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MATANGI M.I.A. (Universal) by MASAAKI KOBAYASHI
AKIHIRO AOYAMA
December 11, 2013
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MATANGI

1年のリリース延期を経て届けられた新作、そこに投影された
彼女の“マイ・ブーム”は、今もなお鮮度を保ち続けているか?

“Y.O.L.O."(You Only Live Once)”=一度きりの人生だから楽しもう、リスクは顧みずに。それを2012年の、ある種の流行り言葉にまで広めたのが、ドレイクの“ザ・モットー”だった。M.I.A.に言わせるなら、まあ、それはそれとして、"Y.O.L.O."を実践する前に、自分の生活を振り返ってみると、同じパターンや同じ失敗の繰り返しが多いから、まずはそれをどうにかしようよ、と言っているのが、本作からの最新カット“Y.A.L.A.”(You Always Live Again)だ。これは、ドレイクへの直接な返答ではないにせよ、この2曲の間には、ほぼ2年の隔たりがある。

ロマン=ガブラス監督の演出により、またもや、見た目のインパクト狙いなのか、強烈なメッセージなのか、単純な線引きを許さない刺激的な傑作ヴィデオと共に“バッド・ガールズ”が公開されたのは、2012年1月。しかも、この曲のプロトタイプがミックステープ『Vicki Leekx』収録曲として初めてリークされたのは、2010年12月。今思えば、そこには、誕生から1年も経っておらず、当時はあまり知られていなかったムンバトンの担い手であるDJ/プロデューサーのマンチーも参加し、オーセンティックなミックステープらしく全曲が繋ぎ目なしで一つになっていることもあって、なんだこれは?という感覚は聴く回数を重ねてもなかなか消えなかった。

彼女は、毎回、自分のアルバムにその時々の、いわば、”マイ・ブーム”のような”旬”をデンと据えていて、前回のそれがインターネットなら、本作はインドということになる。それは、サウンド面にも当てはめられる。1枚目のアルバムで好き勝手に取り上げたバイリ・ファンキが、それをきっかけに広く知られるようになった。基本的に、現行のサウンドのトレンドあるいは旬に目配せしていないことは、2、3枚目のアルバムの音の指向によく表れている。恐らく『Vicki Leekx』では、1枚目におけるバイリ・ファンキと同じ役割をムンバトンで試そうとしたのかもしれない。試そうとしたと書いたのは、それに続く本作では、そこでのムンバトンをまるっきり差し替えるような形で、トラップが入ってきているからだ。このアルバムの流れの上では、折り返しの8曲目“バッド・ガールズ”で盛り上げておいて、10、11曲目(“ダブル・バブル・トラブル”と“Y.A.L.A.”だ)に、2012年にディプロと共にトラップの盛り上げ役として注目された、ダッチ・ハウスのDJ/プロデューサー・コンビ、ザ・パーティスクワッドによる制作曲2曲が続き、そこで、インドな前半とは異なる山が、もう一つできることが目論まれていたはずだ。

2012年初頭から急激に広まっていったトラップではあったが、2013年を迎えるやいなやヴァイラル・ヴィデオのBGMとしてバウアーの曲が使われ、それが突発的に一瞬だけBGMなヒットとなったのが、むしろマイナス・イメージにつながり、世間的にはノベルティとして消費されてしまった観さえある。その一方で、いまだにトラップの新曲をチェックし続けているリスナーから言わせてもらえば、なぜ、今、彼女がこのビートなのか、とも思ってしまう。実際、前者は、2012年春に、パーティスクワッドが創案し、作品としても発表していた、ダンスホールとトラップの融合“バッドマン・レイヴ”のスタイルに則って、M.I.A.が歌ってみたという風情だ。後者の“Y.A.L.A.”に込められたメッセージを発するタイミングとあわせて考えても、この2曲に関しては、今から1年前に聴けていたなら、まだ新鮮に響いたのに、と想像せざるをえない(M.I.A.はディプロとは公私とも完全に距離をとっているはずなのに、マンチーもパーティスクワッドもバウアーも皆ディプロ経由でブレイクしたアーティストだ)。

聞くところによると、本作は当初2012年の年内リリース予定だったという。それが一年近く延期、今ここで書いてきたような側面から言えば、アルバムの大きなテーマはいぜん、彼女自身の”旬”というか”マイ・ブーム”を投影したものであるのに、サウンド面では、(リリース・タイミングのせいで?)完全にブームの後追いにしか聴こえなくなってしまっている。同じことは、“エクソダス”と“セクソダス”の2曲で、ウィークエンドことエイベル・テスファイの歌がサンプリングされている、というトピックについても言える。さらに言えば、“オンリー・ワン・ユー”を手掛けているサーキンが、かつてパラワンらと組んでいたマーブル・プレイヤーズ名義で出した既成曲のビートをやや手直し、M.I.A.の言葉を載せたものを“ブリング・ザ・ノイズ”としたアイデアも、すでに、アジィリア・バンクスがマシンドラム等のサウンド・クリエーターと同様なことを何度も繰り返していたことを思い出したりしてしまう。M.I.A.自身が、エッジーなイメージを押し出すことを積極的に行なっているアーティストであるだけに余計に目立つことになってしまう。

