いつの時代にもシーンやコミュニティが育つには、仲間たちが集うリアルな「現場」が必要である。そんな当たり前の公理は、イギリスでイースト・ロンドン以来の新たなバンド・シーンとして注目を浴びる、サウス・ロンドンのシーンでも証明されている。
今のサウス・ロンドン・シーンを語る上で欠かせないのが、ブリクストンにあるキャパ150人程度の小さなヴェニュー/パブの〈ウィンドミル〉。週7日間、毎日ライヴがおこなわれているというこの会場には、シェイム、ゴート・ガール、ソーリー、HMLTDなどが活動当初から出演している。ビッグ・ムーンの初ライヴも、この〈ウィンドミル〉だった。そもそも、バンドたちの出身地がバラバラである同シーンが「サウス・ロンドン」と括られるのも、〈ウィンドミル〉がサウスにあるからに他ならない。つまり、〈ウィンドミル〉は61年にビートルズが演奏していたリバプールの〈ザ・キャヴァーン・クラブ〉であり、65年にザ・フーが演奏していたロンドンの〈マーキー・クラブ〉であり、76年にセックス・ピストルズやザ・クラッシュが演奏していた〈100クラブ〉であり、マッドチェスターの震源地となった80年代前半の〈ハシエンダ〉なのだ。
しかし、なぜ〈ウィンドミル〉は特別なのか? それは十数年来、〈ウィンドミル〉でブッキング・マネージャーをやっているティム・ペリーという人物の存在が大きいという。元ジャーナリストという経歴も持つ彼が、若く才能のあるバンドをいち早く見抜き、彼らに積極的にステージを用意してきたこと。それがバンドとの信頼関係に繋がり、コミュニティが広がっていくことで、〈ウィンドミル〉はサウス・ロンドン・シーンのホームになった――ということらしい。
では、ティム・ペリーとはどのような人物であり、移り変わるロンドンのシーンをどのように見つめてきて、現在のサウス・ロンドン・シーンの活況をどのように捉えているのか。それを知ることは、サウス・ロンドン・シーンの重要な一側面を知ることに繋がるだろう。
もしよければ、彼が語る英国社会の変貌と、そこでの若者たちの政治意識の変化と多様性、そして、彼自身のアティテュードについても注意深く読んで欲しい。そして、なぜ彼が「これをシーンとは呼びたくない。これはコミュニティなんだ」と口にするのか、その理由についても思いを馳せてみて欲しい。つまり、それこそが今、サウス・ロンドンを稼働させている正体なのだ。
なお、これはサウス・ロンドンを巡る短期集中インタヴュー・シリーズの第二弾である。第一弾は、サウス・ロンドン・シーンの顔役であるシェイム。
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【短期集中連載①】英国インディ・ロックの
新たな震源地=サウス・ロンドンの実態を
その当事者に訊く:シェイム編
そして第三弾は、サウス・ロンドンの今をもっとも生々しくドキュメントする新たなメディア〈ソー・ヤング〉のサム・フォード。第四弾は、生粋のサウス・ロンドンっ子であるシェイムとは違い、アイスランドという外部からサウス・ロンドン・シーンに加わったドリーム・ワイフのインタヴューをお届けする。
●あなたが〈ウィンドミル〉のブッキング・マネージャーを始めたのは10年くらい前だと聞きました。その前はどういったことをしていたんですか?
「私のバックグラウンドはライターなんだ。前は旅行ジャーナリストをやってたんだよ。で、アメリカにいることが多かった。バンドやヴェニューを観るにはよかったね。ロンドンによくあるヴェニューよりもカジュアルなバーや酒場みたいなところに行ってた。〈ウィンドミル〉みたいな(笑)。で、旅行じゃなく音楽について書くようになって、インディペンデントの新聞やウェブ・サイト、クラブ雑誌なんかに書いてた頃に、ある夜グデングデンに酔っ払って、友人のジャーナリストと一緒にオールナイトのイベントをやろう、って話になって。ブリクストンのバーでそれをやりはじめたんだ。残念ながら、そのバーは随分前に閉店になったんだけど」
●それはどんなイベントだったのでしょうか?
