初級コース:2016年夏のレディオヘッドを
120%楽しむために。事前に聴いておくべき
「現在のレディオヘッド」を代表する10曲
この2016年の夏、〈サマーソニック〉で
レディオヘッドを観ておかないと絶対に
後悔する10の理由 part2-セットリスト編
この中級コースでは、この10年ほどの間、セットリストからは外れがちだったものの、今回のツアーではたびたび演奏されることになった曲を中心にお届けしたいと思います。さっそく始めましょう。
1. Creep
まずは2003年の〈サマーソニック〉の予定外のアンコールで演奏されて以来、ここ日本では演奏されたことのない93年の1stアルバム『パブロ・ハニー』収録曲“クリープ”から始めましょう。おそらく若いファンからすれば、どうしても聴きたい曲の筆頭かもしれません。
ただ、この彼らにとっての輝かしいデビュー曲は、本国イギリスではシングル・チャート78位という見事に大コケした曲でもありました。ソングライターであるトム・ヨークにとってはとても意味のある曲だったのにも関わらず、「俺は地面を這いつくばる化け物」というラインがおもしろおかしく取り沙汰され、さまざまな嘲笑の的にされるきっかけにもなった曲でもあるのです。
ところが、その後、欧州各国やアメリカではスマッシュ・ヒット。全米シングル・チャートでも34位と、英国バンドとしては破格の成功を果たします。ただそのせいで、彼らに付けられたレッテルは所謂ワン・ヒット・ワンダー。要は一発屋ですね。また、リリックの内容が湾曲されてしまい、「ジェネレーションXを代表するスラッカー・アンセム(ダメ人間賛歌)」というレッテルまで貼られてしまいます。
同時期に全米でヒットした“ルーザー”がやはりスラッカー・アンセムというレッテルを貼られてしまい、そのことにかなり腹を立てていたベックに筆者が94年に取材した際には、彼曰く「あいつらはニルヴァーナの“ネガティヴ・クリープ”を盗んだんだよ」とまで言われる始末。ある意味、流れ弾もいいところです。
また、こんな逸話もあります。彼らレディオヘッドが96年夏にアラニス・モリセットの前座としてニュージャージーの巨大スタジアムで演奏した現場に立ち会った時のこと。その日は、いまだリリース前だった『OKコンピューター』からの新曲を次々に演奏するという、ファンなら即死するしかないセットリストだったのにも関わらず、6万人近いアラニスの観客はステージに目もくれず、ずっとくっちゃべっている。ところが、バンドがセット中盤で“クリープ”を演奏するやいなや、6万人がいきなり大歓声を上げ、次の曲に移るとまた見事に元通り。という地獄のような現場を目撃したことがあります。
いずれにせよ、本人たちにとっては決していい思い出ばかりの曲ではなかった。そうした理由もあって、次第にツアーのセットから外れていくことになります。勿論、2000年の4th『キッドA』以降、そのサウンドが飛躍的に進化していった彼らのセットには曲自体があまりそぐわなくなったことが一番の理由ですが。
では、今回の〈サマーソニック〉ではどの程度、演奏される可能性があるのか。以前に比べれば、かなり期待出来る。すでに6回も演奏されているんですから。統計を取ると、確率としては約30%。大阪、東京のいずれか、と考えるなら、確率はその倍になります。さあ、どうなるやら。
では、2009年の〈レディング〉で演奏された“クリープ”の動画を貼っておきましょう。しかも、この日はなんとセットリストの冒頭に演奏されたんです。演奏前の「ワッツ・アップ?」というひっくり返ったトム・ヨークの声を聞き逃さないで下さい。大阪辺りで、こんなサプライズがあれば、最高なんですけどね。
最後に蛇足をひとつ。以前、映画評論家の町山智浩さんが、この“クリープ”はトム・ヨークの左目の手術にまつわる彼自身の個人的な体験について歌っていると仰っていましたが、正確に言うと違います。同じく1stアルバム『パブロ・ハニー』に収録されている“ラーギー”がそれです。と、無駄なトリビアを開陳したところで、次項に移ろうと思います。
2. Let Down