それでも、彼女は注目を集めるやり方をよく知っている。本作の前半には、1曲の中で、何度も”テント”あるいは、それに似た音を含む語句が耳に残るような作りの“ATENTion(アテンション)”という曲が入っている。これを聞いていると、なるほど、世の中には(いまだに)、こんなにも多くのテント(要するに、難民キャンプの類のことだろう)があるのだなと気づかされはする。“Y.A.L.A.”を提唱した本作を踏み台にして、次作では“Y.O.L.O.”の域に達することができるのだろうか、彼女自身が“Y.A.L.A.”から抜けきれるのか、気になるところだ。

文:小林雅明

急激なヒップスター化に対する過剰な拒否反応を経て、
原点に立ち返りながらある種の成熟と慈愛を形にした4作目

前作『マヤ』をリリースした2010年前後のM.I.A.は、明らかに自身の活動姿勢や政治的主張と、周囲の環境変化の間に矛盾や混乱を抱えていた。2nd『カラ』のリリースから1年の時を経て全米4位にまで上り詰めたシングル“ペーパー・プレーンズ”のロング・ヒットとグラミー賞レコード・オブ・ザ・イヤーへのノミネート、それに伴って出産2日前に行われたジェイZ、カニエ・ウェスト、リル・ウェイン、T.I.という錚々たるラップ・スターと並んでの09年グラミー賞授賞式の衝撃的なパフォーマンスは、確実に彼女の存在をメインストリーム・レベルで認知させる大きなターニング・ポイントとなった。しかし同時に、その急激なヒップスター化が、1st『アルラー』の頃から「第三世界の声を世界に届ける」ことを至上命題に掲げてきた彼女にとって、巨大な音楽産業とセレブ・カルチャーに飲み込まれる危機感へと繋がっていったのも想像に難くない。前作リリース直前にM.I.A.が巻き起こした『ニューヨーク・タイムズ』紙記者の電話番号リーク事件が、トリュフ風味のフライドポテトを食べていたという本人以外にとっては些細に過ぎない記述に対する怒りに端を発していた事実は、当時の彼女が自身のセレブ化、あるいは自分の本質が変わっていないにも関わらず周囲の見る目が変化していくことに対する過剰な拒否反応を象徴するものだっただろう。

その混乱を反映するように、M.I.A.の作品の中でも最も刺々しくヘヴィな音像、以前にも増して過激なアジテートが繰り広げられた前作『マヤ』から3年4ヵ月。この最新作『マタンギ』での彼女は、自分の原点=多様な第三世界の音楽や価値観とダンス・ビートとの融合に立ち戻ろうとしている。大小を問わない40弱の国・地域名を連呼した後に「It's so simple do the dance」と続けるタイトル・トラック“マタンギ”の1stヴァースは、シンプルだが力強い、本作全体を貫くステートメントだ。その後も、南アジア音楽を思わせる音階が印象的な“ウォーリアーズ”ではフックで「ダンスする戦士たち」と繰り返し、“バッド・ガールズ”では中東音楽をR&Bと混ぜ合わせたトラックの上で文化的な価値観に縛り付けられた女性たちを自由と解放の場へと誘い出す。ドレイクが“ザ・モットー”で使用して一般化した「Y.O.L.O.=You Only Live Once(人生一回きり)」という略語を自己流にもじった“Y.A.L.A.”(=You Always Live Again)の言葉は、フランクかつ気の利いたやり口で、西洋的・キリスト教的な人生観とは正反対の仏教・ヒンドゥー教的な価値観を端的に表し、彼女の文化的バックグラウンドを改めて印象付けることにも成功している。

ここで重要なのは、本作における彼女のトーンが、西洋文化に対するアンチテーゼを声高に叫ぶ過激なアジテーションというよりも、凝り固まった思考の外側にある多様な文化へとリスナーを優しく連れ出すような慈愛を感じさせることだ。本作の中でも最もスウィートでメロディアスな“カム・ウォーク・ウィズ・ミー”、ウィークエンドをフィーチャーした“エクソダス”とクロージング・トラックの“セクソダス”の3曲は、一回り大きな包容力を身につけた彼女の成長と変化の象徴である。NFLスーパー・ボウルのハーフ・タイム・ショーでの事件や、本作リリースにまつわるレコード会社との軋轢を見る限り、言動や行動においてはまだまだ過激で落ち着く気など全くないようだが、少なくとも音楽製作の面では、本作はM.I.A.にとって初めてある種の成熟を形にしたレコードと言えるだろう。

文:青山晃大

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