「やってたのはカントリー&ヒップホップ・ナイト。カントリーのバンドかヒップホップのDJ、もしくはヒップホップのアクトにカントリーDJみたいな組み合わせが出演しててね。『そんなのうまくいくわけないだろ!』って言われたんだけど、うまくいくと当時は思ったんだ。しかも、実際かなりうまくいった(笑)。でもバーが閉店したから、場所を〈ウィンドミル〉に変えて。その時〈ウィンドミル〉はいろんな音楽を扱ってたんだよ。で、そこでもカントリー&ヒップホップ・ナイトが成功して、だんだんバンドなんかから『ライヴをやってくれ』って言われるようになって。それでライヴもやってたら、ブッキングの担当者がやめることになった。それが2001年くらいかな。その仕事を引き継いだんだ」
●かなりエクレクティックなセンスだと思いますが、あなたの音楽的なバックグラウンドというと?
「そうだな……(音楽ジャーナリストをやっていた)当時はレコードやライヴのレビューなんかを書いてたんだけど。ジャンルとしては折衷的だった。当時、90年代の話なんだけど、すごくいいシーンがあって。アメリカの音楽はイギリスよりずっとよかった。私はブリットポップなんかには耐えられなかったしね。ポストロックやマスロックが出てきて、ヒップホップも革新的だったし、エレクトロニック・ミュージックもイギリスよりずっと先進的だった。いいバンドをたくさん観れたし、クールなヴェニューもレコード屋もたくさんあって。だから、私自身のバックグラウンドは折衷的だね。だからこそカントリー&ヒップホップ、なんてのをやったわけだし(笑)。あと、アメリカーナにも興味があった。当時面白かったから。いまは退屈だけど」
●ある記事を読んでいたら、あなたがブッキング・マネージャーになってから、〈ウィンドミル〉の音楽が変わった、と書いてありました。あなた自身、〈ウィンドミル〉のブッキングにおいて、どういったポリシーを持っているんでしょうか?
「特になかったな(笑)。最初はやりたいことっていうより、自分たちが楽しんでただけだった。私のアイデアは常に、『自分が見たいバンドをブッキングする』だしね。満員にするためだけにバンドをブッキングしたくはない。で、たぶん気づかないうちに、偶然、グラスルーツの音楽をサポートすることになったんだと思う。いろんな人にチャンスを与えて、ローカルでやっていくことで。それにライヴ、ギグをやるときには、一緒にやる相手と気持ちよくやりたいとも思ってる。一晩一緒に働くんだし、いいヴァイブ、真っ当な気風の相手であることは重要だ。ロック・スター気取りや自惚れた奴はお断りだね。だからやっぱり、ほとんど偶然にローカルで続けてきたし、ちょっと革新的なこともやれてきた。ちゃんとコミットできる相手を選ぶことでね」
●ここ1年ほど、〈ウィンドミル〉を拠点としてサウス・ロンドンからたくさんのいいバンドが出てきていると思います。実際に〈ウィンドミル〉で仕事をしていて、5年前、10年前と比べて状況はどのように変わったと感じていますか?
「実際、10年前にはすごくいいバンドが出てきた時期があったんだ。メトロノミーみたいな、エレクトロニックをひねったポップなシーンがあった。あれはすごくエキサイティングだったな」
「でも音楽ビジネスで言えば、〈ウィンドミル〉は小さなインディペンデントのヴェニューで、大きな会社やグループが所有してるようなヴェニューと競争するのが難しい。向こうの方が大きなエージェントを通じてブッキングしやすいからね」
●ええ。
「以前はアメリカのバンドもたくさんやってたんだ。〈シークレットリー・カナディアン〉みたいなレーベルと組んで、例えばウォー・オン・ドラッグスの最初の2回のツアーはうちが会場だったし」
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「でも状況もレーベルもより企業的になって、〈ウィンドミル〉もあまり活況とは言えない時期があった。そしたらいきなり、若くていいバンドがうちの入り口に現れるようなことが起きたんだよ(笑)」
●でも、どうしてウィンドミルが若くていいバンドの入り口になったんだと思います?
