アジカン後藤正文に訊く、グラミー4部門を
制覇したアラバマ・シェイクスの凄さと、
そこから浮かび上がる2016年の今。前編
●もう一度、整理しましょう。まずアラバマ・シェイクスの音楽性には、ブルーズに端を発するブラック・ミュージックの流れを更新しようという意識がある。で、実際に録音されたものを聴いてみると、その連綿たる歴史の中にいるんだって感覚があり、同時に、ここ5年のヒップホップなりR&Bなりを感じさせたりするところ――おそらくトリガーを使ってたりとか、低音のデジタルな音色とか、極端な低音の鳴りとか――その両方があるわけですよね。
何がすごいの?どこが新しいの?今年、
全米No.1に輝いた唯一のインディ・バンド、
アラバマ・シェイクスのすべてを
解説させていただきます:後編
●つまり、音楽性と録音の両方に、オーセンティックさとブランニューな部分があるんだけど、作家目線としては、そうした方向性自体はどんな風に見ていましたか?
後藤「今はオーセンティックな方に興味が振れています。アナログ・テープを使ったりとか、ナチュラルによく録る方法に。アジカンもマスターはテープなんですね。そういうところは興味あるんですけど、ただ最新のものっていうと、ちょっと難しいですよね」
●ブランニューであることにはあまり興味がない?
後藤「うーん、最新の音がどうのこうのっていうのは、正直、あんまり気にしなくて。ただ、むしろ最新のフィーリングについては常々気にしてるタイプだと思います」
●最新のフィーリングというと?
後藤「今、みんなが感じてることっていうか。世界中のミュージシャンがなんとなく感じてることって、どこか繋がりがあると思ってるんですよ。で、そこに自分が接続してないと感じちゃうと、すごく不安になるんです。例えば、ニューヨークのインディが盛り上がってきた時には、勿論、そこを気にせずにはいられない。彼らがどういうフィーリングでやってるのか、どうしてニューヨークにエネルギーが集まってるのか、について考えてみたり、実際に行ってみたりして。とにかくその最新のフィーリングに繋がってたいと思うんです。今だったら、アラバマ・シェイクスが出てきたり、コートニー・バーネットが出てきたり、レオン・ブリッジズが出てきたりとか」
●うん、そこには間違いなく共通するものがあるよね。
後藤「繋がりがあるんですよ。具体的に言うと、ちゃんと伝統と繋がろうとしながら、新しいフィーリングを作ろうっていう流れがあるような気がしていて。言うならば、ケンドリック・ラマーもそうだろう、みたいな」
●まさにその通り!
後藤「(笑)そうなんですよ。そこに通じてさえいれば、一番新しいシンセを使ってなくてもいいんじゃないかっていう。自分の役割的にもそうじゃない気がしていて。最新のキックのサンプラーを使うことが僕のやりたいことでもない。その箱を開ける人はどこかにいて、勿論、それに影響されたりはするんだけど、自分が一番やりたいことは、ちゃんとこの流れの中にいること。今、世界中のミュージシャンが言葉にしなくても直観的に思っていることを、ちゃんと自分の現場や仲間と共有するのがすごく大事な気がしていて。誰かとやる時はそういう話をしたりするんです。『こう思うんだよね、俺は。みんなはこう感じてるよ』って。そういうことをやってるのが一番重要な気がしていて。よく言われる、日本のガラパゴス音楽みたいなものに抗うには、そういうことを話すしかないと思ってる。田中さんがリツイートしてた佐野元春bot(佐野元春語録、@ motoharu_s_bot)のさ、なんだっけ? 日本のロックを作ってるとか、世界に向けて作ってるとかじゃなくて……」
●ああー、あったね!佐野元春botの言葉(「アメリカのポップスじゃなくて、イギリスのポップスじゃなくて、日本のポップスでもない、世界連邦的な3分間のポップスを僕たちは得たい」。)
後藤「あれぞ、まさに! っていう。さすが佐野さん! って感動したんですけど。そういうことなんですよね。日本で生まれたからこういう音楽なんだけど、スペインでやってる奴とも、アルゼンチンでやってる奴とも、多分、この時代に生きて感じて、『こういう音楽がいいんじゃないか?』と感じることって、同じだと思ってるんです。勿論、それぞれ差異はあるんですけど」
●今、名前を挙げてもらったアラバマ・シェイクス、コートニー・バーネット、ケンドリック・ラマー、リオン・ブリッジズ――後藤くんの言葉を借りれば、今のフィーリングを共有している、何かしら伝統に繋がろうという意志を持っている4組だというのは実に的確なチョイスだと思うんですね。敢えて言うと、とても2016年的な作家たち。ただ、ここ10年のUSインディって本当に面白かったじゃないですか? でも、今現在、そこと少しばかり流れが変わったという実感はありますか? 当然、彼らもそことは繋がっていたりはするんだけど。
