リチャード・ドーソンのアルバム・タイトルは『2020』、つまり「現代」だ。そのシングル・カット、“ジョギング”で彼は、「最近、ぼくはずっと不安と闘っている」と歌い始める。そしてその不安と闘うために、医者から薦められたジョギングに精を出しているのだと。ミュージック・ヴィデオには、黄色のスウェットを着て走る髭面の太ったおじさん(本人)。ヨレたパブ・ロック・ミーツ・カンタベリー・ロック? と思ったら、ヘンテコなエフェクト・ヴォイス。「ジョギ、ジョギ、ジョギング」。そして太ったおじさんは朗々と歌い上げる――「ロンドン・マラソンに出場するために、スポンサーになってくれない? ほんと怖いけど。英国赤十字に1000ポンド募金するのが目標かな」。わっはっは、あーおかしい。まあでも、僕もジョギングでも始めようかな……。
たぶん僕たちは、「現代」とか「時代」とか言うときに、そこに小さなひとりひとりが無数にいることを忘れている。格差とか気候変動とかメンタル・ヘルスの時代だとか言いながら。だけど世界中に散らばった誰かの不安や恐れはちっぽけなもので、それはリチャード・ドーソンの歌のようにユーモアやペーソスすら同時に内包している。2019年は僕にとって、そんな小さなものをひとつずつ拾い集めていくような年だった。ビル・キャラハンのこまやかな音響のフォーク・アルバムには、「死」という絶対的な真理を前に人生のおもしろさが途方もなく息づいている。『魂のゆくえ』を覆っていた気候変動への恐れは、しかし、たったひとりで向き合うものとして示される。『COLD WAR』の白黒の映像のなかで、政治から逃れられなかった愛と音楽が美しくたたずんでいたこと。『希望の灯り』で明滅していた、誰にも顧みられない労働者たちの生の尊厳。目を凝らさないと見えない場所に、それらは転がっている。
エイドリアン・レンカーの喉の震えは彼女ひとりのものだが、それはいまどき「バンド」という使い古された形態のタイトな関係性に託され、ビッグ・シーフのニュアンスに富んだフォーク・ロックは彼女だけのものではなくなる。ボン・イヴェールは、いまや、バラバラになったひとりひとりの不安や恐れをかき集めた場所でこそタフな何かが生まれるという実践の現場となっている。きっと、本当に「現代」に向き合うのなら、普段見落としている誰かの小さな不安をひとつずつ見つけるしかない。そして、自分ができることから始めるしかない。自分自身が不透明な不安に押しつぶされる前に。……やっぱりジョギングかな。
〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2018年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 天野龍太郎
「〈サイン・マガジン〉のライター陣が選ぶ、
2019年の年間ベスト・アルバム、
ソング、ムーヴィ/TVシリーズ5選」
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「2019年 年間ベスト・アルバム 50」
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