2020年は産業についての取材を沢山やってきた一年だった。春から夏にかけてCOVID-19のパンデミックを受けたライヴ市場の構造変化を発信する仕事がぐんと増えた。それだけでなく、TikTokから生まれる偶発的なスターダムの動向を追いかけるようなことも増えた。で、走っているうちに、ふと気付いたら「あれ?」と、自分の足がぐらつくような感じになっていた。自分では平気なつもりでいながら、秋から冬にかけては、わりと危うい日々を送っていたようにも思う。何が危ういかというと、端的に言って、果たして自分が何を好きなのか見失いかけていた。自分が音楽の何を聴いているのか、どのテイスト、どのフォーム、どのモチーフに興奮しているのかわからなくなりかけていた。それをもう一度見直すべく棚卸ししたリストのうち5作品を選んだのが上記。それでも順位はつけられなかった。
レヴュー集約サイトがあらかたのクリティックを日々クローリングしていく今の情報環境において、「年間ベストを選ぶ」というのは、つまりは、それぞれの個人の価値基準が“端末”になるというのを受け入れることである。TikTokにダンス動画を投稿するのと本質的には同じで、結局のところはアルゴリズムに奉仕する営みである。
でも、その一方で、レコード(=記録)ではなくストリーミング(=水流)で音楽を聴き、毎日SNSで供給される話題に反応して暮らすということは、すなわち、流れに身を任せるということでもある。特にライヴや映画館での体験が大きく失われた2020年は、それぞれの音楽や映画の視聴がパーソナルになった、すなわちそれぞれの主体性がウロボロスの蛇のようになった一年でもあるとも言える。特に自分はある特定のジャンルやシーンを見張っているタイプの人間じゃない。だからこそ、ある程度意識的に自分の嗜好や価値基準を開示して錨のように水底に打ち込んでいくことで、自分自身がヴァイラルに飲み込まれることのないように気をつけなくてはならない。
それを大前提にして、自分が選んだものに共通するのは「ケア」の感覚なのだと感じている。メンタルのケアと、社会のケア。眩しい光の中に溶けていく感覚。諦念と許容。この一年で、軋みをあげて壊れていったものは、本当に沢山ある。持ちこたえられなかった場所も沢山ある。でも、だからこそ、変わらざるを得なかったことも沢山あるはずだ。
この先に何があるのかはまだわからない。でも、なぜかユーフォリックな予感だけが自分の内に漂っている。
〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2020年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 天野龍太郎
「〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2020年の年間ベスト・アルバム、
ソング、ムーヴィ/TVシリーズ5選」
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2020年
年間ベスト・アルバム 50