2016年のレディオヘッドのライヴだけは絶対に見逃すわけにはいかない。レディオヘッドのライヴを楽しむにはネタバレという文字はない、むしろツアーのセットリストの概要を事前に把握しておけば把握しておくほど当日への期待が高まり、実際には必ずそれを越える驚きが待っている。というのは、こちらの記事にも記しておいた通りです。
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この2016年の夏、〈サマーソニック〉で
レディオヘッドを観ておかないと絶対に
後悔する10の理由 part1-総論編
では、具体的には事前に何を聴いておけばいいのか? 最低限どの曲をしっかり聴いておけばいいのか?――今回はそんなテーマに基づき、前編、中編、後編の3つのパートに分けて、2016年夏のレディオヘッド完全攻略ガイドをお届けしたいと思います。
この3つの記事は、特にいまだレディオヘッドのライヴを体験したことのないユースに向けたものにしたい。周りのオーディエンスが盛り上がりまくっていて、ひとり取り残されたような気分にならないためにも、取りあえず前編と中編の20曲は聴いておいた方がいい。
例えば、この2016年夏、大方の下馬評からすれば、〈フジ・ロック〉で断トツに最高のパフォーマンスを披露したベック。彼が今回のツアーのアンコールで“ホエア・イッツ・アット?”を演奏する際、曲後半からメンバー紹介と合わせて、いくつものカヴァー曲を披露しているのをご存知の方もいるかもしれません。
どれも歴史的名曲。正直言って、これは狂喜乱舞、悶絶するしかない。タイトル部分にオリジナルの動画を貼っておいたので、興味のある方は参考にして下さい。
①シックの“グッド・タイムス”(1979年)
②イギー/ボウイの“チャイナ・ガール”(1977年/1983年)
③クラフトワークの“ホーム・コンピューター”(1981年)
④ドゥービー・ブラザースの“トーキン・イット・トゥ・ザ・ストリート”(1977年)
⑤プリンスの“1999”(1982年)ですから。
これはマジ最高。④なんて、この曲を歌っている元ジェリーフィッシュのロジャー・マニングは明らかにドゥービー・ブラザースのヴォーカリスト、マイケル・マクドナルドの歌真似までしている。しかも、曲の最後に、同じく⑥ドゥービー・ブラザース最大のヒット曲“ホワット・ア・フール・ビリーブス”(1979年)まで挿入するという念の入れよう。これはもう盛り上がらないわけがない。
では、具体的に見て下さい。〈フジ〉の少し前、ロンドンの南、ブリクストンでのライヴ動画がこちらです。3分を越えた辺りから。
しかし、事前にその事実を知っている/いないではどちらが楽しめるでしょうか? 少なくとも、この5曲の歴史的名曲を聴いてさえいれば、楽しみ倍増なのは間違いない。勿論、イギリスの観客はどの曲も周知の上なので、とにかく盛り上がることこの上ない。
ところで、気付いていましたか? 5曲の歴史的名曲のカヴァーだけでなく、2002年に『シー・チェンジ』がリリースされる以前は、『オディレイ』(1996年)と並ぶ最高傑作と呼ばれていた94年の『ワン・フット・イン・ザ・グレイヴ』のタイトル・トラックさえも演奏していたんです。これは完全に悶絶。先ほどのブリクストンでの動画の12分辺りからです。
でも、「そんな曲知らないよ!」というユースのために“ワン・フット・イン・ザ・グレイヴ”を1曲丸ごと演奏している動画のリンクも貼っておきましょう。97年の〈グラストンベリー〉でのパフォーマンスがこちらです。発表当時、「なるほど、ベックによるラップの源泉はブルーズだったんだ!」と誰もが目から鱗落ちになった大名曲です。この曲を知っているのと知っていないのでは、今年のベックのステージを楽しむにはかなり差があったということ。
少なくとも「知っていること」が感動を阻害することなどない。そういうことです。繰り返し言いますが、レディオヘッドのライヴを楽しむにはネタバレという文字はない。ある程度、セットリストを把握していることは、むしろさらに当日の感動を倍増させるに違いないのです。
というわけで、前編である今回は初級コース。ここでの10曲は「現在のレディオヘッドを象徴する10曲」と言ってもいいでしょう。なので、必須中の必須です。曲の紹介と同時に、彼らの歴史をさらりと俯瞰しておこうと思います。
