長野「やっぱりU2はちゃんと行くところまで行ってるし、商業的だとか言われることには構ってない。開き直りとは違うんですけど、『ちゃんと行くところまでいいものが行っていないと駄目でしょ?』っていう意識の高さがあるっていうか。しかも、ちゃんとステージでは4人で演奏するスタイルを保っていて。そういうモデルって、もしかしたら他に今いないと思うので。例えば、ボビー・ギレスピーはロック・スターだけれど、『スタジアムでライヴやるのはさぁ』っていうスタンスが彼にはあって。でも、ボノにはすごくしたたかなところがあるから、『自分は全然ロック・スターになりますよ』っていう。そのスタンスは目指したい。そういうのが今、日本にはないので」
●つまり、野心を持つということね?
長野「そうですね。スタジアムとかドームとか、大きいところでやればやるほど、それってアンクールみたいな意識を持たれやすい。そう思う人の気持ちもわかるんですけど、それじゃ何にも変わっていかないし。自分たちが予想できる範囲の活動をバンドがしてくれることは、満足させられるかもしれないけど、面白いわけじゃないでしょ、っていう。そういう意識がうちのバンドにはあります。実際、U2は、かっこいいかって言ったら、決してかっこよくないかもしれないんですよ」
●いや、かっこ悪いよ。
全員「アハハハハッ(笑)」
●でも、かっこ悪いことをやることを、これほど恐れないバンドはいない。
高藤「そう、そこなんですよね」
●本当に特殊なバンドだと思う。でも、U2の中でも『アクトン・ベイビー』だ、っていう理由は何ですか?
長野「やっぱり、これが90年代のひとつの形を作ったと思うんで。ここにあるメロディとか曲の展開とかは、その後のバンドにひとつの方程式みたいなものを提示したな、と思っていて。それ以前のやつも好きなんですけど、それよりも、もっと開き直ってる。ポップスに対しての開き直りみたいなものをすごく感じます」
●僕もこれはU2の中で一番好きなレコードなんです。『ラトル・アンド・ハム』までは、すごくオーセンティックな方向に行ってたじゃない? それまで音楽的にもアメリカを見ていたのが、イギリスで流行ってたアシッド・ハウス以降のダンス・ミュージックを取り入れたり、久々にヨーロッパに立ち返った。ちょっと背伸びをして、自分たちがやってなかったことをやろうとしたレコードだから、そういう意味でもすごくエッジが立っている。
長野「このアルバムには、『プライマルの“コワルスキー”とほとんど一緒じゃない?』みたいな曲がありますよね? でも、かたやボビーは、ダブやレゲエの方向でルーツをしっかり辿って引っ張ってきて、そうした一連のものを発表してきたと思うんですけど。かたやU2は、もっと安易なチョイスをしているんじゃないか、と思ってて(笑)。ほんとに、『あ、それいいじゃん』っていう感じで、いろんなところからサクサク持ってきてるっていう」
長野「でも、そういうスタンスも好きなんですよね。彼らって、最初からすごくコアなコンセプトがあってやったバンドではないと思うんですよ。いろんなものに影響されながら、その都度、自分たちのヴィジョンを出していって。そういうことに対しても全然臆病じゃないっていう」