今回のツアー途中から突如演奏され始めたことで、世界中のファンが狂喜乱舞しているのが、この“レット・ダウン”です。97年の3rdアルバム『OKコンピューター』収録曲。アルバム収録曲の中でも当時のファンからは絶大な人気曲であったにも関わらず、この曲は本当に数えるほどしか演奏されて来なかった。
97~98年の『OKコンピューター』ツアー以降は、2006年のツアーでほんの5、6回演奏されたのみ。勿論、今回のツアーで演奏されたのはそれ以来のことです。しかし、何故これほどまでに演奏されなかったのでしょうか。まずは『OKコンピューター』ツアーでの動画を見て下さい。
アルバム『OKコンピューター』のリリックにおける主たるテーマは、「移動」です。飛行機やモータリゼーションといった輸送機関の発達によって、モノや人、情報の流通が格段に行き届いた世界では何が起こったのか? つまり、グローバリゼーションのインフラが行き届いた世界ということですね。冷戦終結後、西と東という分断がなし崩しになったことで、グローバリゼーションはさらなる完成に向かいます。彼らレディオヘッドは世界ツアーの経験の中から、それが現代社会のさまざまな歪みを引き起こしていることを発見します。
こうした彼らのテーマはそのまま、『キッドA』における「我々ひとりひとりの幸福は地球の裏側の誰かの犠牲の上に成り立っている」というテーマ、『アムニージアック』における「このカニバリズムの迷宮からは誰も逃れることは出来ない」というテーマへと繋がっていくことになります。
ここ日本のもはや終わりが見えない経済的不況もまた、一世紀以上に渡って発展途上国から搾取し続け、グローバリゼーションの恩恵を謳歌してきた先進国がそのしっペがえしを受けた。そんな風に捉えることが出来る。そもそもの根底にはそれがあります。
21世紀になってからの、先進諸国それぞれの国内において今も広がり続ける経済格差は、一部の特権階級を除いては全世界中が平均的に貧しくなったということでしかありません。つまり、グローバリゼーションの恩恵を謳歌してきた我々ファッキン先進国が、今度はグローバリゼーションのしっペがえしを受けることになった。因果応報。乱暴に言えば、それだけの話です。
だって、戦後日本の経済復興、高度成長を促したのは、朝鮮戦争とベトナム戦争による特需によるものですから。つまり、この島国の豊かさは侵略と破壊、多くの殺戮の上に成り立っている。戦争という行為がどこまでも不条理だという理由はここにもあります。
おっと、また話が逸れてしまいました。
ただ、この“レット・ダウン”に関しては、トム・ヨークがそうした重い認識に至る以前、単純に過酷な世界ツアーの移動に心身ともに疲弊しきっていたところから生まれ、それ自体を歌っている、そんな風に解釈出来る曲でもある。だからこそ、この曲を演奏することは、自分自身がエゴイスティックだと感じられたのかもしれません。自分達が世界をツアーすることによって何かしら世界の破壊に加担しているのに、自分だけ泣き言を言ってるなんて!と感じたのかもしれません。
だって、一時期は飛行機による移動はさまざまな汚染に繋がるからと言って、「次に日本に来る時は、絶対にシベリア鉄道に乗って、移動するんだ!」と言い張っていましたからね、トム・ヨーク。確か『アムニージアック』のツアーの時だったか、彼に「ねえ、“レット・ダウン”はやらないの?」と訊いたら、「えー、あの曲、好きなんだ?」と言って、鼻で笑いやがりましたからね。
話を元に戻しましょう。では、今回の〈サマーソニック〉ではどの程度、演奏される可能性があるのか。確率としては約30%。大阪、東京のいずれか、と考えるなら、確率としては60%。ただ、ツアー途中からセットに加わり出したこともあって、ここ最近のステージではかなり頻繁に演奏されています。これが吉と出るか、凶と出るか。本当に移り気ですからね、このバンドは。
3. My Iron Lung
この曲が今回のツアーで演奏されたのも7年振りのことでした。2ndアルバム『ザ・ベンズ』収録曲。東京、大阪でこの曲が演奏される可能性は、確率としては約40%。いずれかで演奏される確率は80%。これはかなり期待してもいいかもしれない。
では、アルバム・リリース当時、オランダで行われたスタジオ・ライヴの動画を見て下さい。メンバー全員、お肌つるつるです。