ただ以下のリストの10曲以前に、最新作『ア・ムーン・シェイプト・プール』だけはきちんと繰り返し聴いておいた方がいい。少なくとも冒頭の5曲と、“アイデンティキット”と“ザ・ナンバーズ”辺りはしっかりと聴いておいて下さい。ほぼ必ず演奏しますから。
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レディオヘッド『ア・ムーン・シェイプト・プール』合評
では、参りましょう。絶対に事前に聴いておいた方がいい「今のレディオヘッドを象徴する10曲」です。
1. Bodysnatchers
世間一般的にはミレニアム前後の双子アルバム――『キッドA』『アムニージアック』以降、レディオヘッドは「ロック」という形式から距離を取るようになったというのが通説ですが、実際はそうではありません。同時代の、死に体のロックに背を向けただけです。
むしろ彼らは、この時期の2枚のアルバムに収録されている“ザ・ナショナル・アンセム”と“ユー・マイト・ビー・ロング”の2曲に代表されるように、独自の方法でロックを再定義し、進化させようとしてきた。
そこでの基本的なアイデアとは、クラウト・ロック的な反復し続けるベース・ラインとハンマー・ビート、そこにアメリカ南部的なマディな音色を持ったデルタ・ブルーズの伝統に連なるギター・リフを合体させるというものでした。
件の双子アルバムに並ぶ現時点での彼らの最高傑作、2007年の『イン・レインボウズ』に収録された、この“ボディスナッチャーズ”もまたその系譜に連なるトラックと言えます。トム・ヨークが弾くSGが奏でる70年代ロック風のリフがとにかく最高です。これぞ、まぎれもなく21世紀のロック。
リリックの内容こそ、1956年のドン・シーゲル監督作であるSci-Fi映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』をモチーフにした、知らず知らずのうちに自分以外の誰かの意志に従順な行動を取ってしまうという、SNSが一般化して以降のアーキテクチュア社会をテーマにしたものですが、この曲が演奏された瞬間だけは我を忘れて踊り狂うしか手はない。
つまり、この曲は、レディオヘッドが仕掛けた皮肉という名の罠。その代表的な曲でもあります。アートというのは、喜びの渦中の中で何かしらの思考に向かわせるものですからね。
この曲は今回のツアーでもかなり頻繁に、しかもセットの中でもハイライト的な位置で演奏されています。是非しっかりと予習しておいて下さい。
2. Weird Fishes/Arpeggi
こちらも2007年の7thアルバム『イン・レインボウズ』に収録されたトラック。件の『イン・レインボウズ』が今も彼らの最高傑作であり続ける最大の理由のひとつは、彼らの全ディスコグラフィの中でも唯一、プロダクションよりもソングライティングに比重が置かれた作品だから。という側面もあります。そういう意味からすれば、この作品にもっとも似ているのは95年の2ndアルバム『ザ・ベンズ』かもしれない。
アルバムに収録された全10曲がその緻密なプロダクションを剥ぎ取ったとしても、名曲と呼ぶに値するハイ・クオリティ。しかも、セッションから漏れたボーナス・ディスクに収録された8曲の大半もまた大名曲。全レディオヘッド史において、ソングライティング面での充実からすれば、この時期に並ぶのは、唯一『ザ・ベンズ』と『OKコンピューター』の狭間である1996年ぐらいのものでしょう。
和声もメロディも完壁の一言。エド・オブライエンのコーラスがフィーチャーされているレディオヘッド曲は必ず大名曲。というレディオヘッドの法則そのままの屈指の名曲です。
しかし勿論、プロダクションも素晴らしい。下品なEDMにありがちな、1曲の中に何度もしつこいくらいの沸点が用意されている構成とはまさに対極。繰り返し海岸に押し寄せる潮騒のような淡々としたグルーヴの中に、永遠に続くかのようなエクスタティックな瞬間が何度も湧き上がってくる。前者と後者、果たしてどちらがより快楽的なのか?という判断に関しては、セックスに例えてもらってもいいかもしれない。しかるに、このグルーヴの素晴らしさが理解出来ないのは子供だという話です。失礼。悪しからず。
21世紀以降、USインディだけでなく、北米のヒップホップ、R&B、ジャズの作家たちからのレディオヘッドに対するプロップスがうなぎ登りになったのは、ブラック・ミュージックの中からは生まれえなかったこうしたグルーヴにもその一端があったはずです。
