「対話が必要」だって? 何を言ってるんだ?
いや、もちろん対話はいつだって必要だ。だが、それは聞く耳を持つ人間を相手にした話だ。あるいは、世に届く声を持たない者たちだっている。2016年以降に取り沙汰される「分断」を理由に、訳知り顔の連中が振りかざす「対話が必要だ」という言い分にこれほどぞっとした年はなかった。「対話」という本来建設的なはずだった言葉すら、いま、片隅に取り残された人びとからアクションを奪うものとして使われている。
「何よりも自分が一番」だと執拗に繰り返すジェイムス・ブレイク“ドント・ミス・イット”の凄まじい厭世観が耳と胸に馴染んだのはそのせいかもしれない。微妙に狂っていくピアノのピッチと細切れになる声。単純にもっとも聴いたアルバムで言えばエイメン・デューンズのヨレヨレのサイケデリック・フォーク『フリーダム』だし、圧倒されたのはロウ『ダブル・ネガティヴ』の遠慮のないダークネスだった。そう、世は多様性の時代だ。ゲイとしての「僕」の未来は明るいのかもしれない。けれど、「僕」自身の怒りや苛立ちはどこへ行くんだろう。人びとの弱さや傷や欠点はどこへ行くんだろう。正しさや立派さを讃えることにも求められることにも、どうにも消耗するばかりの年だった。だから映画を観るときだって、時代性や社会性、物語やメッセージよりも、ただ演出が素晴らしい作品群にうっとりしていたかった。
だが、ジェイムス・ブレイクは同じ歌でこうも繰り返すのである。「見逃すな。僕がしたように……」。
そして、グズグズ言っている僕の頭をひっぱたいてくれたのは女性たちだった。前作で完成したポップをあっけなく壊して新たな冒険に乗り出すジュリア・ホルター。ジャネール・モネイはフェミニズムを現代のパーティ会場にしたし、U.S.ガールズが痛快なのは、怒りを滾らせながらもそれ以上にふざけているからだ。しかも、誰も期待していないやり方で、好き勝手に生きて遊んでやるというような豪気。世に不平等や暴力や分断が蔓延っているとして、それを見逃さずに、それでも想像と創造で楽しんでしまうこと。アクションを諦めないこと。そうやって対話を取り戻すこと。
2019年も酷いことはたくさん起こるだろうから、僕たちにできることといえば、ときどき落ちこみながらも遊び続けることだけなんだろう。彼女たちといっしょにふざけていきたい。(余談:女性じゃないけどスワンプ・ドッグ爺も超痛快でした。どう考えてもベスト・タイトル賞でしょう。)
〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2018年のベスト・アルバム、ソング
&映画/ドラマ5選 by 小林雅明
「〈サインマグ〉のライター陣が選ぶ、
2018年の年間ベスト・アルバム、
ソング、映画/TVドラマ 5選」
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「2018年 年間ベスト・アルバム 50」
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