を発表し続けている彼のようなアーティストの感覚としても、自然な振る舞いだ。

そんな彼の名を一躍知らしめたのは、サビで「めくるめくミラーボール……」と歌われる“水星”だった。ほぼ彼の父親世代に当たるディスコで遊んだ経験のある層に、どこか聞き覚えのある曲として響いたかもしれない。この曲のコード進行が、当時はディスコの閉店前あるいはチークタイム時にかかっていた“ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス”(グローヴァー・ワシントンJr. feat.ビル・ウィザース)のそれと同じだからだろう。しかも、この曲は、多くのリスナーに愛されたのか、同じコード進行の曲が、“水星”以前にも、いわば日本的解釈によるリメイク/カヴァー(かのEXILEも)として繰り返し作られ(実際“水星”は、そのうちのひとつ、KOJI1200による“ブロウヤマインド”に多くを負っている!)、一部からは「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス歌謡」などという乱暴な形容でも括られ、“水星”以降も、ラップ曲で同種のものが現れている。こうした側面に引っ張られてしまったせいか、この曲を初めて聴いた時から今に至るまで、ここで使われているtofubeatsのオートチューンからは、フレンチ・タッチ~ダフト・パンクのそれも、Tペイン~フューチャーのそれも、どちらも連想することはなかった。

もっとも、“水星”はディスコ云々を歌った曲ではない。ディスコ時代からクラブへと変遷後の今も引き継がれ、輝きを放つミラーボールを(二重の意味で)拝むことが、(仕事での)ストレスやフラストレーション等からの解放につながり、それが究極的には“ロマンスの神様”的な位置づけにあるものであることが、より明確となったのが、本作収録の“ディスコの神様”だ。ミラーボール=ディスコの神様を拝みたくても、仕事でなかなかその場に行けない、はち切れそうな“弾けたい”願望が、皮肉にも、細部にまでディスコ的意匠がとても丁寧に施されている楽曲に乗って歌われ、想像の中のディスコ、というか、ミラーボールがある遊び場が、よりリアルに再現されることになる。この2曲に、森高千里をフィーチャーした“Don't Stop The Music”などの曲を並べてみれば、とても日本的というか、歌詞・サウンドの両面において、ある意味、80年以降の日本のポップスの歴史に準じているとも言える、作法からは、tofubeatsの才能が伝わってくる。

それを、日本向け、というか、“内向き”な展開とすれば、反対に、(作品)音源をアップロードした段階で、自動的に全世界向けに発表したことになってしまうサウンドクラウド的な、つまり、デビュー以前から持ちあわせていた“外向き”の資質が、もっとも、よく表されているのは、2枚のEP等での既発曲及び既発曲(あるいは公式には未発表曲)の別ヴァージョンが核となっている本作の中盤以降に並ぶ4曲のまっさらな新曲だろうか。ここでは、ジャージー・クラブやディスクロージャー以降のガラージあるいはハウス、そして、トラップなどがtofubeatsなりに咀嚼され、新たにアウトプットされている。考え方によっては、既発曲(あるいは公式には未発表曲)の別ヴァージョンというのも、非常にサウンドクラウド(発表音源)的な制作スタイルに基づいたものでもある。本作の初回限定盤には、収録曲のうち、歌やラップが入ったもののインスト・ヴァージョンを収めたCDもついてくるが、これは、従来型のカラオケ使用を意図したものなのか、それとも、それこそ、サウンドクラウドで、勝手リミックスなどの素材となることを想定したものなのか、あるいは、その両方を兼ねたものなのか、tofubeatsのアルバムだからこそ穿った見方をしたくなる。本作には、裏方職人として様々なタイプの歌い手やラッパーを相手に器用に仕事をこなす彼と、契約上のデッドラインという強敵は設けられてはいるものの、それ以外の“しばり”のないまま、自由にビートを作る彼とが、どうも二重人格のように存在しているかのような印象が残る。

