SIGN OF THE DAY

田中宗一郎に訊く『OKコンピューター』と
その時代。90年代からレディオヘッドが
表現してきたもの、その独自性と謎:前編
by ATSUTAKE KANEKO August 25, 2017
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田中宗一郎に訊く『OKコンピューター』と<br />
その時代。90年代からレディオヘッドが<br />
表現してきたもの、その独自性と謎:前編

いまから20年前、イギリスの、いや、世界のポップ・ミュージックの歴史を更新する、一枚のレコードが発表された。言わずもがな、レディオヘッドの『OKコンピューター』である。ブリットポップの荒波の中にあって、どこにも居場所のない迷子のような状態だった5人が、「世界でもっとも重要なバンド」と呼ばれる端緒となった作品であり、ミレニアムへ向けて加速していく1997年という時代の空気を、決して表面的にではなく、これから起こるであろう予兆も含めて刻んだ、歴史的な傑作だ。先日にはその「完全版」とも言うべき2枚組『OKNOTOK』がリリースされたばかり。あれから20年のときを経て、世界は何が変わり、何が変わらなかったのか。それを語り合うには、最適のタイミングだと言えよう。

その語り手として、いまから20年前、『OKコンピューター』完成後のトム・ヨーク世界初インタヴューをカヴァー・ストーリーに据え、雑誌〈スヌーザー〉を創刊した、田中宗一郎ほどの適役はいないだろう。デビュー時から国内外でバンドを追い続け、メンバーとは私的な交流も続けてきた彼は、アルバム・リリース後のワールド・ツアーを追った映像作品『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』にも登場するなど、バンドの良き理解者である。そして、そんな彼に話を聞くのであれば、単に『OKコンピューター』の時代を振り返るのではなく、改めて彼らの足跡を振り返った上で、最新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』や、先のイスラエルでのライヴにまつわる騒動など、現在の話へと着地することがとても重要だった。田中が〈スヌーザー〉創刊号のあとがきに残した一節を紹介しておこう。

「過去にこだわることは馬鹿げているし、未来のことを口にするほどみっともないことはない。なぜなら、言うまでもないことだが、重要なのは今だからだ」




●まずは『OKコンピューター』の前史、レディオヘッドがシーンに登場したときの時代背景から話していただければと。

「彼らが本格的に活動を始めた90年代前半って、ちょうどアメリカとイギリスが文化的に分断し出した時期なんですよ。特にポップ音楽はそう。当時、イギリスを中心とした欧州で何よりもデカかったのはアシッド・ハウスだよね。それがストーン・ローセズやプライマル・スクリームの『スクリーマデリカ』に繋がっていく。アメリカだとニルヴァーナの『ネヴァーマインド』とドクター・ドレの『クロニクル』の存在が大きくて」

●それに対して、その後イギリスはブリットポップに移っていくわけですね。

「ざっくりと言うと1994年から1996年くらいがブリットポップーーつまり、スパイス・ガールズがすべての頂点にいた時代。その後、アメリカではグランジ・ブームに乗ったメジャー・レーベルの青田買いが進んでシアトルが根絶やしにされていくんだけど、ニルヴァーナのフックアップもあって、〈キル・ロック・スターズ〉とか〈K〉、〈アップ〉みたいなローカルのパンク・レーベル同士のネットワークに拡がっていって、アメリカ全体規模のインディ・シーンが生まれることになった。それがゼロ年代以降のUSインディ全盛期を準備することになる。でも、イギリスの場合、労働党が政権を奪取したり、第二次大戦以来の好景気だったこともあって、ダミアン・ハーストとかダニー・ボイルとかも含め、オール・ジャンルのユース・カルチャーをイギリス政府が押し上げることで、国のブランドを作ろうとしてた」

●「クール・ブリタニア」と呼ばれた時期ですね。

「そう。だから、グランジが企業に利用されたムーヴメントだとしたら、ブリットポップというのは政府に利用されたムーヴメントでもあったってこと。大きな時代背景としてはそれが大前提。で、レディオヘッドのデビューが92年。彼らがどこから出てきたのかは諸説あるんだけど、本人の言葉を借りると、『自分たちはテムズ・ヴァレーの尻尾だった』っていうことになる。今だとシューゲイザーって言葉に言い換えられちゃってるけど、当時のライド、チャプターハウス、スロウダイヴみたいなオックスフォード郊外の中産階級の出身で、大学も出てて、『特に歌うこともありません』っていうスタンスのバンドの総称がテムズ・ヴァレーだった。で、彼らはその最後の世代だった」

●レディオヘッドはオックスフォードの出身ですもんね。

「ただ、イギリスってワーキング・クラスから出てきた音楽は評価もされるし、きちんと売れるんだけど、中産階級出身のバンドって、まずそれだけで馬鹿にされる土壌があるじゃないですか。初期のレディヘッドもとにかく馬鹿にされてた。『中産階級のお坊ちゃんがロック・スターを気取って髪を伸ばして、“エニワン・キャン・プレイ・ギター”とか言ってるんじゃねーよ』って具合で」

