SIGN OF THE DAY

オウガ・ユー・アスホール interview part.2
その時々の社会やポップ・ミュージックの
変遷と共に振り返る、オウガの10年
by JUNNOSUKE AMAI July 17, 2015
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変遷と共に振り返る、オウガの10年



>>>2007年

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変遷と共に振り返る、オウガの10年

2nd album『アルファベータ vs. ラムダ』(2007)


モデスト・マウスやビルト・トゥ・スピルに音楽的な青写真を重ねてスタートしたオウガの、最初の大きな成果と言えた2ndアルバム『アルファベータ vs. ラムダ』。そして、そのリリースをきっかけに、オウガの名前が取り沙汰される機会は様々な場面で増えることとなった。〈ロック・イン・ジャパン〉への初出演もまた、その象徴的な出来事だろう。だが、“日本のロック・シーン”との距離感はむしろ拭えないものになっていった。活動拠点の名古屋や遠征先で築いたローカルなコミュニティが当時の彼らの支えになっていたことがわかる。


●この頃になると、同時代の海外の音楽を聴いて、音楽的な刺激を受ける、っていう段階はもう過ぎた感じですか?

出戸「聴いてはいた、って感じですね、まだ。名前も知ってるし」

馬渕「いろいろ知ってはいたよね、新しいバンド」

出戸「売れてるバンドに関しては知ってはいた」

馬渕「でも、わりと、ふーん、って感じだった気がした」

出戸「サンセット・ラブダウンとか、ウルフ・パレードとかは、もっと後?」

●そういうバンドも台頭してきて、USインディが様変わりを見せ始めた時期でもありますよね。ダーティ・プロジェクターズみたいなのがある程度名前も伝わってきたとか。

出戸「そういうのは聴いてたけど。それがその年かどうかは微妙ですけど。その当時、外タレの前座がめちゃくちゃ多くて。そういう一緒に対バンやったバンドが面白いっていうのがね、常にあったかも。リトル・ウィングスとか」

馬渕「フガジ。二人で来てて、女の人と……」

●ああ、イアン・マッケイのイーヴンス?

出戸「そう、イーヴンス。すごいよかったです」

馬渕「あれ、よかったね」

The Evens / Cut From The Cloth

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出戸「(当時拠点としていた)名古屋ってバンドがその頃あまりなかったのもあるんですけど、僕らがちょうど名古屋にいて、『前座でオウガ使うとちょうどいいよ』っていう感じのポジションで」

全員「(笑)」

出戸「毎月のように海外のバンドとやってるような雰囲気で。それでUSのインディの日本に来る人たちの新譜とかもらって聴いたりしてて。来るなら聴こう、みたいな感じで。そういう感じで回っていたかも、聴いているものが。実際に来るバンドを聴く、みたいな」

馬渕「エターナルズ、かっこよかったですね。カトマンさんが呼んでたやつ。ドラムすごいかっこよかったじゃん」

勝浦「ああ! あの名古屋のロックンロールでやったのね」

馬渕「そうそうそう」

勝浦「ドラムの人、ジャズ・ドラマーなんだよね」

●でも、大体その辺りとは肌が合ったんじゃないですか?

出戸「そうですね。呼ばれたバンドは」

●そうした来日するUSのバンドとの交流がありつつ、この年、オウガは〈ロック・イン・ジャパン〉に初出演を果たします。当時の“日本のロック・シーン”に対する意識としては?

出戸「でも、『なんでここに呼ばれてるの?』感はあったよね」

馬渕「あったね」

勝浦「人いるのかな? と思って出たら、まあ、いて。『なんでだろう?』っていう」

出戸「ちょうど同世代で同じ歳くらいで9ミリ(・パラベラム・バレット)とかがいて、ツアーとかも一緒にやったりして。なんか、9ミリは求められてる感はあるんですけど、その場に。俺らは、ちょっと求められない感があるっていう」

勝浦「場違いな感じが」

出戸「人はいるけど、『本当?』みたいな」

●ちなみに、この翌々年には〈フジ・ロック〉に初出演されますけど、それこそ“求められてる感”みたいなものはそっちの方がありました?