ただ、その二つの人格がちょうど交わったところに位置する“CAND¥¥¥LAND”のような曲もある。これは、日本的に言えば、リズという外人女性歌手との共演と説明できる。と同時に、〈マッド・ディセント〉からのデビューに際して、自身の音楽を“セーラームーンR&B”と語り、ミュージック・ヴィデオやヴィジュアル面で、いわゆるKawaii路線を嗜好するリズと、パラパラに興味を示していたtofubeatsが、HINOI TEAMあたりに至るまでの日本のスーパー・ユーロビートの20年の伝統(的様式)を継承しながらも、トラップ的な捻りを効かせたビートとの有機的な融合、とも表現できる。

tofubeatsは、このアルバムを「てゆうか、毎日、音楽で、音楽で……」と繰り返し歌うことで始めていて、アルバム収録曲中、都合6曲で、“音楽”あるいは“MUSIC”が歌詞として歌いこまれている(“朝が来るまで終わる事の無い音楽を”)。これらの曲を繰り返し聴いた限り、その音楽あるいはMUSICは、tofubeats自身の音楽に限定されていないようだ。音楽をめぐる状況は、例えば、日本では音楽ソフト売上の85%がCDと報じられたように、ダウンロードやストリーミング中心の世界の流れとは全く異なっている。これは、彼にとっての初のメジャーからのフル・アルバムだが、従来型にして日本の主流の音楽のフォーマットには十分に対応できる彼が、もともとは世界の流れのほうと同調していたし、今も同調しているはずである自分の音楽を(この先)、メジャー・レーベルからは、どう発信してゆくのだろうか? という、ひっかかりが残った作品ではある。

文:小林雅明

2010年代の日本を代表するトラックメイカーが記録した
現時点までの最高到達点

先日ヴァンパイア・ウィークエンドらが所属する英大手の〈XL〉が、ロンドンの新興レーベル〈PCミュージック〉のA.G.クックとソフィによるkawaiiカルチャーに影響を受けたプロジェクト=QTと契約したことにも顕著な通り、DTMカルチャーが生んだインターネット・ネイティヴな若手世代の台頭は各地で続々と顕在化しつつある。そしてここ数年、そうしたシーンにおいて、日本は世界的に見ても類を見ない刺激的な状況を迎えてきた。

その中心となっているのがTomadが運営する東京のインターネット・レーベル、〈マルチネ・レコーズ〉であることは多くの人が知っていることだろう。彼はDJとしても素晴らしく、複数のPCウインドウが目の前で一気に開かれていくような情報過多なDJプレイには、この世代の価値観が直接的に表われている。また、技術とセンスが抜きんでているために音を手で直接扱っているような錯覚にすら陥るOkadadaのDJプレイ、彼らと音楽的な興味をシェアしながらもEDMやアニソンまでボーダーレスに繋ぐDJ WILDPARTY、そしてマルチネ勢のよき朋友/ライバルであり、高度な音楽理論をダンス~ポップ・ミュージックに転化させる大阪のSeihoやAvec Avec(共にSugar’s Campaign)――。他にも到底書ききれないが、彼らを起点に広がる日本の若手世代の躍進はここ数年さらなる広がりを見せ、マルチネの主催で5月に行なわれた〈東京〉には恵比寿リキッドルームの1~2Fを全開放して満員の観客が詰めかけた。そこには英米からbo enやMEISHI SMILEも出演した他、ディプロやライアン・ヘムズワースらも彼らにラヴコールを送り、その評判は世界にも広がりつつある。

そしてその最大のスターのひとりであり、神戸のニュータウンから登場した弱冠23歳のtofubeatsは、DTM特有のエディット感覚とヒップホップからシティ・ポップまでを網羅する普遍的な作曲能力とをあわせ持った若手屈指のポップ・ミュージックの名手であり、自主リリースながらチャートの19位に食い込んだ前作『lost decade』は、新たな世代の胎動を告げる作品としてシーン全体をフックアップする役目も果たした。そんな彼がメジャーに活動の舞台を変え、遂にリリースするメジャー初アルバムがこの『First Album』だ。

