SIGN OF THE DAY

小野島大×田中宗一郎対談「ブリティッシュ
・ロックの今」を考える。2017年の英国を
代表するウルフ・アリス新作を題材に:中編
by DAI ONOJIMA
SOICHIRO TANAKA
October 13, 2017
小野島大×田中宗一郎対談「ブリティッシュ<br />
・ロックの今」を考える。2017年の英国を<br />
代表するウルフ・アリス新作を題材に:中編

小野島大×田中宗一郎対談「ブリティッシュ
・ロックの今」を考える。2017年の英国を
代表するウルフ・アリス新作を題材に:前編



>>>「ブリティッシュ・ロック」という言葉はいつ生まれた?

田中「でも、どうですか? 今、おそらくブリティッシュ・ロックという文脈は、若い世代の間にはおそらく存在しない」

小野島「うん」

田中「ブリティッシュ・ロックっていう言葉自体も海外ではなく日本で生まれたものだと思うんですけど、実際にはいつ頃、どんな風に共有されるようになったんでしょう?」

小野島「私が当時読んでた雑誌(情報源)が〈ニューミュージック・マガジン〉だったので、〈マガジン〉を例に出しますが、70年代前半の〈ニューミュージック・マガジン〉が三度ぐらい英国ロックの大きな特集を組んでいるんだけど、71年6月号の時点では表題に『イギリスのロック』と銘打っていたのが、72年6月号では『ブリティッシュ・ロック』と銘打たれてる。なのでその1年の間に“ブリティッシュ・ロック”という言い方が定着したのかも知れないですね」

田中「なるほど」

小野島「ちなみに72年6月号の特集の表紙はエリック・クラプトンで、彼及びクリームが“ブリティッシュ・ロック”の象徴、原点、代表と見られてたということですね。誰が“ブリティッシュ・ロック”という言葉を使い始めたかということはちゃんと調べないとわからないけど、当時は大貫憲章さんが積極的に使ってた記憶がある。あとは先日亡くなった石坂敬一さんとか」

田中「なるほど、なるほど。今、それに代わる言葉があるとしたらUKロックなのかなと思うんですけど、これも海外ではほぼ使われることがない言葉で。ブリットポップ以降の英国のインディ・ロック全般を指す言葉として流通している、むしろ日本固有の不思議な現象だと思うんですけど」

小野島「インディっていうのは何を指すの?」

田中「海外だと90年代とゼロ年代と今、アメリカとヨーロッパとでは、その時々でインディが指すものって確実に変わってきてますね。ただ、ヨーロッパ、イギリスのゼロ年代に関しては間違いなく一つのジャンルですね。ただサウンドのジャンルっていうよりは、ファンダムを含めたジャンル。インディ・キッズというトライブが存在していて、彼らが聴く音楽がインディ・ロック」

小野島「それは別にメジャー・レーベル所属であってもインディなんだよね?」

田中「そうです。ゼロ年代だったら、例えばカイザー・チーフス。彼らはインディ・バンドですけど、当初からメジャー資本のレーベルと契約していた。それ以前、90年代もずっと自分の周りは普通にインディ・ロックって言葉を使ってたとは思うんですけど、多分、日本でインディっていう言葉がごく一般的にシェアされるようになったのは、日本固有のインディっ子クラスタが首都圏を中心に生まれたゼロ年代半ばくらいだと思います」

小野島「ふーん」

田中「この前もボー・ニンゲンのタイゲンくんと話したんですけど、ゼロ年代半ばくらいにホラーズを追いかけて、あの真っ黒なファッションだったり、レアなヴァイナルを掘ったりっていうライフスタイルに飛びついた子たちが、それから2、3年するとアメリカの〈キャプチャード・トラックス〉辺りのバンドに流れていったっていう」


イースト・ロンドン今昔物語。部外者であり
当事者でもあるボー・ニンゲンのタイゲンが
語る「ホラーズと英国シーンの10年」:前編


田中「そこのファン・ベースというのはやっぱりカサビアンとかミューズとかとは別物で、本国でも違ったし、日本でもわりとファン・ベースが分かれていった印象がありますね」



>>>ウルフ・アリスはインディか? ロックか? それともオルタナティヴか?

小野島「カサビアンとかミューズっていうのは何て呼ばれているんですか?」

●iTunesでのロック・ミュージックの分類の仕方としては、ロックとオルタナティヴの二つですよね。で、アップルの分類だとカサビアンもミューズもオルタナティヴです。

小野島「ああー、オルタナティヴって言葉は便利だな」

●海外メディアだと、オルタナティヴって言葉はほぼインディと同じ意味で使われているように思います。メインストリームのものよりもエッジーな音楽、というイメージ。

田中「所謂インディよりも、少しハードだったり、ヘヴィ寄りのサウンドやバンドがオルタナティヴと呼ばれるという傾向はあるかもしれませんね」

小野島「俺、インディ・ロックっていう言い方はあまり好きじゃないからね。iTunesでリッピングする時にジャンルでインディ・ロックって出ると、消してロックって直す(笑)」

田中「(笑)それはなんでなんですか? すごい興味あります」

小野島「いいじゃん、ロックで。別に。インディ・ロックっていう言い方がすごく狭い使い方をしているなって印象だし、メジャーなのにインディっていうのも変だし、ああ、もう面倒くさいから全部ロックでいいじゃんって。ちまちまジャンルを細分化するのがイヤなのよ」

