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IF I CAN'T HAVE LOVE, I WANT POWER Halsey (Universal) by TATSUMI JUNK
SHUN FUSHIMI
November 30, 2021
IF I CAN'T HAVE LOVE, I WANT POWER

「奇妙な選択」をすること、あるいは「選択」できること

「今のモダン・ミュージックのほとんどが、リスナーに注意を払わなくてもいいと知らせるようにできている。そうした音楽が伝えるのは……“この曲は安全だ”ということ。プレイリストに載せられること。車で流せること。パーティーでもかけられる、雰囲気を壊すものじゃないということ。どんなものにも調和する。それはムードで、チルだ。なおかつ(その楽曲自体に)集中しなくていいと知らせる」

この現代音楽論は、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーによるものだ。近年映画のサウンドトラックを手掛けている彼が言うのだから相応の説得力がある。リスナーに集中しなくてよいと自然に感じさせて広範な状況に適応するムーディなサウンドというと、メガヒットを記録しているドレイクの新作『サーティファイド・ラヴァー・ボーイ』が代表例だろうし、これはこれで技巧と奥深さに満ちたアルバムであるはずだ。あくまで、今のシーンにそうした表層的傾向があるなか反対をいこうとするのは「奇妙な選択」だという弁である。だから、この言葉はこう続く。

「君の楽曲は、もっと良くなる。もっと人々の注意を向けさせるものにすればいいんじゃないかな。君の言っていることに集中させるんだ。だから私は、本当に奇妙な選択をしようと思う」

対話相手であったホールジーは、諸手を上げて歓迎したという。「奇妙な選択をして。最高に奇妙な選択を!」。こうして、レズナーとアッティカス・ロスがプロデュースを勤めた4thアルバム『イフ・アイ・キャント・ハヴ・ラヴ、アイ・ウォント・パワー』が完成した。言い換えれば、集中不要なリスニングに慣れきった聴き手を遠ざけるかのように集中を課す、敷居高きアルバムが生まれたのである。

同業者たるテイラー・スウィフトが「そのリスクテイクに圧倒された」とまで感嘆した理由も、その内容にあるだろう。このアルバムでリスナーが集中させられるのは、出産を経たホールジーが抱いた「身体が制御不能に変容していく悪夢としての妊娠」の感覚だ。聴いているだけでホールジーがかつて経験した流産、そのトラウマと恐怖を喚起させる箇所もある。もちろん生命を授かった喜びも歌われるのだが、その後も自己破壊的な精神問題や虐待被害を思わせる記憶をリフレインさせていく。身体を蝕むような不安を際立たせるためにナイン・インチ・ネイルズ調インダストリアル・サウンドを採用したことは、商業的に「奇妙な選択」だったとしても、表現手段としてパーフェクト・チョイスと言える。

評価が定まるまで時間がかかりそうなアルバムだが、明確なことが2つある。1つ目は題名「愛が得られないなら権力が欲しい」といった思考に固執してきたホールジーが、そのさなか妊娠し、最終的に「愛」を選択した結末。2つ目は、人生観そのものに関する学びだ。ホールジーが得たのは、これまで「Aが得られないならBでいい」とする生き方を送ってきた自分の最たる「力」とは「選択できること」そのものだった、という気づきである。これは、音楽家としても正当な自己評価ではないだろうか。ホールジーのキャリアはオルタナティヴな選択の連続だった。たとえば、元々所属していたパンク・ロック・コミュニティの性差別に耐えかねてポップ・フィールドへ移行した経緯がある。「パーフェクトなポップ・アルバム」を作ろうとしない理由にしても「ケイティ・ペリーが『ティーンエイジ・ドリーム』で完遂してしまっているから」だという。その代わりにエレクトロ・ポップからヒップホップ、グランジ、カントリーまで様々なジャンル・サウンドを混在させながら統一性をもたせるアルバムを作っていってひと時代築いたわけだが、起点が代替的な「選択」だったとしても、才なしに成し遂げられなかったキャリアであることに変わりはない。むしろ、多様な選択肢の展開こそディスコグラフィの特色であり功績だろう。だから『イフ・アイ・キャント・ハヴ・ラヴ、アイ・ウォント・パワー』にまつわる明確なこと、その3つ目をつけ足すなら、リスナーを遠ざけるような「奇妙な選択」をしても尚、人々を惹きつける音楽を創造できる才能がホールジーにあることだ。おそらく、15年ぶりのアルバム・プロデュースを承諾したトレント・レズナーは、最初からそれをわかっていた。

