SIGN OF THE DAY

ダフト・パンクの“ゲット・ラッキー”を機に
再びポップの最前線に躍り出たレジェンド、
ナイル・ロジャースを目撃しよう! 後編
by SOICHIRO TANAKA December 01, 2015
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ダフト・パンクの“ゲット・ラッキー”を機に<br />
再びポップの最前線に躍り出たレジェンド、<br />
ナイル・ロジャースを目撃しよう! 後編

では、後編。本題に移る前に、「それにしてもさ、そもそもナイル・ロジャース最大の偉業って何なのさ?」という疑問をお持ちの、理屈が伴わないと納得しない面倒臭い輩のために、今一度ざっくりと説明しておきましょう。

まずひとつにはディスコ音楽の社会的な地位向上に貢献したこと(まあ、社会的な地位なんて、どーでもいいって話もあるんですけど)。70年代半ばから後半にかけての時代がディスコ音楽の全盛期であることは皆さんも承知のことと思います。世界的な現象だった。当時、極東のいまだ10代前半の子供だった筆者がディスコ音楽の存在を最初に認識したのは、赤塚不二夫の不条理ギャグ漫画『天才バカボン』の中で、ジョルジオ・モロダーの完全バックアップによってディスコの女王と呼ばれるまでになったドナ・サマー(“アイ・フィール・ラヴ”!)のことを、バカボンのパパが「殿様」と呼んでいたのを読んだ瞬間でした。

でも、当時のディスコというのは本当に疎んじられた存在だったんです。とにかく馬鹿にされ、忌み嫌われてた。「ディスコ・サックス」という文字の入ったTシャツが流行したり、社会的な問題として取り上げられるほど、アンチ・ディスコという気運が凄まじかった時代があるんです。デッド・ケネディーズのジェロ・ビアフラを筆頭に、同時代の社会的な意識の高いパンク・バンドの多くからも、ディスコのエスケーピズムは批判の矛先に上がっていました(まあ、今でもあるけどね、ロック好きのダンス・ミュージック嫌いとか)。もっとも象徴的なのは79年7月の「ディスコ・デモリッション・ナイト事件」です。

ただ一概にディスコと言っても、70年の〈ザ・ロフト〉におけるハウス/ディスコと、80年の〈スタジオ54〉でのコカインまみれのディスコとはまったく別物。あるいは、「ディスコ・デモリッション・ナイト事件」が、一概にディスコが黒人文化やゲイ・カルチャーに出自を持つものであったがゆえに向けられた差別的な問題だと言いきれるかというと、これもまた微妙なところがある。勿論、そうした部分も間違いなくありました。ただ、そんな一元的なものではない。件のディスコの女王、ドナ・サマーがゲイ差別発言を漏らしたことが大問題になったりと、当時の偏見や差別は非常に入り組んだものだったわけです(勿論、今もですが)。

何よりも当時のアンチ・ディスコという気運は、79年のアメリカのポップ・チャートがまがい物のディスコ音楽だらけになったことに向けられていたものでした。例えば、常に黒人音楽への愛情と目配せを忘れなかったローリング・ストーンズの“ミス・ユー”のようなケースはまだしも、この時期、多くの白人アーティストたちが単なるヒット狙いのために付け焼き刃のディスコをやり出したのは、極東の10代の子供から見ても、正直、辟易させられた出来事だったのは確かなんですよね。だって、この79年前後には、キッスもELOもロッド・スチュワートもピンク・フロイドもイーグルスもシカゴもキンクスもビーチ・ボーイズもみんなディスコやってたんだから。

ただ、同じブラック・ミュージックの中でも、ディスコというのは、うねるようなファンクのビートを単純化させた形式として馬鹿にされていたところもあるんですね。実際、パーラメント/ファンカデリックのベーシスト、ブーツィ・コリンズ辺りは、ディスコに対して非常に批判的でした。ディスコと違って、ファンクがメインストリームでの成功を勝ち得ることのなかったことも何かしら関係しているのかもしれません。

いつの時代にもアンダーグラウンドでの出来事を誰かがポップな形で推し進めようとする時に、メインストリームからは異物として排斥され、出自であるアンダーグラウンドからも疎んじられるというのは、必ず起こる現象です。ナイル・ロジャースもまた、ディスコをメインストリームへと押し上げた張本人のひとりですから、そうした誹りを常に受け止めてきた。例えば、スティーヴィー・ワンダーのように黒人からも白人からも常に尊敬され続けた作家と違って、ナイル・ロジャースという作家は、そのどちら側からも何かしらの理不尽な誹りを受け続けてきた人だということです。そして、それを乗り越えてきた。

