今、世界一のロック・バンドと言えば、それはマルーン5である。なんて書くと、妙な冗談でも言っているように感じるかもしれません。しかし、2015年の現在、世間一般の「ロック・バンド」のイメージにもっとも近く、最大公約数的なポピュラリティを獲得しているのは彼らだ、という見立ては決しておかしなものではないでしょう。
なにしろマルーン5のアルバム累計セールスは2000万枚にも迫る勢い。勿論、最新作『V』でもその人気は衰えることを知りません。彼らのようにデビュー当初はインディ的なセンスをわずかに残しながらも、その後、ウェルメイドな「大文字のポップ・ロック/セレブリティ・ロック」へと転身したバンドが絶大な支持を集めている状況は、どこか今の時代を象徴しているようにも感じられます。
では、マルーン5が世界一のロック・バンドである2015年とはどういう時代なのか? 近年、俄かに再編の兆しを見せている音楽地図の現状を把握するために、本稿ではひとつの見取り図を提示してみたいと思います。
1)
まず取り上げておきたいのは、勿論、ここ15年ほどに渡って連綿と続く「インディ・ロック」。その潮流は、一時ほど熱狂的な状態ではないにせよ、今や確固たるものになっているのは言うまでもありません。特に北米ではそう。90年代半ば、グランジの焼け野原に種を撒き、根気よく耕し続けてきた結果、遂に花開いたUSインディの地盤はそう簡単に枯れることはない。実際、昨年のセイント・ヴィンセント、そして今年のスフィアン・スティーヴンスやファーザー・ジョン・ミスティの音楽的/商業的な成功は、今もなおUSインディが豊かな実を結ぶ土壌であることを証明しているのではないでしょうか。
ただ、そのような2000年代後半に花開いた「インディの時代」に対して、2015年の今、いくつか別の動きが新たに顕在化し始めているのでは? というのが本稿の見立てです。具体的に見ていきましょう。
2)
ここ5年ほどの間の英米のチャートを眺めていると、ひとつの大きな動きとして挙げられるのは、ワン・ダイレクションのロック・バンド版とでも言うべき「ボーイ・バンド」たちの台頭。5セカンズ・オブ・サマーやヴァンプスやリクストンあたりのことですね。こうした甘いルックスの男の子バンドは、わかりやすい大文字のポップ・ロックで次々とヒットを飛ばしています。
いや、そんなのただのアイドルじゃないか。というのはその通り。しかし、彼らのようなアイドル系のバンド以外からも、オルタナ~インディ以前の「産業ロック」へと舞い戻ったような大文字のポップ・ロックがチャートで存在感を示し始めています。それが、ここ一、二年の現象。
3)
例えば、おバカなPVの面白さも手伝って、シングル“シャット・アップ・アンド・ダンス”が全米4位にまで上り詰めたウォーク・ザ・ムーン。あるいは、ゼッドのアルバムにも参加したエコスミス、オーストラリア発のシェパードといったバンドもそうでしょう。そして、新世代のスタジアム・バンドの地位を確立したイマジン・ドラゴンズは、こうした旧来のロックのイメージへと先祖返りしているバンドと、コールドプレイのようにEDMに目配せしたバンドを上手くブレンドしているという意味では、とても現代的だと言うことができます。
ここで思い出されるのは、80年代の音楽シーンの状況です。英国や米国東海岸を注進にポストパンク/ニューウェイヴが盛り上がりを見せる中、そのアイデアを水増しして、毒を抜き、派手に化粧を施したのが第二次ブリティッシュ・インヴェンジョンに端を発する80年代MTVポップでした。前者の代表がジョイ・ディヴィジョン、マガジン、XTC、ワイアー、あるいは、NYのノー・ウェイヴ周辺だとすると、後者の代表がデュラン・デュラン以降のポップ・バンド。そうした対立項を越えて、アンダーグラウンドの信頼を保ったまま、アリーナ/スタジアム級の人気を博したのが、デペッシュ・モード、キュアー、ニュー・オーダーの御三家。そんな中でもっともうまく立ち回り、世界的な名声を得たのがポリスだと言えます。
それを今の状況に当てはめると、ポストパンク/ニューウェイヴが10年代インディ・ロックであり、煌びやかでウェルメイドな「産業ポップ・ロック」がMTVポップ――そんな視点も可能なのではないか。そして、冒頭で取り上げたマルーン5こそが、そんな「新時代のMTVポップ」勢で、もっとも工夫が効いていて、上手くできたバンドの雛形であり、現代におけるポリス的なポジションだと位置付けることもできるかもしれません。
でも、正直なところ、このような新しい動きにはあまりワクワクしません。ですよね?
