TV・オン・ザ・レディオ(以下、TVOTR)とは、2000年代のニューヨーク・シーンを具現化した音楽そのもの。実際、彼らのハイブロウで文化横断的なサウンドは、リヴァイヴァルとリファレンスを堂々巡りし数多のサブ・ジャンルで溢れ返った、あの混沌として爛熟した音楽風景のひとつの縮図を示していると言っていい。一方で、彼らが同時代のニューヨークのバンドの中でも特殊な立ち位置だった所以。それは、中心人物のデイヴ・シーテックのプロデューサーとしての経歴が、少なからずバンドのキャリアを先行し、また2000年代初頭のニューヨーク・シーンの台頭において大きな影響を及ぼしたことに因るだろう。つまり、ストロークスやインターポールやラプチャーと並んで2000年代のニューヨークを賑やかす主要キャストの先陣だった彼らは、同時に、ヤー・ヤー・ヤーズやライアーズの諸作を手がけたシーテックの仕事を通じて――あくまで結果論だが、その状況自体を演出する舞台回し的な役割も担った、と。勿論、バンドの活動とシーテック個人のプロデュース業は基本的に別物。が、そうしたある種の二重性が、名実ともにニューヨーク・シーンの中心にいながらにして、全体を俯瞰するようなポジションに彼らを置いたことは、最初の理解として重要なポイントにちがいない。
TVOTRが登場した2000年代の初頭。ニューヨークでは、大雑把に分けてふたつの大きな潮流が進行していたのはご承知の通り。ひとつは、ストロークスに代表された所謂ロックンロール・リヴァイヴァル。そしてもうひとつは、ディスコ・パンクやエレクトロクラッシュといったサブ・ジャンルも含む、広義のニューウェイヴ/ポスト・パンクのリヴァイヴァル。そうした中、シーテックがプロデュースしたヤー・ヤー・ヤーズのデビューEP『ヤー・ヤー・ヤーズ』(2001年)は、同時代のニューヨークで同じくプロデューサーとしての名声を先駆けて得たジェームス・マーフィーによるラプチャーのシングル『ハウス・オブ・ジェラス・ラヴァーズ』と並んで、きわめて重要な仕事だったと振り返ることができる。
一過性の(拡散は世界規模だったが)トレンドに終わった前者に対して、たとえばそのヤー・ヤー・ヤーズやライアーズ(そしてブラック・ダイス)を“末裔”として捉えたノー・ウェイヴの再考証フィルム『キル・ユア・アイドルズ』(2004年)が物語るように、ニューヨークの音楽史に連綿と横たわるアンダーグラウンドの系譜と地続きで、また、すでに胎動を見せていたブルックリンの界隈とも人脈や音楽的背景をシェアする後者を後押ししたシーテックの仕事は、以降のシーンの機運を促すとば口を開いたと言っていいだろう。あるいは、そうして実験性や多様性を担保する状況に寄与することで、TVOTRとしてみずからが活動する足場を慣らした、という見方もできるかもしれない。
TVOTRとして正規のデビュー作となるEP『ヤング・ライアーズ』が〈タッチ&ゴー〉からリリースされたのは2003年。シーテックと、俳優経験もある黒人ヴォーカリストのトゥンデ・アデビンペのデュオに、ヤー・ヤー・ヤーズやライアーズのメンバーらをサポートに迎えた暫定的な編成で制作された作品ながら、ここにはすでに彼らの個性をはっきりと窺うことができる。
それはたとえば、ファンクやヒップホップ等のブラック・ミュージック的嗜好。クラウト・ロックのミニマリズム。サイケデリック。あるいは、R&Bやゴスペルのヴォーカル・ハーモニー。前述した二派の潮流、さらにブラック・ダイスのヒシャム・バルーチャが編纂したコンピ『ゼイ・キープ・ミー・スマイリング』に収録されたようなエクスペリメンタル系(アニマル・コレクティヴ、ギャング・ギャング・ダンスetc)が当時のニューヨーク・シーンを形成した中で、彼らのようにハイブリッドでテクスチャーの練られたサウンドを披露する「ロック・バンド」は異質だったし、その音楽的語彙の豊かさは登場時から傑出したセンスを感じさせるものだった。なるほど、デヴィッド・ボウイが先駆けて彼らに称賛を送っていたのも頷けるというもの。
もっとも、そんな彼らがその前年に、じつはこんな作品――『OKカリキュレーター』をひっそり発表していたのは、今となっては有名な話。
シーテックとアデビンペのふたりがベッドルームで録音した自主制作のCDRで、タイトルは勿論、レディオヘッドの『OKコンピューター』をもじって。後に加入するキップ・マローン(G/Vo)いわく、デュオ時代のTVOTRの第一印象は「すごくローファイで……アホらしいと思った」そうだが、ブルースにドゥー・ワップ、打ち込み、逆回転やコラージュが乱雑に継ぎ接ぎされたジャンクな出来栄えは、さもありなん。ウィーンか『ステレオパセティック・ソウルマニュレ』の頃のベックが、ジェームス・フェラーロとかのヒプナゴジック・ポップを真似たように聴こえる瞬間もあって面白い。