しかし、それ以上に、彼の最大の功績というのは、何よりも音楽的な部分にあります。ファンクとは違う、ディスコ特有のグルーヴを生み出した。そして、その秘密の源は、彼のリズム・ギターにあります。

ファンクから連なる16のギター・カッティングながら、彼の場合、タメによってグルーヴをシンコペートさせるというよりは、裏拍を刻むアップ・ピッキングを強調することで、ファンクとは違うグルーヴを生み出しました。ワウ・ペダルを踏んだり、回転系のエフェクターをかますことで、うねりを出すのではなく、直線的なカッティングながら、アップ&ダウンそれぞれのカッティングのニュアンスで、彼のギターは「跳ね」を生み出していきます。ミュートを効かせ、常に6弦全体をフル・ストロークすることで、より和音をパーカッシヴに鳴らすのも彼の特徴です。以下に貼った、昨年リリースされたナイル・ロジャースのソロ・トラックを聴いてもらえれば、彼のスタイルは一目瞭然。是非、実際に耳で確かめて下さい。ほれぼれするくらい最高のギター。

Nile Rodgers / Do What You Wanna Do (2014)


では、本題に戻りましょう。ナイル・ロジャースのキャリアを振り返りつつ、今回のツアーで必ず演奏されるだろう珠玉のトラックを見ていくことにしたいと思います。是非、時折、絶妙なタイミングで挟み込まれる、裏拍を刻むアップ・ピッキングを強調した、彼独特のリズム・ギターに耳をそばだててみて下さい。「なるほど、これか!」と思ってもらえるはずです。ま、そんなことせずとも、この最高のグルーヴに合わせて、腰が動き出しさえすりゃいいんですけど。

では、“グッド・タイムス”を聴いて下さい。こちらは79年の3rdアルバム『Risqué(邦題:危険な関係)』を冒頭を飾る、本来は8分を超す長尺のトラックです。やはりこの曲も全米No.1ヒット。因みに、こちらはイタリアのTV番組の映像。当時のシックの存在がワールドワイドの現象だったことがわかります。

Chic / Good Times (1979)

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もう永遠に聴いていたくなようなシルキーなグルーヴ。で、あなたがポップ・マニアなら、もう気付いているはず。以前、こちらの記事でも触れましたが、この“グッド・タイムス”は、クイーン80年の全米No.1ヒット“アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト”の元ネタです。あるいは、あなたがヘッズなら、当然ご承知のことと思います。この曲はヒップホップという文化を世界中に知らしめたシュガーヒル・ギャングの歴史的な1曲“ラッパーズ・ディライト”のサンプルねたです。

Sugarhill Gang / Rapper's Delight (1979)

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因みにこの曲が生まれるきっかけになったのは、79年の夏、ニューヨークの〈パラディアム〉で行われたクラッシュのライヴでのこと。ブロンディと共に、クラッシュのサポート・アクトとしてシックが演奏した際に、彼らのステージにシュガーヒル・ギャングのメンバーが飛び入りでフリースタイルを披露したところから、互いの交流が始まり、コピーライトの問題をクリアすることで生まれたのが、この曲です。

でもって、80年に再びクラッシュの4人が4thアルバム『サンディニスタ!』の録音のためにニューヨークに戻ってきた際、現地サウス・ブロンクスで隆盛を極めていたオールドスクール・ヒップホップにミック・ジョーンズが夢中になったことから、白人初のラップ・ソングであるクラッシュの“ザ・マグニフィセント・セヴン”が誕生することになるわけです。いや、ホント感動的な話ですよね(あ、余談ですけど、この曲の邦題は“7人の偉人”なんですけど、このタイトル、そもそもは黒沢映画『七人の侍』をリメイクした60年の西部劇映画『荒野の七人』の原題から採られています。これまた余談ですが、この曲で最高にグルーヴィなベースを弾いているのはポール・シムノンではなく、イアン・デューリー&ザ・ブロックへッズのノーマン・ワット=ロイです。正直、ポール・シムノンには弾けません。あの低すぎるベースのポジションでは無理。おかげで、現役時代のクラッシュのステージでこの曲が演奏された時はかなり散々な出来でした。ははは。またそれも最高だったんですが)。

