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LP1 FKA Twigs (Hostess) by MASAAKI KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
August 29, 2014
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LP1

尖鋭性と大衆性が見事なバランスで調和した
新時代のミューズによる記念すべき序章

昨年〈ヤング・タークス〉を通してリリースした『EP2』によって、尖鋭的なサウンドを求めて止まない世界中の音楽リスナーを一気に虜にしたFKAツイッグス。確かに、『EP2』における徹底したミニマリズムに貫かれたサウンドの斬新さと、クリス・カニンガムにも通じる不安を掻き立てるようなヴィジュアル・イメージの鮮烈さは、新時代のミューズ降臨を予感させるには十分過ぎるほど十分だった。しかし、少なくともサウンド面における同作の評価の大部分は、ツイッグスと共同プロデュースを務めたアルカに偏重していたように思う。当時はそれも無理からぬことだっただろう。何しろ、アルカについてはカニエ・ウェスト『イーザス』への参加とソロ名義のミックステープ『&&&&&』以外には極端に情報の少ない、謎めいた存在だったのだから。ただ、ついに届けられたこの1stフル・アルバムを聴くと、『EP2』での尖鋭性が決してアルカばかりに依って立つものではなかった事実や、ツイッグス自身のトータル・プロデューサーとしての並々ならぬ才覚が浮き彫りになってくる。

これまでにリリースした2枚のEPと同様、シンプルに『LP1』と名づけられた本作のサウンドは、基本的には『EP2』の延長線上にあると言えるだろう。空間を自由に跳ね回るビート、トリッピーな上音、神秘のヴェールをまとったR&B歌唱をミニマリズムの美学の下でまとめ上げたサウンドは、フォロワーらしいフォロワーの不在も手伝って今なお新鮮な衝撃を保っている。しかし、本作でアルカが担った役割は1曲の単独プロデュース、2曲の他アーティストとの共作のみ。トリップホップの習作といった印象に留まっていた『EP1』から『EP2』への大いなる飛躍と、そこから『LP1』への地続きと言える音楽性の拡張を思えば、『EP2』におけるアルカとの共同作業から彼女がいかに多大な成果を学び取ったのかが想像できる。この『LP1』では、確実にFKAツイッグス自身がサウンドからヴィジュアル面に至るまでの手綱を握り、全ての表現をクオリティ・コントロールしているのだ。

本作において、以前と異なる最たる要素はポール・エプワース、デヴォンテ・ハインズ(ブラッド・オレンジ)、クラムス・カジノ、サンファといった、すでに一定の評価を確立しているライター/プロデューサー陣の起用だろう。中でも最多の4曲にクレジットされているのは、ラナ・デル・レイの1stやブルーノ・マーズ、キッド・カディらを手掛けたUSヒップホップ~ポップス畑出身のエミール・ヘイニー。尖鋭性よりも大衆性を重視したと思しきチョイスだが、それも本作のトータリティには上手く作用していると言える。その成果が最も顕著に表れているのは、厳かにオープニングを飾る“プレフェイス”に代表される、複雑にレイヤード処理されたヴォーカル・ハーモニーの重用である。『EP2』で確立したサウンド面での個性は残しつつも、歌声が伝える人間的な生の感情をさらに増幅させることで、ツイッグスは先鋭性と大衆性が見事なバランスで調和したアート・ポップ世界を作り上げた。

『ガーディアン』によるインタビュー記事において、ツイッグスは「自分の空白や、得意としないものを埋める」ためにプロデューサーをピックアップしたと語っている。おそらく彼女は、目を見張るような成長によって自らの手でこの傑作を形にしながらも、まだまだ自分には足りないもの、学び取り血肉とすべき事柄が多く残されていると自覚しているに違いない。この素晴らしいデビュー・アルバムがFKAツイッグスのアーティスト人生にとってまだほんの序章に過ぎないとすれば、その先に広がる未来に恐ろしいほどの可能性を感じて興奮を抑えられずにいるのは、きっと僕だけじゃないだろう。

文:青山晃大

高い身体性を誇るダンサーでもある彼女が、
“音しか聴こえない”アルバムに刻印してみせたものは何か?