Radiohead / Anyone Can Play Guitar (1993)

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「一方で、シューゲイザーって、『ノイズというコクーンの中で、安堵の気持ちを感じたいんです』っていう恵まれた人なりのステートメントだったわけだけど、レディオヘッドというのは彼らと同じような背景から出てきたにも関わらず、そういったメンタリティにも違和感を感じてたバンドだったんですね。だからこそ、当初はどちらのファン・ベースからも受け入れられなかった」

●完全に板挟みの状態だったと。

「でも彼らの出自そのものはやっぱりオークスフォード郊外の中産階級的なメンタリティにあった。例えば、1stアルバムに収録されてる“ストップ・ウィスパリング”――『ぶつぶつ歌ってるんじゃなくて叫び出せ』なんていうのは、あからさまにシューゲイザーに対するアンチテーゼそのものでしょ。だから、ある種、自己批判から始まったようなところがある」

Radiohead / Stop Whispering (1993)

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●初期はアメリカのインディ・バンドとのシンクロもありましたよね。

「その通り。彼らが同時代の作家で唯一リンクできたのが、ボストンのカレッジ・シーンーーピクシーズ、スローイング・ミュージズ、ベリー辺りのバンドだった。それも理に適った話で。ボストンってアメリカの中で一番ヨーロッパ的な街で、ニューヨークほどの人種の坩堝でもなく、東海岸特有のリベラルさがありつつ、オックスフォードと同じく大学生の街でもある。実際、俺が初めて観たレディオヘッドのライヴって、ベリーの前座で彼らが全米をツアーしてた時のロス公演だったりするんだけど。で、彼らはレコード会社が用意したオプションの中からピクシーズとやったプロデューサー(ポール・コルデリー)を選んで1stアルバムを作る。ただブリットポップ前夜とグランジの狭間にあって、イギリス国内からは『アメリカに媚び売りやがって』っていう反発が起こるし、例えば、当時ベックにインタヴューした時に、彼が『あいつら、ニルヴァーナの“ネガティヴ・クリープ”をパクったんだよ』って言ってたり。まあ、そういうところから始まってるバンドなんですよ」

●イギリス国内の階級の間だけではなく、アメリカとイギリスの分断の間にもいたと。

「孤立無援だよね。なおかつ、“クリープ”がイスラエルやアメリカ、日本でも売れて、イギリスの連中からすると『海外で売れてる裏切り者』っていう反発も起こったり。ザ・フーやゼップの時代にしてもクラッシュやピストルズの時代にしても、あの国のファンダムにはそういうところが少なからずあるでしょ。そんなあらゆる逆風の中でリリースされたのが2ndアルバムの『ザ・ベンズ』なんだけど、あれってそんなに売れてないんですよ」

●イギリスでは好評価を獲得しましたよね?

「イギリスのチャートでは4位とか? でもブリットポップの渦中でもあったから爆発的には売れなかった。アメリカに関しては確か150位圏内に入るか入らなかったぐらいじゃなかったかな」

●1stアルバムより売れなかったんですか?

「リリースされてからの1、2年はそうだと思う。だから、アメリカでは完全に一発屋扱いされることになっちゃう。で、『OKコンピューター』がリリースされる少し前に、デーモン・アルバーンの『ブリットポップは終わった』っていう発言が物議を呼んで。実際、ブラーはすごくアメリカ音楽的なアルバム『ブラー』を作ることで、ブリットポップに落とし前をつける。でも、アメリカでは“ソング2”だけがヒットして、『♬フーフーの人』になっちゃう」

●言ってみれば、ゴリラズのスターティング・ポイントというか。

「ゴリラズはブリットポップに対する反省とそこからの巻き返しだからね。とにかく、そんな風に入り組んだ状況の中で、『OKコンピューター』が1997年の春にリリースされることになる。で、最初のシングル“パラノイド・アンドロイド”は6分半もあったでしょ」

Radiohead / Paranoid Android (1997)

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「それもあって、当初イギリスのプレスはとにかく『これはプロッグだ』ってことで片づけようとしたんだよね。英国内だと当初は同時期のスピリチュアライズドの3rdアルバムの方が評価が高かった。おそらくは日本のファンからしても面食らうような内容だったのかもしれない。ね、『OKコンピューター』を初めて聴いた時って、どうだった?」

●僕は当時高校生で、そのちょっと前に『ザ・ベンズ』を後追いで聴いて、『OKコンピューター』が初めてリアルタイムで聴くレディオヘッドの作品だったんですけど、衝撃を受けたし、すごいレコードだなっていうのは思いました。ただ、「最終的にメロディがいいのは『ザ・ベンズ』だな」っていう思いもしばらくは消えなかったですね。

