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22, A MILLION Bon Iver (Hostess) by MASAAKI KOBAYASHI
KOHEI YAGI
December 01, 2016
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22, A MILLION

シンガー・ソングライターなのに2010年代ヒップホップを革新→今度は
誕生から40余年のヒップホップを米国伝統音楽として再定義→イマココ

ボン・イヴェールの新作は、全体に、以前にも増して、サックスの音が厚みを帯びていたり、変容したりしている。例えば、“21 M◊◊N WATER”の終わりのセクションはまだしも、“____45_____”では、一本のサックスの音がクワイアと化している、と形容したらいいだろうか。これは、いったい……と思って調べてみたところ、この曲、さらに、他の曲でも、本作は、ザ・メッシーナという実機を使って、その音を生み出しているのだという。実機と書いたのは、もともとプリスマイザーと呼ばれるソフトウェアがあって、これを使うことで、例えば、“21 M◊◊N WATER”で聴かれるように、ジャスティン・ヴァーノンの声が、プリズムに当たった光のように、ポリフォニーとしてスペクトラムの如く立ち現れることになり、ひとり(ゴスペル)クワイア的な効果が生まれる。当然、これは、オートチューンやヴォコーダーとは、別物だ。

そして、このプリスマイザー(プリズム+ハーモナイザーではあるけれど、プリスマイザーと呼ばれているようだ)の考案者が、フランシス&ザ・ライツの、フランシス・スターライト。それで、フランシスが自身の曲をサンプリングして作り上げたトラックを、チャンス・ザ・ラッパーに提供した後に、大元となったそのフランシスの自身の曲で、ジャスティン・ヴァーノンとカニエ・ウェストがフフィーチャーされていたというわけだ。さすがに、フランシスは、本作には参加していないけれど、一聴しただけで、ヴァーノン自身が、カニエ・ウェストに決定的な影響を与えたことを(いまさらながら)リスナーに追認させるかのような(あるいは『ブラッド・バンク』収録の“ウッズ”のアップデート版的な)“715 - CR∑∑KS”が、本作には入っている。

話をサックスに戻すと、面白いことに、そのメッシーナを使ったサックスの音が、結果的にアコーディオンのような響きと暖かみを帯びた音に変容して聴こえてしまった。加えて、曲の途中から、バンジョー(こちらは加工されていない)も聴こえてきて、期せずして、とてもアメリカーナなものとして響いてきた。アメリカーナ(・ミュージック)とは、基本的にジャンルを示す言葉ではなく、指し示す範囲も広いのだけれど、アメリカにおけるルーツ音楽的なもの、あるいはそれを構成する要素と考えればいいだろうか。

ただ、ここで浮上してくる疑問は、ほんの1、2年前に完成した最新の音楽機材で作り上げた音が、果たして、アメリカーナなのだろうか? ということだ。と同時に、マヘリア・ジャクソンの歌声がサンプリングされた“22 (OVER S∞∞N)”等を聴いていると、アメリカーナとしてのゴスペル音楽云々という捉え方よりも、2016年まで時代が進んだ今、(サンプリングを生んだ)ヒップホップを、もうこの辺で、アメリカのルーツ音楽と呼んでもよいのではないか? とも思えてくる(どういった文脈で聴くかにもよるけれども)。それくらい、本作では、サンプリングがふんだんに使われているのだ。

例えば、“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”では、スティーヴィー・ニックスの声(今年出たリマスタリング盤を他の音楽とシャッフルして聴いたところ、当時聴いた時とは比べ物にならないほど「カントリー」として耳に入ってきた)をただサンプルするのではなく、結果的には跡形もないほど彼女の声が変容していて、さらに耳障りなほど(意図的に)音を歪めているパートもあり、カニエが『イーザス』の次に、こっちの方向に進めなかったことを踏まえると、やはり、オリジネーターであるからこそボン・イヴェールは強気で攻められる! とも言えるし、その流れで“715 - CR∑∑KS”がここにあることを再び考えるなら、そもそも、2010年以降のヒップホップの(新たな)サウンドの方向性の一つの土台を築いたのが、他ならぬボン・イヴェールだった、ということも認めずにはいかなくなる。