田中「(笑)」

小野島「昔は何て言ってたのかな? インディーズって言い方はしていたけど、インディ・ロックって言い方はしなかったからなあ。どこで成り立ったんだろうなあ」

田中「スミスからじゃないですか?」

The Smiths / Hand In Glove


小野島「スミスってことは〈ラフ・トレード〉ってことだよね?」

田中「〈ラフ・トレード〉です」

小野島「〈ラフ・トレード〉の初期にインディ・ロックって言い方してないよな」

田中「〈ラフ・トレード〉がシングルだけしか出さない、メジャー・レーベルみたいに作家を契約で縛らないっていう思想を貫いていた時はパンク、ポストパンク、ニューウェイヴっていう文脈だったはずで。でも、〈ラフ・トレード〉が初めてのアルバムも含めて長期専属契約を交わしたのがスミスですよね? で、80年代後半の〈NME〉とか〈メロディメイカー〉には、インディ・チャートが生まれることになって、産業的な変化、社会学的な変化が起こった」

小野島「最初の頃のインディ・チャートって、ディスチャージとかエクスプロイテッドみたいなハードコアばかりが占めてた記憶がある。その頃のUKハードコアは、メジャーでは出せなかったからね。日本でUKハードコアが注目されるようになったきっかけは〈NME〉のインディ・チャートだったと思う。スミスはその2年ぐらいあとかな?」

田中「なるほど。いずれにせよ、80年代後半からは、確実にインディ・ロック、インディっていう書き方が主流になって、ほぼロックっていう単語がイギリスの音楽誌には出てこなくなった気がします」



>>>ロックは古い音楽? 海外だと誰も使わない言葉?

小野島「ロックって言うと古臭い印象を与えるからっていうことなんですか?」

田中「そうです、そうです。だから、ロックンロール、ロック、パンク、ニューウェイヴ、インディっていう風に進化したっていう。多分、それがイギリスの文脈だと思います」

小野島「なるほどね。最初はメジャーじゃない、インディ・レーベルの音楽がインディだったけど、だんだんメジャー契約のバンドでもインディと呼ぶようになった」

●イギリスの人はロックっていう言葉に対して、「メインストリームの安っぽいもの」っていう印象を持っている気もしますね。

小野島「それは今現在っていうことね?」

●そうです。僕がそれを最初に感じたのは、2003年にイギリスで現地の人と話していた時で。好きな音楽を聴かれた時に「ロックだ」と答えると渋い顔をされるんですよ。でも、リバティーンズとか、ストロークスとか、具体的に好きなバンドを言うと、「ああ、インディ・ロックね。だったらいいよ」っていう。

田中「まあ、インディ・ロックとか、アート・ロックとか。でも、普通にインディって呼ぶ感じだよね?」

小野島「その彼らからすると、ロックはどういうバンドなの? パンク以前のバンドを指してるの?」

●いや、最近のバンドでもやっぱりロックとインディは、彼らの中で分別されている印象でした。

田中「で、この記事の出発点も、そういった諸々の認識がそろそろまた一回転して、また時代の分岐点に差し掛かっているんじゃないか? っていうところなんです。The 1975とかもそうなんですけど、もはやウルフ・アリスにはインディ・ロックという呼び方は似合わないんじゃないか? 特に今回の新作を聴くとそう思わざるをえないっていう」

小野島「まだこのバンドに対して、そこまで強いイメージがないでしょう、日本では」

田中「ないですね。でも、逆にこのバンドがイギリスで大きくなったことに対する小野島さんの分析ってあります?」

小野島「そんなに大きくなってんだ、って思った」

田中「(笑)」

小野島「〈サマソニ〉で観た時も、そんなに客もいなかったし、盛り上がってる感じもなかったからなあ。その辺はチャート上でも現れてるんですね」

田中「1stアルバムの時点でUKチャート2位になってるから、それ以降の盛り上がりからしても、これは間違いなく初登場1位になると思うんですよ(結果的には第二位)」

小野島「ロックじゃ珍しいってことか」

田中「カサビアンみたいに15年以上やってるキャリア組を除けば、もとは同じレーベルのThe 1975以来ですよね」

小野島「だから、ブリティッシュ・ロック復活なのか。いいんじゃないですか、でも。こういう多様な音楽をまとめようと思ったら、ブリティッシュ・ロックとか、大雑把な括りにするしかないし。アメリカのオルタナからの照射とかも含めて、イギリス人がいろんなもの、特にアメリカを意識しながら作ったものっていう点からすれば、まさにブリティッシュ・ロックって感じがしますよね」

田中「小野島さんが好きじゃないインディ感はないでしょ?」

小野島「別にインディ感が好きじゃない、なんて言ってない(笑)。でも、ウルフ・アリスはインディでもあるんでしょ? インディ・ロックっていう扱いになるんでしょ?」

●なると思います。ちょうど脱インディの途中経過にあるのが、この新作だと思いますから。

小野島「脱インディって面白いな。インディは脱するものなんだ(笑)。要はチマチマした音楽がインディ・ロックって感じ?(笑)」

田中「端的に言うと、そうですね(笑)。以前は、70年代的なビッグ・ロックと対比させるためのエッジーなサウンドを指すはずだったんだけど、ある時期からサブカル化したというか、内輪向けの閉じたジャンルになってしまったという感も否めない。ただ、実際に自分が聴いているような英国のバンドにインタヴューすると、ロックっていう言葉が通じないことが多かったですね。必ず怪訝な顔をされるので、早い時期から使わなくなりましたけど」

小野島「ははあ、なるほど。ロックンロールっていう言い方は通じるの?」

田中「50~60年代のフィーリングだったり、向こう見ずなアティチュードっていうニュアンスで通じます。例えば、スプーンのメンバーとかと話すと、『インディっていうのは商業的なタグだから、自分はそのタグ自体について考えたことはない。自分たちがやっているのは、あくまでロックンロールなんだ』っていう」