エミネム周辺の仕事を最初の足がかりとし、今やラナ・デル・レイやブルーノ・マーズのアルバムのプロデューサーとしてかなり重要な位置を占めているエミールことエミール・ヘイニーが、ここでも、こんなに制作に関与していたのか、と収録曲を一通り聴いてから(と言っても、ライヴ映像で何度となく接していたものも含まれてはいるが)、クレジットに目を通して、まずは、その意外性に驚かされた。さらに、よく見ると、“ローリング・イン・ザ・ディープ”を含むアデルのアルバム『21』の制作の要だったポール・エプワースのプロデュース曲まである。

彼らを制作陣に含めることをレーベル側から打診された時、FKAツイッグスは、拒絶に近い反応を示したのではないだろうか(と『EP2』に親しんだリスナーなら思うはず)。それでも、恐らくは、コラボというよりは、彼らの作った曲に自ら手を入れて、ほぼ1年前にリリースした『EP2』のサウンドに近づけていった、と想像できる。収録曲には、1曲にハイニーとクラムス・カジノとデヴ・ハインズとアルカが結集したとクレジットされているものもあるけれど、正直、さしあたって、本作からは、聴きやすくなった『EP2』、それ以上の印象は残らなかったし、日本盤で聴くと、ボーナス・トラックとして、2012年の彼女の自主制作盤『EP1』がまるごと収録されているため、本作本体との差というか、『EP2』で飛躍、成長しての本作という足跡までつかみとれる。

というのも、6月にヴィデオで発表された“ウェット・ワイプズ”のようなものを強く期待していたからかもしれない。そこでは、彼女自身が手がけた、超へヴィなズーク・ベースのような風味もあるビートで、終始緊張感に満ちたクランプ(Krump)のパフォーマンスが繰り広げられているのだ。彼女はクランプ用に書き下ろしたと後から説明していて、ロンドンのクランプあるいはヴォーグ・シーンには、かなり思い入れがあるのだという。さらに、7月にユーチューブで見た“ギヴ・アップ”のパフォーマンスでは、曲のブレイクで、ヴォーギング(Vogueing)を披露しているのには、もうすっかり圧倒されてしまった。後者に関しては、本作に収録されることによって詳細を知りえたが、ハイニーのトラックに、アルカが手を入れて出来上がったものに、ステージでは(毎回ではないようだが)彼女がヴォーギングを加えたパフォーマンスを披露しているという手順なのだろうか。また、“ウェット・ワイプズ”と同様、本作には未収録でありながら、同時期に先行発表された“Tw-Ache”のヴィデオでは、もはやスタイル区分不要なダンスを、彼女自身が踊り続けている。こうなると、音しか聴こえないデビュー・アルバムを出す直前のタイミングで、自らの高い身体性を見せたのはなぜだろうと思わずにはいられなかった。

「もともと音楽が好きだったわけではなく、音楽にあわせて踊ることが大好きだった」という彼女の名、ツイッグスは、関節をポキポキ鳴らす癖に由来するという。癖というのとは違うのだろうが、“ペンデュラム”をはじめ、本作では、アルバムのそこかしこで、スネアが音色を様々に変え、鳴っていて、一定以上の存在感を持っている。“トゥー・ウィークス”と“ナンバーズ”では、彼女自身がテンペスト(アナログ・ドラムマシン)を操っているが、例えば、そこから出てくるスネアは、関節を折り曲げたり、伸ばしたりするダンスのアクション(の合図)に由来してはいないだろうかと夢想してしまう。アルバムでは“見る”ことのできない、彼女の持つ激しい身体性の刻印としてのスネア。そして、地声も高いところに来て、(ヴォーカル・パートは幾層かで成り立っているとはいえ)ハイピッチなトーンで発声されることが多い歌。そのため、歌詞は聞き取りにくくなりがちだが、その声色だけでは(アルバムの1曲目にしっかりと表明されているように)肉感的なのか、スピリチュアルなのか、よくわからないところにきて、(含みの多い、というか、直接的な表現を使わないものの)セックスの持つ、主にメンタルな働きを探っているかのような歌詞を得意としている。ここにあるのは、つかみとれそうだけれど、永遠につかみとれそうにない、肉体のはかなさ、みたいなものなのだろうか。

文:小林雅明

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