ポップスの正統性こそが『ノスタルジア』では問われている。もちろん正統性なんていうものは、カギカッコで括られるべきものだし、もっといえば解体されてしかるべきものだ。音楽に限らず、正統性=本当の歴史なんてものを大真面目に語るとバカを見るし、自身が本当の歴史を知っていると確信した者は、自然と排他的でクローズドな空間に閉じこもるようになり、だれにも届かない言葉をつぶやき続けることになる。だから表現者たちは、複数の歴史を念頭に置きながら創作を続ける。岡田拓郎はそれら全てを承知のうえで、本作においてポップスの正統性と真正面から向き合っている。
彼のこういったアティテュードは、森は生きているの頃からそうだった。日本語ポップスの基準をはっぴいえんどに設定しながら、そこにジム・オルーク以降のポスト・アメリカーナ的サウンドや、グリズリー・ベアをはじめとしたゼロ年代以降のUSインディを軸にし、さらにジャズ、ブルーズ、ワールド・ミュージック……といった豊富な音楽的ボキャブラリーを肉付けすることで、類いまれなる日本語ポップスの地平を切り開いた。実験性と大衆性の同居。それこそが岡田拓郎の夢だった。
そして本作はその夢の実現への大きな一歩だ。様々な音楽家とのコラボレーションをすることで、森は生きているの頃にはできなかったヴァリエーションを本作は獲得している。ベースとなるサウンドは、バンド時代から一貫しているものの、電子音響やニューウェイヴ、チルウェイヴ的な要素がさらに付け加えられている。バンド時代と違うところはまだある。ラスト・アルバム『グッド・ナイト』には17分にも及ぶ組曲があったが、本作は尺については2~3分の楽曲が多く存在しており、もっとも長い曲でも6分ほどだ。これまでに比べ、時間の設定がフレンドリーになっている。だが思い出そう、フィル・スペクターやビーチ・ボーイズがほんの2~3分に込めたポップネスと実験性を。岡田拓郎はまちがいなく、最新の音楽的ボキャブラリーを駆使しながら、その系譜に連なろうとしている。それこそが本作で追求されている、正統性だ。
このインタヴューでは、岡田拓郎がその正統性をどのようにして再構築させようとしているのかをさまざまな角度から聞いてみた。そこではもちろん、森は生きているの解散理由から、本作のサウンド・デザインのプロセスやインスピレーション源、アルバムに参加した音楽家やエンジニアたちの話にもなるだろう。岡田拓郎が饒舌に語る内容からは、本作がいかにコンセプチュアルに組み立てられているかがわかるし、同時に、前述したようなポップスの夢を実現させるために制作過程で大きな苦労を伴っていることも実感できるだろう。そして何より『ノスタルジア』は、岡田拓郎のソロ・デビュー作であると同時に、ジャンルを越えたコラボレーションの産物であることも我々は理解することになる。
冒頭の話に戻ろう。世界からは正統性なんていうものは消え失せてしまい、複数の歴史がフラットに並べられているだけなのかもしれない。だが、この『ノスタルジア』を聴いてる間だけは、岡田拓郎が示す「ポップスの正統性」に心地よく騙されていよう。
●『ノスタルジア』には、森は生きている(以下、森)を解散させてから、すぐに取り掛かったんですか?
