オルタナの寵児?無気力世代の代表?――
時は94年。ブレイク直後のベックの貴重な
インタヴュー2本を蔵出し特別掲載:前編
未確認浮浪物体ベックの正体見たり!
6月29日ミネアポリス、ファースト・アヴェニュー公演リポート&インタヴュー
取材・文=田中宗一郎
撮影・通訳=WILLIAM HAMIES
初出=ロッキング・オン1994年9月号
おお、ミネアポリス。ベック観たさにやって来たミネソタの空は高い。当初は、29日にライヴを観て、開けたオフ日にインタヴューをやる予定だったのだが、いきなりベックが郊外のスタジオでレコーディングをすると言い出したため、急遽、ライヴ当日の取材となった。因に左の写真は翌日、そのスタジオを訪れた際のもの。しかし、驚いたことにベックはなんとこの日、朝から8曲も(!)レコーディングを済ませてしまったと言っていた。何者だ、お前は。
そこでライヴ当日、ツアー・マネージャーに促されツアー・バスに乗り込もうとすると、「今日のセットリストを作っているので5分待ってくれ」との返事。しかし、バスを覗き込むと、ベックはレインボーにいたロニー・ジェイムス・ディオのバンド、ディオのTシャツを着込み、窮屈で薄暗いツアー・バスの中で何故かサングラス着用、アコギを抱えたままボーッと突っ立っていた。不安だ。
●えー、僕は始めたあなたの“ルーザー”を聴いた時、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの“In My Time of Dying”のディラン・ヴァージョンを連想したんですよ。
「へえ、そりゃクールだな。僕はそういうところから生まれたと言える部分がかなりあるからね――つまり、ブラインド・ウィリー・ジョンソンからさ。スライド・ギターを学んだのも彼からだし。だから、そう言ってもらえるとすっごく嬉しいよ。だって、ほとんどのジャーナリストは俺のことをオールマン・ブラザーズか何かの物真似だって言うんだからさ(笑)」
●(笑)。あなたがああいった類の音楽に惹かれたのはミシシッピ・ジョン・ハートが最初だそうですが、彼のどこに惹かれたんですか? あのダミ声? それともギター・サウンド?
「両方一緒にだよ。二つ合わせて一つの楽器みたいじゃん、声とギターが見事にぶつかり合ってさ――完璧なコンビネーションっていうか。彼はスピリチュアルな資質の持ち主で……音楽の多くはただ散漫で、バラバラで、何にも根づいてないって感じだけど、彼の音楽をプレーしてると、まるで自分自身が何も混じりっけもない、そっくりそのままの状態になったような気分にさせられるんだ」
●フォーク・ブルースというのは片足を棺桶に突っ込んだ状態を歌っているものが多いと思うんですが、あなたの曲にも“One Foot in the Grave”というのがありますよね。あなたとしても自分が常にそういう状況にいたという自覚はあるんでしょうか?
「まあ、俺は白人だから、連中が耐えなきゃならなかった社会的抑圧とは無関係だったわけだけど、楽な人生を送って来たわけじゃ絶対にない。頑張って働いて食うための金を稼ぐ――それだけでも立派な苦闘だもの。俺なんか自分に向いてる仕事は自給4ドルのヴィデオ屋の店員しかないような気がしてたもんな。だけど、その仕事もクビになって……つまり、俺が働く年齢になった70年代80年代頃って景気がすごく悪くてさ。しかも俺はきちんとした教育も受けてなかったから、会社勤めができるような資格も何も持ってなくて……ま、会社勤めなんて御免だけどさ(笑)。だから、俺と同い年くらいの奴らって他の世代に比べて真面目ってわけじゃないけど馬鹿じゃないんだ。時間と金はないけど、苦労だけは多い世代だから」
●なるほど。では“ソウル・サッキン・ジャーク”なんかは、そういった時の状況を反映した曲であると言えるんでしょうか?
「ああ、“ソウル・サッキン・ジャーク”ね(苦笑)。あれは体制の中で必死こいて働いて、心ん中がまったく空っぽで消耗し切ってて、何からもインスピレーションを受けない……そんな頃のことを歌った曲さ。今聴くとちょっと感傷的な曲だなって気がしないでもないけど……でも当時はとにかく、憂鬱な仕事場から自分の人格を取り戻したくてあの曲を書いたんだ(苦笑)」
●“ウイスキー・クローン~”なども、そうなんですか?
「あれは……あらゆる社会的建築学的構造がまるごと一つのデッカイ構造の中で溶けてしまって、あるのはホテルだけでしかもどうやら人は誰も住んでいないっていう場所に一人の男が閉じ込められていて、そこはどこもかもが屋内生物圏で、男はその中を歩いているわけ、デヘヘ(照れ笑い)……。だからSFみたいなもんだよ」
●なるほど(笑)。では、カート・コバーンがレッドベリーの熱狂的なファンだったという話は有名ですが、やはり50年代の黒人ブルースには苦痛を鎮静させる作用があるものなんだと思いますか?