森高千里や藤井隆、東京女子流の新井ひとみ、MVのみながらRIP SLYMEのPESといった豪華ヴォーカリストを迎えたシングル曲の数々から想像すると、本作がよりJ-POP的なものにフォーカスしたパーティ・アルバムになると思った人もいたことだろう。とはいえ周囲の期待に反して、彼のスタンスは不思議なほど変わっていない。自身のラップ曲、ヴォーカリストを迎えたポップ・チューン、ハウス/ジャージー・クラブ/PC Music的な要素まで総ざらいしたビート曲、そして彼の素がもっとも投影されたバラード曲――それらを全部ひっくるめてJ-POPとして成立させる音楽性は本作でも健在で、それはメジャーに行っても得意なこと/好きなことを貫こうという気持ちの表われのように思える。そして前作より更に豪華布陣を揃えたヴォーカリストの力も加わって、本作ではシングル曲を筆頭にしたパーティ・チューンはより華やかに、静謐な楽曲はより深い余韻を残すようになった。

アルバムはlyrical schoolとのライヴ・レコーディングに続いて、ASICSや神戸の市外局番078、長年のフェイヴァリットであるMOPOやA.K.I.PRODUCTIONSをレペゼンする“#eyezonu”で本格的にスタートすると、華やかなパーティ・チューンを通過して自身の代表曲のリメイク“朝が来るまで終わる事の無いダンスを”以降はビート・ミュージック・セクションへ。後半は一転して神戸の山手の坂を上る“way to yamate”を筆頭に一気にパーソナルな質感を増していく。恐らく本作でも、全体の流れはこうした楽曲をいかに聴かせるかに主眼が置かれているはずだ。中でも重要なのが、BONNIE PINKを迎えた終盤の“衣替え”。ここではラストに突如場面が切り替わり、tofubeatsのため息が挿入されている。彼のリスナーなら承知の通り、これは別名義dj newtownでの『sweet days, sweet memories』(2011年)や前作『lost decade』でも使われている手法で、ここでアルバムは一気に彼の自室へと舞台を移し、作品中もっともパーソナルな瞬間が訪れることになる。

tofubeatsという人にとって音楽とは、日常ではないどこかに連れていってくれる移動手段のようなものなのだろう。神戸の自宅からどこまで飛んで、そして帰ってこられるか。そんな彼の活動は、少なくとも本作を聴く限り、メジャー・アーティストになった今も何ひとつ変わっていないように思える。しかし回を追うごとに増したその飛距離は、本作においていよいよBONNIE PINKや森高千里、藤井隆、PES、新井ひとみ、ディプロが主催する米〈マッド・ディセント〉の歌姫リズらも巻き込んで、これまで以上に遥かな軌道を描くようになった。そしてそんなアルバムは、前作『lost decade』のラストで南波志帆に託した「ドキドキしたいならそれを/ワクワクする瞬間/その時を/忘れないで/忘れないで」というフレーズを彷彿とさせるように、彼自身が音楽についてラップする“20140803”で幕を閉じる。

本作がメジャーからリリースされるという事実は、20代そこそこながら10年近く活動してきた彼自身のみならず、その歩みを共にしてきた精鋭達の更なる活躍も促すことになるだろう。そして次の目標は恐らく、これまで彼らの活動を加速させてきたインターネット的なものを越えた場所に、どうやって自分達の音楽を届けていくかということだ。

この『First Album』は、まさにその記念碑的な第一歩である。けれど何より素晴らしいのは、彼がその一歩を、決して気負うことなく、とても彼らしいステップによって踏み出していることだろう。それが可能なのは、tofubeatsの音楽に、どこに行っても音楽の根本的な魅力へとたどり着くGPSのようなものが付いているからだ。本作はこれまで同様、リリース前にフル試聴の機会が設けられ、彼の音楽に参加する敷居は限りなく低く設定されている。そして彼が描くパーティも、ボーイ・ミーツ・ガールも、1人の夜も、すべてが音楽の楽しさに還元されていく。その様子はまるで誰しもに開かれたプレイグラウンドのようであり、参加する人が増えれば増えるほど、楽しさは巨大になる。それこそがtofubeatsというアーティストの本質であり、本作はそんな彼が手にした、現時点までの最高到達点である。