「バンドをやめた後、どういう形で活動していくかを悩んでたんですよ。初めはインストでやろうかな、と思ってたところもあったし、そこで並行して歌ものやポップスをやるならバンドにしようかなというのはあって。今回のアルバムでも、バンド用に書き溜めてた曲を使ったりもしてます。『バンドも解散したし、『HOSONO HOUSE』でも作ろうかな』っていう感じで制作に取り掛かったわけではなく、試行錯誤しているうちにこうなったという感じですね」
●途中からアルバムの制作がスムーズにいかなくなったという話を聞きましたが。実際のところ、どうだったのでしょうか。
「最初はバンドでやろうと思ってたんです。森の解散ツアー中は、もう次のバンドのことしか考えてなくて、そのバンド用に作ってた曲をそのライヴでやったりだとか。森の中ではブレインが僕と増村(和彦)で、曲や詩を書いてやってきてて、(二人が)言ったことを他のメンバーにやってもらうみたいな感じだったんですけど。『グッド・ナイト』を作った後に、僕も増村も、『正直やることもうないな、表現したいことも言いたいことも別にもう、一旦なくなっちゃった』という期間がアルバム出た後にずっとあって。そこからの次の一歩がなかなか厳しくて。自分たちだけじゃ見つからないし、他のメンバーが自発的に曲や詩を書いてくれるわけではなかったから、そういう作っていた側と作ってない側で意識の差がすごく開いてしまったのが、最後のほうで上手くいかなかったところだなと思っていて。次は全員が対等な関係のバンドがやりたいという気持ちがあって、全員が曲をかける人で、全員がプロデュース能力のようなものがあるバンドにしたかったんですけど、そういう人たちは例外なく忙しいという問題があって(笑)」
●確かにそうですよね(笑)。
「で、わりと僕だけ暇な中で、自分だけ曲を作っていったんです。詩も一人でまとまった量を書くのは初めてだったんですけど、そういうのをやっていくうちに、今、自分がやりたい音楽は、バンドとしてやるにはパーソナルすぎるなと思って。そうやってバンドという形ではなく、ソロでアルバムを作ろうと思うようになったところが、『まいったなぁ』というところでした」
●その時、岡田さんの頭の中には、アルバムのコンセプトができあがっていたのでしょうか? もしあったならそれを教えてください。
「完璧に整ったすごくいい曲を作りたいというよりは、プロセスがある音楽が好きだし、自分もそういう音楽でありたい。表現をするという行為自体を、内省的な、パーソナルな部分をつめた作品にしたい、でもそれは箱庭的な閉じられたものじゃない、というようなものを作りたかった。それはバンドとして表現するのは難しいし、メンバーと共有する必要もないことだなと思って、それで一人でやっていくことになりましたね。だから、雲を掴むようなコンセプトなんですけど、その雲を掴むこと自体をコンセプトにしたかったという感じですね」
●その「雲を掴むような」っていうのは今作について考える際に、けっこう重要な気がして。今回、ほとんどの楽曲の歌詞は岡田さんの手によるものですが、まさに雲を掴むような、オブスキュアな詞になってますよね。
「だから歌詞とかも……本当に僕はJポップが嫌いだったし、そういう日本の、はっぴいえんどフォロワーと言われてる人の音楽も好きではなかった。日本語の難しいところで、例えば洋楽の歌詞を日本語にそのまま置き換えると説明的、情念的になりすぎるし、押しつけがましさが出てくる。日本語ロックは、歌詞の内容はもちろん自由でも良いけど、日本語をある程度はコントロールして抑制させないとなかなか渋い、厳しいものが多く感じます。ラヴ・ソングは恥ずかしくて歌えないし、本当に大事なことをわざわざ不特定多数に共有させるよりも2人だけの秘密にした方が奥ゆかしい(笑)。そういった情念的な感覚を表現するのであれば、別の何かに置き換えるような感覚のほうが良いと、個人的には思います。それがはっぴいえんど以降のバンドが間違って解釈してきた部分ですよね。はっぴいえんどの日本語詞は、情念的な日本語の歌謡曲に対するアプローチだったはずなんです。はっぴいえんどみたいな音楽をやりたいんじゃなくて、彼らの当時のプロセスを自分だったら今この時代にどうやるかみたいなところが、森をやっていた時から大事にしていた部分だし、今回一人になってから、その部分をもっと密にやりたいなと思って、歌詞はこういう形になっていきました」
●本作の歌詞に取り掛かる際、なにかインスピレーションになったものってあります?