北米以外では新たに〈4AD〉からのリリースとなった1stアルバム『デスパレイト・ユース、ブラッド・サースティ・ベイビーズ』(2004年)は、マローンを加えた現メンバーの3人が中心となり制作。洗練味を増したソングライティングや楽器のアンサンブルもさることながら、耳を引くのはやはり、アデビンペとマローンのふたりのヴォーカリストを立てた歌唱、だろう。シンセ・フレーズやループを配したレイヤーの中にもメロディやハーモニーが際立ち、「歌」が楽曲の中心に置かれたことを意識させるコンポーズは、それこそ2000年代の後半にかけて同郷のグリズリー・ベアやダーティ・プロジェクターズらが傾倒を露わにしていく嗜好に先鞭をつけていたと言えなくもない。かたや、フルートなど管楽器も交えてミスティックなジャムを繰り広げる7分強の“ウェア・ユー・アウト”は、アンダーグラウンドではまさに機が熟しつつあったフリー・フォークとの同時代性も実感させるのではないだろうか。
そして、メジャーの〈インタースコープ〉と契約を交わした2006年の2ndアルバム『リターン・トゥ・クッキー・マウンテン』。前作『デスパレイト~』にも参加していたジャリール・バントン、ジェラルド・スミスがフルタイムのメンバーとなりコレクティヴが確立したことに加えて、各々が複数の楽器を扱うことにより演奏のダイナミクスやスケールが押し広げられたことが大きい。アフロビートやマス・ロック的な手数も見せる饒舌なリズム・セクションと、対して、サイケデリックからシューゲイズ~ドローンへと空間的に造形されたギター・エレメントによるスリリングな拮抗を随所に聴くことができるだろう。
さらに、デヴィッド・ボウイを始め、ブロンド・レッドヘッドのカズ・マキノ、アンティバラスやヤー・ヤー・ヤーズ等の同郷のプレイヤーまで名を連ねた多彩なゲストの存在も本作が話題を集めたひとつ。ボウイが美しいテノールを重ねる“プロヴィデンス”は勿論プレミアムだが、白眉は、パーカッションとギター・ノイズを伴奏に圧倒的なヴォーカル・クワイアを披露する“レット・ザ・デヴィル・イン”。また、サウンドの全編に横溢するしたたかな高揚感は、前後してニューヨーク/ブルックリンに噴出したモダン・サイケデリアのうねりを確実に捉えていた。
前作『リターン~』に続き9点台をつけた〈ピッチフォーク〉を筆頭に、欧米メディアから軒並み絶賛を受けた2008年の3rdアルバム『ディア・サイエンス』
は、現時点で彼らのキャリア・ハイと呼べる作品だろう。と同時に、翌年に発表されたアニマル・コレクティヴやダーティ・プロジェクターズやグリズリー・ベアのアルバムと共に、2000年代のニューヨークが積み上げてきた音楽的成果の到達点にして、その10年間を締め括る一枚にふさわしい。サウンド的にも、これまでを総覧するように混淆的でコスモポリタンなスタイルの集約点が示されている一方、所謂「ロック・バンド」的なアンサンブルと距離を置いた――たとえるならハーキュリーズ&ラヴ・アフェアとアンティバラスの間を埋めるようなダンス・フィールが前面に打ち出されているところが本作の特徴か。実際、印象的だったギター・サウンドは後退したように感じられ、替わりに、強力なブラス隊も従えてミニマルなファンク・ビートからポリリズムまで自由度高く展開するリズム・セクションの躍動感が際立つ。
コンガと管楽器が入り乱れる“レッド・ドレス”や“ダンシング・チューズ”はそのハイライト。かたや、“ストーク&オウル”や“ファミリー・トゥリー”で聴ける壮麗なストリングス・アレンジメントは新たな側面と言えるかもしれない。モザイク模様に広がりながらトータリティを備えたコンポジション。クリエイティヴな折衷主義と、それを支える強靭で卓抜なプレイヤビリティ。自身による錬成は勿論、「2000年代のニューヨーク」という一種独特なテンションの中で醸成されたTVOTRというバンドのあらゆる美点が、ここに目覚ましい形で結実している。そして、9.11のテロ以降のニューヨーク/アメリカと共にキャリアを歩み、ブッシュ政権下の緊張感を纏い続けてきた彼らが、まさに変化の訪れを目の前にして「黄金時代がやってくる」と歌い上げた“ゴールデン・エイジ”の祝祭的なフィーリングは――たとえそれが今も深いアイロニーであることに変わらなかったとしても、とても感動的だ。
『ディア・サイエンス』リリース後、シーテックはニューヨークを離れてロサンゼルスへ移住。現在はアデビンペも西海岸で暮らしており、TVOTRは拠点を新たに次のディケイド、2010年代をスタートさせることになる。
00年代以降のUSインディを把握したいなら
まずはTV・オン・ザ・レディオを聴こう!
後編:ロスへ、そして新たなるディケイドへ