そもそもこの曲はレディオヘッドにとって、彼らに取り憑いた“クリープ”という呪縛を悪魔払いするという意味も持っていました。最初のヴァースのリリックの大意は、「信頼、君はどこまでも遠くに僕を連れていってくれる/でも、それは地獄のように僕を傷つけもするんだ」。つまり、多くの人々が“クリープ”を受け入れてくれたことが何を彼らにもたらしたのか、その説明にもなっています。
この曲のブリッジ部のライン――「もし君が怯えているなら/怯えていてかまわない/怯えていればいいんだ/何の問題もない」というラインは、歌詞カードからは敢えてオミットされています。外界で起こっている不安定な磁場を何でもすぐに内面化してしまう壊れた受像機としての自分自身(つまり、ラジオ頭)というのは、初期レディオヘッドにおける主要テーマのひとつでした。同時代の、思春期にさしかかったファンを猛烈に惹きつけた理由のひとつでもある。
94年のレディオヘッド初来日の直前、一向にうまく進まない2ndアルバムのレコーディングの渦中にあった彼らをロンドンのRAKスタジオまで訪ねた際、そこで行われた『ロッキング・オン』取材記事におけるトム・ヨークの発言タイトルは「君のせいじゃない」でした。つまり、あなた自身の内面化された苦しみの理由は、むしろ環境の産物なんだ、社会的なものにすぎないんだ、ということ。何十年もポップ音楽について書き続けていますが、あの時ほど、読者からの凄まじいリアクションがあったことはありませんでした。
ただ勿論、「君のせいじゃない」という彼らの認識はその後、「君のせいじゃない。でも、同時に僕たち全員のせいでもある」という認識に変わっていくのは歴史が証明する通りです。なので、この曲を演奏することにも何かしらの躊躇があるのは押して知るべし。おそらく小っ恥ずかしい部分もあるに違いない。そろそろ50近くなる彼らが声を張り上げて、「怯えていればいいんだ」と歌うことに関しては。つまり、この曲は彼らにとって、思わずそっ閉じしたくなる過去のアルバムでもあるわけです。
しかし、この曲そのもの、そして、この曲がファンとの間に築いてきた関係性と歴史については彼ら自身も間違いなく誇りに思っているはずです。若いファンのみならず、往年のファンの前で、この曲が演奏されることを祈っています。聴きたいですよね、やっぱり。
4. Talk Show Host
では、今回のツアーでかなりの確率で演奏されるだろう「主に90年代の珠玉の名曲」シリーズ4曲目です。でも、「こんな曲、知らないよ!」というユースもたくさんいるかもしれない。この“トーク・ショー・ホスト”は2ndアルバム『ザ・ベンズ』からのリカットされた最後のシングル『ストリート・スピリット(フェイド・アウト)』に収録されていたナンバーです。けだし名曲。
『イン・レインボウズ』期と並び、彼らがソングライティング面においてもっとも充実していた96年にリリースされた、もっとも有名な隠れた名曲のひとつ。決して通算演奏回数が多いわけではない。ただどの時期のツアーでも繰り返し演奏されてきた曲でもあります。つまり、活動初期のレパートリーの中でも、彼ら自身にとってももっとも古くなることのない曲のひとつ。というわけです。
サウンド的に言っても、ポーティスヘッドやDJシャドウといった当時のトリップホップに触発された彼らが『OKコンピューター』へと雪崩れ込んでいく、その過程を克明に刻み込んだ曲でもある。では、2003年の〈グラストンベリー〉での動画を観て下さい。
この曲を演奏する可能性は、確率としては約40%。今回のツアー初頭ではかなり頻ぱんに演奏されていたものの、次第にセットからは漏れるようになりました。あまりウケなかったのかな。ただ勿論、演奏される可能性は高い。2003年の〈サマーソニック〉でも、なんと『ザ・ベンズ』から“ボーンズ”をやるという、かなりレアなことが起こった際も、その日のセットではかなり盛り上がりに欠けたという悲しい前例があります。なので、皆さん、是非この曲もチェックしておいて下さい。
この曲のタイトルになっているのは、日本に置き換えると、ヴァラエティ番組のMCのことです。音楽番組の司会をやってるお笑い芸人を想像してもらうのが一番手っ取り早いかもしれない(但し、タモリを除く)。つまり、キャラ立ちという名の元に、作家や作品にわかりやすいレッテルを貼って、その可能性を歪めたり、矮小化するメカニズムについて歌われている曲です。