「音楽の歌詞からはたぶん一切影響を受けてないかな。それこそ、はっぴいえんどからは影響を受けてるけど、やっぱり増村からの影響が一番大きいと思います。基本的に日本語の音楽ってそんなに聴かないし。日本のシンガー・ソングライターで、もっと個人的なことを歌っていたりして好きな人もたくさんいますが……英語を言葉にして音楽に乗せるのと、日本語を乗せるというのはかなり次元の違う話になって。英語の感覚で日本語を乗せるのもヤバいと思うし、逆に意味がなくても言葉だけが乗るというのも良しとしたくない。その中で、増村やはっぴいえんどと違うものを書かなきゃいけないっていうところがまずありました」
●岡田さんって、日本語詩を色々読んでますよね。そのあたりからのインスピレーションもあるのかなと。
「1950年代後半から60年代前半あたりの日本語詩が好きです。詩の知識はあまりないから歴史的な文脈は分かりませんが、この時代は極端に字数が少ない、余白の多い詩が多い印象です。詩人って音楽や映画みたいなジャンルの人たちより、自分の創作のプロセスを説明しないじゃないですか。でも西脇順三郎、金子光晴が監修した『詩の本』っていう、北園克衛や田村隆一とか黒田喜夫をはじめとしたいろんな詩人たちが、詩のプロセスを書いている本があるんですよ。みんな前置きが、「作品は世に放たれた時点で、作者を離れ、作者のものではないから、作品を作ることの説明なんて意味がない」ってところから始まるのですが、みんな煙に巻くところは巻きながらも、案外丁寧に解説をしてくれていて(笑)。この本はとても参考になりました。僕は生きながら詩人みたいなタイプではないから、こういうところから方法論みたいなものを見つけ出していって、とにかく書いていったという感じですね」
●先ほど、「はっぴいえんどみたいな音楽をやりたいんじゃなくて、彼らの当時のプロセスを自分だったら今この時代にどうやるか?」というお話がありましたけども、岡田さんがその「プロセス」という言葉をどういう感じで捉えているのか、もう少しクリアに教えてもらえますか?
「難しいですけど、ある音楽のイメージが作り手に湧き上がって、それが完成したのがレコードやCDになる。その間には、音楽の具体的な制作方法や、精神の動きみたいな作り手しか知らないブラックボックスがあって。手順と一言でも言えますが、そこにある、『どういう方法でやるか』『どうして、なぜこうしようとしたか』という問いがプロセスなんじゃないですかね」
●ぼくはざっくり言えば、『グッド・ナイト』は「リスナーが、サウンドが作られていくプロセスを考えながら聴くことをレコメンドする音楽」だと思ったんですよ。でも『ノスタルジア』は、いい意味でリスナーがプロセスについて考えなくてもすっきりと聴けるようなアルバムになってますよね。あまり考えて聴かなくてもすごく楽しく聴けるよ、という。
「そこは意識しましたね。16分の曲は絶対にやらないという(笑)。尺の問題はかなり意識しました」
●どうしてそこを意識するようになったんでしょうか。
「表面上は理由は無いって言っておきたいんですけど、理由はあって。今という時代は、タナソーさんが言うようにアルバムの時代では無く、配信シングル、なんならYouTubeのMV一本の時代。もっと細かい単位になって、イントロやサビの数秒にどれだけアディクトさせるかが重要な時代です。だけどぼくは、60~70年代の、10曲くらい入った一つの詩集や写真集のようなアルバムが好きなんです。そういう感覚が、同世代の中ではオミットされているように感じます。『グッド・ナイト』に収録されている“煙夜の夢”をああいう長さにしたのは、最初から最後まで聴かないと、そもそもどういった曲なのか分からないようにしたかったからでした」
●あの曲にはそんな想いが込められてたんですね。
「でもそれはさすがにやりすぎたなって思って。そこから2~3分のシングルのいい曲が集まったようなアルバムを作りたいなと思うようになったんですよね。森の最後のほうに、中期のバーズにハマってて。あれはシングル・サイズの楽曲の集まりでありながらコンセプチュアルにできているし、そういうのをやってみようと。今回は、2分台に収まるようにマスタリングを無理やり縮めてくれとか、そういうことを言ったりしたんです。2分台の曲は3曲入ってるんです。そういうことを今までやってなかったから、今回そこはやりたかった部分ではありましたね」
●今、マスタリングの話がでましたけど、マスタリング・エンジニアがグレッグ・カルビじゃないですか。彼に頼んだきっかけはやっぱり、グリズリー・ベア『ヴェッカーティメスト』ですか?