小野島「あのね、エリック・クラプトンがクリームを解散した後に、これからはもっとピュアなブルーズをやっていきたいんだ、って言うわけね。で、その時に、『じゃあ、クリームは何だったんですか? ブルーズじゃなかったんですか?』ってジャーナリストに訊かれて『ロックンロール以外の何物でもない、と思うけど』と言ったという話がありましたね。でも、言われてみれば、確かに海外のアーティストってロックってあんまり言わないよね。ロックンロールとは言うけど」

田中「そうなんです。海外ではロックってホント使われることの少ない言葉で。多分、日本人だけがずっと使ってきた言葉なんじゃないですかね。ただ、ここ1年ほどでラッパーがすごく大雑把な形でロックという言葉を使い始めた印象がありますけど」



>>>ロックの誕生=60年代後半のカウンター・カルチャーの成立

小野島「でも、俺たちの世代からすると、ロックって言うと、“考える人”みたいな、そんな印象かなあ」

田中「それは日本国内での文脈ってことですか? ロック=難しい音楽ということ?」

小野島「要するに、ロックンロールって、ワーッと踊って楽しくやりましょう、パーティだ、っていう。でも、ロックって言うともう少し思想的哲学的文学的芸術的なものっていうイメージがあったっていうこと」

田中「それは渋谷(陽一)さん以降なんじゃないですか? 〈ロッキング・オン〉以前からそうだったんですか?」

小野島「〈ロッキング・オン〉(1972年創刊)以前からそうだと思う。たぶんクリームやジミヘン、ドアーズなんかが出てきてニュー・ロック革命が起きて、ヒッピー運動と結び付いてから。ディランがロック転向したときに遡ってもいいかもしれない。だから、〈ニューミュージック・マガジン〉(1969年創刊)はロックンロールじゃなくてロックの雑誌だったんだよ。ロックを通じて世界を考える、世界を知る、っていう。単に踊って歌って楽しいな、じゃなくて、ロックを通じていろんな社会問題とか世界について考えるための、一種の窓として意識する。それが〈ニューミュージック・マガジン〉っていう雑誌だったの。オレの解釈ではね」

田中「なるほど」

小野島「それまでの、たとえば〈ミュージック・ライフ〉がロックンロールの雑誌だったとしたら、〈ニューミュージック・マガジン〉はロックの雑誌だった、と私は解釈していますけど」

田中「なるほど。時代的な文脈が見えました。60年代後半の〈ローリング・ストーン〉ですね。ロックっていう言葉を明確に前に出したのは」

小野島「かもね。じゃあ、ヤン・ウェナーってことか」

田中「ヤン・ウェナーと同世代の、主にアメリカのジャーナリズムですね、きっと」

小野島「あとは〈クロウダディ〉とかね」

田中「そう、ポール・ウィリアムス」

小野島「中村とうようさんは、66年に〈シング・アウト〉誌に掲載されたポール・ネルソンの『ビートルズの『ラバー・ソウル』とディランの『ハイウェイ61』はニューミュージックの金字塔である』という文章に触発されて〈ニューミュージック・マガジン〉を創刊した、と書いてますね。ここでいう“ニューミュージック”は、“ロック”とほぼ同じ意味だと思います。ただ雑誌の形態としてはたぶん〈ニューミュージック・マガジン〉のロール・モデルとして考えてたのは、〈ローリング・ストーン〉っていうよりは〈クロウダディ〉ですね。だから、ポール・ウィリアムスとか、あの時代の評論家がロックンロールとは違うロックっていう言葉を意識的に使いだしたのかもしれないね」

田中「年代的にいうと――」

小野島「66~67年くらい? たぶんね、ディランがロックに転向し、ビートルズが『ラバー・ソウル』や『リボルバー』を出し、ジェファーソン・エアプレーンとか、ああいうのが出てきた時に思想的哲学的文学的芸術的な表現としてのロックっていう言葉を意識的に使いだしたんじゃないかな。それまでのロックンロールと区別するために。ジェファーソンとか、グレイトフル・デッドとか、ドアーズとか。ここらへん、ちゃんと調べて言ってるわけじゃないから、間違ってたら指摘してほしいんだけど」

Jefferson Airplane / Somebody To Love


田中「少なくとも当時の音楽と、ポール・ウィリアムス、グリル・マーカス、デイヴ・マーシュ、あと〈クリーム〉を創刊したレスター・バンクス、あの辺りの世代のジャーナリストの言論が結びくつことで、一般的なリスナーの意識も更新されていったという」

小野島「それがカウンター・カルチャーの象徴としてロックを祭り上げた。だから例えば、〈ウッドストック〉でのザ・フーのステージにアビー・ホフマンが乱入して、投獄されていたジョン・シンクレアを解放しようとマイクで演説を始めたらピート・タウンゼントにギターで殴られたっていう話があるけど、それはロックをカウンター・カルチャーの象徴として祭り上げようとしたアビー・ホフマンと、そうじゃなくてロックンロールなんだっていうピート・タウンゼントの対立だと取ることも出来る。良くも悪くもロックはそういうイメージが昔はあった」

田中「つまり、ロックというジャンルが今みたいに固定化された音楽ジャンルではなく、態度や精神性を指す言葉でもあり、表現としてアクチュアリティを持っていた時代の定義ってことですよね」

小野島「そうだね」

田中「実際、小野島さん自身も、リスナーとしても、評論家として書き出された時点でも、ロックという言葉に対する見方――」

小野島「幻想はありますよ、私はロック育ちですから、当然。それはもう否定してもしょうがないし。だから、インディ・ロックじゃなくてロックでいいじゃんっていう(笑)。もっと言えば“オレが聴いてるものがロック”でいいじゃんと(笑)。テクノでもラップでもね」

田中「なるほど(笑)」



>>>ジャンルの進化が世代をふるいにかける瞬間

田中「僕は小野島さんより5、6歳年下で、世代的に言うと、パンク~ニューウェイヴ上がりなんですね。でも、それ以前、中学生、高校1、2年生の頃はロックはわりとファッションの一環として聴いていたんですよ」

