移り気なカメレオンなんかじゃない!
常に時代に対する鋭利な批評たりえた
プライマル・スクリーム全歴史。前編
『スクリーマデリカ』で名実ともに英国を代表するロック・バンドとなったプライマル・スクリームは、「なんにもできなかった」ミュージシャンから(それが錯覚だったにせよ)一気に万能感に満ちたミュージシャンとなったボビー・ギレスピーを司令塔に意気揚々とアメリカ南部メンフィスへと向かった。
もっとも、彼らがメンフィスという現代の音楽シーンから隔絶した土地でアルバムをレコーディングすることになったのは、音楽的なルーツ探求や冒険のためだけでなく、ロンドンのパーティ・ライフからの脱出という意味合いも大きかった。先行する『ディキシー・ナルコ EP』(傑作!)の収録曲のレコーディングをメンフィスで終え、ロンドンで本作の制作をスタートさせた時、バンドは「レコーディング中に2人や3人、死人が出てもおかしくなかった」(ボビー・ギレスピー)というほど深刻なドラッグ問題を抱えていた。
朦朧としたままバンドは再びアメリカ南部へと向かった。スコットランドの国旗と同じ聖アンデレ十字をモチーフにしているとも言われている、赤と青のレベル・フラッグがはためく約束の地へ。
約50万ポンドという〈クリエイション〉史上最高の製作費(数年前、レーベルの屋台骨を揺るがすことになったマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラブレス』の約2倍)を浪費した本作は、バンドにとって最大のヒット曲“ロックス”を生み、国内のナショナル・チャートでも2位(あれだけ騒がれた『スクリーマデリカ』は8位止まりだった)を記録するなど、商業的には成功を収めることになるが、ファンや批評家の多くからは失望の声が上がった。なにしろ、メンバー自らも後悔の念を隠そうとしなかった。「アメリカ南部にまで行って、偉大なミュージシャンたちと共演したのに、結局俺たちが台無しにしてしまったのさ。俺たちはクオリティ・コントロール出来るような精神状態ではなかったんだ」(マーティン・ダフィー)。
確かにアルバム作品としてのまとまりは致命的に欠けている本作だが、「60年代末のローリング・ストーンズを真似てみせただけの復古主義的作品」という当時の代表的な批判に対しては、「もしかして、これ聴いてローリング・ストーンズしか思い浮かばないの?」と思わずにはいられなかった。
メイヨ・トンプソン、ジミー・ミラーに続くリヴィング・レジェンドの起用、トム・ダウドによる最初のサウンドは実際に悲惨なものだったようだ。ジョージ・クリントンとの共演も「憧れの実現」以上のものではなかった。しかし、ドラッグで潰れていたバンドのコントロールを離れて、ジョージ・ドラクリアスやブレンダン・リンチに任されたモダンなポスト・プロダクションは、本作をイビツながらも抗し難くチャーミングな作品にしている。
1994年から始まった「ブリットポップの時代」、もっと言うならレーベル・メイトでもあった「オアシスの時代」の到来によって、『スクリーマデリカ』で一瞬だけ時代のど真ん中に立ったプライマル・スクリームは、自ずとそのポジションの変化を迫られることとなった。
かつての栄光を引きずってベテラン・バンドとして余生を送るのか、あるいはポール・ウェラー(この人とボビー・ギレスピーには非常に似ているところがあってその対比は非常に興味深いのだが、それはまた別の話)のように「ブリットポップのゴッドファーザー」としての役割を担うのか。『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』以降の失意(それは作品のセールスや評価に対してではなく、不甲斐ない自分たちに向けられたものだった)の中で、プライマル・スクリームはそのいずれでもない、新たな光明を見出すことになる。
それは、『ギヴ・アウト・バッド・ドント・ギヴ・アップ』で掲げた架空の音楽的ルーツではなく、自分たち本来の出自であるパンク、ダブ、ニューウェイヴへの帰依であり、その向こう側の70年代初期クラウトロックやスペース・ロックへの探求だった。プライマル・スクリームの活路は、“ムーヴィン・オン・アップ”の先ではなく、“ハイヤー・ザン・ザ・サン”の先にあったのだ。
「俺が心から加入したいと思うバンドは世界に3つしかない。ジーザス&メリー・チェイン、ビースティー・ボーイズ、そしてプライマル・スクリームだ」。1996年の時点で当時のジーザス&メリー・チェインを評価しすぎだろうというのはさておき、その年の〈レディング〉でバンドが空中分解して以降、行き場を失っていたストーン・ローゼズのマニ(最後までイアン・ブラウンについていったのも彼だった)がそんなステイトメントとともにプライマル・スクリームにサプライズ加入。本作収録“イフ・ゼイ・ムーヴ、キル・エム”のリミックス(傑作!)仕事はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズの久々の生存確認にもなった(その後、ケヴィンもツアーに参加)。まるでプライマル・スクリームがUKロック・レジェンド互助会の様相を帯びてくるのもこの頃からである。