勝浦「いやー、でも、洋楽聴く人は邦楽聴かないから」

●居場所ないじゃないですか!(笑)

全員「ハハハッ!(笑)」

出戸「居場所ないよね。ただ、その頃になってくると、O-nest界隈で、group_inouとかトクマル(シューゴ)くんとか、nhhmbaseとかが馬が合った。あと誰がいたっけ? そんなものか」

トクマルシューゴ / parachute

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馬渕「名古屋だと、シックスアイズ」

出戸「あとは、ちょっと上なんですけど、シック・オブ・レコーダーっていうバンドとか。そういうバンドとかはよく一緒にやらせてもらったというか、観に来てくれてたし、観に行ったりしてて」

馬渕「mooolsとかね」


>>>2008年

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変遷と共に振り返る、オウガの10年

mini album『しらないあいずしらせる子』(2008)


2008年は、オウガにとって節目の年であり、転換の年でもある。一つは、この年がインディーズ〈OYA RECORDS〉時代最後の年であること。もう一つは、プロデューサーの石原洋とエンジニアの中村宗一郎とのチームによる初めてのレコーディング。現在に続くオウガの制作体制が、この年のミニ・アルバム『しらないあいずしらせる子』から始まるわけである。もっとも、そのサウンドはここまでと地続きの、いわゆるUSインディっぽさをまだまだ色濃く留めたものであり、現在の三部作以降のそれとは印象がほど遠い。それでも以降の展開を予見させるキーワードや符牒がすでに散見されていたことが、彼らが語る当時の制作の現場からは窺える。


●今、〈オトトイ〉でレコードを紹介する企画(「RECORD YOU ASSHOLE」)をやられてるじゃないですか。そこではクラウトロックやジャーマン・プログレ系のレコードをよくピックアップされてますけど、あの手の音楽はこの頃にはもう聴いていた感じですか?

出戸「いや、勿論、知ってて聴いてたんですけど、バンド全体でそれをみんなで、この感じがいい、って盛り上がったのはもっと後で。みんな、各々はレコードだとかiTunesとかに入っていたと思うんですけど、バンドでまだキーワードになってない感じですね」

●現在のオウガにとってクラウトロックは一つのキーワードだと言えると思いますが、当時、クラウトロックのリヴァイヴァルが方々で言われていた印象があって。この頃だと、〈クランキー〉からリリースしていたディアハンターとか、USインディの流れの中にもそうした傾向が顕著に見られたりしたわけですけど。

Deerhunter / It Never Stops


出戸「ディアハンターとかは対バンもしたりして、好きではありましたね。でも、そのクラウトロックのリヴァイヴァルが来てるってことは知らなくて。カンとかは勿論知ってたけど。ディアハンターとかも、クラウトロックの流れとは思っていなくて。多分、当時はたどっちかっていうと、フレーミング・リップスとか、そういうものの方が面白いと思っていたくらいで。サイケの、もっとバカっぽい、アッパーなサイケの方が好きな感じでしたね」

●なるほど。ただ、勝浦さんは、わりと早くからクラウトロックを聴かれていたんですよね?

勝浦「はいはい。僕は多分、大学……」

清水「90年代。僕は勝浦くんの大学の先輩にあたるんですけど。で、当時、大学のあった長野市に音楽シーンみたいなのがあって、その界隈で、90年代はみんなクラウトロックあたりは聴いてました」

勝浦「その当時は、ステレオラブとか、トータス周りとかあったじゃないですか。あの頃の流れでクラウトロックも聴いてて、って感じですかね。で、USインディ以降のものはあんまり聴いてなくて。でも、この頃から出戸くんや馬渕君がわりとクラウトロックに近づいてきて、石原さんとか中村さんとかとレコード買いに行ったりもして、そこでさっき言ってたジャンルが合わなかったのが、ようやくみんなで共通言語みたいなのが出来た」

出戸「それまでは曲作りの時に、勝浦さんに『こうしてくれ、こうしてくれ』って結構もがいていたのが、クラウトロックの要素とかステレオラブとかの要素をバンドでやってみようとなった瞬間に、(勝浦が)活き活きし出して」

勝浦「(笑)」

出戸「バシッとハマり出して。何も言わなくても。むしろ水を得た魚みたいになってて」

勝浦「ミニマルな感じにして。僕は淡々とやりたかったんで。それまではずっとタム叩け、とか言われてたから(笑)。その時期にすごい楽になりましたね」

出戸「『しらないあいず』より後だよね、もっと」

勝浦「ああ、そうだね。『しらないあいず』はまだ古いやり方で」

出戸「そこから、だんだんそっちになりそうな雰囲気が出てきて。でも、まだアルバムにはその要素は出て来てないと思う。表面上は」

●石原さんと中村さんのお二人とは、一緒にやるようになった早い段階で音楽的にも意気投合した感じだったんですか?

出戸「でも、はじめ、フレーミング・リップスとか、サイケ的な要素だと思って理解してくれると思って、『こういうの好きなんですよ』って言ったら、なんか、『よくわからんすなあ』みたいな感じで(笑)」

全員「ハハハッ(笑)」

出戸「『ふ~ん』みたいな感じで(笑)。『へー、こういうのが流行ってるんだ』みたいな感じで言われて(笑)」

勝浦「かっこよかったね、あれ(笑)」

清水「多分、ズレがあったんですよね。2010年ぐらいになって、『浮かれている人』の時くらいに、石原さんたちと同じレールになった感じで。それまでも一緒にやってたんだけど、そんなに話もしてなくて、別のものを見てたんじゃないかな」

出戸「話もしてるけど、お互い、『ふ~ん』って。一緒に作業してたけど、お互いに言っても伝わらない、みたいなところはありましたね」

OGRE YOU ASSHOLE / しらない合図しらせる子

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●中村さんと石原さんと一緒にやることになったのは、実際にお二人が関わられた作品を聴いて、それでお願いしようっていう流れだったわけですよね?

