ディアハンターと言えば、「退廃的で騒々しいシューゲイザー・サウンド」。というブレイク当初のイメージに捉われていると、その魅力は到底つかみきれない。と思いませんか? なぜなら、ディアハンターは(というか、中心人物のブラッドフォード・コックスは)、アルバムごとにコンセプチュアルなアイデアを打ち出し、次々と姿を変えていくアーティスト。そういったバンドの性質は、50年代ロックンロール/ブルーズにヒントを得た2013年の前作『モノマニア』以降、一層明確になっています。
このたび届けられた最新作『フェイディング・フロンティア』は、そのような意味でも間違いなくディアハンターの真骨頂と呼べる作品。リリースに先駆け、アルバムの影響源を手書きで図解した「コンセプト・マップ」なるものが公開されましたが、そこで名前が挙がっていたのはインエクセス、ティアーズ・フォー・フィアーズ、そして「ゲイト・リヴァーブ・スネア」――つまり『フェイディング・フロンティア』は、80年代スタジアム・サウンドの極めてディアハンター的な解釈、と言えなくもありません。少なくとも、かつて彼らが象徴していたインディ的な美意識とはいい意味で切り離されている。この見事な変わり身は、まさにディアハンターならでは、でしょう。
このようにアルバムごとに全く異なる表情を見せるディアハンターは、非常に多面的な魅力を持ったアーティストです。そこで今回は、3名のライターそれぞれにディアハンターのベスト・アルバム3枚を選んでもらいました。三者三様のアングルからディアハンターの作品をランク付けし、位置付けることで、バンドの多彩な魅力を改めて浮き彫りにする、というわけです。
果たして名作揃いのディスコグラフィから、どのアルバムが選ばれているのか? 第一弾は天井潤之介氏のセレクトをどうぞ!(小林祥晴)
ディアハンターを初めて観たのは2009年。同じく初来日だったアクロン/ファミリーとのカップリングという豪華なメニューだったのだけど、じつはそのツアーで最も印象に残ったのは、急きょオープニング・アクトを務めたアトラス・サウンドのライヴだった。ステージの細部は忘れたが、ギターを抱えて現れたコックスの演奏は、ざっくりといえばアシッド・フォーク……シューゲイズでドリーミーだった2008年のアルバム『レット・ザ・ブラインド・リード・ゾーズ・フー・キャン・シー・バット・キャンノット・フィール』とは異なり、あるいは2009年にリリースされた次作『ロゴス』とも違う、なんだか漠としていて、ひどく疲れ切ったような音楽だったことを思い出す。
そしてその記憶は、2000年代におけるアンダーグラウンドのタームを総覧する音楽的な極みを見せたアルバム『クリプトグラムス』(2007年)に対し、内省的な翳りを色濃くたたえ、けれどガレージ・ロックやアンビエント等がぶつ切りのままとっ散らかった本作――とりわけ1枚目の『マイクロキャッスル』――の聴後感と地続きのもので、当時まさにピークを迎えようとしていたUSインディ・シーンの賑やかさとのコントラストも相まって忘れがたい。新作の『フェイディング・フロンティア』では、「僕たちはやっと/あのつかみどころのない平和を手に入れられる/希望がないなんて/そんなことは信じられない」(“レザー・アンド・ウッド”)と穏やかに歌う今のコックスから、この中心を欠いた空洞のような音楽がふたたび届けられることはもうないのかもしれない。
ディアハンターを代表する作品。ではまず間違いなくない。どころか、いわゆる処女作らしいいなたさや習作としての目を瞠る才気も皆無。そもそも、ほんとにこれディアハンター? と疑われてもやむ得ぬほど近作のイメージとは遠い。が、リリースから10年をへてふたたび聴くこのメタリックで禍々しい音楽は、なかなかどうしてしっくりくる。それこそガール・バンドに今の気分を感じる耳にはきっと間違いなく。
ただただノイジーでラウド。ひたすらダダイスティックでノーウェイヴィ。思えば2013年のアルバム『モノマニア』も初期ロックンロールや電化ブルーズの意匠を実験的な録音でリデザインした荒々しい作品だったが、こちとらそんなコンセプチュアルの欠片もなし。あえてコックスの音楽ルーツに則して例えるなら、バットホール・サーファーズとパイロンの私生児たる出生届、といった趣も。さらに味わいたければ、盟友ブラック・リップスの連中とクランプスかバースデイ・パーティの“ごっこ”に興じた覆面バンド、スプークスのアルバム『デス・フロム・ビヨンド・ザ・グレイヴ』(2009年)を。
その『ターン・イット・アップ・ファゴット』が、当時のメンバーの死が色濃く影を落とした作品だったことを思い出したのは、この最新作『フェイディング・フロンティア』について調べている時だった。本作にはご存知のとおり、ステレオラブのティム・ゲインとブロードキャストのジェームス・カーギルがゲストで参加している。両者とも、コックスの音楽遍歴から見て、何よりディアハンターとの音楽的な相性からも頷ける人選なのだけど、気になったのは、ふたりもまたそれぞれに最愛のメンバー――メアリー・ハンセントとトリッシュ・キーナン――を失った過去を抱えていること。
思えば、ディアハンターの活動にはたえず死者の影(とノスタルジー)がつきまとい続けてきた、と言える。『ターン~』の次作『クリプトグラムス』はドラッグ禍で亡くなった友人に捧げられたアルバムだった。共作もある盟友ジェイ・リータードが急逝したのは2010年のこと。そして、2014年の冬にはコックス自身も交通事故に見舞われた。そんなコックスが本作で、しかし、エヴァリー・ブラザースもかくやたるアメリカン・ポップスの意匠やティアーズ・フォー・フィアーズも連想させるAOR感をまとい、「僕はずっと消えそうな境界を追い続けてきた/僕は自分の人生を生きている」(“リヴィング・マイ・ライフ”)、「きみはもういないけど/僕は変わっていない/どの海も大きいように/僕にとっては何も変わらない」(“キャリオン”)とてらいなく歌い上げてみせる、その境地。今年でデビュー10年目を迎える彼らの、ここから始まる次の10年を振り返った時、本作が持つ意味はきっと小さくないはず。
「いつが最高? 変わり続けるサイケ音楽の
万華鏡、ディアハンターの傑作アルバム、
トップ3はこれだ! その② by 岡村詩野」
はこちら