「彼を知ったのはグリズリー・ベアとの仕事ですね。今回、ダイナミクスのレンジが、ギター一本のところがあれば、90トラックくらいある部分もあって、それをマスタリングするのは大変だなと。今回二年間くらいこもって、ずっと一人で作ってたから、最後ミックス終わって完全に体力が切れちゃって。マスタリングは何も考えたくないというのがあったんですよ。どうしようか、誰とやろうかという話になったときに、試しにグレッグ・カルビって言ってみたら通っちゃったという」
●それ凄い話ですね(笑)。グレッグ・カルビにやってもらえるんだったら言うことないですよね。
「グレッグ・カルビが調整して音圧が出ないのであれば、自分のミックスがダメな部分が整理できるなと思って。だから今回、そこまで音圧高くないんですよね。もうちょっと上げられるけど、これ以上、上げるとひずみがピリピリしちゃうなというところがあって。たぶん英語だったら気にせずヴォーカルの音をもっとでかくできて、キックだったり、中低域なんかももっと整理できたら、まだ音圧を上げられたんですけど。低音をかなり効かせたヴァージョンのミックスも試したのですが、あまりしっくりこなかったのと、安易に低音にオルタナティヴを見出したくなかった(笑)。今回の落としどころとしては、わりと『ユリイカ』くらいなジム・オルークの音圧感というか、低音の感じのところにまた戻して、最後トラックダウンしました」
●グレッグ・カルビにも尺を短くしたいという旨の話はしたんですか?
「トラックダウンの時に全部尺は決めちゃったので、葛西(敏彦)さんと一緒に、『ここ、もうちょっと縮められないんですかね。2分59秒にならないですかね』という話をしながら。曲尺は葛西さんと僕との作業で。この作業を二人でやるのが好きなんですけど。ここだっていう、指をパッチンする部分が二人同時にあったところで区切りをつけるような感覚でやってて。で、そのまま切るとこは指定して、カルビにやってもらった感じでしたね」
●葛西さんは、今作の制作過程における最重要人物の一人だったようで。
「葛西さんはだいぶ最重要人物ですね。ミックス・エンジニアであり、録音エンジニアであり、ぼくのメンタル・ケアをしてくれる人でもあるみたいな(笑)。録音自体は去年の8月くらいに始めてて、石若(駿)くんのベーシックを録ったのが8月24日~26、27日あたりの3日間だったんですけど。曲自体も10曲ちょい、予備用で12曲くらい用意してて。それも全部こなして、10月くらいに一旦できてたんですけど。去年の今頃か。ただ、一回出来たけど、ここで曲があんまり良くないという問題が出てきて。ちょうどこのタイミングにボン・イヴェール『22, ア・ミリオン』やダーティ・プロジェクターズの新曲が出たところで。それがあまりにも良いので、すごく迷っちゃったんですよ。ちょっとこのままじゃ出せないなと」
●本当に、ボン・イヴェール『22, ア・ミリオン』とダーティ・プロジェクターズ『ダーティ・プロジェクターズ』は音楽家を殺しにきてましたよね(笑)
「同業者を殺しにきてますよね、あれは。『マジかー』と思って。ヤバい、バンド・サウンドをもっと解体すべきだ! っていうので一旦迷って。で、さらにそれまでオーヴァー・ダブは自宅で作業してたんですけど、マンションがちょうど改装工事になって録音が全然できない期間になって。それで急いで引っ越したら、その引越しもいろいろ失敗して……。それで一回心が折れて、『もうやめた』って言ってたんですけど、まあ、さすがにここまで製作費を使いながら出さないなんて、そんなマイブラみたいなことはできないなと(笑)。一旦誰かを挟まないと、もう僕の体力じゃできないからということで、葛西さんの登場って感じなんですけど」
●葛西さんってD.A.Nやトクマルシューゴ、蓮沼執太、never young beach……等々と仕事をしている、いまや完全に日本のトップ・エンジニアの一人じゃないですか。彼はエンジニアとしてどういうところが優れていると感じますか?