そこで改めて現在の音楽シーンを見渡してみると、そうした「10年代インディと新たな産業ポップ・ロック」という対立項には収まらない、もうひとつ別の動きを発見することができます。しかも、新旧の作家それぞれの中に。では、ここで、思いつくアーティストをざっと挙げてみましょう。
4)
例えば、10月に初来日公演も控えているコートニー・バーネットは、いわゆる00年代的なインディの文脈には収まり切らないサウンドを展開しています。むしろ90年代のオルタナティヴ・ロックに近い。また、流行に敏感なトロ・イ・モアは最新作『ホワット・フォー?』でウィーザーにも通じるギター・ポップを打ち出していましたし、デビュー当初はチルウェイヴ~サーフ・ポップの流れで捉えられていたサーファー・ブラッドも最新作『1000パルムス』ではオーセンティックなギター・ロックへとシフトしています。そして、かつてはUSインディの象徴的な存在でもあったスプーンは昨年のアルバム『ゼイ・ウォント・マイ・ソウル』で大文字のロックをモダナイズしようとしていました。ある意味、これらは緩やかな「脱インディ」の動きと言えるかもしれません。
他にもこうした例は幾つも見つけることができます。ご存知の通り、最早インディとは呼べない洗練されたサウンドへと到達したアラバマ・シェイクスは、2nd『サウンド&カラー』で全米1位を奪取。今年のアルバム『キンツギ』で健在ぶりをアピールしたデス・キャブ・フォー・キューティは、90年代サウンドを更新し続け、いずれのクラスタにも属すことのない絶妙なポジションをキープしています。一方、イギリスで今年もっとも大きな成功を収めた新人バンド、ウルフ・アリスは00年代的なインディとは切り離されたグランジ/オルタナの子供たちといった趣です。このようなアーティストの大半は、メインストリームとは良くも悪くも距離を取ろうとするインディ的な価値観が徹底される以前の90年代的な匂いを持っているのが多いのも興味深いところでしょう。
5)
そして、いよいよ登場するのが本稿の主人公、アルバート・ハモンド・ジュニアです。
彼の新作『モメンタリー・マスターズ』もまた「脱インディ」の枠組みで捉えることができます。とは言え、アルバートはこのアルバムでドラスティックな変貌を遂げたわけではありません。むしろ時代の流れと彼の作風の歩調が上手い具合に合ってきた。というのが、正確なところでしょう。
そもそもアルバートのソロは、以前から非インディ的なギター・ロックでした。ただ、今回のアルバムではプロダクションが端正になり、一音一音がクリアで力強くなったことで、よりその傾向に拍車が掛かっています。
また、アルバムの完成度という点では、ストロークス的なソングライティングやアレンジという“得意技”を全面的に解禁したのも大きい。それによって、曲に幅が生まれたのと同時に、クオリティも飛躍的に向上。下に貼った“ルージング・タッチ”はまさにその好例です。これなんかは、初期ストロークスとアルバート流ギター・ポップの中間のような印象ではないでしょうか。
アルバムにはボブ・ディランのカヴァー“ドント・シンク・トワイス”も収録されていますが、「考え込むなよ、大丈夫さ、前に進もう」というこの曲のメッセージは、勿論、本作の制作前に重度のドラッグ中毒から抜け出した自分自身に向けたものでしょう。ただ、アルバートがこの曲を歌っている時に感じられる潔さ、あるいは何かを受け入れて、これからの新しい時代に突き進もうと決意したようなフィーリングは、アルバム全体にも通底しているもの。だからでしょうか。『モメンタリー・マスターズ』には、ストロークスの息抜きとしてのサイド・プロジェクトではなく、しっかりと独り立ちしたソロ・アーティストとしてリスナーと向き合う覚悟を決めたような清々しささえ感じられるのです。そして、おそらく、今回ストロークス的な曲を大々的に解禁したのも、そのような覚悟と決して無関係ではないでしょう。
つまり、『モメンタリー・マスターズ』とは、遂にアルバートがソロ・アーティストとしても覚醒した作品。であると同時に、「脱インディ」という新しい時代の気運と見事に合致した作品でもあります。だからこそ、音楽地図の再編の兆しが見え始めている2015年の今こそ聴いておくべきアルバムだと思うのですが、さて如何でしょうか?