後藤「なんかね、深いリヴァーブが急に、空虚な、空疎な感じになってきたっていうか(笑)」
●チルウェイヴ以降、ずーっとリヴァーブ深かったからねえ。
後藤「そうですね。どこか逃避的な音楽が多かったと思うけど、この中に浸かってはられないなっていうか。そうも言ってられなくなってきてる気がします。世の中はどんどん悲惨になってるし。だから、もっと冴えてかなきゃいけない。あとは、それぞれのエスニシティというか、地域性みたいなところに注目してきてるんじゃないですか? グローバルになればなるほど、それに対する恐ろしさみたいなものを感じるようになる。マクドナルドの凋落とかが象徴するものも含め、どこにでもあるものじゃいけない。そういうものからは離れていく感じっていうかね」
●最近、俺がよく感じるのは、ユニバーサルであるためにはローカルじゃなくちゃいけないっていうこと。これまでも誰もが言ってきたことだし、今、誰もが感じてることだとは思うんですが、よりそう思う。
後藤「だから、村上隆にはすごく背中押されますよ。六本木(の森美術館)でやっている〈村上隆の五百羅漢図展〉にも如実に表れてますけど、彼は今、マンガやアニメを経て、浮世絵にまで遡って日本の美術を体現してる。狩野派のやり方を自分のプロダクションに導入したりとか、日本人にとっての美意識とか、そういうのも含めて、すごいと思った。もう鳥肌立っちゃって。そういう文脈なんだ?!って。ちょうど僕も、『自分の音楽のルーツってなんだろう?』とか考えていた時期だったんで」
後藤「僕たちも今回、ヨーロッパとか南米に行って、ちゃんと手応えがあったんです(2015年11月の『Wonder Future』のツアー)。案外、間違ってなかったっていう。自分としては、世界に開かれたものでありたいと思い続けてやってきてたんで。勿論、自分たちが世界で受け入れられる背景にはアニメとかの文脈も絡んでいるけど、それは恥ずかしいことじゃなくて。僕たちの血の中にあるパースペクティヴっていうか。だから、マンガが好きだし、アニメが好きだし、浮世絵があって、日本画があって――で、村上隆がいる、みたいな。バチッと繋がってるんですよね。俺たちのエスニックはこれなんだよっていう。それがやっぱり受けてる、みたいな認識。だから、すごく面白いですよね」
●こういう見方もあるんじゃないですか? 当初、後藤くんが自分達のバンドにアジアン・カンフー・ジェネレーションっていう名前をつけた。その時は、もう少しカジュアルなニュアンスで、「アジアン、あるいは、カンフーという言葉を使えば、海外の人間がそれなりに注目するだろう」っていう発想だったと思うんですけど、それがもう少し重みを持って感じられるようになった、しかも名が体を示すようになったきた。
後藤「そういうことですね。なるほど、こうやって回収されていくのか、と思って。業だな、と思いながら(笑)」
●アッハハ!
後藤「なんかね(笑)。ホントそういうものなんだと思って。でも、そういう文脈とは別で、ソロではもう少しやってみたいこともあって」
●と言うと?
「英語で歌ってみたいんですよ。どう訛ってるのか――英語が、というよりは、音楽がどう訛ってるのか。英語で作って、海外のエンジニアとやって、海外でマスタリングして作る予定ですけど。でも、多分、音楽そのものが訛ってるはずで。それを面白いと思ってもらえるのか、興味があるっていう。ちょっとした実験というか、確認ではあるんですけど。こういうやり方よりも、アジカンのやり方の方が、世界に出ていくためには効果があるのか、その比較も面白いと思っていて。自分の好きな海外のエンジニア、プロデューサーと一緒に、今やりたいと思っている音楽を作ってみて、それがどう響くか? みたいなのがひとつ。もうひとつは、もう少し作為的に、ジャパンっていうのを意識しながら世界に向けて鳴らしてみるっていうのが、今の自分の実験ではあるんですけど」
●じゃあ、Gotchの2ndアルバムについて、ひとつ訊かせて下さい。アジカンっていうのは、乱暴に言えば、欧米と日本の90年代オルタナティヴという潮流が何かしらのきっかけになって始まったバンドでもある。で、Gotchバンドは、1st含め、バンドの成り立ちも含め、そことは別に、広い意味での10年代インディからの刺激が何かしらのトリガーになっていたと思います。
●で、Gotchバンドに関して言うと、そこのトリガーに加えて、2ndアルバムでオンされていく音楽的な要素があるとしたら、どんな要素がありますか?
