今、僕はジャズ評論家的な仕事をしていて、日々ジャズの原稿を書いたり、ジャズ・ミュージシャンに取材をしたりしている。例えば、デヴィッド・ボウイに起用されたマーク・ジュリアナについて書いたり、ケンドリック・ラマーの『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』についてロバート・グラスパーに取材したり、21世紀以降の新しいジャズの動きを取り上げる『Jazz The New Chapter~ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平』という本を編集したり、直近だとマイルス・デイヴィスを再定義する本『MILES:REIMAGINED 2010年代のマイルス・デイヴィス・ガイド』を監修したり。自分で言うのもなんだが、基本的にはほぼジャズ専門の評論家だ。
そんな僕がジャズに辿り着くようになったきっかけを遡るとサニーデイ・サービスに辿り着いてしまう。
なんて書くとちょっと盛っているように聴こえるかもしれないけど、僕が音楽を熱心に聴きはじめた90年代にそのくらいの影響をサニーデイ・サービスから受けた人は少なくはないだろうと思う。少なくとも僕が自分が生まれる前の過去や海外の音楽をむさぼるように聴くきっかけになったのがサニーデイ・サービスだというのは間違いない。
まず、よく言われているように70年代初頭の日本のフォーク・ロック・バンド、はっぴいえんどを新しい音楽として届けてくれたのはサニーデイだったが、それだけでなく曽我部恵一は僕にとっては音楽の先生と言ってもいい存在であった。
彼が様々なメディアで紹介していた新旧問わない幅広い音楽は10代の僕に様々なきっかけを与えてくれた。例えば、大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂といったはっぴいえんどのメンバーの個別の活動は勿論のこと、そことも繋がる高田渡や小坂忠、はちみつぱいから、乱魔堂やクリエイションのようなその先の日本のロックまで曽我部恵一のキュレーションが助けとなって僕は日本のフォークやロックの魅力に出会うことになった。
また洋楽に関しても彼は縦横無尽に紹介していた。UKフォーク・シーンのSSWニック・ドレイクの名盤『ピンク・ムーン』や、元ゾンビーズのコリン・ブランストーンがリリースしたSSW的作品『一年間』、USスワンプ・ロックの傑作ジェシ・エド・デイヴィス『ウルル』などが特に印象深かったが、他にもバーズのようなフォーク・ロックから、グラム・パーソンズのようなカントリー・ロックまで、更にはティーンエイジ・ファンクラブやトラッシュ・キャン・シナトラズからパステルズ、テレヴィジョン・パーソナリティーズまで、曾我部恵一を追っていると、60~70年代のものだけでなく、80~90年代の音楽のことまで知ることになった。
もともと曽我部恵一はパンクが好きだったみたいな話から、ダムドを聴いてみたりもした。僕は彼が紹介するものをきっかけにその作品のクレジットを頼りに人脈を探りながら、時代を問わず様々な音楽にのめり込んでいった。
曽我部恵一が紹介する音楽がここまでスムースに入ってきたのには理由がある。それは非常にシンプルな話で、それらの音楽はどこかサニーデイ・サービスの音楽とも繋がっているようなものだったからだ。はっぴいえんどのフォロワー的なイメージがあるサニーデイ・サービスだが、それはあくまで表象に過ぎない。
例えば、サニーデイ・サービスのアルバムを聴いていると、フォーク・ロック的なフォーマットの中で、様々なサウンドのヴァリエーションがあり、7枚のアルバムをリリースしているにもかかわらず、似たような印象のアルバムも無ければ、似たような印象の曲も無いことに気付く。
『若者たち』から『サニーデイ・サービス』までを聴いていると、USのフォーク、UKのトラッド経由のフォーク、アコースティックのブルース、カントリーなどの50年代から70年代あたりから、90年代以降のネオ・アコースティックからギター・ポップなどの様々なフォーク・ロック経由のサウンドの要素がちりばめられている。
つまり、表面的には、はっぴいえんど系譜の日本語フォーク・ロックに見えるかもしれないが、注意深く聴いてみれば、そこには様々なジャンルやスタイルや時代が入り乱れていて、90年代にしか生まれ得ない音楽になっていたのだ。
