2019年の主役はアリアナ・グランデ? ソランジュ? いや、やっぱりビリー・アイリッシュなのでは?――2019年も4ヶ月が過ぎ、上半期最大のトピックである〈コーチェラ〉も終わった現時点では、多くの人がそんな風に感じていることだろう。だが、敢えてこのように断言したい。同時代を生きる誰もが共有することが出来る、新たな時代のナラティヴを提示するのがポップ・アーティストだという意味合いにおいて、大本命のポップスターたちを追い抜き、2019年のトップランナーに躍り出るのは、6年ぶりの新作『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』を5月3日(日本盤は5月15日)にリリースするヴァンパイア・ウィークエンドだと。間違いなく『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』は彼らの最高傑作。そして2019年を代表する作品である。
ただ、新作についての具体的な論考は、アルバムのリリース後、リスナーがこの素晴らしい作品を自分の耳で確かめてからにしたい。その前段階として我々がやっておきたいのは、インディが完全に衰退し、ラップとポップの時代が続く2019年において、なぜヴァンパイア・ウィークエンドの新作に期待すべきなのか? という前提を読者と共有しておくことだ。
そこで本稿では、これまでのヴァンパイアの作品や活動、インタヴューでの発言を振り返りながら、『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』に期待する5つの理由をレジュメした。なぜ彼らが今もなお最重要アーティストなのか、いや、なぜむしろこの2019年にこそもっとも重要なアーティストとして位置付けられるのか、改めて紐解いていきたい。
1. ゼロ年代USインディの異端児にして、ポップの時代への架け橋
ヴァンパイア・ウィークエンドがデビューした2008年はUSインディ黄金期。旺盛な実験精神と多文化主義を武器に、NYはブルックリンを最大の震源地として優れたバンドや作品が多数生まれ、幾つもの作品がナショナル・チャートを席巻した時代だ。この勢いに乗って、ブルックリンを活動拠点とするアニマル・コレクティヴやダーティ・プロジェクターズがそれぞれ最高傑作――『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』『ビッテ・オルカ』を上梓するのは翌2009年のこと。
だが、この時点で既にヴァンパイア・ウィークエンドは幾多のUSインディ・バンドよりも遥か遠くを見据えていた。彼らの1st『ヴァンパイア・ウィークエンド』におけるサウンドは端的に言えば、アフロ・ミュージックとバロック音楽とインディ・ロックの融合だ。
同作はUSインディ的な実験精神と多文化主義に支えられながらも、当時としては異色なまでに軽やかでポップ。同時代のブルックリン勢=アニマル・コレクティヴ、TV・オン・ザ・レディオ、ギャング・ギャング・ダンスなどが打ち出すカオティックで前衛主義的なムードとは明らかに一線を画していた。その意味において、彼らはUSインディの異端児であり、ポップへの架け橋でもあった(その結果、2010年の2nd『コントラ』と2013年の3rd『モダン・ヴァイパイアズ・オブ・ザ・シティ』は全米チャートNo.1に輝くことになる)。
実際、当時から彼らは、インディに留まらず、メインストリームにまで自分たちの声を届けることに意識的だった。「特定のタイプの人に向けて作っている気がするから」という理由でインディに括られることを嫌い、「僕らはもっとメインストリームのものが好きな人にも聴いてもらいたい」とエズラ・クーニグは2008年に〈スヌーザー〉のインタヴューで語っている。
こうした姿勢が、後にビヨンセの傑作『レモネード』(2016)収録曲“ホールド・アップ”にエズラがソングライティングで参加し、ダーティ・プロジェクターズのデイヴ・ロングストレスと共にカニエ・ウェストの曲(未発表)に参加することにも繋がったと言っていいだろう。つまり、ヴァンパイア・ウィークエンドはゼロ年代USインディ出身にして、かなり早いタイミングから現在の「ポップの時代」を予見していた、ほぼ唯一と言っていいほどの特異的かつ先見的なバンドであった。
2. ヒップホップ的なアプローチでバンド音楽をアップデートする姿勢
初期ヴァンパイア・ウィークエンドの代名詞は「アフロ・ミュージック」だが、実際はデビュー当初からヒップホップの影響も覗かせている。例えば、リリックに固有名詞が頻出するという初期作の大きな特徴は、エズラ曰く「もしかすると、ラップを聴いて育ったことが理由かもしれない」。また、2009年の時点でエズラは、「彼ら(アークティック・モンキーズ)とか、カニエ・ウェスト、それにリル・ウェインなんかの歌詞って、聴いた後で必ず、使ってる言葉の意味を調べたくなるんだよね」とも発言している(どちらも〈スヌーザー〉のインタヴューにて)。
