いまの音楽文化を取り巻く世界的な状況において、〈ホステス・クラブ・オールナイター〉のようなフェスティヴァルが存在することの意義については、先日の記事でビーク/ポーティスヘッドのジェフ・バーロウが語ってくれたとおり。ましてやそれが日本で開催されるとなれば、話はなおさら。
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ホステス・クラブ・オールナイター影の主役
ポーティスヘッド/ビークの頭脳=ジェフ・
バーロウがポップ音楽の今を一刀両断!前編
そうしたなか、今回の〈HCAN〉におけるセイント・ヴィンセントことアニー・クラークのステージがとりわけ特別な理由。それは今回のライヴが、これから始まる彼女のワールド・ツアーのこけら落としを意味するから。つまり今回の〈HCAN〉は、セイント・ヴィンセントの最新モードを世界に先駆けて目撃できるスペシャルな機会である、ということ。ちなみに、彼女がツアーを再開するのはほぼ2年ぶり。このタイミングで彼女が新たにツアーをスタートさせる意図とははたして。先だって彼女は新曲“ニューヨーク”を発表したばかりだが……この先の展開については、各々が好きなように想像してほしい。
今年でデビュー10周年を迎えるセイント・ヴィンセント。これまでに4枚のスタジオ・アルバムをリリースしている彼女だが、しかし、そのミュージシャンとしての評価やイメージは、出会ったタイミングや聴き手のアングルによってそれぞれ微妙に異なるものかもしれない。
地元テキサスを拠点にスフィアン・スティーヴンスらのサポート・メンバーを務めたのち、本格的にソロ・アーティストとして活動を始めるや、ブルックリンの高踏派とも渡り合う才気を見せつけた2000年代の諸作。そして「インディ・ロック」の退潮をよそに、グラミー賞を獲得するなど評価とポピュラリティを高める一方、サウンドはますます先鋭化を見せる近年の活動。バークリー音楽大学で学んだ才媛にして、根っからのDIY主義者。ジミ・ヘンドリックスやロバート・フリップにも例えられる超絶技巧派のギタリストであり、鍵盤や打楽器にプログラミングも操るマルチ・インスト奏者。ベックやボン・イヴェールからデヴィッド・バーンやスワンズまで共演のラヴ・コールを送るミュージシャンズ・オブ・ミュージシャン。学生時代にはハードコア・パンク・バンドで活動……などなど。セイント・ヴィンセントという一見スマートで洗練されたミュージシャン像とはその実、そうした様々な音楽的特徴とキャラクター、そして多岐にわたるルーツ/バックグラウンドによって形作られた複雑な造形美をなしている。
そんな彼女のミュージシャンとしての在り方を、これまでのディスコグラフィからセレクトした10曲を通じて浮き彫りにしていく。いわば「セイント・ヴィンセントの解体新書」。と同時に、〈HCAN〉に向けて彼女のプレイリストを作る参考にしてもらえれば、と思う。
>>>過去と未来を横断する2010年代型ダンス・ミュージックを再定義
まずはともかく、セイント・ヴィンセントというアーティストに興味を持ってもらいたい。そのための最適の入り口、という意味も込めて、現時点での最新アルバム『セイント・ヴィンセント』(2014年)から“デジタル・ウィットネス”と“ブリング・ミー・ユア・ラヴズ”を。とりあえずはこれらの曲を聴いてもらえば、少なくとも話の大前提として、いわゆる現行の女性ポップ・シンガーや、インディ風情のテンプレートな女性シンガー・ソングライターとは彼女が別物であることが、たちどころにわかってもらえるはずだから。
「葬式でかけても踊りたくなるレコード」とは、クラーク自身が語った『セイント・ヴィンセント』のコンセプト。そのことは例えば、ずばり『葬式』と題しながらも高揚感に満ち溢れたロック・アルバムだったアーケイド・ファイアのデビュー作を思い出させたりもするわけだけど、ともあれ、『セイント・ヴィンセント』が彼女のディスコグラフィにおいて屈指のダンサブルでグルーヴィなレコードであることは確か。
なかでもこの“デジタル・ウィットネス”と“ブリング・ミー・ユア・ラヴズ”は、まるでニュー・オリンズ・ジャズとメタルとプリンスのミュータントのような耳愉しさが最高。あるいはナイル・ロジャースがプロデュースしたローリー・アンダーソン、とでも言おうか。エレクトロニックでファンキー。センシュアルでイクレクティック。ドラムのみならずギター・リフやミニ・ムーグ、ホルンなどブラス・サウンドも一体となって躍動する表情豊かなリズム・セクションが醍醐味、だ。
