サニーデイ・サービス再結成後も、ソロ、曽我部恵一BANDと多岐にわたる活動をしてきた曽我部恵一だが、ここに来て彼の創作活動のヴィークルは、完全にサニーデイ一本に集約されつつあるようだ。5月18日には『東京』の20周年記念盤がリリース、それに伴う『東京』完全再現ライヴも6月に開催。そして何より、長らく制作が続けられてきたサニーデイ・サービスの新作が夏ごろにはリリースされるような気配を見せている。
2016年1月にリリースされたシングル『苺畑でつかまえて』を一聴すればわかる通り、再結成後のサニーデイとは違う新しいモードに彼らが入っているのは明らか。
2016年にあるべきポップ・ソングを再定義しようというウェルメイドな作風と、往年のサニーデイにあった純粋なポップとしての煌めき、そして年輪を重ねた作家としての深みが感じられる、21世紀の新たなサニーデイ・サービスとしか言いようがない仕上がりだ。
果たして来たるべき新作はどのようなものになるのか? この期待感を読者と共有すべく、改めて、これまでのサニーデイ・サービスの全アルバムを合評形式で振り返っておくこととしたい。
レーベル・メイトだったエレクトリック・グラス・バルーンからドラマーの丸山晴茂が加入し、現在に至るサニーデイ・サービスのメンバーが揃った1stアルバム。すべてはここから始まった……と言いたいところだが、フリッパーズ・ギター・フォロワーだった2枚のミニ・アルバムという前歴があったために、フォーク路線への転向は多くの誤解を生み、「紛い物」というレッテルを貼られることになってしまう(アルバムのクレジットにはご丁寧にも永島慎二の『若者たち』や林静一の『赤色エレジー』など、本作の「元ネタ」になった漫画のタイトルまで添えられていた)。しかし今振り返ってみると、そうした批判の中には「先を越された」という嫉妬や羨望が含まれていたような気がするし、アートワークや曲名に騙されなければ、メジャー7thを多用したコード進行にはネオアコの残り香もあり、音楽的にはさほど大胆な変化があったわけではないようにも思える。実際に“日曜日の恋人たち”はインディ時代の曲のリメイクだし、本作に先立ってリリースされ、はっぴいえんどの鈴木茂や矢野誠らが参加した“ご機嫌いかが?”のシングル・ヴァージョンを挟めば、より自然な流れが感じられるはずだ。ポエトリー・リーディングによるソウルセット風のタイトル曲は、のちのライヴでも重要なレパートリーになっていく。彼らが本気なのか、それとも世間を煙に巻いているだけなのかを判断するには次作を待たなければならなかったが、やはりすべてはここから始まったのだ。(清水祐也)
>>> 『若者たち』収録曲
渋谷系と呼ばれるムーヴメントの渦中に頭角を現し、アフター・フリッパーズ的な存在であるとみずから認めていたバンドの黎明期を経て、サニーデイ・サービスは遂に、はっぴいえんど『風街ろまん』という最大のリファレンスを発見。それをひとつの手本として、音楽性は勿論のこと、スタイルの面においても、彼らは70年代初頭のカルチャーを大胆に引用していく。いわばそれは、サンプリングを用いたモダンな音づくりから、フォーク色の濃いバンド・サウンドへ。そしてアニエス・ベーのシャツから、長髪とベルボトムのジーンズへ、といったような、かなり極端な変化であった。つまり『若者たち』という作品は、このバンドの記念すべき1stアルバムにして、いきなりの大転機作だったのだ。まるで渋谷系の潮流と袂を分かつようなこの方向性については当初、周囲からも反対の声が少なくなかったという。しかし、結果的にサニーデイがここで打ち出したものは、たとえばほぼ同時期にデビューしたミッシェル・ガン・エレファントあたりとはまったく別の、よりカジュアルでラフなバンド像を提示することにもなった。ちなみに本作のブックレットには、このタイトルの引用元でもある永島慎二『若者たち』をはじめとした漫画作品の名前が、アルバムのインスピレーション源としていくつか記載されている。(渡辺裕也)
70年代のユース・カルチャーにヒントを見出した『若者たち』を踏まえて、サニーデイ・サービスはリアルタイムの空気を捉えた作品に取りかかる。そこで彼らは極力メンバー3人の演奏にこだわっていた前作から一転、ストリングスやフルートなどの華やかなサウンドをふんだんに取り入れつつ、ときにはほぼ曽我部ひとりで各パートの録音を重ねていき、よりウェルメイドなアコースティック・ポップを追求。それだけでなく、イラストレーターの小田島等にアート・ディレクションを託すことによって、デザイン面も含めて非常に洗練された2ndアルバムをここに完成させるのだ。ちなみにこのジャケットを飾る桜の写真は、アルバムが発表された90年代当時に撮影されたわけではなく、じつは70年代初頭の植物図鑑から拝借したものなんだそう。その写真にさらなる彩色を加え、よりヴィヴィッドなピンク色に染め上げたこのアートワークは、70年代の文化を引用することであらたな東京のイメージを描いた本作を、見事なまでに象徴している。かつての古きよき東京と、ネットもケータイも普及していなかった90年代当時の東京がクロスしたかのようなこの作品の情景描写は、2010年代の年東京インディ・シーンにも多大な影響を及ぼし、数多くのフォロワーを生んでいる。(渡辺裕也)
>>> 『東京』収録曲
>>> 『東京』収録曲