エレクトロニクスの比重が増した2ndアルバム『コントラ』(2010年)に顕著だが、ビートのチョップやループを多用するなど、サウンド面でもヒップホップの影響は少なくない。
そもそも、過去や異文化の音楽的要素を取り込み、それをミックスすることで自分たちの表現とすること自体がヒップホップ的だ、ともエズラは認めている。彼は、このようなアプローチを取るようになった理由の一つとして、高校生の時にDJシャドウの『エンドトロデューシング』(1996年)に夢中になったことを挙げている。「何がどっから取られてるとか、このサンプルは何かとか、ずっとあのアルバムに取り憑かれてた。ああいうのを聴いて育ったら、自分の音楽へのアプローチがヒップホップ的になるのは、すっごく自然っていうか」
ヒップホップの影響は、新作『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』のトラックリストからも垣間見られる。全18曲60分強というボリューム感。そして、曲によって様々なゲストが参加しているという今までのヴァンパイアにはなかった作り方も、昨今のヒップホップ、あるいはその影響を取り込んだポップ・ミュージック的だ。
例えば、“サンフラワー”にはジ・インターネットのスティーヴ・レイシー、“ビッグ・ブルー”にはケンドリック・ラマーを手掛け、21サヴェージの最新作『i am > i was』(2018年)を音楽的にアップデートさせることにも一役買ったDJダヒが参加している。ヴァンパイアの新作は、モダンなラップ/ポップ・アルバムの形式をバンド・スタイルで捉え直そうとしていると言っても過言ではない。
3. 格差からセレブ文化の功罪まで――現代社会が孕む問題を的確に切り取る慧眼
ヴァンパイア・ウィークエンドは、常に現代社会に対する批評的な視座を持っていたバンドだ。それは、2017年にエズラが制作したNetflixのアニメ・シリーズ『ネオヨキオ』にも色濃く現れている。「トランプ時代らしい社会性」とも評された同作については、〈FUZE〉での辰巳JUNK氏の論考が詳しい。
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現代社会批評としての『ネオヨキオ』——「トランプ政権以降の世界」に対するヴェンパイア・ウイークエンド=エズラ・クーニグからの奇妙な問いかけ
もちろん、そうした彼らのスタンスは楽曲にも表出している。リリックにおける固有名詞の頻出という特徴には、現代社会に対する批評的な視座を提示するという機能もある。2008年の〈スヌーザー〉のインタヴューでは、「あなたの書くリリックは、固有名詞をあえて頻出させる傾向があります(略)そこで使われている固有名詞の連なりによって、あなたの書く詞の世界は、良くも悪くも、文化的な混乱が巻き起こっている現代社会のアナロジーのように思える」という田中宗一郎の問いかけに対して、エズラはこう答えている。
「ああ、その通りだと思う。実際、僕が今考えている2ndアルバムのコンセプトが、アイデンティティの混乱なんだよね。今って、大勢の人が、“自分が好きなもの”によって、自分をアイデンティファイしてるよね? フェイスブックとか、SNSでは、自分の情報をアップする時に、自分の夢や希望についての文章を書いたりしないよね? 好きな映画や好きな音楽、自分のヒーローを書き込む。つまり、好きな音楽で自分を規定する人がどんどん増えてきてるってわけ。それがいいことか悪いことか、僕にはわからないけど、すごく興味深いと思ってるんだ」
上の一連の会話で具体例として挙がっている曲は、1st収録の“ケイプ・コッド・クワッサ・クワッサ”。ここでは、「ルイヴィトン」というハイファッションのブランドと、「ベネトン」というカジュアル・ブランド、そしてヴィトンなどを好むセレブ・カルチャーからは程遠い、もしくは搾取される側の人たちの音楽かもしれない「レゲトン」で韻を踏んでいる。そしてコーラスでは、音楽の植民地主義という問題と生真面目に向き合ったピーター・ゲイブリエルの名前まで出てくる。この曲が、リリースから11年が経った今こそより深刻な問題である、経済格差や「文化盗用」、セレブ・カルチャーの功罪といったテーマを視野に入れているのは慧眼と言うほかない。
4. 二項対立の世界を俯瞰し、乗り越えようという意志
