NYはロング・アイランドからやってきた十代の兄弟デュオ、レモン・ツイッグスを「インディの救世主」という枠組みに押し込めてしまうのは、あまりに勿体ない。彼らはフランク・オーシャンやレイ・シュリマーが活躍する2016年のポップ・シーンに、生まれるべくして生まれた現代的なバンド。その理由はこちらのページに詳しく書いてあります。
変幻自在のブリティッシュ万華鏡サウンドを
鳴らす米国の10代、レモン・ツイッグスを
もっと楽しむための歴史的名盤7選。前編
後編となるこのページでは、レモン・ツイッグスのルーツを探るべく、傑作1st『ドゥ・ハリウッド』を形作ったであろう歴史的名盤7枚を紹介していきましょう。
レモン・ツイッグスに魅力された人がまず手に取るべきは、キース・ムーン唯一のソロ・アルバム『トゥ・サイズ・オブ・ザ・ムーン』(1975年)。『ドゥ・ハリウッド』の両脇に2枚のアルバムを並べるとしたら、片方は迷わずこれです。
いわゆる「失われた週末」にジョン・レノンやニルソンと作り上げた本作は、サーフ・ロック、ポップ・アート時代のザ・フー、ソフト・ロックを横断し、ランディ・ニューマンのカヴァーまで収めた隠れた名盤。ザ・フーの初期曲にファルセット・コーラスが多用されているのは、ビーチ・ボーイズやソフト・ロックをこよなく愛するキース・ムーンを喜ばせるためというのはよく知られた話。ここでは、そんな彼の趣向が全面に押し出されています。本作が発する愛らしくてチャーミングな雰囲気も、ムーニーのキャラクターがそのまま滲み出ているかのよう。
お気付きの方も多いでしょうが、レモン・ツイッグスのマイケル・ダッダリオのドラミングは、そのスティック捌きにしろ、リズム・キープというよりリード楽器の如く叩きまくるスタイルにしろ、キース・ムーンの影響は大。やはりレモン・ツイッグスを語る上で、本作は避けて通れません。
そして、キース・ムーンのソロ作を全面的にバックアップした二ルソンの1stアルバム、『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』(1967年)も是非聴いておきたい作品です。ニルソンと言えば、大ヒットした“エヴリバディーズ・トーキング”や“ウィズアウト・ユー”など、いかにもシンガー・ソングライター然としたバラッドのイメージが強いかもしれません。が、『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』は、ビートルズやヴォードヴィルからの影響が色濃いソフト・サイケの名盤。リリースは67年。まさにスウィンギング・ロンドン華やかりし頃、その世界観をアメリカ人が解釈/表現した作品と位置付けて差し支えないでしょう。ポップでカラフル、かつ、少しばかりキッチュな音楽性は勿論のこと、アメリカ人によるブリティッシュ・サウンド解釈という点でも、本作はレモン・ツイッグスとの共通項が感じられます。
ちなみに、スウィンギング・ロンドンの世界観の形成に影響を与えている映画と言えば、ジェームス・ボンドの『007』シリーズ。『パンディモニアム~』と同じ67年にリリースされた『007 カジノロワイヤル』のサントラは、どこか『パンディモニアム~』と近しい空気を感じるソフト・ロックの名盤。手掛けたのはバート・バカラックです。こちらも併せてどうぞ。
ブリティッシュ・サウンドをやったアメリカのアーティスト――と言えば、スパークスを忘れることは出来ません。彼らのブレイクスルー作である3rd『キモノ・マイ・ハウス』(1974年)は、当時イギリスではピークを過ぎようとしていたグラム・ロックの余波を感じさせながら、初期ピンク・フロイドやミュージカル音楽などからの影響も3分間にぎっしりと詰め込んだ、総天然色のストレンジ・ポップ。まさにレモン・ツイッグスにも通じる「ブリティッシュ万華鏡サウンド」です。
レモン・ツイッグスのねじれたポップ・センスにトッド・ラングレンを思い起こす人も多いと思いますが、スパークスが改名前のハーフネルソン時代に送り出した1st『ハーフネルソン』はトッド・ラングレンのプロデュース。レモン・ツイッグスはこの系譜の末尾に位置するバンドと言うことも出来ます。
2010年代LAのカルト・インディ・ヒーロー=フォクシジェンは、レモン・ツイッグスのキャリアを語る上で欠かすことが出来ない重要なピース。なにしろ、レモン・ツイッグスから送られてきたデモテープを気に入ったフォクシジェンは、まだ一回しかライヴ経験がなかったレモン・ツイッグスを1500人規模のライヴで前座に抜擢。『ドゥ・ハリウッド』のプロデュースもフォクシジェンの片割れ、ジョナサン・ラドーが務めています。レモン・ツイッグスの成功の陰にフォクシジェンあり。と言っても過言ではありません。