Radiohead / Fake Plastic Trees (1994)

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「きっとそういう反応が一般的だよね。でも、『ザ・ベンズ』と『OKコンピューター』という二枚のアルバムは、良くも悪くもその後の英国インディ・シーンの一大潮流を作ってしまうことになる。99年にリリースされたミューズの1stアルバムにしろ、トラヴィスの2ndアルバムにしろ、それぞれレディオヘッドと同じジョン・レッキーやナイジェル・ゴドリッチをプロデューサーに迎えてることも含め、彼らのサウンドの雛形になったのは当時のレディオヘッドだったのは間違いない。同じ年のコールドプレイの1stアルバムもそうでしょ」

●ファルセットでメランコリックなメロディを歌い上げて、2000年前後にブレイクしたバンドの多くがレディオヘッドの影響下にありましたよね。

「そういった『ザ・ベンズ』以降の方向性というのは生前のジェフ・バックリーからの直接的な影響なんだけど、それが一気にフォーミュラ化されて、シーン全体に浸透していくことになった。ほら、〈フェイス〉っていう80年代から90年代にかけてのイギリスを代表するカルチャー雑誌があったでしょ。当時、〈フェイス〉がそういう潮流を揶揄するために『I HATE TRAVIS』って文字の入ったバッジを作ったことがあったのね。かなり辛辣でしょ。でも、それをトム・ヨークがこっそり鞄の内側につけてたりもしたんですよ。まあ、たわいのないブラック・ジョークでもあったんだろうけど、自分たちのコピーで溢れた状況というのは決して愉快なものではなかったんだと思う。だからこそ、『OKコンピューター』での彼らは、そういったすべてから自分たちを完全に切り離す必要性に駆られていた。そういう視点もある」

●へえ、そのバッジの話は初耳でした。

「ただ、そこでレディオヘッドが多くのバンドと違うのが、状況に対してのカウンターを対処療法的にやるんじゃなくて、そこからまったく新しいものを作るってところまでちゃんと辿り着いたこと。それが『OKコンピューター』だよね。ただ同時に、メンバー自身何をやっていいかわからなかったレコードだとも思うんですよ。『ザ・ベンズ』の時のマガジンやジェフ・バックリー、『キッドA』の時のオウテカやチャーリー・ミンガスみたいな明確なロールモデルはなかったはず」

●トリップホップ、アブストラクト・ヒップホップはどうでしょう?

「うん、強いて言えば、『ザ・ベンズ』時代からやろうとしてもなかなか上手くいかなかったDJシャドウやポーティスヘッド、ビョークの『ポスト』辺りからの影響だよね。『OKコンピューター』がリリースされた同じ年の夏にはポーティスヘッドが2ndアルバム『ポーティスヘッド』を出してて、確かそれを聴いたレディオヘッドの連中ってすっごい悔しがったんですよ、『本当はこれがやりたかったのにそうはならなかった!』って(笑)」

Portishead / Only You (1997)

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「ただプロダクションに関しては、そういったトリップホップ以降の方向性というのもあるにはあるんだけど、ソングライティングに関しては、12曲バラッバラでしょ?」

●『OKNOTOK』には未発表曲やBサイドも収録されているので、余計に多彩さがわかりますよね。

「いい意味でも悪い意味でもね。ただ、彼らは今までやったことは絶対にやらない、言わんやそれをコピーした連中と似通ったことは絶対やらないという制約を自らに課した。で、同時代の音楽から、R.E.M.やエルヴィス・コステロみたいな彼ら自身のヒーロー、ビートルズやビーチ・ボーイズ、エンニオ・モリコーネみたいな音楽にまで遡って、あらゆるサウンドを取り込もうっていう方向に向かった。ある時期、トム・ヨークが自分のことを『音楽的カササギ』って呼んでたんだけど。『イン・レインボウズ』の曲にもマグピー、かささぎって言葉が出てくる曲があるでしょ。要は、カササギっていろんなところから葉っぱや枝を集めてきて巣作りをする。つまり、まったく関係ないリファレンスをいくつも引っ張ってくることで、そこに何らかの新たな文脈を見出そうとするっていう発想ーーそれがレディオヘッドの基本的な方法論なんですよ。で、その結果、実にわけのわからないアルバムが出来たっていう(笑)」

●タナソウさんも、最初の印象は「わけがわからない」だった?

