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DANGEROUS WOMAN Ariana Grande (Universal) by KENTA TERUNUMA
TAIYO SAWADA
July 05, 2016
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DANGEROUS WOMAN

ビヨンセやリアーナより「軽い」。そこが良い。
でも、いつもよりちょっと重い最新作

昨年の〈サマーソニック〉会場でもっとも目立っていたのは、BABYMETALのTシャツを着た老若男女、そしてコスプレもしくはそっくりさんとも言えるアリアナ・グランデのファンの女の子たちだ。炎上体質であり、嫌われ者や、やっかいなアーティストとしても知られるアリアナ・グランデだが、会場中あちこちで見かける「Ariガール」たちのロイヤルティには凄まじいものがあった。おそらく彼女たちはビヨンセやリアーナよりも近い存在として、等身大の女性としてアリアナ・グランデに心酔しているのだろう。そして、そのどこか「ライトな感じ」は彼女の音楽的魅力でもある。〈モータウン〉と90年代R&Bをベースとしたキラキラ輝くポップ・ソング集である1st『ユアーズ・トゥルーリー』、全方位型に音楽シーンの最新モードを反映した2nd『マイ・エヴリシング』。どちらもある種の軽さを持つ、聴きやすいポップ・レコードだった。

さて、そんなアリアナ・グランデの3rdアルバム『デンジャラス・ウーマン』は、これまでのアリアナ作品を手がけてきたマックス・マーティンとトミー・ブラウンによる盤石のプロデュース体制での制作ながら、前2作ともまた印象を変えてきている。まずニッキ・ミナージュ、リル・ウェイン、メイシー・グレイ、フューチャーといった客演陣を見ても分かる通り、全体的にブラック・ミュージックの要素が強まり、当初「ネクスト・マライア」と評されていたアリアナの歌声はソウルフルに深みを増した。しかし“プロブレム”や“フォーカス”のような派手なトリックを含んだビートで聴かせる「ザ・最新型ポップ」は皆無で、クラシックやアンビエントを思わせるサスティンとリリース、そして曲全体の展開で聴かせるミニマルでクラシカルな楽曲が目立つ。はっきり言えばこれまででもっとも地味で、少し重めな作品だ。

しかし、前述の〈サマーソニック〉でもっともオーディエンスを沸かせた、ゼッドのプロデュースによるEDMポップ“ブレイク・フリー”について「自分の本流ではない」と話しているように、おそらくは本作こそがアリアナ・グランデの嗜好にもっとも近いアルバムなのだろう。リリース前はリアーナ『グッド・ガール・ゴーン・バッド』的作品を想像したが「アルバム・タイトルを発表した時に『アリアナもバッド・ガール期に突入した』と言われたけど、そんなことない。これが自分自身」という発言からも、リアーナの作品を対に置くならばそれは2016年作『アンチ』なのかもしれない。バッド・ガールになる必要なんかない、自分自身であればいいのだ、と。

そんな本作の白眉は、オーセンティックなハウス・トラックに、アリアナのヴォーカルがストリングスのように上品にレイヤードされ、静かに高揚を煽る“ビー・オールライト”。カニエ・ウェスト『ザ・ライフ・オブ・パブロ』収録の“フェード”や、チャンス・ザ・ラッパー『カラーリング・ブック』の“オール・ナイト”で取り上げられるなど、今年の裏トレンドになりつつあるハウスを採用したこの曲について、アリアナは「とにかくやりすぎないようにした。アドリブの入れすぎや、歌い込みすぎるのを避け、シンプルであることを心がけた」と発言している。高い歌唱力を持ちながらも歌姫化せず、あくまでポップ・シンガーであろうとする。そんなライトなバランス感こそが、やはりアリアナ・グランデの魅力なのだ。

文:照沼健太

底知れぬポテンシャルを発揮し続ける「天然」ディーヴァが、
さらに一皮剥け、世代の声になるために必要なものとは?