あるいは、「作品や作家に対して何かしらの文脈を引くことこそが何よりも大切なのだ」と信じて疑わない傲慢極まりない我々ーー糞ジャーナリスト全般のことでもある。筆者が書く原稿に「乱暴に」という言葉が頻出するのは、すべてのペンはすべからく暴力だ、作品の可能性を卑しめるものでしかない、自分自身の解釈など、他の誰かの創造的な視点に比べれば、粗雑極まりないものだ、という認識から来ています。ま、もっとも本質なんてものが存在するというプラトニズムそのものを信用してないんですけど。
閑話休題。しかるに、この“トーク・ショー・ホスト”という曲は「変化とクリエーション」についての曲とも言えます。そうした乱暴なタイプキャストの殻を破って、表現や作家は常に進化し続けていくということ。ある意味、レディオヘッドがずっとやってきたことの説明にもなっています。
この曲の中で、何度も「I'm Ready」という言葉が繰り返されるのは、つまり、「さあ、やってみろよ」という挑発とも解釈出来ます。この挑発的なフィーリングは、その後、『アムニージアック』に収録される世紀の大名曲“ユー・アンド・フーズ・アーミー”にも繋がるものがあります。でも、あの曲、今回のツアーでは全然やってないんですよね。鍵盤を弾きながら、近くのカメラに向かって、挑発的な顔を覗かせるトム・ヨークのパフォーマンス、本当に最高なんですけどね。
5. No Surprises
ここからの何曲かは、どれも97年の『OKコンピューター』収録曲です。そう、演るんですよ、今回のツアーでは。この“ノー・サプライゼス”が演奏されるのも2009年のツアー以来。7年振りにセットに復活しています。演奏される確率としては50%近い。東京、大阪いずれかでは演奏されるんじゃないでしょうか。もし期待外れに終わったら、ごめんなさい。
以下の動画は2003年の〈モンタレー・ジャズ・フェスティヴァル〉でのパフォーマンスです。90年代後半のトム・ヨークは8ビートに対して、3を刻みながら首をぶるんぶるん振りまわすことでリズムを取るのがディフォルトだった。しかし、ある時期からの彼はビートを倍に倍に細かく刻むようにリズムを取るようになりました。なので、この曲のようにむしろ拍と関係なく、ゆったりと進んでいくメロディを歌うのには少しばかり苦労しています。フィルの太鼓も時々走ってしまっています。昔の悪い癖が出てる。
因みに、こちらの97年の『レイター・ウィズ・ジュールズ・ホーランド』での動画の場合、拍の間をなだらかに滑っていくように歌うことに懸命になっているトム・ヨークの姿も含め、演奏自体もなかなかに初々しい。思えば20年近く前ですが、是非見て下さい。
本人たちからこの曲はずっと、英国の中産階級に蔓延する事なかれ主義についての曲と説明されてきました。リリックには「一酸化炭素と仲良くやっていく」というラインが出てきますが、つまりは、自分の庭を綺麗に手入れしたり、自らの幸福を大切にすることには熱心だが、プラスティックを焼いて、空気汚染に加担していることにはまったく興味を示さない、先進諸国の市民にありがちな態度について歌っている。そんな話を、典型的な中産階級の街であるオックスフォード郊外の、まったく手入れされていない雑草でボウボウの自宅の庭の側でトム自身が語ってくれたことがあります。
ところが、明けた98年1月の日本ツアーの際のMCでは、「これは銀行システムの崩壊についての曲」という説明をしています。記憶が間違っていなければ、確かグラント・ジーによる映画『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』にも収録されているはず。つまり、全世界的な無関心と事なかれ主義の結果として、97年夏からのアジア通貨危機が引き起こされたことを暗にほのめかしていた。
その直後、「でも、この曲のそういう文脈を大半のリスナーはシェアしてると思う?」と筆者が尋ねると、笑いながら「いや、きっと誰もそんなこと気にしちゃいないね!」と言った後の、物憂げな彼の表情を今も忘れることが出来ません。いや、勿論、そんなこと知らなくても構わない。ポップ音楽最大の効用は、エスケーピズムの受け皿として機能することですから。