「最初にあの12曲を聴いた時は『まさにこれは大傑作だ!』とは思ったんだけど、同時に『でも実際のところ、これは何をやろうとしてるんだろう?』とも思ったんですね。『最高だけど、でも何?』っていう(笑)。ただリスナーとして何十年もポップ音楽を聴き続けてきた経験から学んだのは、『確かに最高なんだけど、でも全然わからない』っていうレコードこそが後年間違いなく時代に刻印を刻むことになるし、自分自身も10年以上、繰り返し聴き続けることになる作品だって確信だったりするんですよ。去年のフランク・オーシャンの『ブロンド』とかまさにそうでしょ。だからこそ、『OKコンピューター』というアルバムは、そういう確信をさらに深めてくれる作品でもあった気がします」

●逆に言うと、リリースから20年が経った今作品を改めて聴き直した時に、どんな発見がありましたか?

「例えば、随分経ってからようやく知ったんだけど、“クライミング・アップ・ザ・ウォール”のストリングス・アレンジって、ジョニー・グリーンウッドがペンデレツキからの影響で書いたんだって。ジョニー・グリーンウッドがポール・トーマス・アンダーソン映画のスコアを書くことが当たり前になった今になって聴くと、腑に落ちたりもするんだけど、当時はあの不協の響きがモダン・クラシカルの要素だっていう風にはまったく思い至らなかった」

Radiohead / Climbing Up The Wall (1997)

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●その後のジョニー・グリーンウッドのキャリアの萌芽がそこにあったと。

「でも当時はまったくわからなかった。同じように、例えば、『キッドA』や『アムニージアック』がリリースされた時って、世界中の誰もがオウテカやスクエアプッシャーみたいなIDMからの影響にばかり気を取られて、チャーリー・ミンガスからの影響って誰も指摘出来なかった」

●でも、当時のタナソウさんは気がついていた?

「いや、全然(笑)。『キッドA』の時は特に。『アムニージアック』のインタヴューの時にジャズからの影響についてトム・ヨークに根掘り葉掘り訊ねることでようやく腑に落ちたって感じ。『これ、ニューオリンズ・ジャズをやろうとしたの?』、『いや、全部、ミンガスから来てる』みたいな感じで。で、その直後、彼の自宅まで行ったら、オーディオ・セットの周りにミンガスのCDが何十枚も裸で散らばっててさ(笑)。それで改めていろんなものを聴き直すことでようやく輪郭が見えていくっていう。『OKコンピューター』もそういう意味では同じで、マイルス・デイヴィスやビョークを聴き直したり、DJシャドウとDJクラッシュを比較したり、そうやって10年、20年経って、いろんなことがわかってきた感じはする。だから、リリースされて5年、10年経って研究が進んだアルバムでもあるんだと思います」

●なるほど。では、それ以外に、今の耳で再評価すべき楽曲というとどうでしょう?

「う~ん、今の耳ってことでいうと、どうだろう。まず『OKコンピューター』って、レディオヘッドの全キャリアで言うと、もはや最高傑作ではないわけでしょ。今では『キッドA』があり、『イン・レインボウズ』があり、『アムニージアック』があり、いまだ誰もがその真価を見出しかねている『ア・ムーン・シェイプト・プール』がある。それでいうと、2017年にどうしても聴かなきゃいけないレコードでもなくて(笑)。それより今聴くべき新しいレコードが今年だけでも何十枚もあると思うし。ただ今、レディオヘッドを聴くなら、とにかく『ア・ムーン・シェイプト・プール』だと思う。いや、勿論、まだ『OKコンピューター』を聴いたことない若い人は絶対聴くべきだよ。今に繋がる過去を知ることで今のことが見えてくるから」

●そうですよね。

「90年代後半という時代を理解することが出来る。例えば、“エアバッグ”を聴けば、当時の彼らがどんな風に独自にヒップホップを更新しようとしたかっていう時代性が汲み取れる。“パラノイド・アンドロイド”を聴けば、90年代初頭にニルヴァーナが完成させた『ヴァース/コーラス/ヴァース』っていう構成じゃなくても、ポップ・ソングが書けるんだってことを、クイーンやビートルズにまでさかのぼってトライしたことがわかる」

●確かに、その時代ならではの取り組みですね。

「例えば、今、聴くと、“サブタレニアン・ホームシック・エイリアン”なんて、ありがちな3連のスムース・グルーヴとも言えるんだけど、ジャジーでもあって、アンビエント的とも言える。その後の彼らのサウンドのいろんな萌芽を発見することが出来るでしょ。“レット・ダウン”はシンプルだと思われがちだけど、リズムに対してギターのアルペジオがポリリズムになってて、後に『ザ・キング・オブ・リムス』で結実する発火点がここにあったんだというのがわかる。“カーマ・ポリス”は“ディア・プルーデンス”から始まったジョン・レノンが得意とするコード進行を彼らなりに消化したものだし、“ラッキー”は明らかにR.E.M.だよね。だから、ソングライティング的には本当にばらばら」

