ベックの『カラーズ』は、Spotify以降の「ポップ全盛の時代」を踏まえ、それを乗り越えようと試みた極めて野心的な作品。であると同時に、あらゆる分断を乗り越え、すべての人々に語りかけようとした、本来的な意味でのポップ・レコードである――というのは、以下のインタヴューでも語られている通り。
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分断と衝突の時代にすべての人々を社会の
外側へと誘う究極のポップ『カラーズ』の
真価をベック本人との会話で紐解く:前編
だが、もしかしたら、ベックが『カラーズ』でポップを目指したことに驚きを隠せない人もいるかもしれない。なぜなら、デビュー当時のベックと言えば、“ルーザー”の大ヒットで一躍時の人となった「90年代オルタナティヴの寵児」。ある意味、ポップという言葉とは対極の存在だと捉えられていたからである。
では、“ルーザー”のヒットから20年余り、ベックは変節したのか。いや、むしろ変わったのは彼を取り巻く社会のほうだろう。
90年代はメインストリームとオルタナティヴという二項対立が機能していた最後の時代。しかし、ネットの浸透によってフラット化は一気に進んだ。上掲のインタヴューでのベックの言葉を借りれば、世の中が「緩く」なり、レッド・ツェッペリンやマドンナと同時にアーケイド・ファイアが好きでも許されるようになったのが2017年。それはつまり、メインストリームの対立項だったオルタナティヴ~インディという価値観が完全に失効したことを意味する。
そのような変化を踏まえ、2017年の今、何を打ち出すべきか? それをしっかりと見据えた上で、稀代のヴィジョナリーであるベックが世に問うたのが、新たな傑作『カラーズ』というわけだ。
ここに掲載するのは、田中宗一郎による貴重な初期ベックのインタヴュー2本である。前編は〈ロッキング・オン〉での記念すべきベック初取材。初出は『メロウ・ゴールド』がリリースされるタイミングの1994年5月号だ。そして後編は、〈ロッキング・オン〉1994年9月号が初出となる2回目のインタヴュー。こちらは初来日公演を間近にミネアポリスで取材を行っていて、現地でのライヴ・レポートもついている。
この2本のインタヴューと『カラーズ』のインタヴューを併せて読むことで、如何に世の中が移り変わったのか――そして、ベックが常に時代の空気を的確に捉え、そこに対する回答を提示し続けているかがわかるはずだ。この貴重なテキストに触れることで、『カラーズ』の現代性がよりクリアに浮かび上がってくることだろう。(小林祥晴)
大切なもの。それは酸素、シリアル食品、腐ったような臭いのする犬、ロバの腸、それから…溶けたファックス・マシーン……それに義歯4本
放射能汚染された恐るべき子猿、フォーク・ギター抱えて、石炭食って、ハナもげら
インタヴュー=田中宗一郎
通訳=SAM ONODA
初出=ロッキング・オン1994年5月号
ベック――このローティーンのような幼さの残るルックスの男の本名はベック・ハンセン。現在22歳。91年頃、LAはシルヴァーレイク地区のコーヒー・ハウスONYXで知り合った友人宅のリビング・ルームで8トラックでレコーディングした“ルーザー”が突如カレッジ・ステーションで爆発、その結果、メジャー各社による争奪合戦の末、ゲフィンと契約。そんな経緯を経て、1stアルバム『メロウ・ゴールド』を生み落とした。
脱力したままで鳴らされるアコースティック・ギターに、躁と鬱の間を行き来するノイズ、そして、ルーズなフィーリングのヒップホップ・スタイルのリズム・ループ。そこに白い粉をやりすぎたバロウズとジョイスが共作したかのような悪夢的歌詞をまるでウディ・ガスリーみたく嗄れた声がダルに歌い出す。それはジェネレーションXと呼ばれる吹き溜まった膿のような世代が産み落とした最新のジャンク・フォーク・ブルース・アルバムである。現在、ゲフィンから再リリースされた“ルーザー”はビルボード誌43位赤丸つき急上昇中。94年のベスト・シングルだと断言してしまいたい。……そうする。