今回のツアーでは3日に2回は演奏されています。なので、東京、大阪いずれかの都市では必ず演奏されるに違いありません。とにかくこの繊細なグルーヴに酔いしれて欲しいと思います。
3. There There
件の双子アルバム――『キッドA』『アムニージアック』前後、バンドのソングライターであるトム・ヨークは極力ギターを持つことから離れ、鍵盤やソフト・シンセに向き合うことになります。しかし、その間、彼は以前の自分たちや同世代バンドとは違うギター音楽の方向性を模索していました。そのひとつのトライアルに関しては、前述した通りです。
そして、そうした試行錯誤が見事に花開いたのが、2003年の6thアルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』のリーディング・トラック――この“ゼア・ゼア”です。ご覧の通り、曲の後半になって、ジョニー・グリーンウッドが太鼓の鉢からテレキャスターに持ち替えるまでは、曲の和声的な側面はトム・ヨークが弾くフルアコがすべての中心になっています。
しかも、ギターにしか出せない、ざらついた最高の音色。フレットの大半を縦横無尽に使った印象的なリフ。レディオヘッドすべての曲の中で、最高のギター・トラックと言えば、まさにこの曲以外にない。これこそが、伝統的かつ革新的な「ロック」なのです。
それにつけても、常に見過ごされがちなのが、優れたギター・リフ・メイカーとしてのトム・ヨークという側面。この“ゼア・ゼア”以降、いくつかの曲で彼が生み出した特徴的なギター・リフは、全盛期のジミー・ペイジに勝るとも劣らない。ジャック・ホワイトをも凌ぐのではないか。それが筆者の持論です。
ドラム+タムが二人という編成とアレンジは、おそらく79年にリリースされた2ndアルバム『メタル・ボックス』期のトラックをライヴ・ステージ用に置き換え始めた時期のパブリック・イメージ・リミッテッドからの引用です。このミニマルでヒプノティック、少しだけトライバルなビートは、彼らレディオヘッドがポストパンクの理想的な後継者であることを物語っています。
この曲も東京、大阪のいずれかの会場では必ず演奏されるはず。このヒプノティックなビートに身を任せるのもあり。「♬誰かが君の肩に乗ってるよ」という、誰もが知らず知らずの内に、自分とは別の力に飲み込まれてしまう現代の(もしくは、近代以降の)構造について歌った我らがエド・オブライエンのコーラスをシンガロングするのもあり。後半からのジョニー・グリーンウッドの凄まじいギター・プレイに狂喜するのもあり。是非ともこの世紀の名曲を堪能して下さい。
4. 2+2=5
この曲が収録されている2003年の『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』というアルバムは、全レディオヘッド史において、かなり特異な作品です。その理由は、それまで音楽的マグピー(かささぎ)として、いたるところからいくつもの音楽的リファレンスを掻き集めてきて、それをひとつにすることでアルバムという名の奇妙な巣作りをしていた彼らが、初めて「レディオヘッドというバンド」から出てくるものだけでアルバムを作ったという事実です(その後、“モーニング・ミスター・マグピー”というタイトルを持った曲が生まれるくらい、ある時期のトム・ヨークは半ば自嘲的に半ば胸を張って、自らのことを音楽的かささぎと呼んでいたのです)。
筆者のアドレスに「最近、何を聴いてんの?」という一行だけのメッセージの後に、ライアーズを筆頭に膨大な作家名のリストが送られてきたのも、まさにこの作品のレコーディングの直前のことだと記憶しています。おそらくこの時期の彼ら――特にトム・ヨークは、それまで彼らがやってきた、いくつかの音楽的リファレンスを起爆剤に自分たちの作品を作るというスタイルに対する躊躇があった。
そして、それこそが『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』という作品の弱点でもあり、強みでもありました。作品に向かう音楽的な刺激がビートルズのDVD作品『アンソロジー』であったことが示す通り、それまでアルバム・レコーディングの度にメンバー間の緊張が高まり、何度も解散寸前まで行きかけた彼らが、古のファブ・フォーよろしく、5人の力だけを結集させたアルバム、それが『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』です。言わば、『アビー・ロード』のような。
