グロテスクな表現がポップたりうるということは、アートや映像の歴史を顧みれば、ごく自然な理に感じられます。けれども音楽に関してはどうでしょうか? 音楽においてはそういった表現――仮に〈グロテスク=ポップ〉と言っておきましょう――はなかなか難しそうに思えます。というのも、音楽における露悪的なストレンジネスやウィアードネスの発露は聴衆の気分を害さない程度に除染されてしまっていたり、あるいは狭隘なサークル内で消費されるための嗜好品として専門化されていたりすることが少なくないからです(そこを逆手にとってグロテスク=ポップな露悪をうまく、戦略的にやっていたのが初期のタイラー・ザ・クリエイターとオッド・フューチャーの連中だったように思えます)。
のっけから一体何を言っているんだろう? そう思われた方のために、もう少し具体的に。次の言葉を引いてみましょう。「誰から見ても変ってことはみんなにわかるっていうことです。それはやっぱり大衆性だと思います」。これは倉地久美夫を評した田口史人の至言ですが、ある種の過剰さや突き抜けて奇異な表現がポップの可能性のひとつであることは、ポップ・カルチャーを愛する誰もが皮膚感覚として知っていることでしょう。そういった表現における過剰さが、日常生活においてはケガレとしてひた隠しにされ、忌み、避けられている不条理で異常で醜悪なものに宿る美へと振り切れたとしたら。そういった美を信じる者が自らの手でそれを表現しようとしたら。その過程でミュータント的にポップネスへと貫通して生まれるのがグロテスク=ポップな表現である――ということを言いたかったのです。
そのような暗く不気味でありながらもどこか親しみやすい異形のグロテスク=ポップをロックンロールとして吐き出し、伝統的なロック・レーベル〈ラフ・トレード〉と契約した若きバンドこそが本稿の主役。〈サイン・マガジン〉が音楽ファンにどうしても紹介したいフレッシュなグループ――その名もガール・バンドです。
「ガール・バンド」というかのポップ・グループと同種のなんとも人を喰ったようなバンド名も、彼らの奇怪で暴力的なロック・ミュージックをひとたび聞けばその内容とよく合致した皮肉めいた記号だと納得がいくことでしょう。
さて、アイルランドはダブリンからやってきた彼らの音楽はどのようなものなのか。それは端的に言って、ミニマルな反復と急転直下の暴発、破砕を基本構造としています。とはいえそのあり様は「スタティックなヴァースとダイナミックなコーラスの対比」といったような素朴でグランジ風のものではありません。それはもっと……構造それ自体を内側から食い破るような破綻やハプニング性を含んだ刺々しい歪さを持っています。単調極まりないドラムスと気味の悪いフレーズを反復する歪んだベースに、ひきつけを起こしたエイドリアン・ブリューのようなギターがまとわりついている不浄のインダストリアル・ビートは、不穏で不吉な徴候を常にまといながらやがてなし崩し的に、まるで膿が噴きだすかのように暴力的な決壊を幾度も迎え、その狭間で死の淵に立たされたジョナサン・リッチマンが喚いている――ガール・バンドの音楽から受ける印象はおおよそそのようなものです。
〈ラフ・トレード〉の歴史を顧みれば、キャバレー・ヴォルテールとの音楽的な共通点を見ることも可能でしょう。しかしキャブスが持っていたファンク・グルーヴへの憧憬は、ガール・バンドからはいささかたりとも感じられません。キャブスの音楽からグルーヴへのオブセッションを引き剥がしたかのようなグルーヴなきグルーヴはより冷酷な響きを持っています。
呪術的と呼ぶにはあまりにも機械的なそのビートは、例えばモダーン・ラヴァーズやスティッフ・リトル・フィンガーズ、あるいはスウェル・マップスのようなパンク・ロックの淡白で粗野でミニマルなそれの先鋭化と言えるでしょう。また、彼らがカヴァーを捧げている(『ジ・アーリー・イヤーズEP』収録の“アイ・ラヴ・ユー”)かの偉大なインディ・バンド、ビート・ハプニングの空虚でスカスカなドラム・ビートとの近似についても言及しておかなければなりません。
しかしガール・バンドのビートで踊れないのかといえばそんなことは決してなく、むしろ踊れる、というのが彼らの音楽のユニークなところです。とはいえ過激な言い方をすれば、彼らが誘うダンスは「死の舞踏」とでも呼ぶべきもの。おそらくガール・バンドの4人はスーサイドというグロテスク=ポップの先駆け的バンドを最高のダンス・バンドだと信じている連中にちがいありません。
それは屍肉を切り裂きながら男が踊るこのヴィデオでも告白しているとおり。ファーマコンの擬似開胸ジャケ――昨年の『ベスチャル・バードゥン』――にも似た露悪趣味をヴィジュアルで見せつけているこの“ホワイ・ゼイ・ハイド・ゼア・ボディーズ・アンダー・マイ・ガラージ?”は一方で、このバンドにとってもうひとつ重要なファクターがあることを伝えています。というのも、この楽曲はダブステップ/UKG/テクノのプロデューサーであるブラワンが〈ザ・トリロジー・テープス(TTT)〉からリリースしたもののカヴァーであるからです。
このことから、ガール・バンドのひきつったビートがUKのアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックの強い影響下にあることは容易に予想できます(ベーシック・チャンネルを分析し、バンド演奏によって解釈した結果、なぜかアフリカン・パーカッションのような音色を得てしまった大阪のgoatとの共時性をそこに感じざるをえません。似て非なるものとはいえ)。
また、ガール・バンドの音楽におけるノイズやインダストリアルで暗く凍てついた音響を説明しようとした場合、ダブステップやUKGのトラック、あるいは〈TTT〉や〈ブラッケスト・エヴァー・ブラック〉といった透徹した暗い美学をもつレーベルの作品、ないしは今年の最重要作の一つである『フローズン・ナイアガラ・フォールズ』をリリースしたプルリエントのようなプロデューサーの生み出す音楽と多くの共通項を持っていることを語るほうが、彼らが嫌うレッテルのひとつであるネオ・ゴスに分類されるバンド群を参照するよりもよほど適切でしょう。
かように多数多様な音楽的ラインが同時に一所に乗り入れ、暴力的に接合されているガール・バンドのロック・ミュージック。“ポール”のヴィデオ――豚の身体に鶏の頭――に暗示されているとおり、その過剰でグロテスクなキメラ性こそが彼らの音楽を異形のポップへと突き抜けさせていることは、ここまで読んできたあなたには想像に難くないことと思います。彼らの処女作となる『ホールディング・ハンズ・ウィズ・ジェイミー』はあなたを驚かせ、ダンスの衝動に突き上げるグロテスク=ポップなダンス・パンク・レコードです。さあ、ガール・バンドのビートで踊ってみませんか?
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