いや、しかし、このベックという男、ホントいーかげんである。大体、このルックスは何なんだろう? 今回のインタヴューでも終始、わけのわからないことをくっちゃべり、ホラまで吹いているが、現代において“いーかげん”であり続けることがいかに困難なことか。そう、誰もが自分自身が望んだものはそんなものじゃないのは百も承知の上で、大してどーでもいいようなものに“熱中すること”にすがりつく。そして、いつの間にか、それなしでは生きられなくなってしまう。そして気がつけば、それを失うことを恐れて首を吊ったりするのだ。別に何もせずに散歩でもしていればいいのにもかかわらず。だが、ベックは“いーかげんさ”をかたくなに貫きとおすという倒錯したアプローチによって、そんな内なるシステムと闘っているとは言えはしないか? 「オレハマケイヌダ。俺は負け犬だ。ほら、殺っちまったらどうなんだ?」。そう、この『メロウ・ゴールド』というアルバムは、ひきつった笑いを浮かべるしかない状況に対して、放り投げられたやさぐれた闘争宣言である。(アルバム『メロウ・ゴールド』は3月19日付ビルボード初登場15位となった)。
●これは日本のロッキング・オンという雑誌のインタヴューで、インタヴュアー本人がLAまで馳せ参じたがってたんですが願いかなわず、コーディネーターの僕が代役を務めることになりました。
「えっ、なーんだ、そうなのか。(質問表を見て)向こうからそれを送ってきたわけ? じゃ、君が考えた質問じゃないんだ。そうか、ライターじゃなくてコーディネーターなのか……。じゃあそいつに言ってやってよ。俺は5フィートのどデカいアフロ・ヘアをしてて、どういうわけかズボンを穿いてなかったって」
●わかりました(笑)。何でもあなたはニューヨークのフォーク・シーンで音楽のキャリアをスタートさせたものの、馴染めなくてカリフォルニアに戻って来たそうですね。
「いやいや、あそこのシーンは最高に気に入ってたんだ。ただ、俺すっげえ貧乏で住む場所もないような状態で、それにあそこってやたら寒いだろ。それで荷造りしてこっちにいる兄貴んとこに来て、結局居ついちゃったってわけ」
●ではべつにニューヨークが嫌いで出て来たわけではないと。
「ああもちろんさ。ニューヨークは最高だったよ。ただ俺のほうはボロボロで、クレイジーで、まったくの無責任男でさー。ヤクやりながらひどい曲ばかり書いてたんだ。ポテト・チップスの曲とか、えーっと……ライターのガスの曲とかバンドエイドの曲とか、とにかく合えば何でもいいって感じで……。(突然)パール・ジャムがさっきここに来てたんだ」
●へえ、スタジオにですか?
「そー。隣の部屋」
●本当に?
「うん。なんかやっぱすげえ傑出したフィーリングを醸し出してたな」
●一緒にジャムったりしたんですか?
「いいや、俺たちなんかにはもったいなくてさあ。コンディションもあまり……良くなかったし。それに俺たち……アツアツの石炭食って、両手が焼けただれてたから」
●はははは。ところで、テクノロジーがここまで発達した今の時代に、なぜあなたは敢えてフォーク・ギターを使っているんですか?
「フォーク・ギターかい? 俺がフォーク・ギターを使い始めたのは、えっと、あー、うー……。俺、すげえ貧しい家庭で育ったんだ。お袋と住んでたんだけど、楽器を買うような金はどこにもなくって、あるのは安いアコースティック・ギターだけ。それしかなかったんだよ。デカいアンプやらシステムを買う金なんてなかったんだ。今でもフォーク・ミュージックやフォーク・ギターがすたれないのはそのせいじゃないかな。音楽を始めるには一番簡単な楽器だから。それにいつも自分に正直でいさせてくれるしさ――テクノロジーの陰に隠れるのは簡単だけどね」
●ヘルメットの収集家だという噂を聞いたんですが、本当なんですか?