文:杉山仁

デジタル・ネイティブ世代からメイン・シーンへの“駈込み訴え”
その中に見出される「僕らの音楽」の未来

「インターネット」の発展の中、「マルチネ・レコーズ」が生まれ、「トーフビーツ」が現れて、日本の音楽はひとつの境地を迎えた。簡単にまとめてしまえばこれの繰り返しを書き続けることしか出来ないし、そういった論調は、誤解を恐れずに言えば既に書き古されている気がしないでもない。では、どういう風にこの文章の封切りを行うのが良いのか、というのは非常に悩ましい問題ではあるが、とりあえず、〈マルチネ〉周辺のカルチャーに曲がりなりにも足を突っ込んでいる者として、はじめに簡単に一個人としての話をさせていただきたい。

僕は小学生の時にインターネットに触れた、いわゆる「デジタル・ネイティブ世代」である。中学生の時、〈マルチネ・レコーズ〉が登場した頃には、既に僕はパソコンで音楽を作ることに興味を持ち、無料で音楽制作ができるソフトをかき集めて、曲にもならないような曲を生産し続けていた。そんな僕にも、〈マルチネ〉はとても格好良く映ったので、躍進を続けるその姿を追いかけては、自分もああいうところで活躍できる人になりたいと漠然と思っていたのであった。だけど、それが一大カルチャーとなり、都内最大規模の空間である恵比寿リキッドルームを満員にしてしまうほどのイベント(2014年5月5日に行われた〈東京〉)を開催してしまう未来はなかなか想像出来なかった。

〈マルチネ〉のスタートから10年近くの年月が経った。22歳になった僕にとって、もはや「音楽業界」は他人ごとではない。tofubeatsのメジャー・デビューから1年半が経過しようとし、音楽の新世代が次々とステップを歩み始めている。こう名乗ることは些か気恥ずかしさもあるが、僕のようないち学生音楽家にも、ゆるりと滑りこむように「ギョーカイ仕事」がやってくることが時たまある。たとえそれがお小遣い程度の所得にしかならないにせよ、プライドの問題として、経済を回す側から回させる側へと進展することは少なからず意識の変革をもたらしてくれている気がする。インターネット世代のアマチュア音楽家が業界へと緩やかに雪崩れ込んでいくその流れは、子供から大人になり色々なことを知っていく人間の成長過程のように、インターネットに点在する音楽シーンを「思春期」から「青年期」へ、そしてその先へと育てていく要因となった。その成長の中にありながら身体の発展を見守り、同時にその成長を真っ先に促進していったうちの1人が、何を隠そう、この記事で紹介ともつかぬ紹介をしているトーフビーツである。この成長の過程で起こった様々な出来事を語ることについては、様々な場所に分散されている文献やインタヴュー記事に委ねておくことにして、続けて『First Album』の話である。

まず断言するのであれば、tofubeatsの『First Album』のリリースは、間違いなく今後の日本の音楽シーンの流れの中でひとつの重要な分岐点として語られることになるだろう。少なくとも、2014年の音楽を語る上で、『First Album』についての話題がそのテーマの一部を担うことは当然のことであろう。『First Album』に配置された、ポップスとして確実な強度を誇る楽曲と、インターネットの中で個性を放ち続けた独特の音楽感覚に満ち満ちた楽曲は、音楽リスナーに新鮮味を持って受け入れられると同時に、それらは普遍性を間違いなく獲得しているのである。