文:辰巳JUNK

妊娠の不気味さを音響化した2021年の「アイコン」

美術史学者・若桑みどりは『象徴としての女性像-ジェンダー史から見た家父長制社会における女性表象-』の中で、聖アウグスティヌスとマルティン・ルターが「純真な男を貶めるゆえ、娼婦は八つ裂きにすべきである」と、本気で唱えていたことを記している。キリスト教史の最重要人物であるだけでなく、人文学の基礎となるテクストを残したこの二人の男性はさらに、性と出産というあたりまえの行為を、「原罪」を償わせるために神が永遠に女性を罰した手段であると断言した。女性を「娼婦」か「母」としかみなさず、その双方に罪のイメージを見る。処女懐胎の「聖母」だけが、罪深さを免れる。幾度も繰り返さされた紋切型の言説は、キリスト信徒以外にも広く参照される古典的作家によって、お墨付きを得ている。

ホールジーは、「娼婦」と「母」という、ステレオタイプの女性像に引き裂かれる自身の在り方を、通算4作目のアルバムの主題とする。2021年1月に脚本家、アレヴ・エイディンとの子を妊娠したことを発表。7月14日には男児を出産した。本作の主な制作作業は、ホールジーの妊娠中に行われた。身を晒して人を悦ばせる「娼婦」(=ポップ・スター)のまま、「母」としての体験を作品内で具現化した。

「妊娠と出産の歓びと恐怖についてのコンセプト・アルバム」。ホールジーが与えた本作の定義だ。コンセプトと聞くと、計画立てて作られた抽象的なテーマを思い浮かべるかもしれないが、「コンセプト」の語源は「懐妊」の意を含む。実際の懐妊と同じように、本作は作家が外部からコントロールしたのではなく、内部で膨らみ続ける楽曲イメージとの関わりによって生まれた音として響く。不穏なピアノソングも、舞い踊るドラムンベースも、ざらついたパンクも、フォーキーな弾き語りも、ラフなアイディアから立ち上げた楽曲という印象を与える。勝手に広がっていくわがままな音を、なんとかまとめあげた。そんな気配を感じる。 本作のプロデュースを担当したトレント・レズナーとアッティカス・ロス、つまりナイン・インチ・ネイルズの二人は精緻に作りこんだ作風を特徴とするから、その意味では彼ららしくないプロデュース作かもしれない。しかしながら、ナイン・インチ・ネイルズが昨年同時に発売した二枚のインストゥルメンタル・アルバム『Ghost V:Together』『Ghost VI:Locusts』と本作の間には、確かな連続性がある。

この二枚を、私は環境音楽とゴスのアマルガムの意を込めて、「環境ゴス」と勝手に呼んでいる。ほとんど打音を含まないアンビエントな空気に、暗く痛々しいゴスの感触が混ざる。環境音楽は、騒音の増えた都市の状況のなかで内的な静寂を求めて作られだした音楽ジャンルだ(その歴史には多くの日本人が関わっている)。他方ゴスは、なじみ深い世界から現れる不気味な感覚、内側にいる他者の存在を表現する文化である。つまり「環境ゴス」とは、外界から自らを切り離して、内界から浮かび上がる他者との対話のために鳴らされる音楽を指す。『Ghost V:Together』と『Ghost VI:Locusts』の、静けさの中で響く神経質な軋みに耳を傾けることは、まさに不気味な自分自身と顔を合わせる体験だ。『イフ・アイ・キャント・ハヴ・ラヴ、アイ・ウォント・パワー』は、ナイン・インチ・ネイルズ近作の音触りを必要とした。ホールジーは、内側から膨れ上がる不気味な他者との出会いを表現しようとしたからだ。本作からは妊娠と出産の「歓び」と「恐怖」が混ざった、不気味さが聞こえる。

アルバム冒頭、“ザ・トラディション”、“ベルズ・イン・サンタフェ”の2曲は鍵盤楽器を中心にした短調の楽曲だが、ダイアトニック環境から外れたメジャー・コードを途中で挟んでいる。それに続く、90年代NINのごときインダストリアル・ロック“イージアー・ザン・ライイング”も同様で、循環コードの2つ目のBフラットメジャーが調子外れに響く。場違いなメジャー・コードは、短調の暗い情感を打ち消すのではなく、不穏な空気をより不気味なものにしている。

本作の音処理に関しては、全体的に残響音が長く、キックやスネア、ピアノやストリングスの音にはどれも持続感がある。アタックの強い感じがなく、穏やかに、アンビエント的に聴ける。“ユー・アスクド・フォー・ディス”や“ザ・ライトハウス”でギターやドラムが歪むときも、激しく響き過ぎないように、コンプレッサーで調整されている。デイヴ・グロールが心地よい疾走感を演出する“ハニー”のドラムもうるさすぎない。音量を絞れば、流したまま眠ることも可能だろう。ホールジーの歌唱も、いつもより抑え目だ。音程は過去作より低めに設定されているし、カート・コバーンのようなザラついた声も出さない。妊娠している自身の体を気遣ったのかもしれない。

