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WHAT FOR? Toro Y Moi (Hostess) by RYOTA TANAKA
YUYA SHIMIZU
May 22, 2015
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WHAT FOR?

アルバムごとに色の異なる俊才が、今辿り着いたホームリーな場所
仲間との大切な時間に鳴らされるべき、柔和なポップ・ソング集

ファンにとっては何を今さらといった感じだろうが、不勉強な自分にとって、最新アルバムを機にトロ・イ・モワのディスコグラフィを振り返って聴くことは、結構な驚きがあった。この人、アルバムごとに鮮やかにモード・チェンジしていくタイプの作り手だったんですね。

Jディラ譲りのいびつなタイム感を持ったビートを、当時のムードであったチルウェイヴ的な甘美なシンセに落とし込んだ1st『コウザーズ・オブ・ディス』。打って変わって、生音でのレコーディングをふんだんに取り入れ、エールもかくやのドリーミーで洒脱なラウンジ・ブレイクビーツを展開した2nd『アンダーニース・ザ・パイン』。太いベースに絡みつくセクシーな歌声、ややつんのめったビートが強烈なエレクトロ・ファンクを生み出していた3rd『エニシング・イン・リターン』。さらに、レ・シンズ名義で昨年リリースした『マイケル』は、ブリージンなディスコ・ハウスから、レイヴィなダブステップ、はたまた彼自身のLAシーンからの影響の大きさをうかがうことのできるチョップされたビーツまで、各種ダンス・ミュージック見本市とでも言うべきアルバムとなっており、真っ直ぐにフロアへとフォーカスされた作品となっていた。まあ、こんなことはほんと言わずもがなでしょうが。でも、アルバムごとに、ここまでぱきっと個性が分かれてたとは思ってなかったんです。

そのうえで、最新アルバムの『ホワット・フォー』である。大方の予想通り、今作も、いつものように、これまでと違う作風に仕上がっている。チャズ・バンディックにとって、前作がレ・シンズでのフロア・アルバムだったことを思うと、むしろ今回の変貌は、これまで以上にロジカルな舵取りとも思えよう。

ざっくり言うなら、過去もっともバンド・サウンドへと振り切ったギター・アルバム。今作『ホワット・フォー』の第一印象は、そんなところだろう。と言っても、ハードなロックンロールではない。むしろ、リスニングの質感は、過去もっともソフトだ。ムタンチスやチン・マイアといったブラジリアン・グループの60年代諸作を思わせる、小気味良さが心地いい。

そして、ソングライティングにかぎっても、さらなる円熟へと向かった感がある。チャズ自ら語る今作のインスピレーション源としてトッド・ラングレンの名が挙がっているが、初期の洒脱なシンガー・ソングライター時代のトッドより、ユートピア以降、『ミンク・ホロウの世捨て人』『トッドのモダン・ポップ黄金狂時代』あたりのポップ・マエストロとしてキレッキレだった氏へと近しいように感じた。今作をもって、チャズ・バンディックが当世きってのメロディ・メイカーへと名乗りをあげたことは間違いない。

それにしても、ダンス・ミュージックの素養も十二分な彼ゆえに、あえてこその選択なのだろう、今作で敷かれた平面的プロダクションはどうだ。たとえば“エンプティ・ネスターズ”あたりは、もう少しエレクトロニックに固めれば、大箱仕様のダンス・ポップ・チューンにもなったはず。だが、全体の揺れを残し、のっぺりしたテクスチャーを採用することで、今作はそうしたアッパーな場での消費を拒絶している。小さな範囲で鳴らされるべき穏やかなグルーヴが貫かれているのだ。

親密さ。今作『ホワット・フォー?』は、チャズ・バンディックのディスコグラフィのなかで、もっとも柔和な肌触りのアルバムである。仲間たちと過ごす日曜日の昼下がり、静かに流れてゆく恋人との夕餉。そんな優しい時間でこそ流れていてほしい音楽だ。毎回趣向の違うチャズ・バンディックゆえに、次作がどう転ぶかについては知る由もない。されど、彼にとってもこのアルバムは、ホームリーな空間として度々振り返られる、時には立ち戻るべき場所となるのかもしれない。レコードを回しながら、やがてB面のもっとも内側、オレンジ色の黄昏のごとく、ゆらゆらと湧き上がる気持ちを抱きしめる最終曲“ヤー・ライト”へとたどり着くたび、そう思わずにはいられないのだ。

文:田中亮太

ブームに喰い尽くされそうになった
チルウェイヴのパイオニアの再出発

アルバムを再生した瞬間に聴こえてくるF1のエンジン音を聴いて、強烈なデジャヴに襲われる。前にもこんなアルバムを聴いたことがあるような……そう、カー・レース狂としても知られるビートルズのジョージ・ハリスンが、1979年のソロ作『慈愛の輝き』のB面一曲目に収録したF1賛歌“ファースター”だ。トロ・イ・モワとジョージ・ハリスンとはまた強引な、と思う人も多いかもしれない。しかし、その後に飛び込んでくるディストーション・ギターとサイケデリックなメロディを聴けば、その連想もあながち間違っていないことに気づくはずだ。

いずれにせよ、“チルウェイヴ”の代名詞的アーティストだったトロ・イ・モワのインディ・ロック然とした新作は、驚きを持ってファンに迎えられることだろう。しかしながら、彼の1stシングルだった“ブレッサ”のB面には“109”というギター・ポップ・ソングが収められており、当初はこの路線でのアルバムのリリースも予定されていたことや、一昨年にもサイズ・オブ・チャズという名義でサイケデリック・ポップ風のシングルをリリースしていたことを知る人なら違和感はないはずだし、本作は1stアルバムの成功が無ければ向かっていたかもしれない、もうひとつの可能性を示してくれるものだ。

「きみのセーターを台無しにしたいやつなんていない」と歌う“エンプティ・ネスターズ”はウィーザーの“セーター・ソング”へのアンサーのようだし、“ラトクリフ”では「ロックンロールはここにいる」というビッグ・スターの“サーティーン”の一節が引用されていたりと、これまでにないほど率直に、影響を受けた音楽へのオマージュを見せる本作。“ハーフ・ドーム”でギターを弾いているアンノウン・モータル・オーケストラのルーバン・ニールソンや、ラスト曲に管楽器とシンセで参加しているジュリアン・リンチといった仲間たちとの出会いも、もう一度自身のルーツに立ち返りたいという、チャズの想いを加速させたに違いない。枚数を重ねるごとにシンセ・ファンク~R&Bと順当な進化を続けてきたトロ・イ・モワだけに、今回の変化を原点回帰と取るか、退化と取るかで評価が大きく分かれそうだが、個人的には本作は1stアルバム以来、もっとも純粋に楽しめたアルバムだ。

そういえば、ロサンゼルスで亡くなったジョージ・ハリスンを偲んで10年前にグリフィス・パークに植えられた松の木が、昨年の夏にキクイムシ(バーク・ビートル)の被害に遭って枯れてしまうという事件があったらしい。ビートルズのメンバーの記念樹が、ビートルに喰い荒らされるとはなんとも皮肉だが、今年の2月25日、ジョージ72回目の誕生日に、ようやく再植樹される運びになったそうだ。2ndアルバム『アンダーニース・ザ・パイン』で、「僕が死んだら松の木の葉のベッドの下に埋めてほしい」と歌っていたチャズ。松の木は地元サウス・カロライナの象徴でもあるそうだが、本作は現在カリフォルニアで暮らす彼にとっても、再出発と言える作品になったのではないだろうか。スピードが速すぎて周回遅れに見えることだってあるのだ。

文:清水祐也

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