小野島「パンクに出会うまでは?」

田中「そうです。〈ビルボード〉の上位に入っているもの――当時だと、例えば、イーグルスとか、フリートウッド・マック、ドゥービー・ブラザースとかをごく普通の身だしなみとして聴いていたので、ロックっていうものに特に思い入れがなかったんです。で、パンク、ニューウェイヴ、ポストパンクっていう流れの中で、初めて自分自身の音楽が出てきたっていう実感があって。その後もビートルズやザ・フー、ストーンズ辺りは聴いてたんですけど、同時代ではなく、むしろ60年代半ばの作品を好んでたんですね――いまだロックンロールと呼ばれていた時代というか。パンクのメッセージって、今では解釈が違うと思うんですけど、70年代後半当時は形骸化したロックの否定として流通してましたよね? だから、意識的に音楽を聴くようになった時に、何よりもロックこそが一番アウトなものだったんです」

小野島「なるほど」

田中「だから、ロックは観念的になり過ぎた音楽だ、ビッグになり過ぎた死せるダイナソーだ、という意識から始まってる。これは確かジョン・サヴェージが書いてたんですけど、ザ・フーはポップをやっていたのに、70年からポップの最大の敵であるロックに鞍替えをしたんだ、って言ってるんですよ。だから、デフォルトとして、ロックという言葉に対する嫌悪感があった世代なんです」

小野島「パンクが出てくる前のロックが大きくなり過ぎて愚鈍な恐竜みたいになってしまったっていう状況認識はみんな共有していたんじゃないの? でも現実問題、パンクについていけない人はいっぱいいたわけで、その年齢的な分水嶺っていうのはたぶん俺の世代だと思うんですよ。俺の友達でそれまでロックを聴いてたのが、パンクになってから全然流れについていけなくなっちゃったって人がたくさんいたから。ちょうど大学の卒業も間近の歳で、就職を意識しなきゃいけない、つまり社会の現実に直面しようとしていたことも大きい。その当時の普通のロック・ファンはそこでフルイにかけられた感はありましたね、私の世代は。その後の大きなフルイは、ヒップホップとダンス・ミュージック、ワールド・ミュージックの台頭だったと思うけど」

田中「間違いなく、世代をふるいにかけるそういったタイミングってありますよね。今だと、全盛期の90年代ヒップホップに熱中した世代になればなるほど、トラップ以降のラップを受け入れるのが難しかったり。90年代のオルタナティヴやインディに熱中した世代は特に日本だと、ここ5年でさらに文化のガラパゴス化が進んだこともあって、ゼロ年代以降のUSインディはもとより、ここ5年の間、海外で起ってることをまったく知らないで、すっかり20年前で時間が停まってしまっていたりする。まあ、ここ2年の〈フジ・ロック〉のヘッドライナーが象徴的ですけど」

小野島「だから、本国イギリスでウルフ・アリスがここまで大きくなったことがあまり伝わっていないってこと?」

田中「ほぼ伝わってないと思います。90年代からの古株が今も人気を博しているという現象は、ポップ・ミュージック全体の覇権が北米と南米が中心になったことですっかりおいてきぼりをくらったイギリスでも日本と近いことが起ってると思うんですけど、それと同時に、このウルフ・アリスがビッグになっていたり、ビッグ・ムーンみたいな新しいバンドが〈マーキュリー・アワード〉にノミネートされたりして、きちんと注目が集まったりしてますから」

小野島「なるほどね」

田中「ただ、70年代後半当時の小野島さん自身はどうだったんですか? ロックという音楽に対する確固とした信頼がベースにある中で、パンクが出てきた時っていうのは、どんな風に感じられたんでしょう?」

小野島「パンクはロックのもっとも純粋に凝縮された形だと思ってたし、今でも思ってるから」

田中「なるほど。つまり、パンクはしかるべきロックの進化型であり、そこに当時は言われていたような断絶はない、ってことですよね。今日的な歴史観としてはまさに仰る通りだと思います」

小野島「ただ今、『やっぱりパンクがオレの原点』っていうと、いろいろ誤解を招くからあんまり言わないようにしてるっていう」

田中「(笑)今だと、パンクというと、90年代以降、日本も含めてアップデートされたイメージがその大半を占めているから?」

小野島「そういうことですね」



>>>70年代半ばの日本で起ったブリティッシュ・ロックとアメリカン・ロックという分断

田中「ただ、60年代後半からロックがカウンター・カルチャーの文脈の中で位置付けられた流れの中で、それがアメリカン・ロックとブリティッシュ・ロックという風に、ロックの頭に国家の冠が付いた形で分けて聴かれるようになったというのは、日本だといつ頃の話なんでしょう?」

小野島「これはよく言うことなんですけど――レッド・ツェッペリンが出てきた時とか、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングとか、もちろんキング・クリムゾンとか、あの辺のバンドが出てきたのが大体60年代末から70年代頭じゃないですか。その頃は、大体ロック・ファンと言ったら大体同じものを聴いてたんですよ。ツェッペリンが新譜出したらみんな聴くし、ニール・ヤングが新譜出したらみんな聴くし。発売点数が今に較べたら圧倒的に少なかったっていうのもありますけど。その頃はイギリスのロックとアメリカのロックをそんなに派閥的に分ける動きはなかったと思う」

田中「なるほど。ただ、その後、変わっていった?」

小野島「それが70年代に入って、アメリカの方がシンガー・ソングライターのブームが訪れて、ジェイムス・テイラーとかジョニ・ミッチェルとか、ジャクソン・ブラウンとか、そういうのがバーッと出てきて。一方で、イギリスはグラム・ロックの時代、あるいはプログレの時代になっていって。その辺からね、イギリスのロックとアメリカのロックは派閥的に聴く人が分かれた、そんな印象がありますね」

