本稿では、分断されたジャンルやクラスタを繋ぐという「ポップの理想」を受け継ぐバンド、D.A.N.の1stアルバム『D.A.N.』を異なる7つのポイントから解析。それぞれのポイントにおいて、どのような過去の作品との共通項が感じ取れるのかを解説します。それによって最終的には、「D.A.N.はどのような資質を持ったアーティストなのか?」ということを浮き彫りにするのが目的。題して、「D.A.N.の7つの顔」。まだ前編を読んでいない方は、こちらからどうぞ。
膠着化しつつある日本のインディ・シーンの
パラダイム・シフトを促す起爆剤的存在、
D.A.N.の新しさを支える「7つの顔」前編
では、後編スタートです。
【4つめの顔】
空間やノイズも音楽の一要素として取り込む、現代的なポップ・クリエイターとしてのD.A.N.
ポップ・ミュージックにおいて、和声やメロディ、リズムが重視されるのは当たり前。しかし、たとえば“Native Dancer”のような曲を聴くと、D.A.N.にとっては空間やノイズも音楽の重要な一要素であることが感じられます。
敢えて広い余白を残したバンド・アンサンブルに、その背後を駆け巡る不穏なシーケンス。このような「非音楽的要素」をリズム・アレンジやコード・プログレッションと同等に扱うのは、優れたモダン・ミュージックのひとつの在り方。クラウトロックに開眼した時期のオウガ・ユー・アスホールが作り上げた名曲“ロープ”も、まさにそのような意識のもとに作られているはず。
そして、これはクラブ・ミュージックの世界では決して珍しい発想ではありません。一例を挙げると、ブライアン・イーノのコラボレーターとして活躍したこともあるジョン・ホプキンス。フィールド・レコーディングを多用することで偶然性や不規則さをトラックに取り入れる彼の手法は、決してD.A.N.の発想と遠いものではないでしょう。
つまり、D.A.N.は歌モノのポップ・ソングのクリエイションと、現代音楽やクラブ・ミュージックの手法を並列させているのです。
【5つめの顔】
ダブ処理や空間作りによる、時空を超えた浮遊感とメロウネスの発信者としてのD.A.N.
櫻木大悟の浮遊感のあるファルセット・ヴォイスのせいか、D.A.N.はフィッシュマンズと比較されることもしばしば。先ほど挙げた“Native Dancer”のリリックに「ナイトクルージング」というフレーズが差し込まれているのも、安易にフィッシュマンズと比較する周囲に対するユーモアと皮肉を交えたアンサー、ということかもしれません。
しかし、D.A.N.がフィッシュマンズを連想させるのは、その声質のせいだけではない。とも感じます。フィッシュマンズの『空中キャンプ』――なかでも“ナイトクルージング”はどこまでも甘美なメロウネスが滴る名曲。
この曲に宿っている感覚は、ダンスフロアの熱狂を抜け、朝方に感じる切なさや虚無感までも捉えているようなD.A.N.の音楽と、どこか通じるものがある――と思えるのですが、果たしてどうでしょうか?
【6つめの顔】
引用と剽窃の違いを浮き彫りにする、生粋のディガーとしてのD.A.N.
繰り返しになりますが、D.A.N.の音楽は様々な解釈に開かれたもの。そして実際、そのサウンドには多彩な時代やジャンルや国籍の音楽からの反響が鳴り響いています。それはもしかしたら、ポスト・インターネット世代にとっては当然のことかもしれません。しかし、簡単に蛸壺化してしまうのもネット時代の定め。と考えると、やはりジャンル横断的なサウンドで幾つものクラスタをざわめかせているD.A.N.は特別な存在だと言っていい。
ここで引合いに出しておきたいのは、サンプリング・アートを極めた1996年の金字塔、DJシャドウの『エンドトロデューシング…』。
レコード屋の片隅に置かれたエサ箱を延々と漁り、サンプリング・ネタを探す(ヒップホップの)ディガーにとって、元ネタの時代やジャンル、歴史的文脈は関係ありません。それは勿論、シャドウにとっても同じ。彼は掘り当てたレコードの大胆な引用=サンプリングと再解釈によって斬新な音楽を作り上げ、ヒップホップ・リスナー以外の耳もこじ開けることで歴史を塗り替えました。そしてそれは、ネット以前/以降という時代性は関係なく、生粋の音楽ディガーであるD.A.N.のやっていることと本質的には同じだと感じられるのです。
【7つめの顔】
バンド演奏のダイナミズムと緻密な編集力を融合させたレコードの伝統に連なる者としてのD.A.N.
スタジオで一発録りした荒々しい演奏のダイナミズムで聴かせるのも、バンド音楽の醍醐味のひとつ。ですが、D.A.N.のアルバムはそれとは明らかにベクトルが違います。勿論、彼らは確かな演奏のセンスと技術を持っている。しかし、レコーディング作品においては、共同プロデューサー/エンジニアの葛西敏彦と手を組んでポスト・プロダクションに大きな力を注いでいます。
十分過ぎるほどの演奏のセンスが発揮されていながらも、緻密な編集によってさらなる高みに到達しているレコード――という意味では、マイルス・デイヴィスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が思い出されます。
『イン・ア・サイレント・ウェイ』は、ハービー・ハンコック、チック・コリア、ジョー・サヴィヌル、ジョン・マクラフリンなど錚々たる面子でレコーディングされた作品。しかし、このアルバムを名盤足らしめている理由は、彼らの卓越した演奏能力だけではありません。むしろ、そのレコーディング・セッション音源をプロデューサーのテオ・マセオが的確に編集し、最良の形に落とし込んだことにこそある。この編集が如何に重要だったかは、同作のセッションの全容が収録されたボックス・セットと聴き較べると一目瞭然。
バンド演奏のダイナミズムと緻密な編集作業の融合は、優れたレコーディング作品を生み出す条件のひとつ。D.A.N.の1stアルバムは、間違いなくその伝統の末席に連なる権利を有しています。
最後に、もう一度強調しておきましょう。D.A.N.は幾つもの異なるジャンルを横断し、それらを繋ぎ合わせるという「ポップの理想」を体現するバンド。それゆえに、彼らの1st『D.A.N.』は、リスナーの想像力を掻き立て、様々な解釈を許容する奥深さを持っているアルバムです。あなたもその多面的な音楽に触れ、彼らのまだ見ぬ「新しい顔」を発見して下さい。
膠着化しつつある日本のインディ・シーンの
パラダイム・シフトを促す起爆剤的存在、
D.A.N.の新しさを支える「7つの顔」前編
「ポップ音楽の理想」を受け継ぐバンド、
D.A.N.がなぜ日本のインディ・シーンで
特別な存在なのか、その理由を教えます