「葛西さんは、もちろんシャープかつ現代的な土臭さも兼ね備えた葛西カラーがありますが、エレクトロからアコースティック、いろんなジャンルをまたげるカメレオン・タイプの人でもあって、コミニュケーションを取りながらどちらにも誘導してもらえるのが心強いです。それと、僕も録音の機材とか作業を見るのは好きだから録音中いろいろ聞くと、葛西さんは『ここに置くと~』みたいな感じで説明してくれるんですけど、彼はキックの取り方が毎回違うとか、毎回新しいアプローチを1個、2個は必ず用意してきてくるんですよ。『前にああいうのやってて面白かったんだよねー』とか言いながら、キックに新しいサブ・ウーファー立てたりとか。そういう新しいことを持ってきてくれるのが面白くって。付き合いが長いのもあるんですけど、ミュージシャンと話してるような感覚があって。結構エンジニアとミュージシャンとの間で感覚が違うような部分が、人によってはあるとは思うんですけど。その中でもミュージシャンに近い感覚でやってくれる人だっていうのは、森をやってる時から思ってて。だから、すごくやりやすいですね」
●今作はサウンド全体を通して、一つひとつの楽器の音色が本当に良くて。“イクタス”のドラムなんて最高ですよね。
「これはプリ・アンプに通して歪ませました。ついでにプレイのことを言うと、このドラムは増村が叩いたんですけど、増村が叩いたやつを全部分解して貼り付けなおしました。たぶん普通に聴いててもわからないとは思うし、誰も気にしてないところなんですけど、かなりスクエアな感じにしたくて。それで全部サンプルに書き出して、貼り付けたんですよね。逆打ち込みみたいな感じで、実際に叩いたやつをもとに打ち込んでいくみたいな感じで。これは森の時にはやらなかったアプローチですね。森じゃない時にできるアプローチがニューウェイヴとポストパンクだったから。森は誰も80年代の音楽聴かなかったなって。わりとそういう〈4AD〉だったり、あと初期の〈チェリー・レッド〉とかすごく好きだったので、“イクタス”や“ノスタルジア”ではそれをやってみました」
●ドラムの話が出ましたけど、石若さんと増村さんがいらっしゃるじゃないですか。ソロだからこそ、ドラムの使い分けというか、頼み分けができるわけですよね。楽曲に何かしらのビジョンがあってそれに当てはまるものとしてドラマーを分けたんですか?
「これは、完全にスケジュールですね。前半作業と後半作業で分かれていて、前半作業が石若くん、後半作業が増村です。だから石若くんの録音は僕と吉田ヨウヘイでやってて、後半の増村のドラムは葛西さんが録ってます。あ、でも“ブレイド”のドラムは石若くんじゃなきゃ叩けないですよね」
●ぼくはこのアルバムで一番好きなのは“ブレイド”なんですが、これはどういうコンセプトで作曲したんですか?
「森は生きているのはじめにやりたかったことっていうのが、ちょうどその時期にブラッド・メルドーの『ラルゴ』とか、『ハイウェイ・ライダー』を聴き込んでて」
「『ハイウェイ・ライダー』がリアルタイムで、『ラルゴ』は後追いで、みたいな感じなんですけど。その時にそういうフォーキーなフォーマットのジャズで、しかも新しい鳴りがあるっていうのが結構刺激的だったんです。はっぴいえんどのあの日本語の表現の仕方で、演奏がコンテンポラリーなフォークをやりたいなと思うようになったんですよね。もともと高校生のころはジャズ・キッズだったので。その頃聴いた中で特に好きだったのが、ジャズ・ミュージシャンがフォークと交わってるもので。ボブ・ディランの曲をキース・ジャレットがやったりするじゃないですか。ゲイリー・バートンの67、68年あたりだったり、ジャズ・ドラマーがサラッとエイト・ビートを叩いたあの感じがすごく好きで」
●あ、なるほど。そういうところと繋がってくるんですね。
「そういう要素を含みながら、エレクトリック・ディランのいい時みたいな曲を日本語でやってみたいっていうのがあって。あと、この曲はコード感が結構変で鍵盤にしづらいんですけど、ギターにするとすごく簡単で。解放弦を使ったアコースティック・ギターの響きっていうのが僕はすごく好きな要素なんです。アコースティック・ギターじゃなきゃ作れない曲で、アコースティック・ギターの解放弦と、ブラスの音の中で、簡単なコードなのに解放弦の独特な倍音が入ることによってすごく複雑に聴こえる、そういう音楽を作りたくて。そこのヒントはロビー・バショウだったり、バード・ヤンシュだったりしましたね。彼らの感覚と、メルドーやブライアン・ブレイドあたりの現代のジャズの雰囲気をポップスに落とし込みたいというのが、この曲でやろうとしていたことでした」
●やっぱり岡田さんの音楽で、音響というのは重要なファクターじゃないですか。だから岡田さんが、倍音の広がりを楽しめる解放弦が好きというのはすごくしっくりくる話だなと思いましたね。そういう嗜好のルーツはどのへんなんですか?