「うん、でもブルースにもいろんな次元があるからね。俺にとってのブルースってさ――80年代に音楽の多くがあまりにも薄くてコマーシャルになっちまっただろ? あの頃のパンク・ロックみたいなものなんだよ。昔の78回転レコードのブルースを聴いてみればわかるけど、すごくゆがんだ粗削りなギター・サウンドでさ。その粗削りなところが聞き手にエネルギーを与えるんだよね。で、当時、エレクトリック楽器を持ってなかった俺はパンク・ロック・バンドに入りたくても入れなくてさ。だからブルース、特にデルタ・ブルースなんかは、俺にはパンク・ロックみたいなものだったんだよ」
●ではあなたにとって、パンク・ロックとデルタ・ブルースとノイズ・ミュージックの共通点というと何だと思いますか?
「そうだなあ……三つとも検閲を受けないっていうか、拘束されない直接的なもので、自由な表現手段だっていう点かな。曲と聴き手の間に何も存在しないっていうかさ。ノイズ・ミュージックだったら荒削りなエネルギーがあるだけ、フォークだったら自分の声で心の中の思いを歌にするだけ。ブルースもそうさ。ラップもかなりそういった感じだよね。ラップって一番直接的な音楽だと思う」
●ところで、あなたの母方のおじいさんというのはフルクサスのメンバーだったそうですね?
「うん、そうなんだ。ドイツにもう25年くらい住んでる」
●じゃあ、フルクサスのメンバー、たとえばヨーコ・オノがやっていたようなアート・フォームには興味はありますか?
「うん、クールだと思ったよ。作品に接したことはほとんどなかったんだけどね……。でも、4、5歳の頃かな、祖父が訪ねてきた時の話でさ。俺、おおちゃの木馬みたいなのを持ってたんだけど、もう遊ばなくなっちゃってて長いことガレージでほこりを被ってたんだよね。するとおじいちゃんが『5ドルやるからこれをくれ』って言うもんだから、俺も『OK』ってな感じで、その金を持ってキャンディをしこたま買いに出かけたわけ。で、家に帰ってみると、驚いたことに、煙草の吸い殻が木馬じゅうに糊付けされてて、その上に銀色のペンキがスプレーしてあったんだよ。俺、その時わかり始めたんだ。自分の身近にあるどんなものでも姿かたちをすっかり歪ませて、美しい怪物に変えちゃうことが可能だってね(笑)」
●じゃあ、あなたが例えばナム・ジュン・パイクがやっていたようなヴィデオ・アートや、ヨーゼフ・ボイスがやっていたハプニング的なものを音楽に混ぜ合わせていく可能性はあると思いますか?
「いや、実はさ、以前はそういうことをよくやってたんだよ。何年もの間ね。たとえば1年ほど前、“ルーザー”がヒットして、レコード業界の御一行様が俺のショウを観に来てさ。でも俺としては『冗談だろ?』っていうか、俺のことをからかってるんだとしか思えなくてさ。それで俺、ステージを木の葉っぱで覆って、バックパックをかついで、観客に向かって葉っぱを吹きかけたんだ(笑)。でもって、コミュニティとの密な接触の重要性を訴えたアンチ・スラッカー演説を始めたわけ。コミュニティの代理人として、俺は道徳的な人間を形作る上での一定の影響力を持ってるような気がするんだよね。でも、一旦メインストリームに入ってしまった後でそいうことをやると、ただの変な奴だとみなされてしまう。コメディアンか何かみたいにね。だから今後はもっとサウンド面で、つまりレコーディングでそういった実験をやりたいと思ってるんだよ」
●では、例えば“ペイ・ノー・マインド”などは聴き手の殺伐とした気分を癒してくれる歌でもあると思うんですが、もしマス・オーディエンスが「あの曲によって僕らは救われたんです!」なんて言って、あなたを救世主扱いし始めたらどうしますか?
「うーん、そういうことになんないとおもうんだけどなぁ。俺のアティテュードとしては、俺はただのミュージシャンであって、ただの人間なんだ。それに俺、自分の曲がそんなに尊いものだとは思ってなくてさ。自分の曲のファンですらないんだから(笑)。“ペイ・ノー・マインド”なんてもう演ってさえいないんだぜ。タイトルも“Got No Mind”に変えて、歌詞も全部変えちゃった(笑)。だから、そういう状況には一切陥りたくはないね。俺って庭をちょこちょこっと片づけてる庭師みたいな人間っていうか、世界平和とか大それたものをもたらそうとしてるわけじゃないんだからね。うーん、庭師でもないな。葉っぱ掃き散らし屋だよ。落ち葉をあちこち飛ばしてるだけで、一か所に集めたりしないんだ(笑)」
●(笑)。それにしても、あなたって、特定のものに対する過剰な信念とか依存を極力排除しようとするところがありませんか?
