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MY EVERYTHING Ariana Grande (Universal) by AKIHIRO AOYAMA
YOSHIHARU KOBAYASHI
September 24, 2014
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MY EVERYTHING

子役上がりから芯の太いシンガーへの華麗な飛躍
今最もチェックしておくべきポップ・スターによる2作目

リリー・アレンが最新作『シーザス』のタイトル・トラックで描いていたように、現在メインストリーム・ポップの世界はそれぞれにキャラの立った女性シンガーで溢れ返っている。レディ・ガガやケイティ・ペリー、リアーナといったリリーが同曲で言及していたアーティスト以外にも、テイラー・スウィフトからニッキー・ミナージュ、アデル等々を含めれば、現況は百花繚乱状態だと言っていいだろう。その中でも、昨年から今年にかけて、猛烈な勢いでメインストリームの頂に駆け上がってきた成長株がアリアナ・グランデである。

ただ、上記の女性アーティスト達が不甲斐ない男のケツを蹴っ飛ばすような強烈な個性を放っているのに対し、アリアナ・グランデにはこれまで何となく保守的でクリーンなイメージがあった。TVシリーズの子役上がりで、セクシーさとは程遠いあどけなさを残した少女のようなルックス。ベイビーフェイスをプロデュースに招き、マライア・キャリーをはじめとする90年代のポップ・R&Bを忠実にトレースしてみせた前作『ユアーズ・トゥルーリー』の音楽性。勿論、多様な女性のエゴが乱立する中で、アリアナ・グランデの正統派的なイメージはむしろ他にはない個性でもあっただろう。しかし、アイドル的な側面も併せ持つクリーンなイメージで登場したシンガーほど、その後の実像との乖離によって悲惨な道のりを辿りやすいのも事実。そこで、この2作目によって問われるのは、アリアナ・グランデは一過性で消費されるポップ・アイドルで終わるのか、それとも屹立した個性で勝負できる芯の太いアーティストとなれる逸材なのか、だ。

前作『ユアーズ・トゥルーリー』は、今にして思えば「ネクスト・マライア」と称される彼女の力強い歌声を世間に知らしめる名刺代わりの1枚だったと言えるだろう。その成功を自信に繋がる糧として作り上げたこの2作目『マイ・エヴリシング』は、彼女が紛れもない現代を生きるポップ・スターだということを証明する1枚だ。まず耳を惹くのは、前作のノスタルジックな90年代テイストが大きく後退し、その代わりに様々な2014年的意匠が散りばめられたサウンド面での抜本的な変化。近年のアーバン・トレンドを見事なポップ・チューンに昇華した“プロブレム”、ゼッドの手によるアッパーなEDMの“ブレイク・フリー”、〈ラッキー・ミー〉所属のカシミア・キャットがフィーチャーされた未来的なエレクトロニックR&B“ビー・マイ・ベイビー”等々、音楽的な面では前作よりも遥かにモダンでレンジの広いトラックが並んでいる。

また、ゲスト参加したアーティストの顔触れも実に今っぽく、それぞれが素晴らしいパフォーマンスで作品に彩りを与えている。“プロブレム”のイギー・アゼリアや“ハンズ・オン・ミー”のエイサップ・ファーグといったラッパーの貢献も特筆すべきだが、最も素晴らしいのはウィーケンドとのデュエット“ラヴ・ミー・ハーダー”。途轍もなくエモーショナルに愛についての言葉を交わし合うこの曲は、アリアナ・グランデにとってだけでなく、ウィーケンドにとってもメランコリックなパブリック・イメージを覆す新たな一面を開陳した重要な楽曲だ。

クリーンで正統的な佇まいは損なうことなく、現代のサウンドを身にまとって少女から大人の女性への成熟を率直に歌にしてみせた本作は、アリアナ・グランデにとって理想的な2作目と言っていいだろう。他の女性達の強烈なキャラに正面切って対抗するには日が浅く、いまだ成長の途にある印象ではあるものの、少なくとも今年のメインストリーム・ポップの中で、本作が絶対にチェックしておいて損のない1枚なのは間違いない。