「秋山徹次さんとかですね。あと杉本拓さんの『Opposite』は、ギターの響きに耳が無意識に引っ張られる大好きな一枚です。あとラドゥ・マルファッティと録音した『Futatsu』。いわゆる音響即興と当時呼ばれていたような音楽についてしゃべるのは、各所から矢が飛んできそうで怖いですが(笑)、当時、予備知識もなくこういった音楽を聴いた時に、なんならCDを再生しているのに音が鳴ってない時間の方が長いこともある中、気がついたら音が鳴ってから消えていく瞬間までを執拗に追いかけていて、それがすごく面白かった。エフェクター的な音響の概念ももちろんありますが、もっとシンプルに時間、空間、空気が生み出す音響にもすごく興味がありました」
●即興的な雰囲気もあるようでいて、緻密な作曲がされている印象の“ブレイド”を聴いてて、岡田さんの中の、即興と作曲のバランスが気になったんですけど、そのへんはいかがでしょうか。
「曲を書く時は、わりと即興的に、テープを回したまんまひたすらギターを弾き続けて、あとで聴いて面白いパターンとかを頭の中にインプットして組み立てていく、みたいな作業をしていくんですよ。偶発的に手癖じゃないところで出てきたもの――もし面白ければ別に手癖でもいいと思うんですけど、そういうものをコレクトして組み立てていくような感じでどの曲も書いています。だから、曲を書く時にまず描くスケッチみたいなものは即興でやって、そこからの周りの固め方は完全に一人でやります。森の時からそうでしたけど、自分一人のデモ・バージョンというのがあるんです。全部一人で、今回はドラムとかもきっちり打ち込んでたんですけど。で、今回お願いしたプレイヤーのフィルターを通した時にうまくいかなかったり、違う要素が出てきたりする。それを大切にしたいという。即興的に作った曲を、アレンジを固めてやっていって、さらに偶発的にできた部分はそのまま放っておくような感じで出来上がってますね」
●簡潔にまとめると、自分の中のものを即興的にアウトプットして、その次にそれを作曲として練り上げて、最後に他人のフィルターが入ってくるということでよろしいでしょうか。
「そうですね。あと、西田(修大)のギター・ソロは、ある意味ギター・ソロを入れたいがために作ったくらい、ギター・ソロをガチガチに固めていて。これはあたかもカート・ローゼンヴィンケルとかがサラッと弾いてるようでありながら、作ってもらって何度も弾かせて。『いや、これ全然カートじゃないよ』とかって言いながら、『ジョニー・グリーンウッドくらいだわー』とか言いながら続けて、一ヶ月くらいかかってようやくできたのが、このソロなんです。だからデータでやりとりして、これは最後は、僕の家でアンプに通して録ったんですけど。即興のようでありながら完全にアレンジされた100%のギター・ソロです」
●今作は、“グリーン・リバー・ブルース”や“遠い街角”みたいな、岡田さんが他の方と作曲しているものもありますよね。まず、“グリーン・リバー・ブルース”について聞きたいのですが、これは谷口雄さんとどうやって作っていったんですか?