「うん、とにかく『自分自身であれ。イメージとか、自分を溶解してしまうようなものに関わるな』ってことだよ。結局何が大事かっていうと、バランス感覚だと思うんだ。ラップ・ソングがあるかと思えばその次にフォーク・ソングが入ってて、そして次にはノイズ・ソングが入ってて、すっごくきれいな曲も入ってる、みたいなね。一つの方向性だけを追求しすぎるのって健康的じゃないと思うんだ。だから……俺くらいの年齢の連中って、とにかくすっごくいろんな種類の音楽に接してきてるだろ? 俺はそうだった。だから俺にはどれもが『音楽』なのさ(笑)。どれも取り入れて浪費するのにちょうどいい具合に熟してるっていうかさ」
●では、アーティストによってはいつも苦悶しているような超シリアスな人もいるわけですが、あなたの場合、そういった人生の暗部を悲劇としてとらえるような態度を避けようとしていませんか?
「んー、それって、たとえば誰のことを言ってるの?」
●うーん……エディ・ヴェダーとか。
「ああ、やめてくれよ! 彼だけは……エヘヘッ……いや、だから俺はただ他人を巻き込んでまでそんなことをするつもりはないってことだよ。俺は劇的な場面が展開しなきゃ嫌だっていう連中とは違うんだ。つまり、そうやってすぐ興奮しちゃう人間って、コミュニケーションができないんだよ。周りにいる人達と常に話をするようにしていれば、すべてうまくいくのにさ。俺はそうしてるし、そこが重要なんだ。でも、今じゃ大勢の人がコミュニケーションの方法がわからないみたいだね(笑)。忘れちゃったっていうか……特にアメリカでね。それに俺ってインディ・ロック・シーンの中でかなり長い間やってきただろ? それでちょっと不健康かなって気がしてきて、それでラップをやり始めたっていう経緯もあったりしてさ。『OK、みんな! ここらでちょっと楽しいことしようぜ! こうれは十分だよ』って具合にさ。だけど、真面目な人や苦悩を抱えてる人にも興味があることはあるんだぜ。例の“ニュー・ウェーヴ的苦悶”に興味を持ってるんだ。典型的な……その……負け犬の世代とゲイリー・ニューマンの折衷っていうかね。エヘヘ。ま、今晩ライヴを見れば、俺の言ってることがわかるよ(笑)」
●そうですか。では最後に、次に挙げる四つのステレオタイプの一つにどうしてもならなきゃならないとしたら、どれになりたいか教えてくれますか。まずは“自由と開放を訴えるロック・スター”。
「霊媒師のことだね」
●ええ。で“捕鯨や肉食に反対する自然保護団体の闘士”。
「ああ、PC人間(ポリティカル・コレクトネス――政治的妥当性・社会的潔癖さ)ってやつだ」
●三つ目が“パール・ジャムをベッド・ルームで聴きながらもがき苦しんで泣いているロック・ファン”。そして四つ目が“何かと深読みばかりする日本人ロック・ジャーナリスト”。
「ああ……四つ全部じゃないかな(笑)。オジー(・オズボーン)みたいにこうもりの頭を食いちぎりながら、『フリー・ラヴ!』なんて言ってヒッピー・ミュージックをギターでプレーするんだけど、それと同時に……えっとぉ……一番新しいグランジ・センセーションについて表論文を書いてぇ、そのブームを知的に分析処理して……それから、俺の繊細な脳ミソに合うものを変えるんだ。でも、それと同時にワーキング・クラスの苦労人にもなる(笑)。まあ、ゲロ吐きながら同時に床をきれいにするって感じだよね」
インタヴュー終了後、Kからの新作『One Foot in the Grave』をわざわざ箱から取り出して、「これ、持ってる?」と聞いてくれる。「ああ、持ってる」と答えると、さっさと僕の手からCDを取り上げて、元の場所に仕舞い込んでしまった。さすが貧乏人、偉い。で、今回の会場はプリンスの『パープル・レイン』の舞台にもなったファースト・アヴェニュー。キャパシティは千二~三百人といったところだろうか。会場は完璧ソールド・アウト状態。客層は土地柄のせいか、あまり屈強な輩は見掛けられない。小ぶりのサーストン・ムーアが沢山いるという感じである。前座はトルーマンズ・ウォーター、まるでボアダムズのコピーをしているペイヴメントだ。そして、地元のアコースティック・ブルース・デュオ、平均年齢42歳(憶測)と続く。おまけに、その合間にはステージ前に下ろされた巨大スクリーン日本製のSF映画が映し出され――『ゼイラム』というらしい――女の子が化け物と格闘している。でもって、そのBGMはニルヴァーナなのだ。いや、ホント頭がおかしくなりそうだ。
