ジョシュ・ホーミについて知ることはすなわち、ここ15年の「ロック」の動向について知ることだ。そんな風に言っても過言ではない。
メインストリームの商業的なロックにはないエッジと実験性があり、アンダーグラウンドやインディという言葉にはそぐわない認知と訴求力がある。レディオヘッドのような別格を除けば、常にこの10年の間、メインストリームとアンダーグラウンド/インディを横断しながら、揺るぎない個性と影響力を培ってきた唯一の存在と言ってもいいだろう。
そうした文脈からしても、現在のホーミが築き上げたポジションは、ひとつの理想的なそれと言っていいかもしれない。
ニック・オリヴェリやマーク・ラネガンら盟友との、カイアス時代~グランジ前夜から損なわれることなく続くパートナーシップ。そしてご存知、近年のアークティック・モンキーズやイギー・ポップとの交流が物語る世代を超えて寄せられるロック・ミュージシャンからの信頼。加えて、ジェイZのような畑の異なるビッグ・ネームにも一目置かれるホーミは、今やグラミー・アーティストでもある。ローカルなコミュニティに一貫して活動の足場を置きながら、アンダーグラウンドの大家に留まることなく、メインストリームとも渡り合う堂々たる王道感。「周縁」を歩いていたはずが、いつしか気づいたらそこは「中心」だった――とでも言おうか。
そんなホーミのアーティストとしての特異な在り方を、これまでのディスコグラフィから必携の8枚をカウントダウン形式で紹介することで、改めて浮き彫りにしていきたいと思う。それはまた、ここ10年の欧米のロックにおけるひとつの歴史を炙り出すことになるだろう。
ホーミが携わる様々なプロジェクトの中でも、おそらくはもっとも知名度が低く、しかしもっともユニークな活動スタイルをとるこのデザート・セッションズ。メンバーを固定せず、楽曲ごとに毎回異なる顔ぶれで演奏が行われ、使われる楽器の種類や各自のパートも流動的。ホーミはプロジェクトの発起人であり中心人物だが、必ずしもすべての演奏に顔を出しているわけではなく、過去の参加者の中には、ニック・オリヴェリやマーク・ラネガン(元スクリーミング・ツリーズ)らカイアス/クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ界隈の常連を始め、PJハーヴェイやディーン・ウィーン(ウィーン)、さらにナイン・インチ・ネイルズやマリリン・マンソンのバンド・メンバーの名前も見つけることができる。
やっている音楽自体の趣向はカイアス~クイーンズのラインからそう遠くかけ離れたものではないものの、当然ながら演奏はずっとフリー・フォームで、ソングライティングの抽象度も高い。活動のスタートは90年代の後半。ここで制作された楽曲が後日クイーンズの作品に収録されることもあるなど、ホーミにとっては自身の創作を掘り下げていくうえでの実験や鍛錬の場としてそれが重要な意味を持っていたであろうことは想像に容易い。
現時点での最新作となる本作だが、目玉は何と言ってもヴォーカルとピアノやサックスで参加したPJハーヴェイの存在。リリースはマイク・パットン主宰の〈イピキャック〉からで、かたやサンのグレッグ・アンダーソンが主宰する〈サザン・ロード〉からリリースされた前作『ヴォリューム7&8』のインプロ多めでヘヴィなモードと比べると、演奏は若干のレイドバックも窺わせる趣。ながら、ルーツィなブルースやフォーク、ブルー・グラス、エスニック~中近東にも振れた楽曲は佳作揃いで、ハーヴェイの歌声にとてもよく馴染んでいる。
ちなみに、「ニュー・ウィアード・アメリカ」と銘打たれた記事が英〈ワイアー〉誌に掲載され、俗に言うフリー・フォークなるシーンの存在が最初に大きく報告されたこの年。このデザート・セッションズには本作にかぎらずプロジェクトを通じて、様々な出自を経由して拡張するサイケデリック・ミュージックの探求――という側面があり、コレクティヴというよりむしろコミュニティと呼ぶにも似つかわしいそのあり方も含めて、どこか当時のフリー・フォーク勢が纏っていた志向とも共振したムードがそこには感じられて興味深い。
元々はデザート・セッションズのレコーディング内で組まれた、その場限り(?)のバンドだったイーグルス・オブ・デス・メタル。コア・メンバー+作品/楽曲ごとのサポート・プレイヤー、という形態はクイーンズと似ていて、ホーミの相棒を務めるのは、マニー・マーク(ビースティ・ボーイズ)やトニー・ホッファー(ベック、エールetc)を迎えたブーツ・エレクトリック名義のソロ作品もあるジェシー・ヒューズ(牧師としての顔も)。正式なデビューは2000年代に入ってからだが、始まりのタイミングはクイーンズとさほど変わらず、ホーミいわくEODMはサイド・プロジェクトにあらず、と。昨年11月にパリのバタクラン劇場でライヴ中に襲われた銃撃事件のニュースも、まだ記憶に新しい。