アリアナ・グランデというのは不思議なアイドルである。

彼女が2013年のデビュー当初から日本のマーケットに割合スンナリと入り込めたのは「ポスト・マライア・キャリー」というイメージが抵抗なく受け入れられたからだと思う。いまだにマライアの人気が高い日本ならではのことだ。

しかし、アリアナが本当の意味で国際的にウケたのは、欧米圏ではとっくにアウトになって久しい、マライアの90’s後半のような曲や歌いっぷりを抑えた2ndアルバム『マイ・エヴリシング』あってのもの。1stの時点から、時代遅れな「かわいい系R&B」よりも、今時の女の子っぽさが出たミーカとの共演曲やEDMっぽい曲の方が、彼女の自然な姿が伸び伸び表現されていてよかったが、ここではテイラー・スウィフトで当てたシェルバックやゼッド、デヴィッド・ゲッタといった今どきのEDMをアリアナはいとも簡単にものにし、現在のモダンR&Bの寵児であるウィーケンドとのデュエットも一歩も引くことなく対等にキメてしまった。これで彼女の評価が俄然上がったのだ。

それにしても、アリアナがここまでやるとは、当の彼女のスタッフでも思ってなかったのではないか。僕はよくそんな風に思う。アリアナには、一見どこにでもいそうな、ちょっと洗練されていない冴えない部分さえも残した面影が今も強く残っている。元々はB級子供チャンネル、〈ニコロデオン〉の準主役級の子役でディズニーのスターのセレーナ・ゴメスやデミ・ロヴァートのような輝きはなかった。ファッションにせよ「ハーフ・アップのポニー・テイル」というのがイケてる女の子のソレとは思えないし、繰り返しになるが「マライアが好き」というセンスも時流に乗ったものとも言いがたい。

そんな彼女だが、いざマイクを握ってしまえば、セレーナやデミでは出来ようもない歌のスケール感が生まれ、天性のリズム感と柔軟性をもって、本家マライアでも対応しようがなかったタイプのテンポ早めの楽曲でもスムースに歌いこなした。おまけに今では、ショー・ウィンドウに飾られたドーナツをかじるなどの行為がかわいい天然ボケみたいな感じでいいフックにもなり。「あの子、歌はうまいんだけど、どう活かそう?」というところから、ここまで成長すると踏んだ人もそう多くはなかっただろう。

その成長に手応えを掴んだか、アリアナのスタッフは彼女にさらなる難題をつきつけた。それが今作、その名も『デンジャラス・ウーマン』だ。だが、「危ない女」になる以前に、今回のアリアナは前作からのEDMに加えダンスホール・レゲエ、そしてさらにはブルース・ロック調の曲までこなさなくてはならなくなった。「アイドルに何もそこまで」と僕も最初は思ったのだが、結局のところ、これもケロッとこなせてしまうのがアリアナだから、また面白い。

「危ない女」になれたかは、永井豪のエロ・カルト漫画『けっこう仮面』みたいになってしまったジャケ写で答えが出てしまっているが(注:日本盤はジャケ写違い。海外盤のジャケ写はこちら)、結局のところ悪女をユーモラスにもかわいく演じたアリアナはブルージーなタイトル曲をいつも通りの歌唱ながら違和感なくこなしたかと思えば、メイシー・グレイのしゃがれ過ぎた激渋声との意外な共演となった“リーヴ・ミー・ロンリー”も、正当派なオーガニック・ソウルの“アイ・ドント・ケア”もサラリと歌いきってしまった。さらにはニッキ・ミナージュとのダンスホール・レゲエの“サイド・トゥ・サイド”も。今作でも彼女のヴォーカルがもっとも輝いているのは“イントゥ・ユー”のようなメロディックなEDMを声の立体感を活かして歌いきった時だが、それでもヴァリエーション豊かな本作の楽曲群を、声の魅力ひとつで統一感持って歌えるのは大したものだ。

この「無意識の天然ディーヴァ」が短期のうちにこうも順調に成長して行く姿を見るのはうれしい。ただ今後にひとつ注文を付けるなら、歌詞の中の一人称が彼女自身と結びつき、世代の声として確固たる響きを持つようになればさらに一皮むけるはずだ。今はいろいろ歌いこなすだけで十分な仕事をしているが、「世代代表」になっていくためにはこの次の過程が求められてくるだろう。

文:沢田太陽

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