Joni Mitchell / A Case of You

T. Rex / Children of The Revolution


田中「じゃあ、73~75年?」

小野島「いや、これ、(当時の〈ニューミュージック・マガジン〉をめくりながら)それまでは『イギリスのロック』って呼んでたのが『ブリティッシュ・ロック』になったでしょ。だから、おそらくこの時代ですよ。71、72年くらい」

田中「なるほど。当時は、具体的にどういった対立構造があったんでしょう?」

小野島「小倉エージさんとか北中正和さんは、やっぱりシンガー・ソングライターとか、アメリカの南部のロックとか、ザ・バンドとかジャクソン・ブラウンが好きで押していたわけじゃない? で、イギリスのロックが大好きっていう人は大貫憲章さんくらいしかいなかったから、〈ニューミュージック・マガジン〉周辺では。だから、この号(74年8月号)なんかでは、『〈マガジン〉はアメリカのロックばっかりやってる、どうしてイギリスのロックの特集をやらないんだ』って大貫さんが怒ってるわけですよ」

田中「それが74年の話ですね?」

小野島「74年。エージさんがその前にやったアメリカン・ロック特集で、『イギリスのロックは沈滞気味だ』と書いてて、それに対して大貫さんがブツブツ文句言ってるのが面白いんだけど(笑)」

田中「(笑)つまり、この時期、〈ニューミュージック・マガジン〉がロック全般をシリアスに捉えるという態度の延長線上で、その対象として70年代前半に出てきたアメリカのシンガー・ソングライターに比重を移していったわけですね、若干」

小野島「当時中学生の読者だった私の印象では若干じゃないですね、思いっ切り。それはなぜかと言えば、北中さんとエージさんがいたからに他ならないと思うんですよ。寄稿者だけど矢吹伸彦さんとかね。仮に大貫さんが〈マガジン〉の編集部にいたら、もっとイギリスのロックの記事が増えただろうから。と俺は思うけどね。単なる読者の見方だから、実際の内情は違うかもしれないけど」

田中「アメリカのロックに比重が移っていったっていうのはテイストの問題なんですか? それとも、もう少し思想的なものとか、社会的なアングルがあったりとか?」

小野島「どちらかといえばテイストだと思いますよ。ただ、カウンター・カルチャーや学生運動の時代っていうのがバッタリと70年代に入って鎮火しちゃって、社会のことを声高に叫ぶよりはもっと個人の内面に目を向けるべきだ、内省すべきだ、っていう時代になってて。その象徴としてシンガー・ソングライターがいたから、そういう意味では時代の流れではあったと思いますよ。だから、それが個人の内面に行くべきだって言って内面化していったのが自己告白的なシンガー・ソングライターだとしたら、もっとプラスティックな華美な方向に、作り物の方向に行ったのがグラム・ロックだっていう言い方が出来るんじゃない? だから、その辺りがおそらく分水嶺だと思いますけど」

田中「70年代前半のグラム・ロック以降の、ブリティッシュ・ロックっていう文脈をしっかりとオファーしたのはジャーナリストで言うと大貫さんのみ、っていう感じだったんですか?」

小野島「もちろん中村とうようさんも福田一郎さんも小倉エージさんも、ちゃんとフォローはしてましたよ。皆そういうバランス感覚はあった。ただ、象徴的に一番目立っていたのが大貫さんでしたね。旗を振ってたのはね」

田中「今野雄二さんは、まだその頃はそんなに目立ってなかったんですか?」

小野島「今野さんが出てきたのは大貫さんの少しあとだった気がする」

田中「ロキシー・ミュージックが出てきた当時とか?」

小野島「いや、もっと前だね。グラムの出始めのころかな? でも、あの人はアメリカだろうがイギリスだろうが、あんまり関係ないっていうか、ある種、快楽主義的な人だからね。ブリティッシュ・ロックに愛情を持って入れ込むというよりは、もっと根源的な自分の快楽原則に忠実というか。サンタナとか大好きな人だったからね。カルロス・サンタナのギターを『射精された精液が弦に粘りつくような音』と表現してた時は、この人すげえなと思った(笑)。そういう意味ではイギリスとかアメリカとか、国にこだわりがあんまりないんじゃないですかね」



>>>70年代日本におけるブリティッシュ・ロック・クラスタを束ねていたのは、音楽メディアと評論家だった

田中「じゃあ、当時の〈ミュージック・ライフ〉は、70~72年あたりはどの辺りの作家をサポートしていたんでしょう?」

小野島「でも日本で人気があったのは、やっぱりブリティッシュ・ロックなわけですよ。たとえばELP(エマーソン、レイク&パーマー)が〈ミュージック・ライフ〉の人気投票で1位になった時代もあったわけじゃないですか? でもELPなんて、〈マガジン〉ではまともに扱われたことなんてほとんどないから。だから一般的に人気があったのはイギリスのロックで」

田中「なるほど」

小野島「アメリカのロックってザ・バンドが象徴的だけど、髭面のまだ20歳くらいなのに40、50歳くらいのルックスのオッサンみたいなのがやってるイメージもあったりするから。イギリスのロックの人の方が見た目もいいし格好いいし、日本における洋楽ロックって女の子が先導していた部分がすごくあるから。伊藤政則さんは『ファンクラブを運営してたのが女の子が多かったから』と言ってたけど。その象徴がクイーンみたいなものですよね。だから、〈ミュージック・ライフ〉の人気投票でもアメリカのロックってそんな人気なかったと思うよ。ビートルズが現役の頃に、ドアーズがビートルズ、ストーンズに続き3位になったぐらいで。たぶん、ほとんど毎年イギリスのバンドが1位になってたんじゃないかな?」