「それにはいくつかの要素がある。まず、サウス・ロンドンは歴史的に見てもヴェニューがすごく少ない。私が始めた頃は、ノース・ロンドンをベースにしてるバンドに、テムズ河を渡って南に来てもらうのさえ大変だったんだ。当時ブリクストンはタフな場所で、15年前には『ブリクストンなんて、とんでもない』みたいな感じで。それでも〈ウィンドミル〉がずっと続けてきたことが、この周辺ではすごくリスペクトされてる。それがまず一つ」
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「それにうちは地元のバンドや、アメリカのバンドを紹介してきた歴史もあった。で、第三にうちは実際、すべてのバンドにギャラを払う。第四に、ファット・ホワイト・ファミリーや〈トラッシュマウス・レコーズ〉っていうのがやっぱり重要で、例えばゴート・ガールに取材すればわかるけど、彼らはファット・ホワイト・ファミリーのライヴで知り合ったんだよね。第五に、多くのヴェニューは若いバンドにチャンスを与えて、彼らを育てようとしないんだと思う。例えばシェイムだけど、彼らが何度かうちでやった頃に『自分たちでライヴやってもいい?』って言ってきた。私は『もちろん』とね。で、その晩ゴート・ガールが出演して、『すごいバンドだ!』と思ったんだ。それと同じことがゴート・ガールでも起きたし、そんなことの繰り返しで集まってきたんだ」
●〈ソー・ヤング〉のサム・フォードは、ロンドンからいいバンドがたくさん出てきた背景には、ここ最近の政治的な不安も関係あるかもしれないと話していました。実際、ファット・ホワイト・ファミリーもシェイムも政治的な姿勢を持ったバンドだと思いますが、あなたとしては最近の社会的状況が、今のシーンに何かしらの影響を与えていると思いますか?
「ちょっと大きい質問だね。実際、ファット・ホワイト・ファミリーは政治的なことに触れるし、シェイムも時折そうしてる。でも他のバンドはそうでもないし、触れるにしてもさりげない。ただ全部のバンドに、コミュニティのスピリットはあると思う。うまく言えないけど、何かしら社会主義的な理想っていうのかな? お互い助け合おうとしてるし、誰かが誰かを利用したりすることもない」
●ええ。シェイムに話を訊いても、シーンのバンド同士の仲間意識の強さを感じました。
「ブリクストン、というか、ジェントリフィケーション(高級化)される前のブリクストンはかなり左翼的で、マルチカルチュラルな場所とされてたんだ。そんなところがロンドンの他の場所と衝突したりもしてた。だからこそ、これまでに金が注ぎ込まれたのがカムデンやイースト・ロンドンだったりもして。サウス・ロンドンは放っておかれたんだよ。それもあって、ヴェニューとして、あとブッキング担当としては――オーナーはまた別の話だけどね――人々に独自のプラットフォームを持つチャンスを与えようとしてきたんだ。自分たちでライヴを開いたりね。それ自体は政治的とは言いにくいかもしれないが、セルフ・ヘルプだとか、クリシェになったけどDIYの考え方だった。不適切な使われ方をすることもある言葉だけど、このレベルにおいては『助け合う』っていうことなんだよね」
●ええ、わかります。
「例えば有名になったHMLTDとかでも、また〈ウィンドミル〉に戻ってプレイしたりしてる。もうマネージャーが付いてて、契約も済ませた新しいバンドなんかじゃなく、友だちのバンドをサポート・アクトにして。それはやっぱり、当時の仲間をサポートしようとしてるんだ。そういうことはやっぱり大事だと思う。大きな意味で政治的ではなくても」
●今のサウス・ロンドンのバンドのコミュニティは、例えば10数年前のイースト・ロンドンのシーンとか、90年代のブリットポップのシーンとはどこが違うと思いますか?
「ありがたいことに、ブリットポップ時代のことはよく知らないんだ(笑)。当時はアメリカにいることが多かったし、イギリスではマンチェスターをベースにしてたから」
●そうなんですね。
「昨日、金曜にライヴをやるバンドの取材があったんだけど、インタヴュアーが指摘してたのは、今のサウス・ロンドンのシーンは年齢層の幅が広い、ということ。もちろん、若いバンドが大勢いるけど、ここには私みたいな人間もいるし、観客には60代の人もいるし。まあもちろん、18歳から25歳くらいが一番多いんだけど。このコミュニティでは全員が受け入れられてて、超トレンディである必要もないし、いろんなことを知ってる年上の世代もリスペクトされてる。今のキッズはあらゆる時代の音楽を聴いてるから、実際にそれを知ってる世代をリスペクトするんだよ。そこは重要じゃないかな。10代の子と60代の客が肩を並べてて、それを全然気にしない、っていう。まあ、自分が年上だからそう思うのかもしれないけど(笑)」
●その点はイースト・ロンドンの頃と較べても違うと思いますか?
