「誰のせいでもない、犯人はいない/ただ僕らにはもう 何も言えることがないだけ」(ザ・ナショナル“ギルティ・パーティ”)
2016年のあとをどう生きるのか? という年だった。ザ・ナショナルのこの言葉はそんな気分をうまく抜き出していると思う。僕個人としても2016年は公私ともにロクなことがなく錯乱していたので(昨年の個人ベスト参照)、2017年はかなりの部分で前年を引きずっていた。アルバムを通して妻の死に震え続けるマウント・イアリの『ア・クロウ・ルックト・アット・ミー』、あるいは過去の悲劇に囚われ続けるケネス・ロナーガン監督作『マンチェスター・バイ・ザ・シー』が伝えてくれたのは「ひとは悲しみを乗り越えられない」という当たり前のことで、だけど、その揺るぎようのない事実に助けられる気がした。どんなに酷いことが起ころうとも、何が失われようとも、残されたわたしたちはどうにかして生きていくのしかないのだから。とくに映画はそのフィーリングを掬ってくれるものが沁みた。
そんな「2016年以降」の閉塞性のなか、フリート・フォクシーズとアート・リンゼイの久しぶりの新作が素晴らしいと思うのは、「わたしたち」のアイデンティティは国境で定義することなどもはや不可能であると何よりも音で物語っているからだ。そこには搾取する側とされる側といった単純な構図はない。ファーザー・ジョン・ミスティのような諧謔も心強かったけれど、「どんな醜いものにも与しない」とでもいうようなフリート・フォクシーズの清廉さにこれほど胸を打たれるとは思わなかった。世のなかがどれほど荒れようと、どう生きるかはつねに「わたしたち」の問題であり、自由と尊厳は誰にも奪われないのだ……と。アキ・カウリスマキの美しい新作『希望のかなた』もそんなことを言っていた。アート・リンゼイはそこに知的なユーモアが乗るのが愉快で、“Ilha dos Prazeres”はまさかのエロビデオ・オブ・ザ・イヤー。
そう、ユーモアと知性。あるいは明快な身体性。もっと陰鬱な表現ばかりに触れていたような気がしていたけれど、振り返ってみるとそれ以上にエクス・アイのぶっ飛んだメタルや『ありがとう、トニ・エルドマン』の風変わりなペーソスにやられていたようだ。悲しみや喪失は乗り越えられないが、何かを面白いと感じる心と身体を抑えることもできない。2018年はもっと愉快な年になることを願って。
〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2017年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 八木皓平
「サイン・マガジンのライター陣が選ぶ
2017年の年間ベスト・アルバム/
ソング/ムービー/TVドラマ5選」
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「2017年 年間ベスト・アルバム 50」
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