でも、頭の片隅に置いてもらってもいいかもしれません。現在の、まったく解決の糸口の見えない世界経済の混乱の引き金になった2008年のリーマン・ショックもまた、この曲のタイトル通り、「何も起こらないで欲しい」と願う、事なかれ主義が生み出したものにほかならないことは。ただ、自分自身がその一端を担っているという過酷な現実は時折思い出すくらいでいい。そう思ったりもします。
あ、ちょっとダウナーでしたね、すいません。ポール・トーマス・アンダーソンが撮った、新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』収録の“デイドリーミング”の映像があまりに美しく、あまりにショッキングだったことが今も後を引いているんです。周りの、慎ましやかに自らの生活を精一杯守ろうとしている人々の前で狼狽えたりするわけにはいかない、彼らのことを責めるようなことはしたくない。だが、いくらいくつものドアを開けても、解決への糸口はみつからない。新たな問題という名のドアがいくつも続いているだけーーそんな風に解釈するしかない、あの美しい映像があまりにショッキングすぎて、まだ新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』にきちんと向かい合う準備が出来ていないんです。
きっと今のトム・ヨークは、この“ノー・サプライゼス”をこの頃のように何かを睨みつけるような表情では歌わないはずです。ただ目の前にいる大勢の観客たちと、つかの間の素敵な時間と空間をシェアしたいと感じているはず。もはや現在の彼は市井の人々をとがめるようなことはしない。最新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』を聴く限りにおいては、宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』の主人公の少女のように、すべての民としっかりと手を取り合い、穏やかに励ますことを何よりも求めているのだと思います。だからこそ、封印してきた90年代のいくつもの楽曲を再び演奏し始めたのではないか。ま、こんな戯れ言は忘れて下さい。是非とも最高の時間を。
6. Lucky
もしこの曲を東京、大阪のいずれかで演奏したら、それはかなりの大当たりです。前回の『ザ・キング・オブ・リムス』でも演奏されてはいますが、今回のツアーではほぼ数回しか演奏されていない。統計的には演奏される確率は約20%。特別な夜になることを約束されたようなものと言っていいでしょう。
勿論、この“ラッキー”は『OKコンピューター』収録曲ですが、そもそもはアルバムを先駆けること1年半以上前、95年9月にリリースされました。当時のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を受け、戦争被災地の子供たちを支援するためのチャリティ・アルバム『ヘルプ』に収録するためにたった5時間で録音された曲です。
当時は英国全体がブリットポップの狂騒、クール・ブリタニアの熱気に沸き返っていた時代。とある日本の音楽評論家がこの『ヘルプ』を評した際にも、「参加アーティストの中でもレディオヘッドだけは時代遅れ」云々と書かれた、そんな時代です。その真偽はさておき、マッシヴ・アタックやポーティスヘッドといったアブストラクト勢を除けば、彼らとマニック・ストリート・プリーチャーズだけは他のバンド群からはかなり浮いていたのは間違いない。
94年春にカート・コバーンが自殺。時代の潮流がグランジからブリットポップに移行した95年当時のレディオヘッドは、英国全体の空気からは完全に爪弾き状態だったのです。
カートの自殺直後、アルバム『ザ・ベンズ』のローンチ・ギグを彼らが故郷オックスフォードで行った際、同じマネージメントの後輩であり、いまだ2枚のシングルをリリースしたばかりながら、英国中からブリットポップの寵児として大喝采を受けていたスーパーグラスが彼らのサポートを務めることになります。だが、一般的な脚光は明らかにスーパーグラスに当たっていた。今でこそ完全に笑い話ですが、ギグ当日のトム・ヨークはそのプレッシャーに押しつぶされ、ナーバス・ブレイクダウンに陥りました。