「……うん、すごい数のヘルメットをコレクションしてる。曲を書く時なんかは、それを頭に被ってさ……。ヘルメットの中にはいろんな種類のシャンプーと石鹸とヘア・ジェルが入ってるから、それが俺の脳ミソにしみ込んで、頭の回転をちょっと滑らかにしてくれるんだ。で、その後手に火をつけて……頭に浮かんだものを、何も考えずに、手が燃え落ちる前に急いで書き留めるわけ」
●ほう、なるほど……。で、どうしてそんなにヘルメットが好きなんですか?
「……すごく被り心地がいいからだよ。頭をキュッと締めてくれて、くつろぎと……安心感を与えてくれるんだ。それに、スポーツする時なんかもヘルメット被るだろ。フットボールやる時とかさー。そうすることで、えと、んー、一つの目標に向かってく動機ってもんが与えられるんだな……。パイロットなんかもヘルメットつけるだろ。あれも使命を帯びているからなんだ」
●……。では、あなたの音楽によって何かを撲滅することができるとしたら、この世から何を消し去りたいですか?
「んー、多分そうだなあ、ガソリンを根絶するね。そしてそれと交換に、尿で走る車を作る。そうすりゃLAのスモッグも減って、俺も四六時中咳込んでなくて済むから」
●曲を書く時に最も心に留めていることは?
「一番大事なのは頭ん中を空っぽにすること。曲自身が勝手にその曲を作ってるような状態にするっていうかさ。俺の場合、何かにうんざりした時に頭に浮かぶことは何でも、どんなものでも生かすんだ。同じ言葉やフレーズは何度も使わないようにしてるし。アイディアをどんどん膨らませて、誰も組み合わせないようなものを組み合わせて、曲を作るようにしてるんだ。たとえばコピー・マシーンと、んーと……スティーヴィー・ニックスと、白い皮のジャンプ・スーツとか……」
●……。えぇっと……あなたの曲を聴いていると、諦めというほど大袈裟なものではないにしろ、日常的に吹き出してくるフケやアカのような疲労感を感じるんですが、これまでに「いっそのことこのまま死んでしまおうか」と思ったことはありますか?
「んー……。難しいな。俺はいつもその、生き残ろうと必死になってきたからさ。金もないし家賃だってろくに払えないような生活をしてきたんだ。俺だってみんなと同じように不機嫌になることもあるけど……だからこそ音楽やってんだしね――生活のとげとげした部分を取り除くためにさ」
●“ルーザー”は今や怠け者(スラッカー)のテーマ曲のように言われていますが、“こいつの曲には情熱のかけらもない”と言われたりすると、結構ムカついたりするんじゃないですか?
「っていうかさ、その“怠け者”云々ってのは、俺にはまったくの笑いぐさに聞こえるんだよな。くだらないよ。俺と同年代の人間につけられたキャッチフレーズみたいになってるけど、まったく馬鹿げてる。ほかの年代の奴らも俺たちと似たり寄ったりだぜ――おんなじようにビデオ・ゲームやったりくだらないテレビ見たりしてんだからさ。“ルーザー”にしたって怠け者の応援歌なんかじゃ全然ないんだ。曲のほうは、映画(“スラッカー”――リチャード・リンクレーター監督の学園コメディ)が公開されてこの言葉がメディアのキャッチフレーズになる前にもうできてたし、レコーディングもしてたんだからね。俺はむしろパンク・ロック・ソングだと思うよ。スタジオでヤクやってぼうっとなってる時に作った曲で、リリースするつもりなんてまったくなかったんだ。みんなが気に入ってくれてるのはクールだけどさ、でもあれは冗談半分で書いたんだってことをわかってもらわないと。傑出した曲にしたかったわけでも、何かメッセージを伝えようとしたわけでもないんだから。かっこいいビートの曲を書いて楽しくやりたかっただけなんだ。でもほんと、この“スラッカー”って言葉は、まったく間違った使い方をされてると思う。だってさ、マシなことをちっともやらないで怠けてんのは金持ち連中だけじゃないか。俺の知り合いには金持ちなんていないぜ。“スラッカー”ってのは、親に仕送りしてもらってるようなガキのことを言うんだよ……俺なんて借金作んないようにするのに忙しくて、怠けてる暇もないんだから。それに今は音楽もやらなきゃなんないし」
●なるほど。では、西洋の白人男性社会というのは、常に個人に対して「勝者たれ」と命じる社会なわけなんですが、あなたはそうした社会によって抑えつけられた“ルーザー(敗者)”なんでしょうか? それとも社会に対抗するために、故意に敗者になることを選んだんでしょうか?