●ただ、U2が最初に嫌われたのもそこなんですよ。ギターのスタイルはマガジンからヒョイっともらってくる、太鼓のスタイルはエコー&ザ・バニーメンからヒョイっともらってくる。引用があまりにもあからさまだった。でも、彼らというのはいい意味でミーハーだし、それが上手く働く瞬間もあれば、みっともなく映る瞬間もある。ただ、レディオヘッドとかもそうだけど、そういうミーハーなバンドというのはすごい楽しいよね。
長野「と思います。ミーハーな方が、変に自分たちを押し付け過ぎないっていうか。しかも、それでどんどんバンドを大きくしていくっていうのはすごいなと思いますね」
長野「ポリスは、ポップスとしても通用するくらいの曲の強さがちゃんとあって。これは単純にバンドの好みだと思うんですけど、隙間感って言うんですか? あれだけスカスカで、あれだけいいメロディで、しかも三人で、ここまで大きくやれるっていう」
高藤「でも、これがギリギリだったかもしれないね、このアルバムが。そんな感じもしますね」
長野「シロップ16gが、『シンクロニシティ』とU2の『ウォー』をモチーフにして『クーデター』を作ったっていうのをインタヴューで読んだことがあるんです。日本の80年代のバンドも、結構ポリスとかU2とから顕著に持ってきてると思うんですよ。レベッカとかエコーズとか」
●当時、すごいムカついてました。
高藤「ハハハッ!(笑)」
長野「まあ、あれはあれで。でも、シロップ16gはもっと正統な引っ張り方をしてるな、って感じたんですね。『ルーツから影響を受けています』っていうと、それまでは、それこそ60年代のガレージ・バンド、R&B、〈モータウン〉とかから影響を受けてること――それがルーツから影響を受けてるっていうことなんだ、みたいな空気があったんですけど。そうじゃなくて、80年代のニューウェイヴから引っ張ってきて、すごくいいものを作れるっていうか、それをルーツだと言い切れるすごさ。新しかったんですよね。なんか、シロップになっちゃったんですけど、話が(笑)」
全員「(笑)」
長野「だから、あんまりルーツとは言われない傾向があったU2とかポリスも、もっとひとつの音楽のジャンルの完成形としていろんなものに反映されていけば面白くなっていくんだろうな、っていうふうに思います」
長野「これはヴェルヴェッツ直系というか。〈ファクトリー〉の人たちは、ニューヨークをイメージして自分たちの世界観を作り上げたのがデカいと思うんですけど。でも、そこでただのニューヨークにならなくて、もっと閉鎖的な仕上がりになったし。ワルシャワの時の音源を聴くと、本当にただ中途半端なストゥージズというか(笑)、そんな印象なんですけど。でも、ジョイ・ディヴィジョンになって、マーティン・ハネットがエンジニアとしてやった時に、本当にマンチェスターっていうものを体現したようなサウンドになった。熱くないけど熱い、というか」
●当時の〈ファクトリー〉周りのシーンというのは、ノーザン・ソウルのクラブを根城にしてた、いわゆるソウル・ボーイと呼ばれてた連中がそれまでのリズム・アンド・ブルーズ/ソウルの影響と、クラウト・ロックの影響を混ぜ合わせたシーンなわけじゃないですか。
長野「そうですね」
●ただ実際、ジョイ・ディヴィジョンとか、さっき挙げてもらったスーサイドとかを聴いた時に、「連綿と流れるものが特殊な接合点を持って、また違うものになる」っていう物語そのものに憧れたり、自分たちもそういうことをやりたいっていう意識を持ったりすることはありますか?