2016年の今、大方の人々は彼らレディオヘッドのことを世界一のバンドと呼ぶことに躊躇はありません。しかし、こうした歴史をくぐり抜けながら、彼らはここまでやって来たのです。
そうした時代の転換期に作られたことを頭の片隅において、今この曲を聴くと、実に感慨深いものがある。曲調的には、本国内では完全に孤立無援状態だったレディオヘッドを全世界的にフック・アップすることに一役買ったR.E.M.の同時期のスタイルを思わせます。
R.E.M.こそが彼らの救世主でした。もし仮に95年のツアー・サポートにR.E.M.がレディオヘッドを起用しなければ、現在の彼らはなかったかもしれない。ゆえに、ここでは98年、ワシントンDCで行われた〈チベタン・フリーダム・コンサート〉で、R.E.M.のマイケル・スタイプが客演した際の動画を貼っておきたいと思います。
こちらは同じ日、逆にR.E.M.のステージにトム・ヨークが立った動画です。トム・ヨークは原曲ではパティ・スミスが歌っていたパートを歌っています。レディオヘッドが2003年の〈グラストンベリー〉で“ラッキー”を演奏している動画はこちらです。ここでもトム・ヨークはこの曲をR.E.M.に捧げています。
リリックにもある通り、この“ラッキー”はレディオヘッドというバンドの運気が変化の兆しを見せ始めた瞬間を切り取った曲。ただ、その後の彼らの道程はさらなる血の轍でもあった。この2016年、そんな曲が演奏されることを目撃出来たとしたら。それはまた格別な体験になることに違いありません。
7. Exit Music(For A Film)
この“エグジット・フィルム(フォー・ア・フィルム)”もまた『OKコンピューター』収録曲。ただ、アルバム制作のもっとも終盤に作曲された曲でもあります。この曲の始まりは、前述の“クリープ”の項で触れた、既に『OKコンピューター』収録曲が演奏されていたアラニス・モリセットの全米スタジアム・ツアーの真っ只中のこと。ここ最近も、ヒップホップ黎明期のサウス・ブロンクスを描いたNetflix製作のオリジナルドラマ『ゲットダウン』が世界中から脚光を浴びたバズ・ラーマンが、自らの映画『ロミオとジュリエット』のテーマ・ソングを彼らに依頼。それに応えたのがこの曲です。
まさに新作のレコーディングの渦中に無理やりブッキングされた悲惨な現場のバックステージで、つい数日前に渡されたばかりの脚本を手に取りながら、果たしてバズ・ラーマンの期待に応えられるのか、果たしてこの仕事を受けるべきだったのかについての逡巡をトム・ヨークから明かされた時は、まさかそれがこんな名曲になるとは、まさかそれが最終的に『OKコンピューター』にも収録されることになるとは思ってもみませんでした。ただ、その後は歴史が示す通り。
そして、この“エグジット・フィルム(フォー・ア・フィルム)”は2009年のツアー以来、7年振りに今回のツアーのセットに復活しています。では、2001年のオランダの〈ピンクポップ・フェスティヴァル〉で演奏された動画を観て下さい。ジョニー・グリーンウッドとエド・オブライエンの二人が奏でる天にも昇っていくような美しいサウンドに耳を傾けることもお忘れなく。
この曲を演奏する確率は約30%。現在のレディオヘッドのステージにおいてトム・ヨークが弾くアコギの弾き語りが基調になった曲が演奏されるのを目撃することは本当に基調な体験です。当時のファンは勿論のこと、当時を知らないユースのためにも、この曲は本当に演奏して欲しい。そう思ったりもします。
8. Paranoid Android
今回のツアーで演奏されている90年代の代表曲の中でも、もっとも頻ぱんに演奏されているのが、この“パラノイド・アンドロイド”。勿論、『OKコンピューター』のリーディング・トラックです。