●それらすべてを、あくまでロック・バンドという形式でやろうとしたと。

「で、ここで一度はやり切るだけやり切って、バンドという組織論自体を解体することで、『キッドA』が生まれるわけだよね。そう考えると、この作品を一番聴かなきゃいけないのは、この20年の間ずっとロックが生きてると思ってる人なんじゃないかな。ロックは1997年の時点で一回終わってる。勿論、ゼロ年代前半にはまた復活して、また衰退して、去年辺りからまた復活しつつあるわけだけど。つまり、何度も死んで何度も再生してる。歴史ってそういうことでしょ。でも、そうとは思わずに、ずっとその間も他のジャンルの音楽に見向きもせずに伝統的なギター音楽だけを聴き続けるっていうのはレトロ趣味を通り越して、ネクロフィリアでしかないわけじゃん。その当たり前の事実を感じてもらうためには、これを聴くのがいいのかもしれない。と意地悪を言ってみました(笑)」

●(笑)では、ここからは『OKコンピューター』という作品が内包している時代の空気について話せればと思います。

「やっぱり今改めて『OKコンピューター』を聴くと、ある意味、まだ幸せな時代だったなとも思うんですよ。当時はグローバリゼーションの弊害がようやく世界的に認知されるようになった時代でしょ。シアトル暴動が1999年。ベルリンの壁が崩れたのが1989年だから、そこからちょうど10年。で、『OKコンピューター』というアルバムは、シアトル暴動に代表されるグローバリゼーションの歪みが吹き出すことを予兆した作品だよね。まず何よりも」

●なるほど。

「ほら、俺みたいに60年代半ばに生まれた人間って常に冷戦の恐怖と隣り合わせだったんだけど、冷戦体制が終わって、10年かかってグローバリゼーションが世界的に浸透した。で、それが世界全体にどんな影響を及ぼすかなんてさっぱりわかんなかったわけ。それによって良くなった部分もなくはないんだけど、今に至るローカルなエリアでの紛争だったり、世界的な格差の広がりだったり、グローバリゼーションが行き届くことによって、以前にはなかった弊害が顕在化し始めることになる。そこに至る問題意識が『OKコンピューター』にはあったんだと思う」

●当時、トム・ヨークがインタヴューなどでよく名前を出していたのが、ノーム・チョムスキーでしたよね。

「エリック・ホブズボームとかね。チョムスキーは今も彼の最大のメンターのひとりだと思う。数少ない本物のリベラルだし。最初にレディオヘッドは中産階級の恵まれたメンタリティから出てきたって話をしたけど、あの頃のレディオヘッドがリリックの部分でやってたのは、『社会の歪みの内面化』っていうアイデアだったんですよ。例えば、“プルーヴ・ユアセルフ”は中産階級出身の若い世代の苦しみを表現した曲でしょ。より裕福に、より名声を求めなきゃいけないっていう社会的なプレッシャーについて、一人称で自分自身の立場から歌っていた。ただ別な角度から見ると、当時のネオ・リベラリズムに対する批判だったんだよね。誰もが新自由主義だの、クール・ブルタニアを批判する何年も前から、実は彼らは作品の中でそれをやってた」

●ただ、当時はそういった社会的なアングルがあるとは誰も理解していなかった?

「英国の労働者階級出身のプレスやバンドからすると、『恵まれてるのに何泣き言ばかり言ってんだ?』って話になってたと思う。でも、実際は社会の歪みを描こうとしてた。そこに関しては、初期から徹底してるんですよ。ただリリックに一人称を使って、すごくエモーショナルな表現をしていたことで、そうとは受け取ってもらえなかった」

●その経験を経ての、『OKコンピューター』だったと。

「特に階級社会であるイギリスの中では、『パブロ・ハニー』や『ザ・ベンズ』のスタイルだと到底理解してもらえないことを痛感したんだと思う。だったら、どういう形式のリリックを書いたらいいのか?――それを本格的に考え始めたのが『OKコンピューター』なんだと思います。で、テーマとしては、主にグローバリゼーションが行き届いた後の世界で起こってること。つまり、『OKコンピューター』や『キッドA』っていうのは、『世の中の皆さんが見てる半径15メートルの外側では世界はこんなことになってるんですよ』っていうのをいろんな角度から伝えようっていうレコードだった。直接的に説教臭く言うんじゃなくて。例えば、シアトル暴動ってさ、当時の日本では誰も知らなかったじゃん?」