「どっちか一方っていうもんじゃないんだ。社会には間違った側面もあればいい面もあるからね。確かに白人男性社会というのはすっごく抑圧的だよ――まじめに仕事をやって、一生懸命努力して、困難を振り切っ金を稼いで、家族を養ってっていう、こういう伝統っていうか倫理観が支配している社会だからさ……。どんな文化の人にも悩みや苦しみはあるんだ。たとえば南アメリカの人たちだって、ほかの文化にはないような苦しみを味わってるだろ? だけどそれと同時にユーモアも持ち合わせてるし、そして……今でも人生を楽しんでる。でもここ(アメリカ)の文化の人間は、そういうのができないでいるみたいだね。みんな朝起きて、仕事に行って、ファーストフード・レストランに行ってハンバーガー食って、家に帰ってTV見てさ……。そしてみんな、何か楽しいことはないかと一生待ち続けるんだけど、絶対に見つからない。でもほかの文化の人たちは、互いを笑い合ったり自分のことを笑ったりするけど、ブライドとか、そういうのも持ってるような気がするんだよな。人生に対してすごくマジなんだけど、同時に全然マジじゃないっていうかさ。そのほうがずっと健康的だと思う」
●じゃあ、国や社会や家族のために必死になって働いている人たちを見て……。
「俺だって未だにそうさ。稼いだ金の3分の2は税金として政府に納めてるんだから。だから俺は今も政府のために……働いてるんだ」
●(笑)。そうやって働いていて、いつの日か馬鹿らしくなって首を吊ったりするんじゃないかと思ったりしたことはありますか?
「うん。俺もこれまでいろんなクソみたいな仕事をやってきたし、生きてくための、人並みの生活をするための最低限の金ももらえなかったこともあるしね。俺と同じ世代の大勢の人間が似たような運命を負わされてると思うよ。教育を満足に受けられなかった奴らとかさ――俺も高校に行ってないんだ。俺を学校に行かせる余裕なんて親にはなかったからね……。だから、うん、ハードなことだよ。どんな形の信念も持ち続けるのが難しくなるんだ(沈黙)。そう……これを克服するのって大変だよ」
●「“ルーザー”はレディオヘッドの“クリープ”に対する回答だ」という意見もあるそうですが、“ルーザー”と“クリープ”の最も大きな相違点は何だと思いますか?
「まず第一に“クリープ”と“ルーザー”はお互いに一切関係がないんだ。“ルーザー”をレコーディングしたのはほとんど3年も前なんだぜ――あっちの曲が出るずーっとずーーっと前さ。連中の曲のほうは、ちょっとセンシティヴすぎるっていうか、ある意味ではうぬぼれの強い曲のような気がする。俺が避けてるのはずばりそういうものなんだよな。それにあのいかにもロック的なクライマックス法だとかさ……。ロックのああいう部分は完全に破壊されるべきだと俺は思ってるんだよ。あんなのいんちきオルガズムだと思う。俺の曲のほうは、ほとんど冗談半分なんだ。全然マジじゃない。怒りを打ち出したりとかを全然してないしさ。“ルーザー(敗者)”って言葉を入れたのは、あの曲から暑苦しさを取り払って、冗談っぽくしようと思ったからなんだよ。だから、この二つの曲を比較しないでほしいんだよな(笑)。それにあいつら他人の曲を盗みやがったんじゃないの? だってさ、ニルヴァーナが5年前に“ネガティヴ・クリープ”って曲を出してるんだぜ。“I’m a negative creep, I’m a negative creep”って……。あいつらあの曲を盗んだんだよ。……もしかしたら盗んでないかもしんないけど。世の中にオリジナルなものなんて何もないもんね。どれも誰かがやったことのあるものばかりでさ……」
●では、デビュー前には、あなたを獲得しようと数多のメジャー・レコード会社が競って莫大な契約金をオファーしてきたということですが、一度でも自分がいわゆる“連中の一人”になってしまったと感じたことはありましたか?