「“ケープ・コッド・クァッサ・クァッサ”の『クァッサ・クァッサ』って言葉は、すごくアフリカ的に見える。スペルも響きもね。でも、あの言葉は、フランス語を綴り直しているんだよね。だから、あの曲の最初のヴァースのアイデアは、『第一世界対第三世界とか、西洋対東洋みたいなものを超えていこう』ってこと。だって、物事をそうやって二分しようとする人達は、大抵、間違ってる。全体の物語を語れてないんだよ」(スヌーザー、2008年)
1stの時点でエズラがこう語っていたように、ヴァンパイア・ウィークエンドには不毛な二項対立による争いを超えていこうという明確な意志がある。2010年にリリースした2ndアルバムのタイトル『コントラ』の由来は、ラテン語の「アゲインスト」。そこには「反〜」という二元論を超えていこうという意味合いが込められていた。こうした彼らの問題意識は、右と左、黒人と白人、男性と女性、持つ者と持たざる者――様々な二項対立で激しい争いが繰り返される2010年代後半においても極めてアクチュアルであることは言うまでもない。
彼らの姿勢が今も一貫しているのは、新曲“ハーモニー・ホール”を聴いてもわかる。「怒りは声を欲する/声は歌いたいと望む/歌い手たちは合唱する/彼らにはなにも聞こえなくなるまで」というリリックは、ある特定の主義主張の持ち主たちが、他の意見を持つ者たちに耳を傾けず、半ば自家中毒を起こしながら、対立する思想の持ち主たちに怒りの声をぶつける、という現代社会の有り様を描写したものと解釈することも可能だろう。
もちろん彼らはそういった問題に対して、何かしらの解決策を提示するわけではない。ただ、「こんな風に生きていたくない/でも死にたくもない」というリリックは、私たち全員がこうした厄介な状況に向き合わざるを得ない、と訴えかけているように捉えることも出来る。
5. メンタルヘルスの時代の「次」を期待させる、新作のポジティヴなフィーリング
ヴァンパイア・ウィークエンドは、2010年代という「ラップとポップの時代」を誰よりも早く、正確に見据えていたインディ発のバンドだ。それと同時に、誰もが簡単には答えを見つけることが出来ない現代社会の諸問題にしっかりと向き合い、かつ冷静に分析してきたバンドでもある。彼らが約6年ぶりにリリースするニュー・アルバム『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』は、そういったヴァンパイアらしさを凝縮しながらも、その先へと大きく進んだ作品だ。
何より特筆すべきは、アルバム全体に漂うフィーリングだろう。先述の“ハーモニー・ホール”にしても、リリックのテーマは重いが、全体的なムードとしては軽やかでポジティヴ。2010年代後半がエモ・ラップやビリー・アイリッシュに代表されるメンタルヘルスの時代だとすれば、今のヴァンパイアには暗闇を抜けた後に希望の光が差し込むような――〈サイン・マガジン〉の文脈で言えばアリアナ・グランデ“サンキュー、ネクスト”以降と位置付けられるような祝祭感さえ漂っている。
思い返してみれば、2013年にリリースされた前作『モダン・ヴァンパイアズ・オブ・ザ・シティ』は彼らの最高傑作でありながらも、キャリア史上最もダークな作品でもあった。アルバム・カヴァーにはスモッグガスに覆われた60年代ニューヨークを捉えたモノクロ写真が使われており、全体に通底するテーマは「死」「アメリカ」「信仰や信念、あるいはそこに対する疑念」。今考えると、同作は2010年代後半の世界的な混乱、もしくはトランプ以降のアメリカのムードを予見していたと考えられなくもない。
『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』には、そうした暗澹とした時代を抜けた「次」のムードをつかもうとしているところが確実にある。当の本人たちがそれを意識していることは、〈ローリング・ストーン〉でのエズラの発言からも読み取れるだろう。
「死を扱った歌に合わせて白黒のアルバム・カヴァーを作った後、これ以上深い闇はないと気づいた。つまり、新作(『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』)は“それでも人生は進む”というレコードなのさ」
ヴァンパイアの1stは、2008年の時点で「USインディの時代」の次へと既に半歩踏み出していた。それと同じように、この『ファーザー・オブ・ザ・ブライド』が2020年代の扉に早くも手をかけていたとしても何の不思議ではない。
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分析や解釈をすり抜けていく重層的な音と
言葉のタペストリー。2019年最大の謎と
してのヴァンパイア・ウィークエンド新作