ポップ音楽とは継承の文化であり、いくつもの継承の歴史です。我々が暮らす今の世の中――あまりにも残念、かつ、おぞましい結果となったロビン・シック裁判以降の世界では、そうしたかけがえのない伝統は失われてしまう可能性もあります。だからこそ、前述の79年から80年にかけてニューヨークで起こった素晴らしい出来事をここに記しておきたい。忘れずにいたい、と思います。

さて、気を取り直して、再び本題に戻りましょう。お次はシスター・スレッジのやはり79年のアルバム『ウィ・アー・ファミリー』収録曲。これはシックの二人、ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがプロデュースした作品です。この79年というのは、クインシー・ジョーンズをプロデューサーに迎えた、マイケル・ジャクソン不朽の傑作『オフ・ザ・ウォール』がリリースされた年と言えば、なんとなく時代の空気を感じ取ってもらえるかもしれません。

この『ウィ・アー・ファミリー』には、もう一曲、“ヒーズ・ア・グレート・ダンサー”という代表曲がありますが、ここはやはり全米チャート第2位に輝いた彼女たちの最大のヒットであり、シックの二人が自分たちのバンド以外に初めて書き下ろした曲でもあるアルバムのタイトル・トラックを貼っておきます。当時、リード・ヴォーカリストのキャシー・スレッジは若干18歳でした。初々しい!

Sister Sledge / We Are Family (1979)

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この曲も必ず演奏されるはずです。では、貴重な映像をひとつ。オーディエンス・ショットなので状態は良くはありませんが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーとナイル・ロジャースの二人の竿モノをバックに、現在のキャシーがこの往年のヒットを奏でている映像です。

チリ・ペッパーズの1stアルバムのプロデュースが、独特のホワイト・ファンクを鳴らしていたポスト・パンクの雄、ギャング・オブ・フォーのアンディ・ギルだというのは皆さんご存知だと思います。この逸話だけでも、ポップが継承の文化であり、異なる文化同士の混交と融和を促してきたことを物語るエピソードだと思うんですが、でも、この映像を観ていただければ、もっといろんなものが繋がっているということを身をもって感じていただけることと思います。

Nile Rodgers, Flea & Kathy Sledge / We Are Family (2015)


では、この翌年、80年にシックの二人がプロデュースしたダイアナ・ロスのアルバム『ダイアナ』から1曲。実はこの作品、件の「ディスコ・デモリッション・ナイト事件」の余波もあって、アルバムのミックスを巡って、ダイアナ・ロスとレーベルである〈モータウン〉、プロデューサーであるナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズとの間に一悶着あったといういわく付きのアルバムでもあります。

つまり、ダイアナ・ロスと〈モータウン〉側は、このアルバムにディスコというレッテルが過剰に貼られることを嫌がったということです。確かに致し方ない。ただこれは、偏見や差別というのは、同じ出自を持つ者たちのコミュニティさえも分断してしまうものだということを示す好例と言えるかもしれません。

ナイル・ロジャースという人はこんな風にいろんな辛酸を舐めてきた作家だということです。ただ結果的には、このシングルはディスコ/ソウル・チャートでも全米ポップ・チャートでもNo.1を記録するというメガ・ヒットになります。やはり最高です。

Diana Ross / Upside Down (1980)

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ダイアナ・ロスの全盛期はいつか? 彼女のキャリアの出発点であるシュープリームス時代なのか、ソロ・デビュー時期なのか、あるいは、この80年のアルバム『ダイアナ』でポップ・シーンの最前線に返り咲いた時期なのか?――かなり意見が分かれるところです。筆者のモスト・フェイヴァリットは、彼女の実質的な1stソロ、70年のアルバム『ダイアナ・ロス』ですが、もう1枚選ぶとなると、間違いなく『ダイアナ』です。

このアルバムからの代表曲には、もう1曲、“アイム・カミング・アウト”があります。こちらはタイトルが端的に示す通り、LGBT運動のアンセムにもなった曲です。ディスコ音楽とゲイ・カルチャーというのは密接な関係を持っていたりするわけですが、この曲が生まれたのは今から35年前のこと。当時、この曲がどれだけ斬新だったかがわかっていただけると思います。

この時期のナイル・ロジャースはそれまでの経験を活かし、その活動の軸をプロデュース・ワークに移していくことになります。中でももっとも物議を醸し出したのが、デヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』のプロデュースでした。このアルバムは、リリース当時、往年のボウイ・ファンや評論家からは大バッシングを受けた作品です。「ボウイ作品のプロデューサーが、よりにもよってシックのナイル・ロジャースだなんて!」というわけです。なんか面倒臭い時代ですよね。思わずキース・エイプの“It G Ma”でのKOHHのヴァース――「過去の話/すんのダサい/から昔のこと忘れちゃったら/いい」が頭をよぎります。でも、そうした時代的な文脈を一度無視して聴いてみて下さい。やっぱり最高です。