実際、彼らが惹かれあう理由もよく理解出来ます。脚光を浴びるきっかけとなった2ndアルバム『ウィ・アー・ザ・21stセンチュリー・アンバサダーズ・オブ・ピース・アンド・マジック』(2013年)を聴いてもわかる通り、フォクシジェンは英国的な箱庭系ソフト・サイケを2010年代のLAで鳴らしてきた変わり種。
そういった意味では、彼らはレモン・ツイッグスを先駆けていたバンドであり、そのプロトタイプだったと捉えられます。
元々はプログレッシヴ・ロックのバンドとしてデビューしたスーパートランプですが、全世界で累計1800万枚以上も売り上げた特大ヒット作『ブレックファースト・イン・アメリカ』(1979年)は、先鋭性とポップネスが絶妙なバランスで融合した作品。今改めて聴き直すと、レフトフィールド志向のパワー・ポップ、もしくはプログレを通過したソフト・ロックといった趣です。とりわけ、バンドの中心人物の一人、ロジャー・ホジソンのペンによるアルバムのタイトル・トラックは、ヴォードヴィル音楽のリズムも取り入れた名曲。その懐かしくも新しい感覚、そしてポップでエッジーなサウンドは、どこかレモン・ツイッグスと重なるところがあるでしょう。
彼らはYouTubeにアップされている動画の管理も徹底しており、アルバムのフル音源はないので、ここではタイトル・トラックのライヴ動画を貼っておきます。
デヴィッド・ボウイの才能が本格的に開花したのは『ハンキー・ドリー』(1971年)以降であり、その前は“スペース・オディティ”といった大名曲はあるものの、まだ習作の時期だったと思われがち。しかし、実際のところ、若干20歳のボウイが発表したデビュー・アルバム『デヴィッド・ボウイ』(1967年)は、そのキャリアでも指折りのフリーキーな作品。
初期ボウイはモッズのイメージが強いですが、このアルバムではリズム&ブルーズに加え、ヴォードヴィルやミュージック・ホール、そしてシド・バレット的なソフト・サイケデリアまでを視界に入れています。“ラバーバンド”ではチューバがメイン楽器として使われていますし、“リトル・ボンバルディア”で採用されているのはワルツのリズム。
ジェンダーレスでシアトリカルなヴィジュアル・イメージがグラム期のボウイと比較されることが多いレモン・ツイッグスですが、音楽面で一番の近似性を感じさせるのは、むしろボウイの最初期ではないでしょうか。
ビートルズ時代にジョン・レノンと比較されることが多かったからか、ポール・マッカートニーは優れたメロディメイカー/ソングライターという側面に注目が集まる傾向にあります。しかし本当は、彼はレノン以上にフリーキーでエクストリームな音楽家。それが顕著に表れているのが、72年にリリースした3枚のシングルと、その翌年に発表したウィングスとしての2ndアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』(1973年)です。
72年の3枚のシングルは、この短期間に作ったとは思えないほど見事にバラバラ。“ギヴ・アイランド・バック・トゥ・アイリッシュ”はフォーキーなポリティカル・ソングで、続く“メアリー・ハド・ア・リトル・ラム”は一転して19世紀アメリカの童謡をベースにした牧歌的な楽曲。そして“ハイ・ハイ・ハイ”は、暗にドラッグやセックスをテーマにしたゴキゲンなロックンロール。こうした流れの中で発表された『レッド・ローズ・スピードウェイ』は、実はポールの「スキゾフレニックな実験主義者」という側面がもっとも強く発揮されたアルバムでした。時代が時代ならAORと呼ばれたであろう大ヒット“マイ・ラヴ”の印象があまりに強いため、その事実は意外と忘れられがちですが。
とことんポップでありながら、スキゾフレニックでフリーキー。この資質はレモン・ツイッグスにも確かに受け継がれていると言っていいでしょう。
ポップ・ミュージック史の偉大な遺産を横断的に取り込んだレモン・ツイッグスのサウンドは変幻自在。懐かしくも新しい、ブリティッシュ万華鏡サウンド。その多岐に渡るルーツを掘り下げるため、まず手を伸ばすべきは、この7枚。これらの歴史的名盤に触れることで、きっと『ドゥ・ハリウッド』の摩訶不思議な魅力の深層へと更に踏み込んでいくことが出来るはずです。