仮に、ボン・イヴェールがヒップホップをアメリカのルーツ音楽だとして捉えてなくとも、その革新に努めたわけだから、例えば100年後には、間違いなくこのアルバムというか、彼はアメリカーナ(・ミュージック)の要人として捉えられるはずだ。そのあたりを一つのヒントとするなら、本作で展開されているのは、未来にアメリカーナとして発見されるべき音楽なのかもしれない。本作のアートワークもまた、その頃には、はたしてどんな解釈が施されるのだろうか、と今から期待されるような魅力を湛えている。

文:小林雅明

「デジタル・クワイア」の更新がもたらすテクノロジカルな聖性と
コラボレーションだけが可能にする音楽のダイナミズム

ボン・イヴェールのEP『ブラッド・バンク』に収録されている“ウッズ”の、ワン・マン・コラールといってもいい特殊な歌唱は、当時活況を呈していたアメリカのインディ・ロック界隈でもフレッシュなものだった。この作品がリリースされた2009年には、すでにフリート・フォクシーズやグリズリー・ベアが、同様にコラール的な歌唱を取り入れていたが、“ウッズ”におけるエクスペリメントなヴォーカル・マキシマリズム(?)に比べると、声の扱いという点でどこか見劣りするように感じる。そういう意味ではある時期、ジャスティン・ヴァーノンの歌唱は最先端のヴォーカリズムの一つだったといっても、そう間違ってはいないのではないか。

そのように考えると、彼が全くジャンルを異にするカニエ・ウェストやジェイムス・ブレイクとコラボレーションしたことも頷ける。ピッチを上げたヴォーカル・サンプルをはじめとした卓越したヴォイス/ヴォーカル(ラップ)のアイディアを自身のサウンドに導入してきたカニエ・ウェストと、変貌し続けるトラックにひたすら反復的なヴォーカルを乗せたジェイムス・ブレイクは、異なったやり方ではあるがそれぞれがヴォーカリズムの拡張を試みていたことは確かだ。この三者はヴォーカリズムという点で交差しているように思えて仕方がない。

しかし、ヴォーカリズムという観点からボン・イヴェールの作品を振り返ったとき、そのピーク・ポイントは“ウッズ”であったといわざるを得ない。『ブラッド・バンク』の次のリリースとなった『ボン・イヴェール』は、それまでよりも遥かにヴォリューム・アップしたサウンドと多彩な音響に、スタイルの洗練と拡張こそ見られるものの、彼の最も先端的な部分であったヴォーカルについては、“ウッズ”の次を見せてはくれなかったように思える。では、新作『22、ア・ミリオン』におけるヴォーカリズムはどうなっているのだろうか。

まずはこの記事を紹介したいと思う。

記事によると、どうやら『22、ア・ミリオン』では、ヴォーカルや楽器をリアルタイムでハーモナイズしてゆく新しいソフトウェア、メッシーナと、一つのヴォーカルがコラール的に増幅するプリスマイザーというプログラムを使っているようだ(フランシス・アンド・ザ・ライツのフランシス・スターライトが開発者としてクレジット!)。フランク・オーシャン『ブロンド』やチャンス・ザ・ラッパー『カラーリング・ブック』といった今年の話題作でも同様の手法を用いているようだ。本作では、こういった最新のテクノロジーがヴォーカル・エフェクトの決定の際に用いられている点が強調されてしかるべきだろう。

こういったテクノロジーがいかんなく発揮されていると思われるナンバーが“715 – CRΣΣKS”だ。“ウッズ”における画期的なヴォーカリズムを更新したといえるこの曲は、ヴォーカルのみの、本作で最もミニマルなナンバーでありながらジャスティン・ヴァーノンの凄みを見せつけるものでもある。まるで歌うことを覚えたばかりのアンドロイドが必死に喉を震わせているような、徹底的にテクノロジカルな加工を施したそのヴォーカルは、テクノロジーだけが到達し得る聖性を体現しているようだ。“ウッズ”のヴォーカリズムを「デジタル・クワイア」と称している記事を見かけたことがあるが、それはこの曲にもあてはまるだろう。