「個人的には、これまでのロンドンのシーンはよく知らないんだ。以前ライヴでショーディッチに行った時は、ブリクストンと同じくらいひどかったし(笑)。でもその後ショーディッチも小綺麗になって、興味をなくした。ともあれ、イースト・ロンドンは遠いから、あんまり行くこともない。うん、重要なのは、このシーンがあらゆる年齢層を受け入れると同時に、あらゆるジャンルを受け入れてることだと思う。これまでは多くのバンドが同じようなサウンドで、集まってる連中が同じような服を着てるのが“シーン”とされてきたかもしれないけど、ブリクストン周辺ではそんなこと起きてないんだよ」
●では、多様性が尊重されるサウス・ロンドン・シーンにおいて、バンド同士を繋ぐものは何だと思いますか?
「面白い質問だね。それは〈ウィンドミル〉だ、みたいには言いたくない。というのも、やっぱりバンド、それにバンドの姿勢が第一だと思うから。保守党がまた4年間政権を握ってるからかもしれないけど、人々にアティテュードがあるんじゃないかな。うん、ほとんどの人はお互いへのリスペクトを恐れずに表現してると思う。ブラック・ミディっていうバンドは知ってる?」
●ええ、知ってます。
「例えば、今はブラック・ミディのことが大好きなバンドが多くて、彼らのことをサポートしようとしてるんだ。ライバル心なんてなく、『すごいな!』って感じで。『またものすごいバンドが出てきた、仲良くしよう!』とね(笑)」
「そういうのっていいと思う。イギリスのシーンだと、後から出てきたバンドに『それほどでもないじゃん』みたいな、排他的な雰囲気が出来たりもするんだけど、今はみんな謙虚で、いいものはいいって言うし、お互い感じよく接してる。そういう人たちなんだと思うよ。変な連中で、あの中には競争心がほとんどない。それぞれが自分のことをやってて、いいものが出てくれば褒めるしね。こき下ろしたりするんじゃなく」
●僕自身、〈ウィンドミル〉にブッキングされてるようなバンドは大好きなんですけど、一方でイギリスのメインストリームで売れているバンドと言うと、いまだにギャラガー兄弟だったり、カサビアンだったりしますよね。そういう状況自体はどう思っていますか?
「んー……全然聴かないからなあ(笑)。例えば、今出てきてるバンドが聴いてる音楽って、予想するようなものとは全然違ったりするんだ。シェイムのエディは始終テクノばっかり聴いてるし。人の音楽のテイストがすごく折衷的になったんだよ。それが作るサウンドにはっきり出てはいないかもしれないが、幅広い音楽を聴いてる。ギャラガー兄弟ではあんまり考えられないことだね(笑)。それは時代の違いかもしれないし、メディアも大きく変わった。今はもっとアクセスしやすくて、Spotifyがあればその場でリアルなエジプト音楽を聴くことだってできる。聴きたければね」
●そうですね。
「そう、ギャラガー兄弟やカサビアンは確かにいるけど、それが別に……みんながやることに影響を与えたりはしてない。オアシスやカサビアンの曲を聴いてる人を私は知らないし。例えば、マーク・E・スミスが好きだっていう人は多いし、影響を与えてる。今パッと思いつかないけど……例えば、カレン・ダルトンとか。そういう人たちは実際バンドに影響を与えてると思うんだ」
●必ずしもマスメディアで大きく取り上げられるものが強い影響力を持つとは限らないということですよね。
「逆に影響を与えてるバンドには、大阪の少年ナイフだっている。『オアシスを観た』っていうバンドを私は一つとして知らないが、〈トラッシュマウス・レコーズ〉にノー・フレンズっていうバンドがいてね。よくライヴをやってるんだが、彼らは『少年ナイフを観た』って言ってた(笑)。それは別にオブスキュアな音楽に影響されてるわけでもなく、グレイトなものを探してたらそうなったんじゃないかな。UKメディアは聞いたことがないようなものを。それはすごくいいことだと思う。少年ナイフがイギリスでプレイした回数を考えると、すごい話だよね」