長野「ありますね。で、そこで出てくるのがラプチャーなんですけど……」
長野「この人たちは、元々ニューヨークの人たちじゃないじゃないですか? でも初めて聴いた時に、すごくニューヨークのサウンドを出してるな、って思ったんです。『自分たちがニューヨークに行ったことがないから、ニューヨークのバンドが出してるサウンドをイメージしながら組み立てていった』って〈スヌーザー〉のインタヴューで話していたんですけど。そういう意識って素晴らしいな、と思っていて」
長野「それこそ、デトロイト・テクノとかの作り方もそうだったと思うんですけど。自分たちはその場所にはいないけど、自分たちが『これ、クールだな』と思うものを、自分たちでもやりたいと思って、イメージを膨らませることで生まれた違うもの、というか」
高藤「そうだね」
長野「だから、やっていることにすごく美学があるし、きちんとルーツも掘ってるし。バンドってそういうふうにあるべきなんだろうな、っていう。自分たちが何を言いたいのか、何を表現したいのか、っていうのが、憧れの気持ちにプラスしてあるっていうのが、すごく理想的だな、って思っていて。そういう意味で、ラプチャーはずっと好きですね。これのひとつ前の『ミラー』ってあるじゃないですか? ジェイムス・マーフィーがつく前の。あれからこれになった、っていうことに対しての興味や驚きもすごいあるし。それから、ラプチャーがこれ以上広がらなかった、っていうことに対しての悲しみもあります」
●そこ、しみじみするね。
長野「そうですね。じゃあ、次、LCD出していいですか?」
高藤「順番的にね」
長野「これはジェイムス・マーフィーの美学を詰め込んだバンドですよね。彼のスタンスがすごい好きなんです。『イギリスとアメリカのシーンが別れてしまったことによって、お互いが失ったものがある』って、彼はずっと言ってたじゃないですか? やっぱり、互いにクロスオーヴァーしてなんぼ、っていう意識を持っていて、それが根底にある上で、こういうことをやったっていう。いろんなムーヴメントを共有すれば、もっといろんなことが面白くなると考えている、っていう説明だけ聞くと、なるほど、で終わってしまうんですけど。それを、ちゃんとバンドのサウンドにしたことに対するリスペクトっていうか」
高藤「すごいよね、有言実行っていうか」
長野「そう。それでこうなったのか! っていう。ある意味、見本というかお手本。で、そのLCDをジョン・ケイルがカヴァーするのか、っていう。それがたまらん、と」
全員「(笑)」
●グッと来るっていうね(笑)。
長野「そうなんですよ。しかも、そのLCDはスーサイドをカヴァーしていて。オマージュみたいなサウンドの使い方もところどころにあるし。時系列を抜きにして、共鳴するところは共鳴するし、お互い影響を受けるところは影響受けてる、っていう部分での面白さというか」
高藤「最高だね」
長野「最初にそういう前提があったから、LCD周りってすごい面白いんだろうなって。影響めっちゃ受けました」
長野「あと、LCDがラスト・ライヴをマジソン・スクエア・ガーデンでやったのは、こうやりたかった、っていうジェイムス・マーフィーの理想を体現した部分が強くて、現状はついて来てなかったのかな、って俺は思っていて。LCDが1stを出した頃に、『自分たちがやってることをもっと広げていきたい』と言っているのを何度もインタヴューで読んでたし。だから、無理やりそういうふうにまとめた感じも少しするというか。それも感慨深いです」
●当初のジェイムスは「世の中のポップスを根こそぎ変えるんだ」っていうことまで絶対に考えてたはず。さっき長野くんが言ってたみたいに、91年にアメリカとイギリスが分断してしまった――91年ってアメリカだと『ネヴァー・マインド』が出た年で、イギリスだと『スクリーマデリカ』とか『ラヴレス』が出た時なんだけど、かたやアシッド・ハウスに、かたやグランジに向かっていって、分断してしまった――それを自分たちがひとつにしたい、そんなデカい大志ないじゃないですか?
長野「そうですよね」
●じゃあ、もしそれくらいのデカい大志がノーウェアマンにもあるとしたら、教えてください。
長野「フフフッ(笑)。やっぱり、今現在そこまでポピュラリティがないものを、一種の趣味というか、自分たちの小さい世界に着地させるんじゃなくて、ひとつのポップスの新しい形になるところまで持ち上げたい――というのが、今のところ、自分たち的には一番大きい目標というか、大志ですね」
●今の長野くんの発言を、俺が一番乱暴な言葉で翻訳すると、「誰もやっていなかった2010年代の新しいポップスをノーウェアマンが日本で最初に作る」っていうことだね?
高藤「ハハハハッ!(笑)でも、そうだね」
長野「しかも、それをちゃんと広げていきたい。それがミニマムな世界観に完結することに美学はまったく感じていないので。もっとそれが普通になるように、バンドの意識自体も上げていきたい、っていうか。それこそ、ヒット・チャートにもアプローチできるくらいのバンドになりたいという意識を持ってます」
photo by Mitch Ikeda
「日本発、ゼロ年代NYの意志を継ぐ者、
NOWEARMANを作った10枚のレコード Part.1」
はこちら。