この曲のタイトルは、英国の脚本家ダグラス・アダムスが書いたスラップコメディ・スタイルのSci-Fi小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』のキャラクターの名前からの引用です。こう書くと、お前が言うなと言われそうですが、レディオヘッドの場合、どうしてもあらゆる曲がシリアスに捉えられがち。ただ、そこには常にある種のジョークが添えられている。この曲や後述する“カーマ・ポリス”などがまさにその好例です。どんな時も、崖っぷちの窮地に立たされた瞬間に、およそその場にそぐわない最低劣悪なジョークを飛ばしているような感覚がある。助けて。助けて。助とけ。お助べえ。的な。
それゆえ、近年のトム・ヨークによるスポティファイ批判にも繋がっていくインターネット・ミリオネアに対する怒りを凝縮させたこの曲にしても、件の『銀河ヒッチハイク・ガイド』に接した後で聴くと、かなり見方が違ってきます。この曲の主人公を、何か事件が起こるとすぐにパニックに陥ってしまう神経症のロボット、マーヴィン・ザ・パラノイド・アンドロイドになぞらえている時点で、かなりメタな視点があるわけです。この小説の日本語訳も2005年の映画版も、いかにも英国的な劣悪なジョーク満載なので未見の方は是非観て下さい。
では、2003年の〈グラストンベリー〉での動画をどうぞ。演奏前の「いいこと思いついた。ねえ、アンディ、この前のこと覚えてる?」というトム・ヨークのMCは、彼らが初めて〈グラストンベリー〉のメイン・ステージのヘッドライナーに抜擢された際の97年のことを指しています。
それまでずっとフェスティヴァル恐怖症だった彼らが、その日の観客のあまりにウォームな反応に驚き、思わずステージ上のトム・ヨークが長年バンドのライティング/ステージ・デザイナーを務めてきたアンディ・ワトソンに向けて、「アンディ、みんなの顔が見たいから、客席を照らしてくれないか?」と語りかけ、6万人の観客の姿が明るく照らされた歴史的な名場面のことです。
件の97年の映像はこちらです。今回の東京、大阪ではこれを越える光景が見たいですね。この曲が演奏される確率は約70%。かなり期待出来ます。是非とも楽しみにして下さい。
9. Pyramid Song
残すところ2曲ですが、1曲ほど2001年の5thアルバム『アムニージアック』収録曲を挟んでおきましょう。このチョイスには少しばかり筆者のエゴも介在している。というのも、このままだと、今回の記事では、彼らレディオヘッドの全レパートリーのうち、自身のフェイヴァリット曲3つの動画を紹介出来そうにないからです。因みに残りの2曲は“ハウ・トゥ・ディスペアー・コンプリートリー”、“ユー・アンド・フーズ・アーミー”です。この3曲がベストだと考える理由についてはいつかまた書く機会があるかもしれません。どーでもいいですね。はい、失礼しました。なので、さらっと行きましょう。
やはりこの曲も21世紀の彼らを象徴する1曲です。しかし、それにしても、普段からごく普通のポップ・ソングを聴いてる身からすると、この曲のピアノのシンコペーションって難しくないですか? その由をトム・ヨーク本人に伝えた際、「簡単じゃん!」と一笑されたことがあります。では、まずは聴いてみて下さい。2009年ブラジルでの演奏です。
実際、昨今のチャンス・ザ・ラッパー辺りを聴いているファンには釈迦に説法でしょうが、こうした複雑なシンコペーションは2010年代のポップ音楽ではごく当たり前になってきました。ただ2000年初頭のポップ・シーンにおいては、それなりにエクストリームなことでもあったのです。
この曲が演奏される可能性は確率としては約50%。ポップ音楽の歴史の行方を少なからず左右した、古代の音楽とも未来の音楽ともつかない、この世紀の名曲に酔いしれて下さい。
10. Karma police
遂に最後になりました。この中級コースの最後に、この“カーマ・ポリス”を選ぶことには1ミリの躊躇もなかった。レディオヘッド最大のアンセムと言えば、間違いなくこの曲です。世界各地で大合唱が巻き起こる曲。勿論、彼らを一躍世界トップのバンドのひとつに押し上げた97年の3rdアルバム『OKコンピューター』収録曲です。
物心つく以前、誰もが子供の頃には一度は夢見たことがあるかもしれません。この不条理ばかりがはびこる世界に突如としてスーパーヒーローが現れて、悪い奴らをこてんぱんにやっつけてくれるんじゃないか? もしかしたら、自分もそんな人間になれるんじゃないか?