「これ、もともと“ブレイド”とトラックが繋がってたんですよ。そのまんまのセッティングで録っていって、ここで“ブレイド”が終わるより、ちょっと伸ばしたら面白そう、とその場で録りながらひらめいて。で、その場でピアノの録音をしながらパッと思いついたアイデアがあって、僕が和音の感じを谷口に鼻歌で歌って、彼が『わかった』って言ってポーンって弾いてくれるんですよ。僕が言った和音を二つ、一定の間隔を置きながら、ひたすら繰り返して、っていうトラックを一個作って。で、その上にまた別のピアノがさらに乗っかっていくという感じなんです。初めは試しながら即興的にやっていって、その中に面白い瞬間があったら、『今のところ繰り返して~』みたいな感じで。『この部分のこういうダイナミクスのときに、これをこういう具合で、この和音感で~』というのを指定しながら作っていく。そうやって作った曲でしたね」
●なるほど。ここにカセット・レーベル〈duennlabel〉の主宰であり、電子音楽家のduennさんがフィーチャーされているのが良い味出してますよね。
「duennさんの音、iPhoneで聴くと聴こえないですよね(笑)。ポスト・プロダクションで電子音を入れていく作業は、自分でコントロールしていくらでもイメージの音を入れ込めることが出来ると思うのですが、ここもやはり半分は自分にとって未知の、コントロール出来ない要素でありたくて、『あ、duennさんがいるな』と思って連絡しました。duennさんに、『可聴域より低い音のサンプルもらっていいですか』って言って、ちょっと自分のほうでも編集して落とし込みました」
●duennさんの担当箇所が、可聴範囲のギリギリを攻めるサウンド・アートにおける究極のミニマリズム、ロウアーケース・サウンド的だったので笑っちゃいました。
「そうですね(笑)。だからduennさんもどこに入っているかわからないみたいな感じで」
●いや僕も最初にパッと聴き流した時、どこなのかよくわかんなくて。もう一度集中して聴きなおしたら、あれ!? duennさんいた! みたいな(笑)。ここにいたんですね! みたいな。
「なりますよね(笑)。僕、そういうクレジットの中で『この人は何やってんだろう、エレクトロニクスって書いてあるけど……』っていうのを見つけるのがすごく好きで。というのを今回やってみました」
●なるほど。“遠い街角”は作曲が優河さんと一緒ですけど、これはどうやって作曲していったんでしょうか。
「これはもう完全に森方式で、僕はコード感だったり、曲の構成を始めにデモで作っちゃった上に、歌う人がメロディをつけて、最後に増村が歌詞を書くみたいな内容だったんですけど。アルバム制作の最後の方に葛西さんと作業してる時、5曲くらいボツにしてて。そしたら、曲がなくなっちゃったよ、ってなったんですよ。ちょうどそのタイミングにディスクユニオンに気分転換に行ったら、優河ちゃんに会って。『あっ、優河ちゃん。ちょっと来週、暇?』とか言ってお誘いして。で、曲のファイル聞かせて。向こうの家でメロディを鼻歌で作ってきてくれて、そのファイルを増村に投げて、あの詩がポーンとできたので。2~3日の作業で終わったんですよね、この曲は」
●今作も森の時と同様に、リズム・パターンがヴァリエーションに富んでますよね。“硝子瓶のアイロニー”のハチロクのリズムは、トラディショナルなフィーリングを感じさせつつ音響的にも踏み込んでいて、素敵でした。
「ドラムのパターンでいえば、全部普通のエイト・ビートにはしたくなくて意図的に崩していきました。これは吉田さんとドラム・パターンのやりとりをしていた時に来たやつで、『これ、すごい面白いから使わせてよー』って言って、『いいよー』みたいな。それで使わせてもらったんです」
●“硝子瓶のアイロニー”もそうですが、今回はミニ・モーグをはじめとした、シンセを多めに使ってるじゃないですか。エレクトロニクスの要素も大きいですよね。
「シンセは今回増えましたね。MS-10やPoly-800とかも使ってるし」
●森の頃は、シンセはどんな使い方してましたっけ。今作みたいな感じじゃなかったですよね。
「森の時は、シンセはモジュラー・シンセだけでしたね。グリッチっぽい音やサイン波を散りばめたりだとか。鍵盤の音というよりは、バグ要素として使ってることが多かったんですけど。今回はニューウェイヴ、ポストパンクの雰囲気ありき、みたいな部分は自分の中であったので。80年代のアナログ・シンセをいくつか買ってみて、すぐ使えないから売って……みたいなことを繰り返して。ミニ・ムーグって書いてあるんですけど、これ、Tofubeatsも使ってるソフトなんですけどね(笑)」
●シンセの使い方については今回気になってて。ニューウェイヴ要素として持ってきたと言い切れるかわからないけど、そういう部分は間違いなくあるんですよね?