文:青山晃大

果たしてこれは成功か? 期待外れか?
「ポスト・マライア」のディーヴァが挑んだ新境地

ボツになったとは言えグライムスがリアーナに曲を書き、ハドソン・モホークやアルカがカニエ・ウェストのアルバムに参加し、リル・インターネットがビヨンセの最新作に登用される今の時代。インディ/アンダーグラウンドのプロデューサーが超メインストリームのアーティストに突如フックアップされるのは、さほど珍しいことではなくなった。というよりも、それが気鋭のプロデューサーにとって、ひとつの成功モデルとして確立されつつある。

だが、そのような状況を踏まえても、アリアナ・グランデの新作に参加するゲスト陣が公表された時は驚いたし、興奮させられた。なにしろ彼女は、10代半ばからミュージカルやTVドラマで女優として活躍し、その後歌手へと転身したティーン向けのポップ・アイドル。マライア・キャリーやホイットニー・ヒューストンに憧れ、1st『ユアーズ・トゥルーリー』では90年代風R&Bポップを無邪気に歌っていた、言わば保守本流のディーヴァだ。そんな彼女の新作に、ウィーケンドやエイサップ・ファーグ、更にはカシミア・キャットまで参加しているとなれば、盛り上がるなという方が無理というもの。おまけに、一足早くリリースされたシングル“プロブレム”が、「もしかしたら2014年版の“クレイジー・イン・ラヴ”になるかも?」と思わせるくらいアンセミックなサマー・ジャムだっただけに、期待値は相当高かった。

結論から言ってしまえば、『マイ・エヴリシング』は、とんでもない作品になるポテンシャルはあったのに、そこまで振り切ることはしなかった、やや中途半端な作品だ。もったいない。その一言に尽きる。

何よりの問題は、せっかく集めたゲスト陣を上手く使いこなせていないこと。ウィーケンドが参加した“ラヴ・ミー・ハーダー”は申しわけ程度にアンビエント風なだけで、そのポップなプロダクションはインディR&Bの劣化コピーにしか聴こえない。咽び泣くマイケル・ジャクソンのようなアベル・テスファイの歌声も、ここでは空しく響くだけだ。カシミア・キャットやエイサップ・ファーグの参加曲も然り。どちらも平凡なポップ・チューンで、彼らが関わっている必然性はほとんど感じられない。本作のリリース直後、カシミア・キャットは“ビー・マイ・ベイビー”のセルフ・エディットをサウンドクラウドで公開したが、あれくらい思い切ったサウンドをアルバムでも許すようなディレクションが本当は必要だったのではないか。

“プロブレム”に続くリード・シングル“ブレイク・フリー”はゼッドがプロデュースしたEDMバンガーで、発表当初はさほど魅力的とは思えなかった。だがこの曲は、アルバムでほぼ唯一、アリアナがゲストの土俵に思いきり飛び込んだ冒険的なサウンド。本作の並びだと、俄然光って聴こえる。これくらいの大胆さが全編で見られれば、完成度も評価も全く違っていたはずだ。

このタイミングでアリアナに冒険させてみようというアイデア自体は、決して悪いものではなかった。むしろ大正解だったと言える。実際、リード・トラック2曲の時点では、従来の支持層をキープしたまま、『ピッチフォーク』を始めとしたインディ系メディアを食いつかせることができ、アーティスティックな評価も高まりつつあった。しかし、蓋を開けてみれば、『マイ・エヴリシング』はどっちつかずに終わっている。従来ほどわかりやすいポップ・サウンドではないし、他の野心的なメインストリーム・アーティストに負けないエッジがあるかというと、そうでもない。

「ポスト・マライア」として売り出され、実際に彼女をリスペクトしているアリアナなのだから、時代の波に乗って、無理にリアーナやビヨンセの後を追えとは言わない。だが、少なくとも次のアルバムでは、どちらの方向性に振りきるか、明確なヴィジョンを示すべきだ。でなければ、生き馬の目を抜くポップ産業の中で、いつまでも彼女が今の座を守れるという保証はない。

文:小林祥晴

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