David Bowie / Let’s Dance (1980)

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西洋の文明社会のメタファーとして、アンデルセンの童話に出てくる赤い靴を持ち出し、オーストラリアの先住民であるアボリジニの当時の立場をモチーフにした、植民地主義と環境破壊をテーマにPVを制作、しかも当時、一部からは文化的な破壊者とみなされていたディスコ・ビートに乗せて、「レッツ・ダンス!」と歌うというシチュエーショニズム的なアプローチ。これには「さすがはボウイだな!」と思わず溜飲を下げずにはいられません。

ただ、当時、こうした彼のシチュエーショニズム的なアプローチはほとんど理解されませんでした。当時の『ロッキング・オン』誌での散々な評価を眺めながら、「どいつもこいつもうすら馬鹿だ。これだからボウイのファンときたら」と憤慨したのを覚えています。まあ、大目に見てやって下さい、当時はまだ17歳のガキですから。でも、この『レッツ・ダンス』からのもう1曲の大ヒット曲がイギー・ポップの“チャイナ・ガール”のディスコ・カヴァーだったことを考えると、ボウイの意図は明確すぎるくらい明確です。こちらのPVもいくつもの隠喩を使った秀逸な仕上がりなので、是非チェックして下さい。

次なる1曲はマドンナの84年のメガ・ヒット“ライク・ア・ヴァージン”です。そう、これもナイル・ロジャースの仕事なんです。

ただ実は、この曲をナイル・ロジャースがプロデュースした際にも一悶着ありました。プロデューサーとしてデモを聴いた時、自分にはバブルガムすぎると、彼はこの曲に難色を示します。実際、この曲からナイル・ロジャースらしさを汲み取るのは少しばかり難しい。彼のギターの音は聴こえません。ただ勿論、この曲は世界中で大ヒットを記録し、マドンナの名前を世界中に知らしめました。

Madonna / Like A Virgin (1984)


つまり、いくつもの偏見にさらされてきたナイル・ロジャースでさえ、自分以外の他者に対して、ある種の偏見を持たずにはいられなかった瞬間もあったということです。後年、彼はこの曲のポテンシャルを理解出来なかったことを認め、謝罪しています。そして、勿論、今回のツアーでも演奏されています。素晴らしいですよね。幾度となく傷ついてきただろう人だからこそ、彼はそれが出来た。

人という生き物は間違えるために生きている。その間違いを経験することで、それを認め、改めることで、前に進んでいく。大切なのは、誰かが間違いを犯した時に、傷つけられた者たちがそこに罪という消せないスティグマを刻み込むのか、寛容という暖かい毛布で包み込むのか、ということです。すいません、度を越した理想主義者すぎて。

ただ、どんな時代にも偏見というのはいくつものレイヤー上に存在するものです。偏見とは、知的な人々と、無知と無関心の地平との境界線に存在するのではない。異なる文化や異なるクラスタとの狭間には必ず生じてしまうものです。でも、我々は乗り越えなければならない。いくつものレイヤー上に存在する、いくつもの偏見の壁を。

そして、どんな時代も、偉大なるポップ音楽の存在は、その最大の手助けとヒントになってきました。ナイル・ロジャースという偉大なる作家の道程は今もそれを教えてくれます。

最後にもう1曲行きましょう。84年のデュラン・デュランの4thアルバム『ノトーリアス』のタイトル・トラックです。商業的には成功したものの、決して傑作ではない。デュラン・デュランを聴くなら、まずはロキシー・ミュージックからの多大な影響下にあった最初の2枚。第二次ブリティッシュ・インヴェンジョンというムーヴメントの象徴として、全米での大成功を収めた82年の2ndアルバム『リオ』を最後に、その後の彼らは音楽的には精彩を欠いていきます。

この『ノトーリアス』は結成時からのギタリスト、アンディ・テイラーの脱退を受け、ナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えてレコーディングされたアルバム。苦肉の策とは言え、バンド結成当時から、シックの二人やジョルジオ・モロダー(勿論、両者ともダフト・パンクの『ランダム・アクセス・メモリーズ』に召喚されたレジェンドです)にインスパイアされてきたバンドとしては最良の選択でした。