ピンク・フロイドを思わせる牛ジャケの4作目の『サニーデイ・サービス』ではメロトロンを使っていて、その流れが加速してさらにサイケデリックな要素が強くなった5作目『24時』の時期には、ドアーズの2nd『ストレンジ・デイズ』やラヴ『フォエヴァー・チェンジズ』と通じる気がすると思って聴いていたし、コーナー・ショップやクーラ・シェイカーあたりのブリットポップ/オルタナティヴ・ロック系譜のサイケデリック・ロックとも並べて聴いたりもしていた気がする。
そうやって、サニーデイ・サービスのファンだった僕は音楽の細部を聴き取ろうと買ったアルバムを何度も何度も聴きながら、連想ゲームのようにほかの音楽に繋げたりして、音楽を楽しんでいた。
そして、サニーデイ・サービスの音楽は、今でも、細部を聴けば、新しい発見がある。渋谷系が終わってからメジャー・シーンに出てきたバンドでもあるサニーデイ・サービスが渋谷系以降の世界で高い評価を受けた理由のひとつに、前述したような幅広い音楽を聴いたディープ・リスナー的な感覚はありつつも、それまでの渋谷系的な「サンプリング感覚での引用」みたいなスタンスは見られず、あくまでも影響源を消化して自分たちのサウンドに形を変えてから音楽的に取り入れていたことがある。
それはキリンジのサウンドが今でも色あせないことと通じているのかもしれない。また、そんな消化の仕方は、近年の日本のインディ・ロック・バンドたちとも通じるのかもしれない。
そういえば、久しぶりに聴いてみて、気付いたことがある。1999年にリリースされた6枚目の『MUGEN』というアルバムは、無限でもあり、おそらく夢幻でもあるマルチ・ミーニングのタイトルで、サニーデイ・サービスのひとつの転機ともなった作品だ。ちょうどトータスが『TNT』をリリースした翌年でもあり、サウンドの質感そのものへの執拗なこだわりが時代の雰囲気として生まれていた時代とも言える。
『MUGEN』のくぐもった、一聴して極めてローファイに聴こえながら、個々の楽器の音自体はそれぞれ耳に届く不思議な手触りのサウンドは、ポスト・ロックの時代に再評価されたテオ・マセロが弄っていたころの70年代のマイルス・デイヴィスのようでもあり、盤質の悪いレコードの音をそのまま取り込んだようなサウンドを発表しはじめていたころのマッドリブのようでもあり、明らかに90年代末期の雰囲気と共振していたものだったと思う。こんな響きでアルバムを作っていたメジャー・アーティストもそうはいないだろう。
また、このアルバムに関しては、リズム面にも耳をそばだててみるべきかもしれない。それまでもフォーク・ロック的なイメージをうまく利用して、ベタなロックのリズムを採用しない選択肢を自由に行使出来たことが彼らの音楽が特別な存在になり得ていた理由でもあったと僕は思っているのだが、ここではそれが一歩進んでいるように思う。
フォーキーな歌物の“江の島”という曲のリズムのループ感とハンドクラップとの組み合わせの高揚感が面白かったり、“太陽と雨のメロディー”に関してはドラマーが叩いているが、どこか生ドラムのサンプルを打ち込んで組んだ、もしくはMPCで叩いているようなフィーリングにも聴こえる。“恋はいつも”に関しても、並行してリズムボックスが鳴っているようにも聴こえるし、どこかドラムが浮いているような不思議なバランスで鳴っている。
前作『24時』に収録された“今日を生きよう”はやむを得ずドラム・ループでリズムを作っていたことが知られているが、ここでもすでに打ち込み的な発想が入っていたようにも聴こえる。
それは次作『LOVE ALBUM』で曽我部恵一がDJカルチャーに影響受け、ブラック・ミュージック/ダンス・ミュージック的な方向性を採用することの助走のようにも思える。今、聴いてみると、その欲望の萌芽をバンドの形式のまま、いびつな形で採用している『MUGEN』のほうがクリエイティヴに感じられる。
なんて、あくまでも想像だが、そんなことさえ聴こえてくる。音響的で、どこか不均衡に歪んでいて、にもかかわらずメロウでスウィートで、時々ノスタルジックなのに新しい。今、思えば、坂本慎太郎のソロみたいな感覚で聴けば良かったのかもしれないとさえ思う。
なんだか、長くなってしまったが、つまり僕が言いたいのは、サニーデイ・サービスというバンドは、はっぴいえんどのフォロワーというイメージに囚われた耳で『東京』を聴くだけでは何も掴めないだろうということだ。
いまだにそこには当時、リアルタイムでは感じ取れなかったサウンドが埋まっている。そして、曾我部恵一という人は、今でもそんなサウンドを作り続けているということだ。なんだかんだで僕はサニーデイ・サービスだけは一生聴き続ける気がするなぁ。
『東京』から20年。再結成から8年。時代が
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、
サニーデイ・サービス全作を振り返る 前編