戦争、エネルギー問題、疫病、それに伴う新たな政治的分断――これまでの秩序やルールが崩壊し、世界はいつになく不安定な状態にある。そんな時代だからこそ、ポップ音楽もそれぞれのアイデンティティと歴史認識を見つめ直そうとしている。だが各自が立っている地平はバラバラだ。未来はどこに向かうのか?
2020年代はパンデミックとBLMの再燃で幕を開けた。そして2022年は、ロシアによるウクライナ侵攻という戦争が始まった年である。ここ数年の間に、世界ではあまりに多くの決定的な出来事が頻発した。それによって、私たちは自らの価値観や歴史認識を問い直し、否応なしに書き換えることを求められてきた。最早かつてのルールや常識は通用しない。誰もが手探りで闇の中を進むような、極めて不安定な時代に突入している。そのような実感を改めて誰もが強めた一年だったに違いない。
この混沌とした2022年に生まれたポップ・ミュージックもまた、かつての常識が大きく揺らいでいるがゆえに、各自が立脚する価値観を振り返り、それを作品という形に落とし込むことによって、それぞれ異なる立場から異なる歴史認識やアイデンティティを表明するという傾向が見られた。グローバリゼーションが推し進められた結果、地理的制約からの解放と情報の均質化が同時進行し、ポップ音楽のポストジャンル化――ポップ音楽というユートピアにおいて世界がひとつになるかのような幻想――が進んだ2010年代を経て、時代は完全に新たな局面を迎えたと言っていいだろう。
具体的に幾つか見てみたい。多くのメディアが2022年の象徴として選んだビヨンセの『ルネサンス』は、周知の通りブラックやブラウンのLGBTQコミュニティ発祥であるボール・カルチャーに改めて光を当てた作品。と同時に、彼女が『ホームカミング』以降、特に意識的に取り組んできたブラック・ミュージック/カルチャー史再訪の現時点での集大成でもある。多数の年間ベストでビヨンセと拮抗する支持を集めたバッド・バニーの『Un Verano Sin Ti』は、アメリカ中心史観と意識的に距離を測りながら、母国プエルトリコとカリブ海のアイデンティティをリプレゼントしている作品だ。ケンドリック・ラマーが『ミスター・モラル&ザ・ビッグ・ステッパーズ』において、救世主のように扱われる自分自身が置かれた状況を巡る苦悩と、アフロ・アメリカンのコミュニティが抱えるセンシティヴな問題に切り込んだのも、自らのアイデンティティの再確認という意味では2022年的だったかもしれない。そして、ハリー・スタイルズが『ハリーズ・ハウス』で向き合ったのは、ブリティッシュとして今の時代にロックを再定義すること。これらの作品では、各自のアングルから歴史とアイデンティティの問題へと意識的に踏み込んでいるのが見て取れる。どれもが極めて重要な仕事であることは間違いない。ただ、北米メインストリームを中心にポップ音楽を考えるという価値観が揺らいでいるがゆえに、それぞれが見ている風景はまるでバラバラだ。
無論、上に挙げたメガ・ポップ・スターたちの例は、あくまで状況の突端を切り取ったに過ぎない。ウィズキッドやバーナ・ボーイやテムズなどを筆頭としたアフロビーツのグローバルな存在感のさらなる向上、世界的躍進に一層ドライヴがかかっているK-POP、あるいはシティポップ・ブームをひとつの契機にかつてないほど国外からも注目が集まっている日本のポップ・ミュージック――それらに目をつむって「今」を語ることは難しい。現代は耳を傾けるべき音楽が世界中に無数に存在することが可視化されており、なおかつ、それぞれが背景に持つ価値観や文脈も膨大だ。となれば、ある特定の立場から全体を俯瞰して総括するという行為は、最早不可能に近いだろう。
そのような状況の変化に呼応し、メディアが発表する年間ベストの意味合いも変わってきている。これまでは欧米中心のポップ史観の中で各メディアが自分たちなりのパースペクティヴを提示するというものだったが、今は林立する多様な価値観を出来る限り包括し、それをいかにオーガナイズするか、という方向へと推移してきた。
私たち〈サイン・マガジン〉の年間ベスト・アルバムは、上述の問題意識を前提としつつも、可能な限り大きなパースペクティヴでポップ・ミュージックの今を捉えようと努めた。無論、DIYの小さな組織体である〈サイン・マガジン〉には、世界各地の音楽シーンの隅々にまで完璧に目を凝らしたランキングを作ることは難しい。だからこそ、私たちはこの混沌とした状況をむしろ思い切り楽しむことも意識した。なぜなら、ウェット・レッグやザ・スマイルのアルバムが多少ラフな作りであっても、音を鳴らすことそれ自体の喜びにフォーカスしたことで爆発力を持ったように、今必要なのは過剰にシリアスになったり肩の力を入れ過ぎたりせず、音楽から受け取る純粋な喜びと的確な問題意識をあくまで軽やかにオーディエンスと共有することだと思うからだ。
なので、あなたも肩ひじ張らずに、各ライター陣の個人ベストと併せて、〈サイン・マガジン〉年間ベスト・アルバムを存分に楽しんでもらいたい。
最後になるが、この年間ベスト企画をもって、私たち〈サイン・マガジン〉は10年の歴史に終止符を打つこととした。これまで10年の記事は今後可能な限りの期間、閲覧可能な状態にしておく予定だが、この年間ベスト企画関連の記事が最後の更新になる。悪しからずご了承いただきたい。
社会にとってもポップ音楽シーンにとってもおそらくは60年代にも匹敵するだろう激動の時代をテキストとして残すことの出来た幸福を改めて感じると同時に、この10年の間いずれかのタイミングで出会うことの出来た、皆さん読者との関係を何よりも誇りに感じている。では、最後に目一杯楽しんで欲しい。これが私たちが選んだ2022年を象徴する50枚である。
2022年 年間ベスト・アルバム 41位~50位
2022年 年間ベスト・アルバム 31位~40位
2022年 年間ベスト・アルバム 21位~30位
2022年 年間ベスト・アルバム 11位~20位
2022年 年間ベスト・アルバム 6位~10位
2022年 年間ベスト・アルバム 1位~5位
collage graphics by DaisukeYoshinO)))