後藤「2ndはもう少し古いものに影響されてますね。70年代のザ・バンドだったりとか、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングだったりとか。勿論、ニール・ヤングのことは昔から好きではあったけど。あとは、アンビエントとか、ノイズ。あんまりみんなに知られてないけど、詩の朗読の後ろでずっとノイズを鳴らしてたりとか、そういうこともやってきたんです。小説家とコラボしたりして。でも、アジカンとは噛み合わせが悪いものもあるじゃないですか? バンドのメンバーとして噛み合わせ悪いとかじゃなくて、バンドは長くやってるとファンのものにもなっていく。でも、ソロに関しては、そういうのから離れて、いろんなことがやってみたい。っていうのはあります。そんなとこかな? 深く考えないようにしてるんです。普段、自分が見に行って感動したり、思ってることとか、読んだ素晴らしい本だとか、そういうものを意識的にアウトプットするよりは、自然にやりたい。でも、誰とやるかは、とっても重要だなと思っています。今回のクリスとか、あとは(ターンテーブル・フィルムスの)井上くんとかね。あいつと一枚作りたいな、っていうのがあったっていうのもあるし。彼とは興味が近いんです」
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●じゃあ、1stと一番違うのは、もしかしたら、メンバーやプロデューサー含めて、作品の座組み――何よりもバンド・メンバーとの作業がどれだけ全体にケミストリーを起こすかっていうこと?
後藤「そうですね。ツアーやって、ライヴ盤作って、手応えがあったんで。バンドって、自分がやりたい発想をさらにドライヴさせる装置として、やっぱり魅力があるんですよ。僕がこうしたいと思っているものを自分の角度から作品にすると、どこまで行っても自分から見えてた風景になっちゃう。いまいち物足りない。でも、やっぱり人の手が入るとゴロゴロ転がって、違う角度が見えてくる。それがいろんな人と仕事をする楽しさなんだけど。でも実は、それはバンド・メンバーだけじゃなくて、エンジニアとか、様々な技術、機械――ギターのペダルひとつ、そういう全部が関わってる。そこを整えながら、いいものを作りたいという感じ。最終的には、あの世界的なメインストリームと言われているポップ・ミュージックの鳴ってるところにどれくらい行けるのかな? っていう気持ちはあります。だからと言って、ハリウッドに行きたいとか、そういうわけじゃなくて。例えば、METAFIVEとか、めちゃくちゃいいじゃないですか?」
後藤「彼らには〈コーチェラ〉とか出てほしいですけどね。で、自分もその流れの末席にはいたいと思っています。内向きじゃない音楽をやりたいっていう気持ちがすごくある」
●じゃあ、最後の質問です。アラバマ・シェイクスの『サウンド&カラーズ』というアルバムは、意識的だったのか、偶然も重なったのか、ただいろんなパラメーターの集積として、ある意味、理想的なレコードだと思います。ここまでは録音であるとか、シーンの流れの中での存在であるとかについて訊いたんですけど、ただ彼らが4人のバンドであることだけにフォーカスすると、アラバマ・シェイクスという4人の佇まいと組み合わせの魅力はどういうところに感じていますか?
後藤「彼らって、まず見た目も不思議で。ヴォーカルがアフロ・アメリカンの血を引いた女の人で、周りのメンバーは白人。すごいよね。これは多分、真っ直ぐ芽吹いたものじゃなくて、どこかに何かの衝突がある。例えば、ポップが生まれた時、ロックンロールが生まれた時、ブルーズでもいいですし、ビッグ・バンド・ジャズでもいいんだけど、余所から来た要素と……」
●何かしらのコリジョン、衝突があるわけだよね?
後藤「衝突なんですよ。それが多分、パッションに繋がってるはず。それが魅力なんだろうな、とは思います。当たり前なんだけど、越境しないといけないんだってこと。彼らのパーソナルなことはよくわからないので、これは想像になっちゃうけど、そういうものをフィーリングから感じるんですよね。ロックだけでもない。ソウルとか、ブルーズも感じるし、勿論R&Bも感じるし。でも、ロックンロールっぽいビートの曲もあったりだとか、すごく不思議。アメリカにおける、ロックのトランスフォームの長い歴史がギュッと詰まってる感じがするんですよ。彼らの音楽を聴くと。それが、地域や生まれの違いがある人たちのリアルな衝突として、もう一回リプレゼントされてるから、とても面白い感じがします。『何だろ、これ?』みたいな。今まさに起きている化学変化でもあるけど、アメリカが長い時間かけて作ってきた魔法でもある。その2つの魔法が立ち上がってくる。だからこそ、余計に黒いジャケットなのにカラフルに見えてくる。黒光りしてる何かって、よく見ると、虹色が隠れてるじゃないですか? そういう色に見えるんですよ、このアルバムは。だから、それがこのアルバムの一番の魅力だと思ってます、僕は」
アジカン後藤正文に訊く、グラミー4部門を
制覇したアラバマ・シェイクスの凄さ、
そこから浮かび上がる2016年の風。前編