後述する彼女の特徴の多くが、デビュー当初からすでに備えられていたデフォルトのスペックであるとするなら、この「葬式でも踊りだす」ようなエキセントリシティとは、いわば新たにカスタマイズされた、現行仕様のセイント・ヴィンセントにおいて基調となるモード。なお、こちらの青写真になったというデヴィッド・バーンとのコラボ・アルバム『ラヴ・ディス・ジャイアント』(2012年)の代表曲も参考までに。
と、まずは直近の最新アルバムでセイント・ヴィンセントのトータライズされたところを押さえたうえで、ここからは各論に。
>>>ジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、プリンスとも並ぶ2010年代唯一のギター・ヒーロー
セイント・ヴィンセントというアーティストを構成している様々な要素や特徴のなかでも、いわばイロハのイ。そのシグネチャー・サウンドを司っているのが、彼女のギタリストとしてのアイデンティティ。しかもそのプレイたるや、きわめて強力なものであることは一聴にして明らか。
ロバート・フリップやトム・モレロも引き合いに出されるテクニカルでヘヴィなギター・プレイは、学生の頃からジャズ・バンドやメタル・バンドで活動して磨かれた経験に由来するもの。併せて、ギターを弾き始めた12歳のときに発見したフランク・ザッパやジェスロ・タルのレコードに刷り込まれたもの、だとか。複雑なフレージングと重量感のあるリフを織り交ぜて自在に鳴らす、豪快でニュアンスに富んだギター・サウンド。“ユア・リップス・アー・レッド”しかり。あるいは、ブレイク・ビーツにのせてスティーヴ・ライヒとキング・クリムゾンがファンク・ロックをやっているような“マロー”、も強烈。
加えて、ジョン・ケージが「ファシストの音楽」と評したNYアンダーグラウンドの大家、グレン・ブランカが率いるギター・オーケストラにデビュー前の彼女が参加していたというエピソードを知れば、そのギターの音色にノイズやインダストリアルの意匠が感じられるのも納得。後日、マイケル・ジラがスワンズのアルバム『トゥ・ビー・カインド』(2014年)に彼女を呼び寄せた(ギタリストではなくバッキング・ヴォーカルとしてだったが)のも、さもありなん。
>>>ハードコア、ポストパンク、90年代オルタナティヴとの知られざるコネクション
もっとも、これまでにビッグ・ブラックやポップ・グループのカヴァーをライヴで披露したことがある彼女。3年前のロックの殿堂入りの式典で、デイヴ・グロールらをバックにニルヴァーナの“リチウム”を演奏したことは記憶に新しいところ。
その手のハードコア・パンクやポストパンク、あるいはUSオルタナティヴに通じた志向とは、そもそも彼女の音楽スタイルにおいて深く根ざしているもの。そのことは彼女の様々な楽曲の端々に窺うことができるものだが、なかでもそうした彼女の側面が凝縮された一曲が“クロコダイル”。最近セイント・ヴィンセントのことを知った、というひとが聴いたら驚かされるかもしれない。
>>>希代のマルチ・インストゥルメンタリスト――初期作品における多重録音と、スフィアン・スティーヴンスやボン・イヴェールとの客演の歴史
クラークが本格的にソロ・キャリアをスタートさせる前、スフィアン・スティーヴンスのツアー・バンドに参加していたのは有名な話(その直前には同郷のポリフォニック・スプリーのメンバーを務めていた時期も)。その詳しい経緯は知らないが、しかし、両者をつなぐ共通点として、ともに複数の楽器を操るマルチ・インスト奏者であったという事実は押さえておきたいポイント。また彼女の場合、たとえばボン・イヴェールやアンドリュー・バードとの共演に見られる名演奏というのも、マルチ・インスト奏者同士互いに通じ合うところが多い、ということなのかもしれない。ともあれ、マルチ・インスト奏者であることは、彼女の音楽を初期の時点から特徴づけていた重要な要素だった、と言える。
彼女の作品ではデビューから一貫して、多数のサポート・プレイヤーを迎えたレコーディング・スタイルがとられている。なのでマルチ・インスト奏者といっても、楽曲によって演奏内に占める彼女の裁量にはバラつきがあるのが実態。しかし、ギターを含めシンセ/ムーグやメロディカ、ダルシマー、ヴィブラフォン、パーカッション、トライアングルなど10種類近い彼女の使用楽器がクレジットされた1stアルバム『マリー・ミー』(2007年)は、多重録音ならではのダイナミクスと荒々しさが感じられる楽曲が多い。
とりわけこの“ジ・アポカリプス・ソング”は、どこかコラージュめいた手つきで切り貼りしたような展開も見せる楽曲構成が大胆。
その堂に入った多重録音の作法に、グリズリー・ベアもダーティ・プロジェクターズも、アニマル・コレクティヴだってそもそもはひとりのベッドルーム・プロジェクトとして始まったことを思い出してもいいかもしれない。
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