「そうですね。でも、逆にシンセみたいな音をクラリネットとバス・クラリネットを使って出したりも。“アモルフェ”とかは、逆にあの感じの楽曲感で、シンセもエレキも使わない、というように作った曲もあるし。シンセはそれでも結構使ったなぁ。新しい自分の要素として今回使ってみようというのが動機になったかなと」
●今話しててふと思い出したんですけど、グリズリー・ベアの新作『ペインテッド・ルインズ』があるじゃないですか。岡田さんがTwitterで、〈ピッチフォーク〉の点数(7.3)を当てたという伝説の(笑)『ペインテッド・ルインズ』も結構エレクトロニクスの要素が増えてませんでした? アコースティック楽器の使い方含めて、共通点が多いような気がします。
「あ、結構同じことをしてて。シンセはもちろん多く使ってるんですけど、サックスとバス・クラリネットの使い方がすごく上手いなと思っていて。アコースティック楽器をシンセみたいに聴かせるのと、シンセの実際の音を混ぜた音みたいなものの作り方がすごく面白いなと思っていて。これ、結構発想的にはアラバマ・シェイクスみたいな感覚で。実際の生楽器の音をアナログ機材のプロダクションで変調させるみたいな作業だったと思うんですよ、アラバマ・シェイクスのあのアルバムは(『サウンド&カラー』)。それをさらに過激にしていったのが、グリズリー・ベアの今回のやつだったなという印象がありますね」
●岡田さんは、わりと昔からグリズリー・ベアの影響が~とか言われ飽きていると思うんですけど、今回グリズリー・ベアの新作と並べて聴くと面白いアルバムなんじゃないかなと思うんですよね。あと、完全に話が脱線するんですけど、そして岡田さんは共感してくれる気がして、なんとなく尋ねたくなっただけなんですけど(笑)、ぼくはザ・ナショナルの新作『スリープ・ウェル・ビースト』が今年リリースされたUSインディの作品の中でもトップ・レベルの一枚だと思うんですけど、岡田さんどうでした?
「『スリープ・ウェル・ビースト』はいいアルバムでしたね。今年はUSインディの凄いバンドがみんな新作リリースしましたけど、家で一番聴くのはザ・ナショナルかなって感じですね」
●あ、ですか。それは嬉しいですね。メンバーのブライス・デスナーってインディ・クラシックだったり、相当トガったこともできるじゃないですか。ザ・ナショナルでもそういう要素って確かに生きているんだけど、変なエゴイズムがまったく見えてこないんですよね。でも、決して保守的なサウンドじゃなく、攻めるところは攻めてる。だから、そのバランス感覚も含めてすごく偉いなぁと思います。
「ぼくは、ザ・ナショナルは……わかんないですけど、インディ・クラシックの曲調と、ザ・ナショナルの曲調って結構似てると思ってて。ブライスが作ったインディ・クラシックの曲って、ジョニー・グリーンウッドほど濁りがない。三和音的な簡素さをクラシックに持ち込むことの新しさでやっているような雰囲気があって。コード進行もすごいシンプルだと思うんですよね。バロックとかシェーンベルクみたいな感覚ではなくって、インディ・ポップのような感覚のものをクラシックのアレンジに置き換えるみたいな作業をしてますよね。だから、そこのアウトプットの楽器の違いだったり、フォーマットの違いであって、もしかしたらピアノ・ソロでブライスの曲を弾いても、ザ・ナショナルの曲を弾いてもそんなに変わらないんじゃないかなと思ったりしますね。」
●まぁ、彼はそれこそ色んなスタイルの曲を作ってるので、一概には言えないところもありますが、岡田さんの言うことははぼくも同感で、やっぱり他のインディ・クラシックの作曲家たちと比べてもインディ・ロック的なサウンドと親和性がある部分が散見されるんですよね。ソー・パーカッションとのコラボレーションなんかからもそういうのは感じました。
「あと、八木さんもTwitterで言っていたけど、絶妙なスタジアム・ロック感ですよね」
●U2やコールドプレイみたいなスベり方をしないんですよ(笑)。
「それ、すげーわかります(笑)」
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王道のポップの意味が問われる2017年、
Okada Takuro本人との対話から解きほぐす
初ソロ『ノスタルジア』という答え:後編