ただ、やはりレディオヘッド最大の強みは彼らがどんな時も生粋の音楽的マグピーだったこと。それゆえ、どこか全体として『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』という作品は、「レディオヘッドがレディオヘッドをやっている」という赴きがなくもない。我ながらあまりに点が辛すぎるとは思うものの、彼らすべてのアルバムの中で音楽的な驚きにはもっとも欠ける作品とも言えるかもしれません。
まあ、これがオアシスなら、むしろ誰もが拍手喝采を送るだろう方向性なんですけどね。だって、誰もオアシスに音楽的冒険など求めてはいませんから。勿論、前述の“ゼア・ゼア”のような曲が生まれただけで、ドがつく傑作なのは間違いない。比較する対象がそれまでの彼らの傑作群となった場合、かなり分が悪くなってしまうだけの話です。
しかし、勿論、『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』にはいくつかの強みがあります。ひとつには、バンドとしての有機的なバンド・アンサンブルにフォーカスしたこと。それを象徴するのがアルバム冒頭に収められた、この“2+2=5”です。また、それまでの彼らのレパートリーには、この“2+2=5”のように、エレクトロニクス主体の曲にギター含め生楽器のサウンドを融合させた曲はありませんでした。
決して彼らの輝かしいディスコグラフィの中でも群を抜いた大名曲というわけではない。だが、こちらの動画を見ていただければ、一目瞭然。ライヴ・レパートリーとしては最強です。
タイトルは勿論、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』からの引用です。主人公ウィストン・スミスが拷問されるシーンに出てきますよね。こうして見てくると、21世紀になってからのレディオヘッドがテーマにしてきたことの一貫性が見えてくる。
しかし、この曲における逆ギレ的な怒りの表現がやがて最新作に収録された“デイドリーミング”のような、感情の置き場を失った、ひたすら透明で、どこか空ろな表現に以降したことは、さらに混迷を極めた時代に対する彼らの現状認識の反映とは言え、なかなかに考えさせられるものがあります。おっと、少しブルーになってしまいました。
ただ勿論、この曲が演奏された時ばかりは、感情の矛先をひとつに集中させ、思いきり感情を爆発させてもらってもいいんじゃないでしょうか。今回のツアーでも、中盤からもかなりの頻度で演奏されているので、是非楽しんで下さい。
5. Bloom
あまりに輝かしいレディオヘッドのディスコグラフィ全体からすると、2011年の8thアルバム『ザ・キング・オブ・リムス』もまた、屈指の傑作とは呼びがたい作品です。ひとつには、アルバム全体を貫くプロダクションの軸になっている「エレクトロニクスによるビートと生ドラムのループとの合体」というアイデアがそれほどまでには功を奏していないこと。もうひとつには、その結果自体、この作品の音楽的な参照点でもあったダブステップを筆頭にした当時のビート音楽を決して凌ぐものではなかったということ。辛く言えば、ですよ。
例えば、DJシャドウの『エンドトロデューシング……』(1996年)やビョークの『ポスト』(1995年)における音楽的アイデアをバンド編成に置き換えようとしたつもりの97年の3rdアルバム『OKコンピューター』が、「間違えてしまった(©トム・ヨーク)」せいで、むしろ誰もが作りえなかった傑作になったという事実とある意味、好対照と言えるかもしれません。チャーリー・ミンガスやオウテカをやろうとして、やはり「間違えてしまった」作品――『キッドA』や『アムニージアック』しかり。
ただ別な視点から見れば、『ザ・キング・オブ・リムス』という作品は、スタジオ・テイクよりも遥かにライヴ・テイクがそれを凌ぐ、そんなアルバムの筆頭株でもあります。つまり、ライヴの現場でもっともその真価を発揮したアルバム、それが『ザ・キング・オブ・リムス』です。
その最大の理由は、前述のレコードにおけるリズム・プロダクションを生ドラム×二人、6人体制の生演奏に置き換えたことでした。そして、その代表例がこの“ブルーム”です。ここでの演奏は本当に息を飲むほどに素晴らしい。素晴らしすぎる。