田中「そこに、渋谷さんが72年に〈ロッキング・オン〉を創刊して、新たな文脈作りに参入してくるっていう構図なんですか?」

小野島「渋谷陽一さんは〈ニューミュージック・マガジン〉の増刊『年鑑’77』(1977刊行)に寄稿してて、『〈ロッキング・オン〉は〈ニューミュージック・マガジン〉の読者によって作られた雑誌である』とはっきり書いてる。『編集長である僕にとって〈マガジン〉は雑誌作りの指標であり目標であり、乗り超えるべき対象だった』って。扱うアーティストや編集方針、論調も含め、〈マガジン〉とは異なる新しい音楽雑誌を作りたかった、ということだろうね」

田中「で、実際に扱ってたものはデヴィッド・ボウイだ、キング・クリムゾンだ、ELPだった?」

小野島「うん、イギリスの音楽が多かった。だから、ツェッペリンが象徴ですよね。この前、〈ロッキング・オン〉がニール・ヤングを表紙にしたけど、〈ロッキング・オン〉の長い歴史でおそらく初めて(笑)。ニール・ヤングどころか、アメリカのミュージシャンが表紙になること自体が珍しいじゃないですか。〈マガジン〉なんかだと、70年代前半の最重要アーティストとして評価されたのはザ・バンドだったりライ・クーダーだったりしますけど、おそらく〈ロッキング・オン〉ではザ・バンドが大特集を組まれたことなんてほとんどないんじゃないかな。ニール・ヤングもザ・バンドもカナダ出身だけど」

田中「当時、71、72年頃というのは、小野島さんはリスナーとしてはどういうポジションだったんですか?」

小野島「私はブリティッシュ・ロック派でしたよ。完全な大貫憲章派です。だから不満があったんですね。〈マガジン〉の編集方針に。超熱心な、隅から隅まで誌面を読んでるような読者だったくせに、クソつまらないシンガー・ソングライターなんかやってんじゃねえ、っていつも思ってた(笑)。でも、他に読む雑誌もないから読んでたっていう」

田中「なるほど。当時の小野島さんがアメリカン・ロックよりもブリティッシュ・ロックに惹かれた理由はどういうものだったんだと思います?」

小野島「理由ねえ、今となっては説明するのが難しいなあ。それはもう、たまたま好きになったアーティストがイギリスに多かったから、肌にあったから、としか言いようがないんだけど」

田中「(笑)」

小野島「いや、だって、中学生なんてそんなものでしょう。でも、昔からフォークとかカントリーっぽい音楽が苦手だったから。これもその当時の時代背景なんだけど、日本ではやっぱりロックよりフォークの方が全然人気があったわけですよ。60年代末から70年代頭にかけて」

田中「それはツェッペリン的なフォークではなく、日本人の作家がやってるフォークっていう意味ですよね?」

小野島「そうそう。それこそ岡林信康に始まって、吉田拓郎、井上陽水なんかもそうだけど、若者が聴く音楽がロックっていうよりフォークだったんですよ」

田中「ブリティッシュやアイリッシュのフォーク音楽というよりは、60年代半ばの、アメリカでのフォーク・リヴァイヴァルを日本向けに翻訳した作家たちってことですよね?」

小野島「ディランとか、あとジェイムス・テイラーみたいな新しいシンガー・ソングライターの影響も少しはあったかも。で、日本人がやるロックって、GSみたいな過度に商業化されたものか、そうでなければことごとくアンダーグラウンドなもので。今でこそ、はっぴいえんどってスーパー・グループみたいに言われるけど、当時なんて聴いてる人は本当にごく一部だったと思うんですけど。だから、フォーク的なアコースティックなものに対する反発っていうのが個人的にはあったわけ」

田中「なるほど、なるほど」

小野島「生ギターを爪弾きながら、ウジウジ自分のことを語っているような音楽が大嫌いだったから。そういうのと程遠いのがブリティシュ・ロックの、ハード・ロックのブラック・サバスやツェッペリンもそうだし、キング・クリムゾンみたいな音楽もそうだし、ボウイもそうだし。ボウイはフォークっぽいところもあったけど、日本で言ういわゆる四畳半フォーク的なものとは全然違うから。まずそういうものに対する反発っていうのが、個人的にはあった。で、そのフォークの流れにあるのがいわゆるニューミュージックでしょ(〈ニューミュージック・マガジン〉とは別)。それも全部、俺は敵だと思ってたから。ニューミュージックとかそういうものに対する、あんなもの全員死ねばいいのに、と思ってたものがパンクが登場した時に見事に繋がってですね」

田中「なるほど。その後、小野島さんのそういった感覚というのはブリティッシュ・ロックを聴いてた時よりも、パンクによってより明確化されたという感じですか?」

小野島「話がどんどん飛ぶけど、パンクが出てくる直前はもうあまりロックは聴いてなかったんですよ、私は。〈マガジン〉の影響もあったんだけど、ブルーズとかソウルとかサルサとかレゲエ……レゲエはまだそんなに出てきてなかったけど、そういう音楽を聴くようになってて。黒人音楽とかラテン音楽とかね。で、あんまり音楽を聴かなくなって映画ばっかり見ていた時期とかあって。それがパンクによって、『あ、やっぱりロック最高じゃん』って戻ってきたっていう経緯があるから」



>>>「パンク」という言葉を巡る、世界的な世代の断絶現象

小野島「だから、あの時パンクに出会わなかったら、おそらく今ここにはいないですよね。音楽の仕事なんか絶対やってなかっただろうし。そういう意味で言えば、パンクが私をここまで連れてきてくれたのは間違いないです。けど、パンクが好きですと言うと、いろいろと誤解を招くので言わない」

