なんと厄介なバンド! ニュー・ハウスの活動を振り返ってみると、そう思わずにはいられません。本人達はいたって素直に活動してきたと思しきだけに、周囲の人々にとってはいっそう難儀だったのでは。ひとつに言えるのは、このバンド、ブレイクする契機は間違いなくあったということ。特にインディ・ポップのリスナーを夢中にさせていた活動初期は、若い世代の顔役となるやもな予感さえありました。それゆえに、所属レーベルである〈セカンド・ロイヤル〉にとっては、1stミニ・アルバムにおけるポップな路線を発展させずに、ドープな方向へとひたすら向かっていったことは、晴天の霹靂だったことでしょう。その後、彼らは今にいたるまで、ポップ・スターダムには目を向けず、自らの創作欲求のみに忠実に活動しているように見えます。けれど、ハッピーやザ・フィンといったサイケデリックな志向を持つ新世代バンドの台頭している今こそ、彼らニュー・ハウスが正しく評価されるべきタイミングであろうことは前稿に書いたとおり。
この稿では、2008年のデビューから今にいたるまで、彼らのディスコグラフィとその周辺状況を振り返りながら、ニュー・ハウスというバンドのぶれないアティチュードを掘り下げていきます。勿論、そこで浮き彫りにしたいのは、今の時代において、いかに彼らがオンな存在となっているかということ。幸い、この稿にあわせた〈セカロイ〉からの粋な計らいで、最新作『カレイドスコーピック・アニマ』のみならず、これまでの彼らの全ディスコグラフィが、バンドキャンプにてフル試聴ができることになりました。なので、実際の音源を聴きながら、読んでいただければ嬉しいです。この前篇では、デビュー直前から1stフル・アルバム『バーニング・シップ・フラクタル』にいたる4年間を振り返ってみましょう。
まずは、超初期のライヴ映像からご覧ください。
〈セカンド・ロイヤル〉と契約した直後の、2008年時のライヴ。演奏はしっちゃかめっちゃかですが、はっと耳を奪うメロディ・センスが光っています。そして、まだなんの音源も出ていなかったのに、このフロアの熱狂。当時クラブ系レーベルというイメージだった〈セカロイ〉にとって、初のバンド契約というちょっとしたセンセーションに加え、ミイラズやヴェニ・ヴィディ・ヴィシャス、ブリクストン・アカデミーらの台頭による、いわゆる東京インディ・シーンの勃興とも重なり、この頃のニュー・ハウス、盛り上がってたんですよ。そして翌年の2009年には、1stミニ・アルバム『ウォント・アローン・バット・ヘルプ・ミー』をリリースします。
弾むビートと切れ味の鋭いギター・サウンドに、当時のムードであったトロピカルな開放感を足したインディ・ポップ・アルバムの傑作。7インチ・カットもされたピクシーズがテムズ・ビートに傾倒したような2曲目“キル・ザ・ハウス”、ふぞろいなヴァンパイア・ウィークエンドといったグルーヴィな5曲目“パス・トゥ・フリーダム”は多くのインディDJからプレイされていました。ハーフビー高橋孝博もよくかけてたなー。そう。この頃の彼らは当時の洋楽インディ、なかでもヴァンパイアやロス・キャンペシーノス!、クリブスといったポップな面の強いギター・バンドと地続きに語られていました。
実際、この作品では、プロデューサーとしてティーンエイジ・ファンクラブやベル&セバスチャンなどで知られるデヴィッド・ノートンを起用。その人選からも、レーベルがまずどういったリスナーへと彼らを届けようとしていたのかは明白でした。ただ、当時のインタヴューでも一番のフェイヴァリット・バンドとしてUSオルタナのカルト・レジェンド、サン・シティ・ガールズを挙げていた彼らのこと。そもそもハナからインディ・ポップの花道を駆け登ることは眼中になかったのでしょう。バンドは周囲の期待をよそに独自の道を歩み始めます。
そして、ニュー・ハウスがドープな方向性を固める決定打となったのは、ギタリストPunpunの加入でした。前ギタリストであるKentarouが、いかにもギター・ポップ・バンドといったプリティな出で立ちだったのに対し、Punpunはすっぽり被ったフードから長い前髪をたらしては、不協和音を織り交ぜたフリーキーなギター奏法をかます、かなりオルタナティヴ派のプレイヤー。フロントマンのYutaとは高校時からの親友にして一緒に暮らしていたこともあるという彼の加入が、ぎりぎりバンドが保っていたインディ・バンドとしての体裁を完全に崩し、脇目もふらずにエクスペリメンタル方向へと進み出します。Punpun加入直後のライヴ・パフォーマンス。
3年もの間ニュー・ハウスの実験は続きました。その頃のライヴ映像がこちら。
そして、2012年に初のフル・アルバム『バーニング・シップ・フラクタル』がリリースされます。
ポップ・ソングのフォーマットを逸脱したソングライティング、ミステリアスなリズム展開。もはやインディ・ギターという趣は微塵も感じさせない、エクスペリメンタルなバンドへの変貌を遂げています。実際、『バーニング・シップ・フラクタル』をもって、彼らはまぎれもないアニマル・コレクティヴ以降、ギャング・ギャング・ダンスやブラック・ダイスらのブルックリン勢と共鳴したサイケ・バンドとしての評価をものとします。その一方で、当時から今にいたるまで、このアルバムが、アニコレみたいな音楽という以上の解釈をきちんとなされているかといえば、それは疑問と言わざるをえません。自分の所感に関しては、〈セカンド・ロイヤル〉のHPに掲載された拙稿を一読いただければ嬉しいです。ひとことだけ言うなら、この不思議に人懐っこい奇妙な音楽は、もう少しだけ多くの人の懐のうちに入ってしかるべきでした。ただ、〈セカロイ〉としても打ち出し方に相当困っていたのも事実。そもそも2012年の時点ではアニコレ的なサウンドも弱冠アウト・オブ・デートとなっていました。だって、アニコレの最高傑作『メリーウェザー・ポスト・パヴィリオン』が出たのは2009年ですからね。また、インディ・シーンのなかでもホテル・メキシコやミツメといった一世代若いバンドの台頭のなかで、少しだけわりをくらっていた面もあったでしょう。
その一方で、2012年を振り返ってみると、この頃から国内シーンとしては少しずつサイケデリックの様相を見せてきたように思います。特に重要なのは前年の11月にリリースされた坂本慎太郎『幻との付き合い方』とオウガ・ユー・アスホールの『100年後』(と12インチの『DOPE』)。この2枚は、リスナーのサイケへの渇望を具体化したのでは。そして、東京インディ・シーンの次世代バンドのなかで、特に濃ゆいサイケデリアへと踏み入りつつある森は生きているが自主制作のCDR『フォーム・オブ・ザ・デイズ』をリリースしたのがこの年。なにより、前稿にて象徴的にとりあげたハッピーはこの2012年に結成されています。そうです、時代は、少しずつサイケのムードに変わりつつありました。
2014年、『サイン・マガジン』いうところの「本格的サイケデリック・エラの到来」。前稿では、若い世代のバンドが軒並み、10年代USインディを想起させるサイケ・フィールを持っているのではというアングルを提示しました。この数年を経て、日本は間違いなく、まどろみや飛ぶことへの希求を高めてきています。そして、そうした気運のなか、先駆者たるニュー・ハウスの2ndアルバム『カレイドスコーピック・アニマ』が完成。後編では、このアルバムを徹底解剖します。
30分で教えます。新世代サイケデリアの
傑作『Kaleidoscopic Anima』を上梓した
ニュー・ハウス、その奔放な軌跡。後篇
はこちら。