筆者はかつて『ザ・キング・オブ・リムス』という作品における複雑な空間構成/時間構成をして、「カオスでもあり、フラクタルでもあり、コスモスでもある自然を模倣しようとしたのではないか?」と書いたことがあります。その理由のひとつは、アルバムのアートワークに北欧神話における神々が終末を迎える最終戦争を意味するラグナロクからの引用が散見出来ること、あるいは、リリックの大半に自然や野生、アミニズム的な視点を発見することが出来るからです。
その真偽はさておき、この“ブルーム”の演奏が聴き手にオファーするのは、そのリリックの内容とも相まって、荒れ狂う大海原に翻弄される小舟の恐怖と、やがて深海に沈んでいき、死の間際を予感した時に感じることの出来るきらめく光のような安息、その両方がないまぜになったようなフィーリングです。総じて最高にエクスタティック。
現在の6人体制のレディオヘッドが比類するものなき最高のライヴ・バンドだということを証明するのは、もしかすると、この曲が演奏された時かもしれません。今回のツアーでは、大方の場合、この“ブルーム”は必ず演奏されます。決して見逃すことのなきよう。そこには最高の体験が待っているはずです。
6. Lotus Flower
仮に「もし『ザ・キング・オブ・リムス』からベストを3曲選ぶとするならどれか?」という問いがあったとすれば、筆者なら、まずは先ほどの“ブルーム”、次に“ギヴ・アップ・ザ・ゴースト”を挙げます。いまだリリース前ながら、2010年の〈フジ・ロック〉のアトムス・フォー・ピースのステージでも演奏された曲です。
ただおそらく一般的にもっとも親しまれているのは、終始トム・ヨークが踊り続けるPVの印象もあって、このアルバムからのリーディング・トラック、“ロータス・フラワー”でしょう。以下の動画は今回ツアーの初日に撮影されたオーディエンス・ショットです。ミドル・エイジを越え、さらに磨きのかかったトムちんダンスが堪能出来ます。ポケットの付いたTシャツもきちんとトレンドを抑えています。
『ザ・キング・オブ・リムス』全体の方向性を象徴する“ブルーム”や“モーニング・ミスター・マグピー”、“フェラル”といったトラックに比べると、この曲のリズムは比較的シンプルです。ただ、スタジオ・テイクに関しては、打ち鳴らされるハンドクラップが明らかに拍の位置からズレていたり、意識的に定位を移動させたりと、そのプロダクションの妙からすると、アルバムの中でももっとも成功している。大音量のシステムやヘッドフォンで聴くと、本当に最高です。
勿論、ライヴ・テイクには件のハンドクラップはありません。少しばかりアレンジが単純化されている。そこは、彼らの最高傑作のひとつでありながら、ライヴの現場においては、緻密かつ大胆なプロダクションが施されたスタジオ・テイクを決して越えられない『キッドA』収録の“ハウ・トゥ・ディサピアー・コンプリートリー”と似ているかもしれません。
ただこの曲の場合、それがゆえに、『ザ・キング・オブ・リムス』収録曲すべての中でも常に安定した演奏を楽しめる曲でもある。今回のツアーでも3日に2回の割合で演奏されています。この曲のグルーヴに合わせ、トム・ヨークを凌ぐ最高の超絶ダンスで、是非ともステージ上の演奏に応えて下さい。
7. The Gloaming
今でこそステージ上でトム・ヨークがとにかく踊りまくるトラックの代表と言えば、前述の“ロースト・フラワー”ですが、それ以前は『キッドA』収録の“イデオティック”、それ以上にこの“ザ・グローミング”でした。レディオヘッドによるエレクトロニクス・ダンス・トラックの集大成であり、トム自身のフェイヴァリット曲のひとつ。この曲、今回のツアーのセットリストの傾向からすれば、東京、大阪のいずれかでは必ず演奏されるはずです。
この“ザ・グローミング”のリリックのメイン・テーマでもある「今は黄昏時の時代だ」という認識は、21世紀に入ってからの彼らのアルバムすべてに共通するものであり、彼らの世界中のファンの多くがシェアしている感覚だと言えるかもしれない。
ただ、この曲が収録された『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』というアルバムは、93年の1stアルバム『パブロ・ハニー』と並ぶ、「ふざけんな!」という怒りのフィーリングが非常に強い作品。それゆえ、彼のダンスもとても激しいものにならざるをえない。というわけです。