この曲は、カルマの深い悪党どもを取り締まるスーパーヒーロー、その名もカーマ・ポリスが現れて、世界が平和と愛を取り戻すーー大の大人が恥ずかしげもなく、ほんの一瞬だけ、そんな夢想に浸ってしまうことについての曲です。そう、どこまでも馬鹿馬鹿しくて、どこまでも悲しい歌なんです。
何かと言えば、経済のことを最優先にする連中、いまだレイシズム的な価値観から自由になれない連中に向けて、「This Is What You Get」ーーつまり、「最後にはひどい目に合うんだぜ」と歌う。と同時に、3番目のヴァースが示す通り、「じゃあ、そんな連中を今も安穏とはびこらせている俺自身はどうなんだ?」と自分自身にも牙を向くことを忘れない。そんな曲です。
世界中の観客が大合唱するコーダの歌詞はいたってシンプル。必ず覚えていて下さい。「Phew, for a minute there I lost myself, I lost myself」です。大意としては、「ありゃま、なんかボーっとしちゃった。またありもしない夢を見ちゃった」です。
つまり、この“カーマ・ポリス”という曲は、日々の現実に押しつぶされそうになる時、ほんのつかの間、ありもしない理想の世界を夢見ることを自分自身に許してやる、そんな優しさを多くのリスナーとシェアするための曲なのです。もし君が今も理想の世界の実現のために少しでも自分なりに何かしようとしているのなら、自分を責め続ける必要はない。少しの間は、暖かい場所で身体と気持ちを休めたって構わない。そんな了解事項を観客と演者が互いに確かめあう。そんな曲です。
今一度、最新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』のポール・トーマス・アンダーソンが撮った“デイドリーミング”の映像の最後のシーンを思い出して下さい。冷たい雪に覆われた、凍てついた世界の片隅にある洞窟の奥、疲れ切った自らの身体を少しだけ温めてくれる焚き火の炎。彼らレディオヘッドにとっては、スタジアムを埋めた観客による“カーマ・ポリス”の大合唱、それこそが暖かい焚き火にほかならない。きっとそんな解釈も可能だと思います。
この曲が演奏される確率は約60%。どうしても聴きたい。以下に貼った2003年の〈グラストンベリー〉のような凄まじい大合唱が巻き起こるのが観たい。どうしても観たい。少しぐらいは、そんなつかの間の夢に浸っても許されますよね。
改めて記しておきます。ブリッジ部分の歌詞ーー「俺たちみんなの邪魔をすると、ひどい目に合うのがわかったか」は、「This is what you get / This is what you get / This is what you get when you mess with us」です。
コーダ部分の歌詞ーー「やれやれ、またありもしない夢に逃避しちゃったよ」は、「Phew, for a minute there I lost myself, I lost myself」です。是非、大声で歌ってあげて下さい。
しかも、今回のツアーでは、曲が終わってからも、トム・ヨークひとりがアコギを奏で続けて、それに合わせ、観客が大合唱するという光景が世界各地で巻き起こっています。こちらはつい先日、スイスのライヴで彼らが“カーマ・ポリス”を演奏した際の動画です。曲中に関しては、2003年〈グラストンベリー〉ほどの大合唱は巻き起こってはいない。しかし、いったん曲が終わってからの4分30秒からの映像を観て下さい。最高です。これを日本でも観たい。
もしかすると、この駄文を読んでくれているあなたもそんな風に感じているかもしれない。でも、もし周りにこの曲が歌えない観客がいたとしても彼らを責めたりしないで下さいね。暗闇の中の光は小さくてもむしろ、輝きを増すものです。そして何よりも、光は少しづつ拡がっていくものですから。最高の時間があなたに訪れんことを。
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上級コース:2016年夏のレディオヘッドを
120%楽しむために。ほぼ絶対にないものの
演奏されたら憤死するしかない究極の10曲