そこに隠された苦悩をもっと慮るべきだった。『星空のドライブ』『COSMIC HIPPIE』と続いていたインディーズ時代のマンチェスター・ムーヴメント・スタイルのサウンドから、無防備なほど人間臭い日本語の歌もの音楽に突如シフトし、『若者たち』を経た本作で明快なひとつのヴィジョンを描いてみせたその理由を。そして、アルバム・タイトルと表題曲のタイトル以外、直接的な地名や固有名詞が歌詞の中に一切出てこないことの意味を。そう、渋谷系には乗れず、だからといってインディのどこにも居場所を見つけられなかった曽我部恵一が、仲間と共にようやく着地した居場所のような音楽。良き時代を尊ぶ東京讃歌というよりは、東京で活動していく決意を伝える意志表明をさりげなく伝える作品なのだと。インディ時代の作品からの宗旨替えに込められた曽我部の音楽家としての正直な息吹を、その落差が激し過ぎたがゆえにリリース当時に理解出来なかった私は、あれから20年、生まれた場所である東京を離れた侘しさと共に、この作品からこれでもかとばかりにつきつけられている。手探りの末に自分の拠点を手にしたその戸惑い気味の歌が今聴いてもとても眩しい。“会いたかった少女”の溌剌とした歌唱が、東京五輪に向けての再開発で景色を変えてしまっている今の東京に似合っているかどうかはさておいても。“恋におちたら”、“青春狂走曲”が本作からシングルとしてリリース。その2曲を含めて楽曲の構造はオーソドックスだ。まだアレンジや構成が少しおぼつかないが、歌と演奏という極めてシンプルな図式が簡素であることが逆に何よりの強さになっている。同じく歌メロに力点を置いたこの時期の小沢健二が、「東京タワー」「公園通り」といった固有名詞を小道具にして、東京の華やかさを生まれ育った町として切り取っていたのとはそういう意味でも対照的だろう。だが、変わり果てつつある今の東京が必要としているのは、哀感と快楽を背負いながら東京に骨を埋めようとその後もこの地で活動する曽我部恵一の歌かもしれない。(岡村詩野)
バンドの歴史を振り返ったときには、「『東京』と『サニーデイ・サービス』の狭間に位置する過渡期的な作品」ということになるのかもしれない。しかし、サニーデイ史上でも屈指の名曲である“白い恋人”と“サマー・ソルジャー”が収録されたアルバムであるという事実が示しているように、ソングライティングのレヴェルは相当高い。また、初期のフォーク路線から徐々にアレンジの幅を広げ、オアシスを連想させるブリットポップ風の曲が並んでいたり、初期のレディオヘッドを彷彿とさせるオルタナティヴな質感の“JET”があったりと、当時のUKロックとのシンクロが感じられることは、サニーデイがただのはっぴいえんどフォロワーではなかったことを改めて証明しているとも言えよう。一方、歌詞に目を向けると、「コーヒーと恋愛が共にあればいい」と気取ってみせた前作のラストから、「ひとり飲むコーヒーは終わったばかりの恋の味」(“忘れてしまおう”)へと心境が移り変わり、傷ついた若者たちは街へと繰り出していく。そこに待っていたのが、愛と笑いの夜。とはいえ、センター街で「ウェーイ!」とバカ騒ぎ出来るはずはなく、どこか疎外感を感じながら、きらびやかに光る風景をただ傍観しているような、穏やかなムードが作品全体を支配している。当時の僕がそこにロマンを感じていたのは間違いないが、今振り返ってみると、そんな風に自分に浸ることが出来たのは、現代が失ってしまった90年代的な「余裕」の表れだったようにも思う。ちなみに、アルバムのわずか4か月後にリリースされているサイケ風味の名作シングル“恋人の部屋”がもしも含まれていれば、作品の価値はさらに上がっていたはずだ。(金子厚武)
>>> 『愛と笑いの夜』収録曲
>>> 『愛と笑いの夜』収録曲
『若者たち』のレビューを偉そうに書いておいてこんなことを言うのもどうかと思うが、実は筆者が初めてリアルタイムで聴いたサニーデイのアルバムがこれで、先行シングルの“サマー・ソルジャー”から本作に至るまでの期待と高揚感は、それまで経験したことがないものだった。勿論、発売前日にHMVに走り、特典の白黒写真集を手に入れ、帰りの電車の中で興奮しながら聴いたのを覚えている。音楽的には同時代のUKロックからの影響が濃く、アコースティック・ギターのストロークがオアシスの“ワンダーウォール”を思わせる“忘れてしまおう”に始まり、後期ビートルズ風の“白い恋人”、トラン・アン・ユン監督の映画『青いパパイヤの香り』の劇中で流れていたレディオヘッドの“クリープ”にヒントを得たという“JET”、これまたビートルズ“ユア・マザー・シュッド・ノウ”のようにヨーロピアンな異国情緒漂う“知らない街にふたりぼっち”といった名曲の数々が、曲間無しで紡がれていく。香港で撮影されたジャケット写真も含めロード・ムーヴィのような雰囲気を持ったアルバムだが、曽我部本人の失恋が反映されているという歌詞のせいか全体的にはヘヴィで、特に“JET”における「いつかどこかで逢う約束して忘れてしまう物語」というフレーズは、今聴いても胸に迫るものがある。かくいう自分も、これだけ夢中になったアルバムをいつしか聴かなくなってしまうのだが、当時の感情だけは鮮烈に焼きついている。あの写真集は、一体どこに行ってしまったのだろう。(清水祐也)
『東京』から20年。再結成から8年。時代が
一巡し、来たるべき新作に期待が高まる、
サニーデイ・サービス全作を振り返る 中編
はっぴいえんどを再定義した『東京』という
紋切り型に異論あり。サニーデイ・サービス
の真価をジャズ評論家、柳樂光隆が紐解く