●特別に大きな話題になった記憶はないですね。

「99年の沖縄サミットの時に海外からアンチ・グローバリゼーションの運動をしてるNGOが抗議に来てたりしたのも、日本のメディアではほぼ報道されなかった。当時、顔見知りのイギリスのNGOの人間が日本のTVの取材に応えて、『今回の沖縄サミットは最悪だった』とかって激怒してたんだけど、イギリスのメディアの人間だって風に間違って紹介されてたり(笑)。でも、ミレニアムを越えて、ようやくグローバリゼーションとはどういうことか――それこそ、ノーム・チョムスキーやナオミ・クラインが言ってたことが浸透して行って、今は少なくとも誰もがそれについて理解している。だよね? で、最近のレディオヘッドのレコードはその先で起こったもっと厄介なことをテーマにしてるわけなんだけど、『OKコンピューター』という作品は、当時起こりつつあったこと、誰もが本当は知りたくなかった世の中の実相を露にしちゃった、そういうレコードなんだと思う」

●当時タナソウさんが書いた『キッドA』のライナーノーツは、「パンドラの箱が開いた」という書き出しでしたね。

「当時、本当に狼狽してたもん(笑)。例えば、『キッドA』のタイトル・トラックの“キッドA”って、グローバリゼーションが進むことで、発展途上国でいくつもの内戦が巻き起こって、そこでいくつもの殺戮が行なわれたことについての曲でもあるんですよ。でも、そうした惨劇も自分たちとは無関係じゃないってことが次第に露になっていった。つまり、地球の裏側の飢餓や貧困があるからこそ俺たちがここで楽しそうに飲んだり食ったり出来る。地球の裏側でローカルな紛争が起こって軍事産業が潤うことで、まわりまわって日本に暮らしてる俺たちも裕福でいられる。つまり、すごく冷静に考えれば、自分たちのささやかな日常的な幸せというのは、世界的な格差や地球の裏側の殺戮を前提にしてるってことでしょ。『そうか、俺、日常的に人殺しをしてるんだ?!』っていう。もう笑うしかないよね(笑)」

●タチの悪い冗談はやめて下さい。

「でも、そうした罪の呵責に耐えかねて自殺したり、ISISに加入してテロリストになったりするわけにもいかないしさ。かと言って、気がふれるのも嫌だし――っていうのが、俺の『キッドA』に対する解釈(笑)。で、そうした世界的なシステムに誰もが加担してて、そこからは誰もが逃れられないっていう認識が『アムニージアック』のカニバリズムっていうテーマへと発展していくっていう」

●『OKコンピューター』は、そこに至るまでの思索の時期とも言えそうですね。

「うん。だから、そういうことが世界的に理解される以前の時代の産物なんだと思う。だから、『OKNOTOK』を買うなら、絶対ボックス・セットを買った方がいいと思うな。この時期のレディオヘッドは何をどう表現していいかわからなかったからこそ、キャリアの中でも一番多作の時期だし。音楽的な思索、社会に対しての思索、その悩みや逡巡をトム・ヨークがずっと書きつけてたノートの写しがついてるんですよ。例えば、“カーマ・ポリス”には俺に日本のどこかのパーティ現場の音を録音するのを頼んで、それを使うとか(笑)、個々の楽曲のとんでもないプロダクションのアイデアとかも書き連ねてあったりする。多分、それと一緒にこのレコードを聴くのがホントは一番面白いと思う。例えば、“ノー・サプライゼズ”が何の歌かって、最初はわかんないじゃん?」

Radiohead / No Surprises (1997)

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●そうですね。「これが最後の発作だ」っていう歌詞や、ミュージック・ヴィデオから、何か切迫した状況にあることは感じられましたが。

「例えば、〈スヌーザー〉の創刊号でトム・ヨークに取材をした時は、『中産階級に蔓延する、事なかれ主義についての歌なんだ』っていう風に説明してるんですよ。世の中全体がどうなろうとも自分の庭がきれいで自分の子供たちが幸せならそれでいいっていうアティチュードに対する自己批判的な皮肉だよね。でも1998年の1月に来日して、“ノー・サプライゼズ”を演奏した時に、MCで『これは銀行システムの崩壊についての歌なんだ』って言ってるのね。俺、その直後に『あのMCって理解されてると思う?』ってトム・ヨークに訊いたんだけど、『誰にも伝わらないよ!』みたいに笑ってたんだけど。でも、実際のところは、その直前の1997年夏にはアジア通貨危機があったわけですよ。彼はそれを示唆してた。で、その十年後のアメリカではサブプライム・ローンが破たんして、世界経済が大打撃を受けるわけじゃん?」

●リーマン・ショックですよね。

「だから、すべて繋がってるんだよね。金本位制が終焉して10年以上経って、IMFとグローバル企業と先進諸国の政府を中心とした信用経済に移行した世界経済が全部破綻する――それに対する恐怖と不安、それに目をつぶって心に蓋をしようするとする心象、その両方が“ノー・サプライゼズ”という曲には反映されてる」

●『OKコンピューター』のツアーを追いかけた映画『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』では、まさにその話題をタナソウさんとトムが話してる場面が出てきますよね。