サウンドは基本、ざっくりと言ってハード・ロック。それもかなりの直球。カイアス/クイーンズに漂う重々しさや煙たさは皆無で、デザート・セッションズの作品内で披露していたクセのあるブルース・ロックとも別物。いい意味でのユルさ。適度なユーモアと、カリカチュアを楽しむようなイロモノ感。そのあたりの絶妙さは、この2ndアルバムのアートワークが伝えるストーンズやモトリー・クルーへの屈託のないリスペクトからも窺えるのでは。ラネガンやホーミの嫁ブロディ・ダル(ディスティラーズ)らに交じって、テネイシャスDや映画『スクール・オブ・ロック』でお馴染みジャック・ブラックがバッキング・ヴォーカルで参加。
現時点での最新アルバムとなる6作目。ホーミを筆頭に4人のコア・メンバー全員がムーグ・シンセやピアノ、12弦ギターなど様々な楽器を持ち替えマルチ奏者として立ち回る入り組みようは、およそ見慣れたロック・バンドのスタイルを逸したものにもかかわらず、そのサウンドはどこからどう聴いてもロックである。アークティックのアレックス・ターナーやナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナー、デイヴ・グロール、はてはエルトン・ジョンまで参加した多彩なゲスト陣が目を引くが、しかし楽曲自体はむしろ、エレクトロニックなアプローチも際立った前作『エラ・ヴルガリス』と比べるとオーセンティックでピンポイント。無骨だがキレのある演奏には、来るイギーのアルバム『ポスト・ポップ・ディプレッション』への習作的な趣を窺わせる場面も。
ジョシュ・ホーミ、デイヴ・グロール、そしてレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ。この三者がバンドを結成するに至った経緯についてはさて置くとして、ともかくもホーミとグロールの邂逅に胸躍らずして何をかいわんや、だろう。作品上の初共演は、グロールが正規メンバーとしてドラムを叩いたクイーンズの3rdアルバム『ソングス・フォー・ザ・デフ』(2002年)の時だが、さかのぼればそもそもふたりは、カイアスとニルヴァーナの頃から互いの視線が交わる圏内で時代を共にしてきた現代アメリカン・ロック盟友同士。
DCハードコアにルーツを持ち、メルヴィンズのバズ・オズボーンと「メルヴァーナ」なるバンドを組んだこともあるグロールは、おそらくはホーミと同じものを見たり聴いたりしてきたはずで、趣味嗜好の相性は推して知るべし。
一方、ホーミも共にゲストで参加したフー・ファイターズのアルバム『イン・ユア・オナー』(2005年)で縁を得たジョーンズは、ホーミとグロールにとってはツェッペリンという陰に陽にその影響下にあることを認めることができるマスターであり、かたや90年代にはバットホール・サーファーズのプロデュースを手がけたこともある「話の通じる」理解者、でもある。
といったふうに、いわば三者による「共通言語」を介した阿吽の呼吸、みたいなものが如何なく発揮されたハードでメタリックなロック・サウンド。が、この手の「スーパー・グループ」にありがちなトゥーマッチなところはなく、むしろ――クイーンズを始めサポート・プレイヤーの貢献に多くを拠ったホーミのプロジェクトの中では例外的に――オーセンティックなスリー・ピース・バンドらしく個々が持ち場に徹した一枚岩の演奏こそが醍醐味、である代物(そのあたりは、もしかしたらジャック・ホワイト率いるラカンターズやデッド・ウェザーとは異なるところかもしれない)。
とはいえ、このバンドのキー・マンを強いて挙げるなら、そこはやはりホーミに他ならず、と言いたい。文字どおりの顔役としてリード・ヴォーカルを務めていることは勿論のこと、豪胆なプレイでリズム・セクションを牽引するホーミのギターが何より、サウンド面においてもトリオの核となっていることは一聴瞭然。“エレファンツ”や“スカムバグ・ブルース”はその真骨頂。
演奏のレンジと地肩の強さを見せつけるような“スピニング・イン・ダフォディルズ”も凄まじく、ことホーミに関して言えば、キャリア集約的な充実度も本作には窺えるよう。