アルバムやリード・シングルのタイトルの由来にもなったアメリカン・ニュー・シネマへの傾倒など、ボビーのサブカル趣味は微笑ましくもあるが、オーガスタ・パブロ、グレン・マトロック(元セックス・ピストルズ)のゲスト参加、“モーターヘッド”(ホークウィンド)のカヴァー、さらにはエイドリアン・シャーウッドによるリミックス・アルバム(『エコー・デック』)の制作と、音楽的にはピタッと焦点が定まった本作は、ブリットポップに浮かれたシーンに打ち込んだ「アンチ・ポップ」としての鮮烈なカウンターとなった。
プライマル・スクリームの代表作は『スクリーマデリカ』で満場一致なわけだが、「最高傑作は?」と訊かれたら、迷うことなく本作だと言い切ってしまいたい。デビュー当時からずっと彼らを追いかけてきた立場としては、本作を最初に聴いた時にある種の達成感に浸ってしまって、ちょっと燃え尽きてしまったほどだ(ファンが燃え尽きてどうするって話だが)。
『ギヴ・アウト・バット・ドント・ギヴ・アップ』に途中参加、『バニシング・ポイント』から事実上チーフ・プロデューサーを務めるようになったブレンダン・リンチとバンドとの相性抜群のコラボレーションの集大成とも言える『XTRMNTR』だが、本作のキーパーソンを一人挙げるならば、冒頭の“キル・オール・ヒッピーズ”からこれでもかというほど重いベースをブリブリ鳴らしているマニだろう。
1996年末にプライマル・スクリームに加入したマニだったが、実は『バニシング・ポイント』のレコーディングで間に合ったのはリード・シングルの“コワルスキー”だけ。『XTRMNTR』はマニが最初からレコーディングに参加した初のアルバムだった。マニの貢献としては、まず『バニシング・ポイント』のツアーでライヴ・バンドとしてプライマル・スクリームを生まれ変わらせたことにあったが、ライヴ・バンドとしてそこで初めてバンドが得た自信は、本作全体を貫いている圧倒的な躍動感にもそのまま繋がっている。
もう一つ書き記しておくべきは、「シュート、スピード、キル、ライッ!」ってなわけで、本作がスピード(覚醒剤)によって思いっきりドーピングされた作品だということ。
リリース当時、インタヴューで「日本人はヒロポン打ってゼロセンでカミカゼ・アタックしたんだろ? クールだよな!」と嬉々として語っていたボビーの無邪気さには正直引いてしまったが(さすがに零戦をそのまま用いることはしなかったものの、ジャケットのアートワークもそのイメージである)、『スクリーマデリカ』がエクスタシー・アルバムであったように、その時期の服用ドラッグの種類によって音楽性が左右されるというのはプライマル・スクリームを語る上で避けて通れない事実だ。
音楽的には前作『バニシング・ポイント』で掘り当てたパンク、ニューウェイヴをリブートした最新型エクスペリメンタル・ロックの延長上にある本作だが、スピード・アルバムとしての必然から、前作からダブの要素がほぼ抜け落ちて、代わりにケミカル・ブラザーズとの邂逅“スワスティカ・アイズ”に象徴されるBPMの速い攻撃的なエレクトリック・サウンドが大々的に導入されている。
『スクリーマデリカ』で夢見た桃源郷とは真逆の、地獄に向かって一直線の破壊衝動としてのダンス・ロック。悪魔(覚醒剤)と踊るプライマル・スクリームがここにいた。
ブリットポップ・バブルが弾けて停滞していたゼロ年代初頭を、シーンから完全に隔絶した超絶ヤク中アルバム『EXTRMNTR』で見事にのりきったプライマル・スクリームだったが、気がついたら時代に追い抜かれてしまったのがこの時期だったように思う。まぁ、前作と今作の間にはレディオヘッドの『KID A』と『アムニージアック』があったわけですからね。にもかかわらず、前作で確かな手応えを得たプライマル・スクリームは、ここでキャリア上初めて「前作の続編」的な作品を作ってしまった。
いや、「前作の続編」というだけでない。冒頭の“ディープ・ヒット・オブ・モーニング・サン”から思いっきりヴェルヴェット・アンダーグラウンド、“アウトバーン66”は言うまでもなくクラフトワーク、“デトロイト”や“シティ”はストゥージズ、“サム・ベルベット・モーニング”は60年代アメリカン・ポップの巨匠リー・ヘイゼルウッドのカヴァーと、臆面もなくルーツ開陳アルバムでもあった本作は、プライマル・スクリームのファンにとっては愛すべきアルバムではあったが、シーンへの波及力をほとんど持つことがなかった。もともと来日公演の多いバンドではあったが、この頃から日本のフェスでやたらと「都合のいいバンド」扱いされるようになったのも、そのこととは無縁ではない。
これは後になって知ることだが、この年、ボビーとそのパートナー、ケイティ・イングランドの間には一人目の息子が生まれている(入籍したのはその4年後だが)。ガキも出来たし、いつまでもスピードをキメているわけにもいかないということだろうか。〈クリエイション〉の同期フェルトの懐かしの曲へのアンサー・ソングを今はメンバーのマーティン・ダフィーに歌わせ、ジム・リード(ジーザス&メリー・チェイン)もゲストに呼ぶなど、ちょっとヒューマンで感傷的なのも本作の特徴。当時は「え? 人間やめたんじゃなかったの?」とツッコミを入れずにはいられなかった。翌年に初のベスト・アルバム(『ダーティ・ヒッツ』)が出たのにも納得するしかない、ドラッグ、ドラッグ&ロックンロールの狂騒時代の終わり。しかし、それでもプライマル・スクリームの歴史は続くのであった。
「移り気なカメレオンなんかじゃない!
常に時代に対する鋭利な批評たりえた
プライマル・スクリーム全歴史。後編」
は近日公開!