「そうだっけ? 俺、確かボサボサの髪で、ディーゼルのオレンジ色のカットソー着てるでしょ?」

●何を着てたかまでは覚えてないです(笑)。

Radiohead / Meeting People Is Easy (1998)

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「でも、レディオヘッドというバンドはそういうことを事細かに説明したり、無理やり押し付けようとはしなかった。メンバー、特にトム・ヨークは個人としてアクティヴィズムにかかわってきたことも多いけど、少なくとも作品の中では『現実を直視しろ! 声を上げろ!行動しろ!』とは言わなかった。だって自分の生活に精一杯の人だっている。それが現実じゃんか。気持ち的にも経済的にも余裕があれば、少しずつ汲み取ってもらえるような回りくどいやり方を意識的にやった」

●なるほど。

「そこが彼らの表現者としての矜持なんだと思う。表現っていうのは人を安心させるためだけのものには絶対になっちゃいけない。でも、無理やり背中を押すだけのものでもない。何よりも、受け手が主体的に何かを考えるきっかけを作るのがアート、願わくば何かしら行動するきっかけを作るのがアートなんだっていう。すべてを語るのは自分たちの役割じゃない、作品を完成させるのは受け手なんだっていう考え方がベースにあるんだと思うな」

●『OKNOTOK』のライナーノーツでは、かつてのトム・ヨークの「ポップ・ミュージックこそ唯一残された、生きたアート・フォームだ」という発言が紹介されています。

「でもさ、冷静になって客観的に見れば、もはやポップ・ミュージックはアートじゃないでしょ? 特に日本だと、アートっていう言葉を聞いただけで、なにか高尚なものみたいに思う人さえいる。でも、それって普段から、受け手のガス抜きをするだけの下らないエンタメや、安心や慰めを与えてばかりのポルノ表現をごく当たり前だと思うことで、すっかりスポイルされてるだけの話だと思うの。アートっていうのは常に自分自身の好奇心や思索、想像力を掻き立ててくれる、とにかく刺激的で底抜けに楽しいものなんですよ。でも、日本だと『レベルを下げないと伝わらない』とか平気で言うじゃん? それを一度もやらなかったのがレディオヘッド。市井の人々の知性、聡明さ、良心、そういったものを絶対的に信頼してるから、表現のハードルは決して下げない」

●具体的に、リリックにおけるトライアルという意味では、どんな部分がポイントだとお考えですか?

「ひとつには歌詞のナレーターの人称が不確かなところ。つまり、カメラの位置が必ずしも主観じゃない。だから、リリックの内容というよりは形式だよね。それがサウンドと合わさった時にどういう効果を及ぼすのか?――そういうトライアルだと思います。ありがちなどうしようもない勘違いって、例えば、星野源が歌ったことを星野源の考えや気持ちだと思っちゃうところでしょ。でも必ずしもそうじゃない。例えば、“クライミング・アップ・ザ・ウォールズ”って、連続殺人鬼の立場から歌われてたりする――まあ、そういうのも伝統的な手法だったりするんだけど――。少なくともこの時期からのトム・ヨークはそういったポップ・ソングのリリックにおけるパフォーマティヴ性にすごく意識的だったと思う」

●リリックのパフォーマティヴ性というと?

「ほら、例えば、サザンオールスターズがたまに書いたりするメッセージ・ソングとかって、『仲良くしようよ』とか言うじゃん。でも、そういうのって、言語がコンスタティヴな機能だけじゃなくて、パフォーマティヴな機能を持ってることを理解してないと思うんだよね。だって、『仲良くしようよ』っていう歌を聴いて、『そうだね』って思うのは、もともと仲良くしようと思ってる人たちだけで、そうじゃない人には何の効果も及ぼさない。納得と無関心しか生まないと思うんですよ」

●うーん、確かに。

「下手したら分断を助長するだけっていう可能性だってある。でも、例えば、忌野清志郎は『核など要らねえ』って歌った後に、今度は“原発音頭”みたいな曲を作るわけじゃん。で、『原発万歳! 原発最高!』って歌う。そうすると、みんな明らかに戸惑うんだけど、誰もが作品の意図について考えざるをえないよね。リスナーの誰もが考えることを余儀なくさせる。異なる主義主張や考え方を持った人たちに語りかけることが出来る。だから、内容だけじゃなく、一人称をどこに置くのか? っていう形式というのは作品の可能性を広げるという点ではすごく大事で、この時期のトム・ヨークはそうしたことにについてすごく意識的だったんだと思う」

●“クライミング・アップ・ザ・ウォールズ”もそう?

「要するに、“クライミング・アップ・ザ・ウォールズ”って、トーキング・ヘッズの“サイコキラー”に対する彼らなりのヴァージョンだと思うんですよ。連続殺人鬼をモチーフにすることで社会の歪みをあぶり出そうとした。確か、壁に止まってるハエのカメラから歌詞を書いたとかって言ってたのかな? だから、この頃のトム・ヨークの歌詞を面白く解釈しようと思ったら、まずカメラがどこに置かれてるのかを考える必要がある。トム・ヨークの気持ちだと思ったら、何も読めないんです」

●面白いですね。他の楽曲はどうでしょう?