出戸「そうですね。まあ、ゆら帝(ゆらゆら帝国)とか。石原さんのバンド(White Heaven、The Stars)とかも、牧野さんに教えてもらったりして。その頃、牧野さんとレコーディングしてもらうなら誰がいいですかね? っていう話をしたりしてて。まず中村さんと石原さんのことを教えてもらって。それで、『あっ、ゆら帝やってる人か』みたいな感じで」

馬渕「ちょうど『空洞です』の時で、中村さんとやるなら『じゃあ、石原さんも一緒にどうかな?』って」

勝浦「斉藤さん(7e.p.)がさ、マスタリングで……」

出戸「そうそう、その前にマスタリングを中村さんにやってもらって、会ってはいたんですよ。それで、ダメ元で頼んでみることになったんです。で、はじめ、石原さんは『やらない』って言ってたんですよね」

勝浦「そしたら中村さんも、『じゃあ、僕もやらない』って(笑)」

全員「(笑)」

勝浦「石原さんは、それを聞いて『じゃあ、やるよ』ってなって」

出戸「『それはマズいからやるよ』って言って、やってくれたみたいな」

勝浦「だって、『良いとも悪いとも思わなかった』って言ってたもんね、オウガを聴いて。レコーディングに行ったら、中村さんが『じゃあ、全部ラインで録りましょう』って言ってて。『えっ?!』ってなった。なんか、サウンド的にそうしたかったからかと思ったけど、今から思うと多分……適当だったんじゃない? そんなことない?(笑)」

出戸「いや、本気だよ。ラインは本気だよ。ライン録り、流行ってたよね、中村さんのなかで」

勝浦「あっ、じゃあ、そうなんだ」

馬渕「びっくりしましたね、全部ライン録りって聞いて。もちろん今は全部ラインじゃないですけど」

勝浦「あの時は『アンプ、おろさなくていいよ』みたいな」

●(笑)当時のゆら帝のアルバム――『空洞です』に対しては、自分たちが何かしらインスパイアされるものはあった?

ゆらゆら帝国 / 空洞です

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馬渕「かっこいいと思ってましたね」

勝浦「あのサウンドがすごかったよね。それまで、ゆら帝は全然聴いてなかったんですよ。ガレージっぽいイメージだったので。おどろおどろしいイメージしかなくて」

●では、歌詞の部分。当初から無意味でありたいというのがありつつ、このくらいの時期からエモーショナルなのはやりたくないっていう意識も出てきたように思います。その辺りは、クラウトロックなり、淡々としたサウンドなりが醸し出すフィーリングなりと、クロスオーヴァーしたところがあったと思いますか?

出戸「勝浦さんはあったかもね。そういうこと、勝浦さんもよく言ってた気がします」

馬渕「僕は、まあ、そんなに意識してなかったかもしれないですね」

出戸「歌に関しては、そういうのはあんまり好きじゃなかった。クラウトロックとかそういうのは関係なく、そもそもがあんまり。10代の頃にニルヴァーナとか、そういうのは好きだったんですけど、それ以降からあんまりエモーショナルなものは聴かなくなっていったっていうのはありましたね。20代くらいから」


>>>2009年

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3rd album『フォグランプ』(2009)


新たな制作チームと共に、オウガの次なるチャプターが幕を開けた年。この年、メジャーの〈バップ〉に移籍し、バンドを取り巻く状況もまた変化していく。しかし、その最初の試金石となった3rdアルバム『フォグランプ』は、模索と試行錯誤の只中に立たされたバンドの迷いや戸惑いが表れた作品かもしれない。いわば、“これまでのオウガ”と“これからのオウガ”の緩衝地帯。築き上げてきたものに新たな方法論でメスを入れ、バンドの組織や構造が揺らいでいく経過をそのままドキュメントしたような、転ぶ先のわからない緊張感。以下の制作過程からは、当時の彼らが過渡期を迎えていたことがわかる。


●2009年は、さっきも名前が出たダーティ・プロジェクターズやグリズリー・ベア、あるいは、アニマル・コレクティヴがキャリア・ハイとなる新作を発表し、いわゆるブルックリン系のバンドが牽引してきた2000年代のUSインディ・シーンが一つの大団円を迎えた年で。この辺のバンドは普通に聴いていたのではないかと?