「いいや、まるで知らない土地にやって来た外国人みたいな気分だったよ。完全に“外”の人間だった。オフィスなんてそれまで行ったこともなかったしね。働いてた店の事務所とかを除くと。だからそう、俺はまったくの不慣れな外国人だった。きょろきょろあたりを見回してばかりで、連中の話なんてまるで聞いてなかった――何かもう……圧倒されちゃってさ。ま、時々白けもしたけど」
●じゃあ、資本主義というシステムに自分がしっかりと巻き込まれていくと実感することもあるんでしょうか?
「銀行に小切手を預けに行くと、業界の真っ只中にいるんだって感じるよ」
●自分自身が飼いならされてしまうんじゃないか、と思ったりします?
「んー、いや、そんなことはないよ。誰も俺にどうしろと指図したりしないし、俺もやりたい音楽をやりたい通りやってるしね。だけどほんと、べつに大したことじゃないよ。こんなの単なる仕事だもの。レコードを出そうと思うと、いろんな人間の仕事が絡んでくるけど、一番いいのはそういうのを全部無視して、ギターをプレーし続けることさ」
●あなたにとって、例えばクラッシュのような英国のパンク・バンド――具体的な闘争の方法論を持たないにもかかわらず「それでも闘うしかないんだ!」と声高に叫んでいたようなバンドは、どのように映ったのでしょう?
「いや、俺は英国パンクにはまったく興味なかったな。ただパンクの持つ純粋なエネルギーにはすごく惹かれたよ。プッシー・ガロアだとか、初期のソニック・ユースなんかに夢中だったんだ。剥き出しのノイズっていうかさ……。日本のノイズ・バンドにもすごく興味があるんだ。原始的なエネルギーみたいなものを感じるんだよね。そのへんのフィーリングを俺も取り入れたいと思ってる。原始的な音楽って2種類あると思うんだ。まずはフォーク。――田舎に住むシンプルな人たちから生まれた音楽さ。そしてノイズ。――ほんとに純粋にノイズだけの音楽があるんだ」
●パール・ジャムが隣でリハーサルをしていたという話でしたが、彼らのように四六時中、拳を握り締めて懸命に生きているようなアティテュードに対して「何マジになってんだよ?」と思ったりしません?
「実は俺パール・ジャムのことは何も知らないんだ。連中の音楽も聴いたことないしね。さっきの話は冗談だよ」
●へっっ?!
「うん、だからえーと、あー、パール・ジャムのことは俺にはわかんない……。連中はギターに生卵をぶちまけたり、それからえーと……鼻の穴に火をつけたりできるけど、俺はそういうのにはあんまり興味ないんだ。俺には『こっちを聴いてロックしながら時間を浪費するほうがいい』って思うような素晴らしい音楽がほかにたくさんあるから」
●では最後に、あなたにとって最も大切なものを教えてください。
「んー、まず酸素があって、そん次はシリアルだな。16、17種類いつも棚一杯にストックしてて、それぞれボウルに一杯ずつ食べるんだ」
●……毎朝ですか?
「んーと……うん。そう毎朝」
●ほかには何かありませんか?
「あー……腐ったような臭いのする犬に、ロバの腸に、破裂する眼球、それから……それから……溶けたファックス・マシーン、アスベストにおおわれた最新流行の服、それから義歯が4本……」
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オルタナの寵児?無気力世代の代表?――
時は94年。ブレイク直後のベックの貴重な
インタヴュー2本を蔵出し特別掲載:後編