そこへようやくベック御一行が登場。バンドはドラムス、ベースが2人(その後、片方のお兄ちゃんはギター、ベース、サンプラーを曲によって使い分けていた。ただ態勢にあまり影響はない)、そして、マイク片手に飛び跳ねるベックの4人。シングル『ルーザー』収録曲“コルヴェット・バマー”での幕開けである。ちょっと地味かも。観客を少し引いている。だが、まったくメゲた様子もなく、ベックはステージ左手に移動、そこに設置されたムーグを操り出すのだ。ピロピロヒ~。たじろぐ観客。続いて、ベックがテレキャスターを肩にかけるや、謎のパンキッシュなインスト攻撃。またもや引く観客。一瞬青ざめるが、3曲目に“ファッキン・ウィズ・マイ・ヘッド”が始まった瞬間、会場は一気にモッシュ&ダイヴの嵐に突入した。続く“マザーファッカー”でのノイズ・エフェクトがかかったマイクを通したベックのシャウトで観客の興奮は頂点に達する。どひー。僕も意味不明のリアクションで応えてみる。
この後もライヴはひとつの到達点に一直線に向かっていくのではなく、終始、爆裂と肩透かしと瞬間のきらめきがガタピシと交錯することになった。中盤6曲は弾き語りコーナー。ハーモニカ・ホルダーを首にかけた童顔のブルーズ・マンの登場である。「ブルース・ハープ吹き語り」という無理やりなスタイルでソロ演奏される“One Foot in the Grave”、前座の親父二人と和やかなカントリー・ブルーズ・セッション――もはや一定の文脈を追うようにしては認識出来ない奇妙キテレツな光景が繰り広げられていくのだ。そして、後半、バンドがステージに戻ってきて、“ルーザー”のリズム・ループが鳴り響くや、会場は騒然、空前絶後阿鼻叫喚色即是空状態に突入。だが、もはやタイトルも“Boozer”と変更され、サビの歌詞も「オイラ、舐め舐めマ~ン」という意味不明のものになっている。そして、ベック言うところの「ニュー・ウェーヴ的苦悶」そのものといった感じの“ブラック・ホース”~“スパーキング・ルーム”では、ドラマーが意味もなくドラム・キットに火をともす。ここまで来ると、もはや自分が何を観にやってきたのか、さっぱりわからなくなってくる。でも、困ったことに、これがホント楽しいのだ。
エンディングはゲフィンからの3rdシングル“ビール缶”で大盛り上がり。おまけに、アンコールは永遠に終わらないかと思われたトルーマンズとのノイズ・セッションであった。濃い。濃い1時間20分だった。そりゃあ演奏は粗いし、まるでボアダムズじゃん、というところも確かになった。だが「自分の身近にあるどんなものでも姿かたちをすっかり歪ませて、美しい怪物に変えちゃうことが可能なんだ」という、ふっと軽くなるような世界観、そして、それをクソ面白くない正論には終わらせないユーモアがきちんと反映されたライヴだったのである。誰もがクズだとしか思ってない肥溜のような世界。でも、ほんの少し頭を使ってやりゃ、こんなにもわけがわかんなくて愉快なものになっちゃうんだぜ、へへ、という実践が見事に結実化されていたのだ。それにやっぱかわいいよ、コイツ。
<来日応援チケットプレゼント>
インタヴューの際、「あなたがジャーニーのTシャツを着ていた写真が発端になって、今、日本のシブヤという街ではジャーニーTシャツにはプレミアムがついて、1枚100ドル相当で取り引きされてるんですよ」という大ボラを吹いたら、当人、大ウケしながらも困ってました。ライヴ当日は是非、ジャーニーのTシャツ着用で出掛けて下さい。応募は織込みハガキか官製ハガキ(一人一通まで)に、住所、氏名、年齢、公演希望日をひとつだけ明記の上、8月15日必着で。当選者には8月22日までにチケットを郵送します。
8/29(月) 川崎クラブチッタ――10名
8/30(火) 名古屋ダイアモンドホール――10名
9/1(木) 大阪IMPホール――10名
9/2(金) 福岡スカラエスパシオ――10名
9/4(日)
9/5(月) 川崎クラブチッタ――各10名
9/6(火) 新宿リキッドルーム(既にソールドアウトです)――10名
招聘元:HIP 03・3475・9999
*今回、会場等の都合で追加公演はありません。
分断と衝突の時代にすべての人々を社会の
外側へと誘う究極のポップ『カラーズ』の
真価をベック本人との会話で紐解く:前編