田中「(笑)いや、実際、難しいですよ。40歳以下の人たちのパンクのイメージは、小野島さんや僕のイメージとはまったく違うと思います」

小野島「前にKORNにインタヴューした時に、どんな音楽に影響を受けたかって話になって、パンクとか影響を受けたか? って訊いたら、『あんな明るくて能天気な音楽、俺らが好きなわけねえだろ!』って怒られた(笑)。ああ、KORNにとってはパンクって明るくて能天気なイメージなんだって。それに驚いた記憶はありますね。そこら辺は、当時、西海岸で流行していたメロコア的な音楽を指して彼は言ってたと思うんだけど。KORNくらいの世代になると、オレら世代が持ってたようなパンクに対する幻想は全然ないんだなっていう」

田中「90年代半ばにアメリカ西海岸でパンクが再定義されて、NOFX、オフスプリング、グリーン・デイ辺りが発見されて以来はそうですよね。日本でもパンクというとハイスタ以降のイメージが支配的なんじゃないですかね、今は」

小野島「そういうことですよね。もちろんそれはそれで素晴らしいことだけど、自分が口に出す時は慎重にならざるを得ないところってあるじゃないですか?」

田中「だから、僕も自分がパンク世代だっていうことは、ほぼ口に出さないです。まったく伝わらないから」

小野島「伝わらないよね。あと、個人的な事情を言うと、私がライターになった時(80年代終わり~90年代初頭)に一番多かったのが、いわゆるパンクに関する仕事だったんですよ。日本のパンクもそうだし、向こうのパンクもそうだし。おそらく来る仕事の半分くらいがパンクに関する仕事で、それがほとほと嫌だったっていうのもある。ピストルズ、クラッシュ、スター・クラブ、スターリンに関して、『いつまで語らないといけないんだ?』っていう。好きなことは確かだし、影響もめちゃくちゃ受けたけど、それだけじゃないんだぞ、っていう気持ちもあったから。余計パンクに関しては言いたくなかったっていうのはありますね」

田中「わかります」

小野島「いつまで経ってもタナソーはレディオヘッドって言われるの、嫌でしょ?」

田中「2017年にもなってレディオヘッドについて書いたり語ったりするのは俺か、と思うと嫌気が指しますから(笑)」

小野島「ねえ」

田中「ただ、70年代前半で〈ニューミュージック・マガジン〉の影響で、ブラック・ミュージックだったり、サルサだったりに小野島さんが意識が移っていく以前の数年間の中では、やっぱりブリティッシュ・ロックっていうのが自分のテイストと意識の中心にはあったってことですね?」

小野島「中心かどうかはわからないけどなあ……。まあ、俺、ジャクソン・ブラウン嫌いだったからね」

田中「(笑)僕の世代はむしろウェスト・コースト・サウンド全般はずっと聴いてました。それこそロックへの入口だったので」

小野島「ただ一番好きなバンドがドアーズだったりするから。でも、ドアーズの頃は間違いなく、イギリスのロックとアメリカのロックを区別する人ってあんまりいなかったと思うんですよ。それがだんだん分かれて行って、じゃあ、現実に自分がイギリスのロックばっかり聴いてたかというと、必ずしもそうではない。ニール・ヤングは大好きだったし。ザ・バンドも最初は取っつきにくい音楽だと思ってたけど、だんだん好きになってきたっていうのがありましたからね。まあ、メディアから受ける影響は大きいっていう話ですよね」

田中「それだけメディアの影響力が大きな時代だったってことですよね?」

小野島「まあ、私の世代のロック・ファンは、みんなそうだと思いますよ。やっぱり雑誌が唯一の情報源だったし、評論家の言うこととか、今よりも遥かに影響力があったと思うから」



>>>何故、ブリティッシュ・ロックという命脈は途絶えたのか?

田中「ただ、今のお話は小野島さんという固有のサンプルだけの問題ではなく、実際、70年代にあったような英国のロックの命脈が断たれたようなところがあると思うんですね。そこが分断してしまったっていうのは、パンク以外にも何か理由があると思いますか?」

小野島「なんでしょうね?」

田中「逆に言うと、当時のシンガー・ソングライターから、アーシーな方に行くロックというのは、ゼロ年代のアメリカーナにしろ、その後のUSインディ全般にしろ、ずっとアメリカでは形を変え、その時々に脚光を浴びていくっていう流れが40年間近くずっと続いていると思うんですけど」

小野島「ルーツ・ロック的な方向ね。イギリス人もフォーク的な方向にいくけど、アメリカ人のルーツ遡行ほど強くないですね。そこは文化、風土、歴史の違いかな。イギリス人がイギリス人のアイデンティティみたいなものを、あんまり意識しなくなったんですかね。やっぱりイギリスのロックって、常にアメリカの音楽を参照してきたのがいつの時代でもあったから。ヤードバーズとかストーンズとかが、マーキーとか小さなクラブで演奏していた時代から、アメリカの黒人音楽をカヴァーするのが一番ヒップなことなんだっていう時代もあったけど、そこに自ずとイギリスの風土とか文化みたいなものが滲み出てきて、イギリスのロックが成立してきたわけじゃないですか」

田中「はい」

小野島「ただ、ロックっていうビジネスがどんどんデカくなっていくと、イギリスのロックがイギリスだけで完結していたら大きくなれないから、アメリカの市場を意識せざるを得ない。そうなってくると、イギリスのロックとしてのアイデンティティみたいなものが、だんだん薄れてくるのかもしれないですね。昔エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカロックに取材したら、彼はU2が大嫌いで、あいつらアメリカに媚びやがって最低だ、とか言ってたけどね。ま、それはジェラシーもあると思うけど。ツェッペリンがすごくイギリス的な音楽にもかかわらず、アメリカに行って大成功した。というか、アメリカで成功しなければ、ツェッペリンは成り立たなかったっていうのは、象徴的な例だったりするんじゃないですか。ピンク・フロイドもそうだよね」

田中「そうですね。アメリカで売れてからは、バンドとしてもまた別のフェイズですもんね。あ、思い出しました。ゼロ年代のザ・ストリーツ、その後のアークティック・モンキーズが音楽性だけじゃなくて、言葉のニュアンスや発声があまりにブリティッシュすぎて、歌っていることもわからないっていうのを相当言われて、次第にやる気を失っていくっていう」

Arctic Monkeys / I Bet You Look Good On The Dance Floor

The Streets / Has It Come To This?