「あとひとつは、どのリリックも両義的だってことだと思う。例えば、“エアバッグ”のモチーフは文字通り、交通事故に遭っても車のエアバッグのおかげで命拾いして、『俺は生まれ変わった!』っていう曲でもあるよね。でも、同時に安全神話を揶揄した曲だっていう風にも解釈出来る。例えば、日本におけるドラッグへの嫌悪感って法律で禁止されてるからだよね。でも、勿論、ドラッグの種類によるんだけど、アルコールの方がよっぽど危険なドラッグだっていうのは世界的な常識でしょ。にもかかわらず、広告じゃ、歌手や俳優が嬉しそうな顔してアルコールを飲むヴィジュアルを見せつける。あんな危険なものを幸せなイメージで売るわけ。“エアバッグ”のモチーフは車やモータリゼーションについてだけど、そういう捩れた状況もテーマのひとつだと思う」

Radiohead / Airbag (1997)

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●『OKNOTOK』のライナーノーツでは、「モノを買わせるにもヒトを動かすにも恐怖ほど便利な道具はない」という指摘がありました。

「恐怖や不安による治世やマーケティングというメカニズムを説明するのに一番わかりやすいのが生命保険だと思う。『生命保険に入ってれば安心です』っていうメッセージって、実のところ、『生命保険に入ってないと、さらに酷い目に遭いますよ』ってことでしょ。つまり、安心や慰めを売ってる顔をして不安につけ込んでる。そういうメカニズムが社会を動かしてる。あらゆる政治がそうだし、信用経済だってそういうメカニズムでしょ。システムと、それに関わる個人の欲望や不安との掛け算が何億、何兆の数になって風評になって、世界を動かしてる。あまりに雑な言い方だけど、株価の変動ってそういうことだよね。世の中を動かしてるのは、政治家やその裏でロビーイングしてる大企業であると同時に、個人の欲望の集積――何よりも不安と恐怖だってこと。極論すれば、ブレグジットもトランプ政権の誕生もそういう視点から見ることだって出来る。だからこそ、ここ5~6年のレディオヘッドの作品のテーマが、恐怖からは距離を取らないといけないってことなのは必然なんだと思う」

●『OKコンピューター』でいうと、“フィッター・ハッピアー”は安心の裏側の恐怖をわかりやすくリプリゼントするものでしたよね。

Radiohead / Fitter Happier (1997)

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「だから、今の彼らの問題意識の前提になる状況を一通りあぶり出したアルバムなんだと思う。別に政府も企業も、より順応しろ、より幸福になれ、最適化しろとははっきりとは言ってない。でも、広告やポップ・ソングが手を変え品を変え、夢や慎ましやかな幸福をかなえる美徳を売っていたりする。安心と慰めのドーピングだよね。でも、やがて誰もが抗生物質漬けの豚になってしまう、幸せというコンセプトの奴隷になってしまう――そういったメカニズムを伝えようとした。そう考えると、アートワークにちりばめられたいろんなサインもすごくわかりやすいよね。飛行機が墜落した時のマニュアルとか、郊外の一軒家とか、迷子のピクトグラムとか。だからこそ、リイシュー盤には入ってない、クリアケース裏に隠されていた当時の文章がすごく切実なんですよ」

●クリアケースを開けると、メッセージが隠されていて、そこには「i like you. I like you. you are a wonderful person. i’m full of enthusiasm. i’m going places. i’ll be happy to help you. i am an important person. would you like to come home with me?」と書かれていました。

「つまり、どこにも悪意なんてない。ただ誰もが慎ましやかな幸福を感じたいだけ。でも、それを追い求めることがいろんな惨劇や悲劇に繋がってる。この世界ではどこかに一握りの悪の専制君主がいるわけではなくて、誰もが罪を犯してるんだという認識。でも、あなたにそれをどんな風に伝えるべきなのか、わからない。もしかしたら、伝えない方がいいのかもしれない――あのメッセージはそういうことだと思うんですよ。俺とかはすぐに『朝鮮戦争やベトナム戦争の犠牲があったからこそ、日本は復興したんだ。俺たち誰もが人殺しなんだよ』とか言っちゃうけど、彼らにはそれをダイレクトに言うような冷血さはなかった。自分たちがやってることは明らかにおかしい。『でも、できれば一緒にホームに帰りたいんだ』っていう。これほど切実なメッセージはないと思う」


田中宗一郎に訊く『OKコンピューター』と
その時代。90年代からレディオヘッドが
表現してきたもの、その独自性と謎:後編





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