因みに、この曲がウケた日のトム・ヨークは非常に上機嫌。という統計の結果もあります。統計の母数は一桁ですが。この曲が演奏された際には、その日のステージが最高のものになるよう、皆さんも是非激しいダンスで応えて下さい。
8. Everything in Its Right Place
ここからの2曲は、2000年の4thアルバム『キッドA』収録曲であり、この21世紀におけるバンドの存在感を決定づけた曲であり、ロック/ポップ史における屈指の傑作です。
この“エヴリシング・イン・イッツ・ライト・プレイス”はギターを持つことに完全に嫌気が差していたトム・ヨークが初めて鍵盤で作曲した曲。彼らの二度目の黄金期、現在へと続くレディオヘッドという世界一のバンドが本当の意味で始まりを告げた曲でもあります。
『キッドA』リリース以前に行われた欧州ツアーで、ステージ本編の最後にこの曲が初めて演奏された時の、あまりに鮮烈な印象を今でも忘れることが出来ません。トム・ヨークのカウントから、ローズ・ピアノが10で円環するリフを奏で出した瞬間に、今でも戦慄が走ります。
また、この曲は時にイントロが始まる前に、トム・ヨークがさまざまなカヴァー曲を口ずさむこともあることで知られています。以下の文章中に動画のリンクを貼っておくので、興味のある方はご覧下さい。
この2009年〈レディング〉での映像ではヤー・ヤー・ヤーズの“マップス”を。2012年の〈コーチュラ〉ではニール・ヤングの“アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ”を。2012年のベルリン公演ではビョークの“アンラヴェル”を。2008年の日本公演、埼玉スーパー・アリーナではR.E.M.の“ワン・アイ・ラヴ”を歌っています。
90年代後半に作られたチープなDJガジェットであるカオスパッドを使い、ジョニー・グリーンウッドがトム・ヨークのヴォーカルと鍵盤にリアル・タイムでエフェクトを加えていくという演出は昔も今も変わりませんが、今回のツアーからトム・ヨークが弾く鍵盤がローズ・ピアノからプロフェットに変わり、音色がすっかり違ったせいもあって、今では以前とはかなり印象が違っています。
また、以前はスタジオ・テイクよりも遥かに長い、6分近い長尺に引き伸ばされて演奏されていましたが、今回のツアーからは曲後半からの甲高いチューニングのスネアもオミットされ、後述する“イデオティック”とのメドレー的に演奏されることも増えています。事前に確認されたい方は、こちらの2016年の〈ロラパルーザ〉での動画を参考にして下さい。
これまで何度もレディオヘッドのステージを体験したことのある観客にとっても、新鮮な驚きがあるはず。今回のツアーではほぼ毎回演奏されています。前述の2003年のライヴのようにアリーナから万雷のハンドクラップが巻き起こるのか、否か。今回のツアーのポルトガル公演では、いまいち観客の反応が薄いので、おどけて拍手を求めたり、わざわざステージを降りる仕草までして、観客を沸かそうとするトム・ヨークの姿が確認出来ます。リンク先から見て下さい。これはなかなかに貴重。
さて、東京、大阪ではどんな風になるんでしょう。「すべてはしかるべき場所に」という多義的な解釈をすることの出来る印象的なパンチ・ラインはポジティヴに響き渡るのか、ネガティヴなニュアンスで鳴らされることになるのか。すべては皆さん、当日のオーディエンスに委ねられているのです。
9. Idioteque
21世紀以降のレディオヘッドのステージにおける絶対不可欠なレパートリーと言えば、この“イデオティック”でしょう。この曲が演奏されないことは100%まずない。そして勿論、ほぼ必ずステージのハイライト的なポジションで演奏されます。この夏を堪能するための最大必須曲と言えば、この曲です。
この曲は『キッドA』に収録されていることもあって、世間一般的にはソフト・シンセのアルゴリズムを使った所謂IDMという文脈で捉えられることもあります。しかし、以下の動画を観ていただければわかる通り、ジョニー・グリーンウッドはヴィンテージのモジュラー型シンセを使っています。つまり、アナログ楽器です。
総じてステージ上の演奏も非常にフィジカル。6人体制になってから、さらにパワーアップしています。我らがエド・オブライエンが担当するシェイカーがもっとも大切な役割を果たしていることも見逃さないで下さい。