彼のヴォーカリズムの特異性は、冒頭曲“22 (OVER S∞∞N)”でも発揮されている。エフェクト的に扱われるサンプリング・ヴォイスとジャスティンのヴォーカルの並列が生む独特のアンビエンスからは、「声」というものに懸けるジャスティンの情熱を感じる。そこにマイケル・ルイスとサッド・サックス・オブ・シットによるサックスと、インディ・クラシックの象徴的なコレクティヴであるyミュージックの一員、ロブ・ムーズがアレンジメントを手がけるストリングスが加わることで完成するサウンドは、その穏やかさとは裏腹に強烈な音楽的野心を感じる。この曲におけるマヘリア・ジャクソン“ハウ・アイ・ガット・オーヴァー・ライヴ”のユニークな使い方は、カニエ・ウェストとのコラボの成果だろうか。

無論、本作が優れているのはヴォーカルの扱いについてだけではない。『22、ア・ミリオン』では、前作『ボン・イヴェール』よりもさらに音響面が強化されていることに注目すべきだろう。“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”には、すでに2016年を象徴する作品として各方面から絶賛されている作品、アノー二『ホープレスネス』に真っ向から勝負を挑んでいるような爆撃のごときデジタル・ビートがあり、これがボン・イヴェールのサウンドと見事に溶け合っていることに心底驚かされた。また、“33 “GOD””におけるトレヴァー・ハーゲンのプリペアード・トランペットと、ノース・カロライナのサイケデリック・フォーク・バンド、メガフォーンのメンバーであるジョー・ウェスタールンドによって弓で奏でられるシンバルが、ひび割れるようなグリッチ・ノイズや抉るようにウネるシンセ・ベースと共存しているのには驚かされる。デジタルの比重が増したサウンドに対応するかのように、こういったアコースティックな部分の音響的チャレンジが見られるのも本作の特徴だ。

本作におけるアコースティック・サウンドの肝はすでに名前が登場しているマイケル・ルイスとサッド・サックス・オブ・シットのサックスとロブ・ムーズが手掛けるストリングス・アレンジメントで、前述した楽曲たちの他にも“21 M♢♢N WATER”におけるインダストリアル・テクノに通じるようなざらついたエフェクト/ノイズとフォークトロニカに通ずる暖かな抒情性が、セミ・ドローン的なサックスとストリングスに支えられるサウンド・デザインは面白い。

本作で最も長尺なナンバーである“8 (circle)”は、アニマル・コレクティヴ、オーラヴル・アルナルズ、バッドバッドノットグッド等、ジャンルを越えたコラボレーションでそのサックスを轟かせてきたコリン・ステットソンの力を借りていることに注目すべきだ。彼がマイケル・ルイスやサッド・サックス・オブ・シットと共に創り出す、豊かな倍音をたっぷり生かしたサックスのカラフルなレイヤーには見事という他なく、リスナーは圧倒的な多幸感に包まれることだろう。続く“____45_____”でもサックスはジャスティンのヴォーカルと呼応するように雄弁に響きわたり、本作におけるサックスの重要性を実感する。

最後に"666 ʇ"について言及しよう。ジェイムス・ブレイクやエアロ・フリンのエンジニアを務めるBJバートンや、『フォー・グッド』という素晴らしい新作をリリースしたばかりのエクスペリメンタル・ロック・バンド、フォグのフロントマン、アンドリュー・ブローダーがプログラミングを務めているこの曲は、本作で最もバンド・サウンドがフィーチャーされている肉体的なナンバーだ。前作に収録されている“パース”のような楽曲もあるものの、ボン・イヴェールのサウンドはどちらかといえばリズム/ビートの強度に依らない、それこそギターの弾き語りを徹底的に拡張したような部分が特徴でもあったのだが、この曲や“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”おける強烈なリズム/ビートは、そんなバンドのイメージを裏切るような痛快な試みの一つといえるだろう。

ボン・イヴェール新作を聴いていると、ジャンルを越えたコラボレーションこそが新時代の音楽への鍵だ、と確信せずにはいられない。ジャスティン・ヴァーノンは、カニエ・ウェスト、ジェイムス・ブレイク、yミュージック、コリン・ステットソン等々、それぞれのフィールドの第一線で活躍している音楽家たちとコラボを重ねることで、彼らの音楽的ボキャブラリーから常に何かを学び、その影響を作品中に投影させた。しかしどんな人脈の交差点に彼が存在していようとも、彼の「デジタル・クワイア」は変わることのない孤独をたずさえながら、大豊作の2016年に響き渡っている。

文:八木晧平

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