メジャー第一弾シングルであり、森高千里の客演が話題となった“Don’t Stop The Music feat. 森高千里”、続けてリリースされた“ディスコの神様 feat. 藤井隆”、『First Album』の先行シングル“Come On Honey! feat. 新井ひとみ(東京女子流)”(更に、アルバム・ヴァージョンではtofubeatsとOkadadaによるラップ・パートも追加された)、デザイナー・映像作家である杉山峻輔らが監督を務めたPVが特徴的な“poolside feat.PES(RIP SLYME)”といったきらびやかなポップスのクオリティは、もはや日本のメイン・シーンの音楽に匹敵するほどのパワーを持っている。そうでありながら、tofubeatsのもうひとつの側面、大げさに言ってしまえばその真髄は、過剰なビート・メイク・センス、そしてカットアップにある。並んで配置されたインスト4曲“populuxe”、“zero to eight”、“framed moments”、“content ID”は、tofubeatsの名刺に書き連ねるには十分すぎるほどの攻撃的なセンスを孕んでいる。特に、極限までダンス・ビートを捻じり倒したアブストラクトな感覚が光る“content ID”の衝撃は凄まじい物がある。加えて、勿論、BONNIE PINKのヴォーカルにより新たな生命を吹き込まれた“衣替え feat.BONNIE PINK”、そして“#eyezonu”、“way to yamate”、“20140803”にふと表れる、現代っ子が感じている漠然とした不安や孤独の感覚を絶妙に表現したサウンドとリリックも無視することは当然できない。tofubeatsの捉えるこの感覚は、僕らのような、音楽に片足を踏み込んだ人間がふと感じる切なさ、足元の覚束なさを見事に共有してくれる。

そんな全18曲にも及ぶ『First Album』の中でも、最も特異なポイントでありながら、tofubeatsらしさを全面に強調した“CAND¥¥¥LAND feat. LIZ”は無視することは出来ない。現代のレイヴ・ミュージックを代表するレーベル〈マッド・ディセント〉のシンガー、リズを、かつて日本を熱狂させたユーロ・ビート・サウンドであるパラパラで迎えうつその感覚はtofubeatsならではと云わざるを得ないし、リズも圧倒的にソウルフルな歌唱力でそれに応えている。あえてパラパラを完全に消化せず、サウンドの中で「特異な展開」として扱わせるその感覚こそ『First Album』が持つ破壊力であり、それらには日本の音楽の今に呼応する何かすら感じさせる。

ここまで『First Album』の紹介であったが、果たしてもはやフル・ストリーミングが公開されている音源に敢えて(極めて個人的な)解説を加える必要があったであろうか、とふと疑問に思う。ならば、と言って歴史を語るのもよかったのだが、前述した通り、tofubeatsの、そして日本のネット・レーベルの歴史はその他の様々なインタヴュー記事に詳しいし、それに新たな解釈を加える余地も僕にはない。是非とも色々な記事を見つけ、読んで欲しいと思う。そして何より、それらに理解が出来、共感が出来るのであれば、tofubeatsだけではなく、〈マルチネ・レコーズ〉に端を発したさまざまなインターネット・カルチャーから生まれたアーティスト達の支援を是非ともしてあげて欲しい。一例に上げるだけでも(知っているアーティスト全てを挙げることが出来ないのは非常に歯がゆいが)、Sugar’s Campaign(Seiho&Avec Avec)、Go-qualiaPa’s Lam System、HyperJuice(fazerock&hara)、PARKGOLFTomgggラブリーサマーちゃんCarpainter……と言った具合に、そのカルチャーの中(ここでは便宜上こういう区分をさせていただきたい)には、様々な宝石が所狭しと散りばめられているのである。

もしも、tofubeatsに興味が沸き、店頭やデジタル媒体において『First Album』を手にしたのであれば、それは同時に、その背後に見える広大な音楽の旅へのチケットを手にしたことと同意である。逆に言えば、僕たちを応援してくれるのであれば、『First Album』を聞き、手にしてくれることこそが何よりの一歩になるのである。是非とも、ご興味があれば、tofubeats先輩が『First Album』において可能性を見出してくれた僕達の音楽の未来に、たった1秒でも付き添ってくれれば、これほど幸いなことは無いのである。

文:和田瑞生(UNCANNY)/ Miii

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