海外のオーディエンスには「リズムを倍に刻んで楽しむ」という文化があって、日本にはない。と言われることがあります。もしそれが正しいとするなら、ここ10年、日本のユース向けのポップ音楽のbpmが、ボカロ、アニソン、J-ROCKを筆頭にひたすら加速してきたことに説明がつきます。逆に、欧米のポップ音楽のbpmがひたすら遅くなってきたことにもやはり説明がつきます。
bpmが遅くなればなるほど、演者も観客もリズムを細かく刻むことが出来ます。ビートという縛りがあっても、自由度は増すわけです。しかし、逆にbpmが速くなればなるほど、演奏のみならず、観客の楽しみ方の自由度も殺がれていきます。曲に合わせて体を動かそうにも画一的な動きしか出来なくなる。マス・ゲーム化していく。そう、あのゾッとするしかない光景です。
つまり、とても乱暴に言うなら、曲のテンポが速くなるということは、身体的な自由という「受け手の解釈」の幅をあらかじめ封じ込めることにも繋がっていくわけです。
これははっきり言って、文化の退廃だ。と断言してもいい。
何故なら、優れた表現の条件のひとつは、その表現において、受け手による解釈の可能性がどれだけ担保されているか、どれだけ自由な解釈が出来るか、表現からどれだけたくさんの解釈を引き出すことが出来るか、それに尽きるからです。
実際、bpm60~70台の曲に合わせて、何万人ものドレイクやケンドリック・ラマーの観客がそれぞれ勝手気ままに体を動かしている映像を目にしたりすると、涙腺が緩むことさえある。どんな時代もポップ音楽の歴史と不可分であり続けた「自由」という文字が脳裏に浮かんできてしまう。自分自身が何十年もの間、ずっと焦がれてきたものはまさにこれだった、という確信が胸を込み上げます。
勿論、「自由」には「規律」が必要な場合もあります。それがフリーダムではなく、リバティと翻訳されるのであれば。しかし、レディオヘッドのファンであれば、彼らがリバティの先にあるフリーダムに到達しようと、ずっと腐心してきた作家だということがおわかりになるはずです。
音楽にとっての規律とはリズムであり、調性です。彼らはそれをも越えようとしてきた。リズムにおける揺らぎ、調性を逸脱すること。それは、言語や社会的な規律、時代のエピステーメーによって、誰もが知らず知らずのうちに奪われがちな複雑系回路や身体性、総じて自由を取り戻すことに他なりません。
かつて10年以上前、トム・ヨークが「僕自身の理想的な世界においては、もう二度とスネアは二拍目や三拍目には入らないんだ」と半ば冗談めかして言ったことをご存知の方もいると思います。彼のこの言葉は、例え、世界中の誰もが2+2=5だと当たり前のように言ったとしても、常にそれに対する疑問を抱き続けるんだ。という意味に解釈することも可能です。
例えば、全世界的に見ても、歴史的に見ても、21世紀の日本ほど、スネアが同じ位置で鳴ってる曲だらけの国はありません。これはかなり異常な事態です。
ただし、『キッドA』期のレディオヘッドが敢えて背を向けた「90年代後半のロック」にもそれに近いことが起こっていました。今の日本ほど異常ではありませんが。前述のトム・ヨークの発言はそうした文脈から出てきたものなのです。
彼らの音楽は常に、そうした疑問を自らの表現にぶつけることによって、その答えを探そうとしてきました。レディオヘッドの歴史は、そうした疑問、それを紐解こうとする思考と実践、それを観客と共にシェアすることで、市井の人々と一緒に、しかるべきより良い解決に向け、少しでも歩を進めようとしてきた血の轍です。
話がとんでもなく逸れてしまいました。とにかく“イデオティック”の演奏に合わせて、心の底から楽しんで下さい。
この曲の演奏においてもっともリズムを細かく刻んでいるのは、我らがエド・オブライエンのシェイカーです。時折、厳密な正確さを欠く彼のシェイカーは、時に規律を外れそうになりながら、ただ間違いなく全体のリズムに心地よい揺らぎを与え、リズムの体感速度を加速させ、ドライヴさせている。「なんでギター弾かずにシェイカー振ってんの?」と感じている方がいたら、一言だけ言っておきます。