出戸「聴いてましたね。あと、あれが好きでしたね。ヴァンパイア・ウィークエンドの1stとか。すごくいいなと思いました」

●そういえば当時、ダーティ・プロジェクターズの来日公演で出戸さんをお見かけしました。

出戸「あっ、観ました。ダーティ・プロジェクターズはよかったですね。うん、なんか、現代のトーキング・ヘッズみたいな感じがして面白かったです」

Dirty Projectors / Stillness Is The Move


●この頃って、海外のアーティストのライヴに出戸さんは結構行っていたっていうイメージなんですけど。アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズも見てますよね?

出戸「ああ、アントニーも見に行きました」

全員「(笑)」

スタッフ長林「ステージで座らされてたってやつだっけ?」

出戸「ああ、そうそう。席が満席過ぎて、ステージの後ろにも椅子をつけられて。ステージでアントニーがピアノを弾いている横にいるっていう(笑)。ダーティ・プロジェクターズとか、アントニーとかは、今でもいいなとは思ってます」

●個人的な話をすると、自分がオウガをちゃんと聴きだしたのがこの頃なんですね。で、そういうUSインディのアーティストを出戸さんが観に来てるのはすんなり理解できたんですけど、その一方で、当時、“日本のロック・シーン”の中でオウガがどういうポジションにいるのかがまったく見えなくて。この年、オウガは〈NANO-MUGEN〉に初出演しましたよね?

出戸「あの時は、アジカンの後藤さんが面白がってくれて。フックアップというか、簡単にフィットしないだろう、っていうのをわざと呼んでいる感あるじゃないですか? だから、自分が面白いと思ったバンドを、毎年1、2個引っ張ってくるっていうのの一環に、僕らが入れてもらえたっていう感じですかね。だから、お呼ばれっていう感じで。『こいつらは何なんだ?』って思われてる感じもありました」

●実際、当時のオウガは音楽的にはどういう方向に向かおうとしていたと言えますか? この年にリリースした『フォグランプ』は、中村さんと石原さんと組んだ最初のアルバムなわけですけど、オウガの音楽が劇的に変わっていくのはむしろこのアルバムの後ですよね?

出戸「一番煮詰まっていた時期で。ギターの絡みとかで曲を作っていたんで、セッションとかで。なんか、もうそういう手法で作るのはやりきった、みたいなところはあって。『次、何しよう?』みたいな感じの時ではありましたね、ちょうど」

OGRE YOU ASSHOLE / ヘッドライト

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出戸「お客さんがちょっとずつ増えてるっていう一方で、バンドの音楽的な面白味みたいなのは、ちょっと消えてっている部分があるっていうか。そのまま進んでいたら、自分たちの面白味はしりすぼみになるだろうな、っていう陰りが見えていたのは『フォグランプ』くらいかな。アルバム作っている時に強く感じました。で、なんか違うことやろうっていう思いで、やっぱりセッションで作らない方がいいっていうのを言い始めたのはその頃で」

●次の年にリリースされるのはミニ・アルバムの『浮かれている人』ですけど、そこでもまだ音楽性がガラっと変わったって感じではなかったですよね?

出戸「そうですね。でも、曲を個人で作るようになってきたのがその辺で。前の雰囲気も残しつつ、個人でデモで作っているから、余白が結構ある状態でスタジオに持っててるんで、そこで石原さんとか中村さんがアレンジの部分とかでもちょっと話すようになったりしたのが、ちょうど『浮かれている人』くらいからです。でも、しんどかったですね。あ一番何やればいいか分からない感じはありましたね。まあ、でも、新しいことやろうっていう感じだったと思います。手法を変えたから、おのずとそうなって来ていて。アレンジがわりかししやすいような感じの曲になってきてたんじゃないですかね。普通の曲の構成の、骨格がちゃんとあって、わりとビートが一定な」

●じゃあ、曲の作り方を変えるのが一番上手く行った?

出戸「作り方の手法を変えて、吹っ切れた部分もあって。『もっと個人の趣味とか、今聴いてるものに走ってもいいんだな』みたいな。前は、4人でセッションで作ってたから、4人の共通言語の中でしか曲が作れなくて、思いきったところにポンッと飛べなかった。でも、個人で作曲すると、まず一人で飛んで、その後にバンドが着いてくることができるってわかって。多分、『homely』の前の『浮かれている人』でその方法を試して助走をつけれた、っていうのはあるかもしれないですね。なんか、ようやくアルバムとライヴとが同じじゃなくちゃいけない、みたいなところから離れることができたっていうか。今までライヴ・バンドでライヴばっかやってて、それのおまけでアルバムがあるみたいな感じもあったけど、それで煮詰まって来ちゃったみたいな。初期衝動みたいなものが消えてきた感じのところで、もっと作品作りの手法が具体的にわかり始めて、『homely』くらいからやっと、『もっと面白いこと出来るかも』ってなった、っていう感じですかね」




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