そんなわけで聴いてみて下さい。ここではナイル・ロジャースのシグネチャー・サウンドであるリズム・ギターが存分に聴けます。

Duran Duran / Notorious (1986)


ようやく終わりまで来ました。あまりに駆け足すぎて、書き手としては、「まだまだ書きたいことはやまほどあるのに!」という部分もありますが、読み手の皆さんに消化不良を起こしてもらうわけにはいきません。この辺りにしておきたいと思います。

最後に2013年にオーストラリア、シドニーにある有名なオペラハウス〈ザ・ハウス〉で行われたシックのライヴでの“グッド・タイムス”の映像を貼っておこうと思います。とにかく感動的なんです。だって、スラップ・ベース・ソロからの5分40秒のところから、そのままシュガー・ヒル・ギャングの“ラッパーズ・ディライト”になだれ込むんですよ。「オールドスクール!」というナイル・ロジャースの掛け声の後のコール&レスポンス。しかも、なんとナイル・ロジャース自ら“ラッパーズ・ディライト”のフロウをかますんですから! やっぱり泣いちゃいますよ、これは。しかも、その直後、ナイル・ロジャースが再び“グッド・タイムス”のギター・リフを弾き始めます。最高のギター。

Chic / Good Times (live at The House Sidney 2013)

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実は、2013年に行われた〈iTunes フェスティヴァル〉でのシックのフルセットの映像もあります。文章中のリンクから飛んで下さい。こちらはさらに最高です。“ラッパーズ・ディライト”のフロウの後、ナイル・ロジャースがギターを再び弾き始めた瞬間に、その傍らでジャネール・モネイが踊っているっていうね。至福の瞬間とはまさにこういう瞬間のことをいうのだと思います。

以下に、セットリストも貼り付けておきますが、この至福の瞬間を今すぐに見たい人は、55分39秒に飛んで下さい。

1. Everybody Dance
2. Dance, Dance, Dance
3. I Want Your Love
4. I'm Coming Out (Diana Ross cover)
5. Upside Down (Diana Ross cover)
6. He's the Greatest Dancer (Sister Sledge cover)
7. We Are Family (Sister Sledge cover)
8. Chic Cheer
9. My Forbidden Lover
10. Let's Dance (David Bowie cover)
11. Le Freak
12. Good Times (including Sugar Hill Gang's "Rapper's Delight")


本当に馬鹿馬鹿しい話ですが、ヒップホップは、80年代初頭の黎明期においては、他人のトラックに乗せて、喋ってるだけという批判にさらされていました。人類の歴史は、そうした愚かさの轍です。でも、必ず長い時間をかけて、作家とオーディエンスが手を携えるようにして、そうした偏見の壁を壊し、溝を埋めてきた。繰り返しになりますが、ナイル・ロジャースという作家はずっとそうした血の轍の当事者であり続けてきた人なのです。

もしこの拙稿を読んで、そんな風に感じてくれたのなら、2013年にダスト・パンクが彼を再度ポップの表舞台に立たせようとした意味を改めて感じ取って欲しい。そう思います。改めてこの記事の前編に貼り付けたグラミーでの映像を見直して欲しい。きっとさらなる感動があなたを襲うことになるはずです。

いまだ我々の暮らす世界は解決不能に見える問題が山積みですが、ある部分においては間違いなく良くなっている。ようやく素晴らしい時代がやってきたーー現在のシック/ナイル・ロジャースの存在は、そうしたまぎれもない実感の象徴でさえあるのです。


「ダフト・パンクの“ゲット・ラッキー”を機に
再びポップの最前線に躍り出たレジェンド、
ナイル・ロジャースを目撃しよう! 前編」
はこちら





Chic feat. Nile Rodgers
I'll Be There Tour In Japan 2015

>>>大阪公演
開催日:2015年12月1日(火)
会場:ZEPP NAMBA
開場18:00 開演19:00
チケット代:8,500円(税込/1F Standing/1ドリンク別)
10,000円(税込/2F指定席/1ドリンク別)

>>>東京公演
開催日:2015年12月3日(木)
会場:ZEPP DIVERCITY TOKYO
開場18:00 開演19:00
チケット代:8,500円(税込/1F Standing/1ドリンク別)
10,000円(税込/2F指定席/1ドリンク別)

開催日:2015年12月4日(金)
会場:ZEPP DIVERCITY TOKYO
開場18:00 開演19:00
チケット代:8,500円(税込/1F Standing/1ドリンク別)
10,000円(税込/2F指定席/1ドリンク別)


*詳細はクリエイティブマンのサイトにてご確認下さい。

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