どんなにちっぽけに見えても、この世の中に不必要なパズルのピースなど何ひとつない。一番目立たない場所にいる誰かが全体のもっとも大切なところを支えている場合だってある。そのことをレディオヘッドという6人の小さなコミュニティは教えてくれます。俺たち、こんな風に踊ればいいんだよ、自分以外の誰かと何かをするっていうのはすっごく楽しいことなんだよ。ということです。
つまり、この曲の演奏は、ある集団において何かしらの調和を乱さぬよう懸命に努めること、と同時に、時にその調和から逸脱し、好き勝手な自由を手に入れること――その狭間にこそ、最大の喜びと美と可能性はあるのだ。と告げているのです。と、思いきり跳躍することで、この稿を終えたいと思います。
10. Street Spirit (Fade Out)
この「初級コース:絶対に聴いておくべき、今のレディオヘッドを代表する10曲」も最後の1曲となりました。最後の1曲は何にすべきか、とにかく悩みました。
はて、『キッドA』収録の“ザ・ナショナル・アンセム”にすべきか、いや、それだと“ボディスナッチャーズ”で書いたことと被る。
6人体制になってから見違えるようにパワーアップした『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』収録の“マキシマトーセズ”か、いや、それについては“ブルーム”でも書いた。
『イン・レインボウズ』収録の珠玉の名曲たち――“15ステップス”、“ヌード”、“レコナー”、言わんや、“ヴィデオテープ”をスルーしていいのか、いや、でも今回のツアーではあまり演奏されていない。
でも、『ザ・キング・オブ・リムス』随一の隠れた名曲と言えば、“セパレーター”じゃないか。などなど。
そんな風に悩み抜いた結果、ここでは彼らの全キャリアを通して、どの曲よりももっとも数多く演奏されてきた曲で締めることにしました。今回のツアーでもほぼ2回に1回の割合で演奏されている。なので、東京、大阪いずれかでは必ず演奏されるはずです。
この“ストリート・スピリット(フェイド・アウト)”は95年の2ndアルバム『ザ・ベンズ』の最後を飾る曲であり、ナイジェリアの小説家ベン・オクリが91年に発表した彼の代表作『満たされぬ道』に触発され、トム・ヨーク自身が心底誇りに感じている「魂を愛で満たすんだ」というコーラスを持った曲であり、社会のよりよい変革のために行動してきた市井の人々に何度も捧げられてきた曲であり、幾度もショーのアンコールを飾ってきた曲でもあります。「愛と平和を」という言葉を添えて。
あるいは、『ザ・ベンズ』の中でも唯一ポジティヴなフィーリングを持った曲。1stアルバムに収録された“ラーギー”、もっとも有名な未発表曲“リフト”と並ぶ、90年代レディオヘッドのポジティヴ三部作の1曲とでも呼ぶべきナンバーです。
では、2003年の〈グラストンベリー〉での動画を見て下さい。すべてが最高です。演奏し終わった後のトム・ヨークの挨拶、笑顔、仕草のどれもが感動的です。そして、それを引き出したのは、フィールドを埋めた何万人もの観客の力なのは言うまでもありません。
ここ日本ではこんな大合唱は望むべくもないかもしれない。こんな風に数万人の観客が両手を掲げる光景は見られないかもしれない。ただこの曲が演奏された時、それが少なくともあなたにとって特別な空間と時間になることを祈っています。最高の夜にして下さい。
長らくご静聴ありがとうございました。次回は中級コース、「確率70%から20%の割合で演奏しそうな、主に90年代の珠玉の10曲」です。
今回の2016年のツアーでは、これまでずっと封印されていた90年代の代表曲がふんだんに演奏されてるという異常事態になりつつあるという話はこちらの記事でも書きました。
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この2016年の夏、〈サマーソニック〉で
レディオヘッドを観ておかないと絶対に
後悔する10の理由 part2-セットリスト編
なので、本稿に続く中編では、主にそうした90年代の代表曲を中心にご紹介しようと思います。ご期待下さいませ。
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中級コース:2016年夏のレディオヘッドを
120%楽しむために。確率70%から20%で
演奏しそうな、主に90年代の珠玉の10曲
上級コース:2016年夏のレディオヘッドを
120%楽しむために。ほぼ絶対にないものの
演奏されたら憤死するしかない究極の10曲