ただ、何度か聴いていると、重ねられているホールジーのコーラス、一瞬現れてはすぐ消えるノイズに耳が反応する。特に“ウィスパーズ”。ピアノと声と最低限のリズムトラックで進行する、アルバムの中でも地味な類いの曲だが、中盤以降、右側からシュワシュワと聞こえるノイズや、神経を刺激する高音の響きが不穏さを示し始める。そこに「You don't want this」「You do not want him」というささやきが重なる。この曲は、周囲から祝福される妊婦が、「ほんとはこんなものほしくない」という内なる声を聞く曲として響く。「Sabotage the things I love the most(一番愛しているものを妨害しなさい)」、「Camouflage so I can feed the lie that I'm composed(私を構成する嘘を育てるためにカモフラージュしなさい)」という堅くしなやかなライミングが、「子供を愛さなくてはいけない」という無言の圧力への反発に聞こえる。ホールジーは、自身の内側で膨らむ者への恐れと怒りを隠さない。“ハニー”では、同性性交の描写が勢いよく生々しく歌われている。バイセクシュアルを公言するホールジーは、子を宿したあとも、欲望に翻弄される様を描き続ける。不穏さを生きる言葉と歌は、「環境ゴス」的な音響と結びつき、説得的な音世界を孕む。

橋迫瑞穂が今年上梓した著作『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』は、近年の日本における妊娠についての言説が、オーガニック信仰、自然信仰と結びついていることを示した。「自然な女性、自然な妊娠」を称揚する声は、イエ制度と保守的国家構造を肯定し、フェミニズムを批判する立場へ傾く。妊娠と女性解放が、切り離されてしまう。

ホールジーが本作で描き出すのは、日本的自然信仰とはべつの「自然」だ。妊娠を喜びながらも、胎児の存在を恐れる矛盾。子を宿しても消えない、同性愛の欲望。「自然」に現れる矛盾や欲望を受け入れ、音楽として世に発信する。それは、「母」に処女懐胎の純粋さを求めるアウグスティヌスとルターの信仰とも当然異なるし、人間の再生産機能を女性の自然さとして尊ぶスピリチュアリティの言説とも異なる。

本作の4曲目、ピノ・パラディーノのベースが心地よい揺れをもたらすトリップホップ風のナンバーの題は“リリス”という。リリスと聞くと、『エヴァンゲリオン』シリーズに登場する第2使徒を思い浮かべる人も多いだろうが、元々はユダヤの伝承おいて、男児を害する女の悪霊を意味する。同時に、最初の人類、アダムの最初の妻とする伝説も残っている。リリスはアダムと対等に扱われることを主張したが、アダムと神に拒絶されて逃げ出した。呪われた存在として古代から描かれてきたリリスは、同時に男性原理に従わなかった反抗者でもあり、現代では女性解放運動のアイコンにもなった。

平熱の音とメロディに乗って進む“リリス”の中で、「心を込めたナイフを袖に忍ばせて、悪魔のようにファックする」と歌うホールジーは、妊娠の身でありながら、男児を脅かす悪魔に自らを重ねる。声に時折混ざるノイズと共に、恐怖と欲望を宿した「娼婦」としての母の姿を晒す。細部を掘れば掘るほど、穏やかさの中に隠した戦闘的な姿勢があらわになる。その戦闘性は、妊婦達があいまいに抱える不安や恐れに、一つのかたちを与える。唯一神にも自然信仰にもおもねらずに子と向き合う術を見出そうとした戦いの跡が、『イフ・アイ・キャント・ハヴ・ラヴ、アイ・ウォント・パワー』というアルバムには刻まれているのだ。

自身の妊娠を知ったホールジーは、ポップ・アイコンからの隠遁を選ばなかった。むしろ、自身のペルソナを利用して、妊娠をポップ・ミュージックの形式で表現する道を選択した。リリスを受け継ぐ、新たなアイコンとして自らを定義した。子を宿すことにおけるネガティヴな感覚を描いた27歳のポップ・スターは、世界中の妊婦達に、ポジティヴな力を授ける。「娼婦」と「母」を両立する知性と野性を持った存在であることの誇りを、混乱とクールネスの間で、安寧とノイズの間で、くっきりと浮かび上がらせる。

文:伏見瞬

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