●この間ロンドンから来たとあるバンド・マネージャーに、「最近のサウス・ロンドンのシーンどう思う?」って訊いたら、「いいバンドは大勢いるけど、大きくなるかどうかは正直わからない」と言っていました。あなたは今後、このシーンはどうなっていくと思いますか。
「シェイムはかなりいい感じだよね。まあ、私はバンドのマネージャーになったりレーベルで働きたいと思ったことがないし、ただ楽しみたくてこれを始めたし、これからも楽しみたい。その過程でバンドの手助けをしたいとは思ってるけどね。私が望むのは、今のバンドが成功して、さらに若いバンドを導いて、彼らを助けていくこと。マネージャーやレーベルがどれほど金を積むのか知らないが、バンドの方は音楽業界で経験を積むだろう。うん、ビッグ・スターみたいなのが出てくればいいなとは思う。でも、より重要なのは理想を見失わないことと、作りたい音楽を作りつづけること。できれば彼らが破産したり、金を持ち逃げされるような、ひどい経験をしないですむといいね(笑)。ちゃんと儲けられるといい」
●ええ。
「とはいえ、私たちのレベルでは金がすべてじゃない。自分が正しいと感じることをやる、それがすべてなんだ。そして、誰かの食い物にならないこと。ハードワークして、自分の理想を守ることでそれが達成できれば、素晴らしい。うん、シェイムがすごく成功するといいね。彼らにはその価値がある。でもそれが私たちが今ここでやっていることの到達点、終わりじゃないし、むしろ誰かが始めるレベル、グラスルーツのレベルでプラットフォームを供給しつづけることが大事なんだ。それが新鮮でありつづければ、もっといろんな人が出てくるだろうし」
●そうですね。
「それに、いい感じなのは、アルバムを出したりツアーに出たりしたバンドでも、また〈ウィンドミル〉に戻ってきてハングアウトしてるんだよ。時折シークレット・ライヴをやったり。それには力づけられる。そういうことが、“シーン”というより“コミュニティ”を押し出すことになるから。そう、“シーン”という言葉は嫌いなんだよ。不適切だと思う。“シーン”は短期間なものを指す気がするから、“コミュニティ”の方が言葉として合ってると思うな。私にはビッグになったバンドが今も〈ウィンドミル〉に来て、ハングアウトすることは大きな意味を持ってるんだ」
●サウス・ロンドンを「シーン」と呼びたくない理由について、もう少し詳しく教えてもらえますか?
「サウス・ロンドンやブリクストンじゃなく、今のロンドン全体で起きてることを見ても、例えばシアトルのシーンなんかと比べてずっと多様性があって、エクレクティックだと思うんだ。一つのタイプの音楽には集約できない。それもシーンという言葉が嫌いな理由の一つだな。ある音楽ジャンルを指したりもするだろう? でも、今ここから出てきてるバンドを見ても、シェイムがいて、もっとダークなゴート・ガールがいて、HMLTDはエレクトロニックなポップだったりする。で、かなり挑戦的で革新的な音楽をやってるのがホーシーやブラック・ミディみたいなバンド。で、なぜかしらそういうものが同じ日に出演してもうまくいくし、しっくりくる。誰も『なんかサウス・ロンドンのバンドっぽい音だな』とか、一概に言えないはずだよ。『シアトルっぽいな』とか『ガレージっぽい』とか言えるのとは違って」
●わかります。
「これまではそういったシーン、状況が音楽のジャンルと結びつけられてきた。でも、今起きてることはそうじゃないと私は思う。だからこそ、シーンという言葉は当てはまらない。たまたま同じ時期に同じ場所にいた人々が集まって、何かしら共通するものを見出してるんだ。君が同意するかどうかわからないが、サウス・ロンドンっぽいサウンドなんてないんだよ。もっとエクレクティックだからこそ、シーンという言葉は適当じゃない。でも、私たちが彼らと一緒にやれてきたことはすごくビューティフルだと思ってる」
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【短期集中連載③】英国インディ・ロックの
新たな震源地=サウス・ロンドンの実態を
その当事者に訊く:ソー・ヤング編
通訳:萩原麻理