小野島「ああ、ザ・ストリーツはブリティッシュっぽいね。晴らしいけど、確かにアメリカで成功しそうな気はしない。ザ・スミスはどうだったんだろうね?」

田中「ザ・スミスはむしろ解散した後に人気が上がって、今は北米のヒスパニック・コミュニティだったり、南米で一番人気があるんですよ」

小野島「ああ、その話はなんか聞いたことがあるな。ザ・スミスはあのままやってたらアメリカで大成功したの? 学生がいるような大都市ではスタジアム・クラスだったけど、それ以外ではさっぱりだったから、っていう話は聞いたことある」

田中「モリッシーのソロに関しては、レコード自体はすごいセールスにはなっていないですけど、普通にベイエリアでやれば大規模の会場がソールドアウトしたりするみたいですよ。でも、当時は難しかったと思いますね。あれだけ英国のワーキング・クラス特有の文化にフォーカスした内容だと」

小野島「ザ・スミスもモリッシーもストーン・ローゼズも失敗した。キュアーやディペッシュ・モードは成功したけど、90年代以降のバンドだと、オアシスが初めて成功したようなものでしょ?」

田中「解散直前のクラッシュ以降だと、そうなるんですかね。ただオアシスの場合も全盛期にメンバー内のごたごたのせいで、ツアーが途中で中止になったりとか」

小野島「ああ、そうか。でも、結構レコードは売れてたでしょ?」

田中「いや、97年の『ビー・ヒア・ナウ』が全米第二位というのが確か最高位だったはずです」

小野島「二位でも十分だと思うけど(笑)。じゃあ、レディオヘッドの方がすごいってこと?」

田中「成功の度合いで言っても、間違いなくそうですね。評価の話になると、さらにケタ違いですけど」

小野島「レディオヘッドは面白いですよね。『OKコンピューター』の影響をもっとも深刻に語ったのって、当時のアメリカのラウド系のバンドだったりするのとか」

田中「リンキン・パークとか、デフトーンズとか、あの辺りのバンドがみんなレディオヘッドを意識して、っていう流れがありましたよね」

小野島「そうそう」

田中「今話していて思い出したのはブリットポップの時――あの頃はブリットポップというくらいだから、誰もがブリティッシュネスを全面に押し出したわけじゃないですか。ただ、ここ20年でポリティカル・コレクトネスの意識が高まったのもあって、UKという国の文化をブリティッシュという言葉で代表するっていうこと自体がはばかられるようになった気がしますね」

小野島「ああー」

田中「ウェーリッシュ、アイリッシュ、スコティッシュっていうそれぞれのアイデンティティを明確に区別するようになった。まあ、日本だと、いまだUKロックなんて乱暴な言葉が流通していたりもしますけど、ファンの間でもプライマル・スクリームやティーンエイジ・ファンクラブがスコティッシュ・バンドなんだっていう理解がきちんと進んだりとか」

小野島「それはやっぱりU2以降かな」

U2 / Sunday Bloody Sunday


田中「要するに、アイルランドっていうアイデンティティを全世界に知らしめたのが?」

小野島「そうそう。イギリスとアイルランドは違うんだ、っていうのがすごくはっきりわかった。彼らの成功でアイルランドの音楽産業がちゃんと整備された、という点も含めて。〈ポストカード〉のオレンジ・ジュースとか、あの時代はまだ一緒くたにブリティッシュ・ロックって語ってた気がしますね」

田中「アッシュの連中が言ってて面白かったのは、『アメリカ人はみんな、そもそも自分はアイルランド人なんだって言いたがる』っていう話で。だから、アイリッシュとアメリカというのは歴史的に見ても、親和性が高いんだと思います。U2がアメリカで売れたのが『ウォー』(全米第12位)の時? 83年?」

小野島「〈ライヴ・エイド〉がきっかけだから85年? というか、『ヨシュア・ツリー』(87年)でしょ」

田中「ドカーンと行くのがですね」

小野島「そう。〈ライヴ・エイド〉に出て、『ヨシュア・ツリー』で爆発したって感じですよね」

田中「いずれにせよ、ここ20年の間は、英国性を押し出したバンドというのは世界的な成功は収めていない。U2はまぎれもなくアイリッシュ・バンドだし、コールドプレイはもはや完全にマルーン5の隣に並べた方がしっくり来るアメリカのポップ・アクトですし。ただ、The xx辺りがアメリカのメインストリームとも共振する形で、独自の英国性を担保したまま成功を収めているので、また新たな変化も起こりつつあると思うんですけど」

The xx / On Hold


小野島「The xxは素晴らしいけど、オーソドックスなロックとは言いがたいところがあるからね。つまり、ウルフ・アリスに関しても、アメリカなり、世界的な成功を収める可能性があるってこと?」

田中「まあ、今はロック・バンド自体が全世界的にはあまりに劣勢なので大前提としては難しいところはあるにせよ、ウルフ・アリスやサヴェージスみたいな明らかに北米とは違う、ヨーロッパ的な感性を持ったバンドが全世界的に共有される素地はここ数年でようやく出来てきてると思います。そういう意味では彼らの2ndアルバムは試金石になるんじゃないか、と」

Wolf Alice / Heavenward



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